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オーラが伝えるすべて〜akuaの沢渡和〜 https://akuakazu.hatenablog.com/

20年近いオーラ診断を通して分かったこと。人生の様々な課題を乗り越えていくヒント。

ドルフィンスイムやセドナツアーも毎年開催しています。そこでの様子や写真もアップしていきます。またボロブドゥール寺院はオーラの構造と酷似しています。そうしたこともお伝えしています。

沢渡和
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鎌倉市
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2011/12/06

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  • 映画『花束みたいな恋をした』考察3

    【4】本作の核心である「あと一歩」の回想 「われわれのこれまでの道のりは美しかった。あと一歩だった」 ブラジルキャプテンのジュリオセザールの言葉をもとに、ふたりは別れを決めた後も、この“あと一歩”がなにかを考え続けた。 実は本作は、ふたりの回想に基づいて創られている。 公式HPより抜粋 同棲中に浮気したかどうかを問い合う場面でも、深刻な問題には発展せず、むしろ「ふたりでひとつの恋愛」をもう保っていないからこそのゆるやかさが生じている。 最初はスニーカーを履いて自由を謳歌していたふたりが、社会に出て革靴に変わり、再会時に相手に「いい革靴を買ってあげたい」と思うほどの上下関係や社会通念を内包する恋…

  • 映画『花束みたいな恋をした』考察2

    前回『花束みたいな恋をした』が単なる恋愛映画ではなく、「他者のために生きる」可能性を示唆していると書いた。 脚本家・坂元裕二の作品には、貫かれる 【自立 → 癒し → 再生 → 他者救済】 というテーマがある。 この考察2では、作品のなかの様々なエピソードが具体的に本作のテーマとどのように関わっていくかを考察したい。【1】自力で考えることの大切さ 本作では、社会的抑圧や“責任”といった言葉に縛られて自分を見失う主人公が、「恋愛はひとりにひとつずつ」という価値観に行き着くまでの道のりが丁寧に描かれ、作中のさまざまなエピソードが“違和感”として重層的に織り込まれている。 冒頭でイヤホンの左右を分け…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察3

    前回のつづき 映画のなかで平山はどのように「再生」を遂げるのか。 主人公は強い悔恨にさいなまれつづけ、そのギリギリの状態を支えてくれていたのは、音楽とフィルムカメラやささやかな自然の姿、そして「亭主と客」という関係を崩さずに相手を尊重して接してくれる飲み屋やスナックだった。 内面的にいつもギリギリの状態だからこそ、たんたんとした同じ毎日を送ることで、内的な問題が噴出しないように封印して過ごしていたとも言える。 頻繁に登場する首都高は、主人公が静かで変わらない毎日を送っている一方で、東京という都会(外界)は止まることなく進んでいる様をも表している。 住んでいるアパートに名札は出さないし郵便物もこ…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察2

    前回のつづき この映画の主題は「贖罪と再生」と受け取っている。 『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダースの脚本・監督なので、キリスト教的贖罪を示唆しているのかもしれない。 坂本裕二脚本の映画『怪物』の主題は以下の4つの構成で出来ているとした。 1.条件づけにある人々や組織 2.自然の力(地水風火)による浄化 3.「内的な死」と「自己の真実の吐露」 4.「気づき」「覚悟」による「再生」 一方、『Perfect Days』の主題は以下の構成となっていて、両者は類似している。 ひとの再生というものがこうしたプロセスを経るものだからだろう。 1.贖罪と過去の痛み 2.心をひらく 3.本音の吐露と癒…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察1

    『パーフェクト・デイズ』を観た。 監督は『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)。 主演は役所広司で舞台は東京。 ヴィム・ヴェンダース描き出す東京は、多面的で肯定的に描かれている。いろいろな生き方をする人たちを受け入れることができる町で、自然や都会がバランスよく配置される。 時代は2023年11月。 多くの方の考察では、 「日常の静かなたんたんとした生活の美しさ・豊かさや、シンプルに生きることの喜びを描いた映画」 という評価を目にする。 確かに、この映画の主題を描くうえでの必要性から「静けさ」や「日常のささやかさ」「自然の美」「丁寧な生活」などが魅力的に描かれて…

  • 最高善

    生命と宇宙の進化、個と全体、高次元との関係性を包括的に見渡すと、すべてがひとつながりになりながら絶えず変容を繰り返すホリスティックな世界像が浮かび上がる。 物質世界は、ビッグバン以来の膨張や元素合成の流れによって銀河や恒星が生まれ、惑星や生命へと連鎖してきた。 生命は物質と精神の両面を抱え、環境との相互作用を通じてこれまで多彩な進化の軌跡を描いてきた。 Art Swing MAMIさん 花 (フラワー・オブ・ライフ) 各個の存在はホログラフィックに全体の情報を宿しながら、同時にそれぞれが独自の特色をグラデーションとして示し合い、全体にも影響を及ぼす。 古代からの神秘思想や仏教だけでなく最新の量…

  • 「線を引く知性」「線を溶かす知性」

    知性にはふたつの性質がある。 一つは「線を引く知性」で、物事の間に境界線を引いて分類・分析を行う論理的知性。 もう一つは「線を溶かす知性」と言えるもので、境界を越えて全体を捉え統合する包括的知性。 現代は情報化や価値観の変容が急速に進み、この二つの知性のバランスがいっそう重要になっている。 「線を引く知性」(論理的知性)は、物事の違いに注目して分類し、論理的に考える知性を指し、ものごとをカテゴリーに分けしたり白黒やA/Bといった境界線を定めることで理解しようとする思考法である。 例えば西洋的な伝統では何事も明確に定義し、形式的な論理やルールによって世界を把握しようとしてきた。 このような分析的…

  • ことばと想念 言語が世界を構成する

    想念とことばは深いつながりがある。 私たちは言語を通じて物事に名前を与え分類し、それによって思考可能な事柄の範囲や構造が規定される。極端に言えば、自分が知らない言葉で表現される概念は思考や想念の対象にしづらい。​ 言葉によって物事を考える以上、思考もまたその言語によって制約される。言語自体が想念の地図を描いており、その地図の範囲外にはわたしたちの想念も及ばないことを示唆している。 語彙の差異も、話者が世界をどう認識しているかの差異につながっていく。 サピア=ウォーフ仮説では「『現実世界』というものは、じつのところ、その社会の言語習慣によって無意識のうちに作り上げられたものである。異なる言語を話…

  • 永遠の ”量子⇔物質化” 循環

    高次元とこの物質界とのつながりを考察するとき、 「量子 → オーラ → チャクラ → 物質化 →(再び)量子」 という循環を想定している。 これは、エネルギーの最も微細な高次元(量子レベル)から始まり、その影響がオーラやチャクラなどのスピリチュアルな構造を経由して、私たちが体験する物質的な現実へと具現化し、最終的には再び量子の高次元へと還元されるモデルである。 モンテズマ このサイクルの出発点は「量子レベル」の世界だ。 ここには物理学でもなお解明されていない不可解な性質が多い。 粒子が波のように振る舞う二重性や、量子もつれによって離れた粒子同士が同時に関連づけられる現象など、私たちの常識を超え…

  • すべてはグラデーションになっている

    すべてはグラデーション――この言葉には、一見すると対立しそうに見える二つの要素のあいだに、本来は連続的なつながりが存在していることを示唆している。 たとえば、白と黒のあいだには灰色という単一の中間色だけでなく、ほとんど無限に近いほどの濃淡が広がっている。 これを社会問題や人間関係、あるいは個人の内面世界にまで広げて考えてみれば、世界の見え方は驚くほど変わってくる。 横須賀美術館 安心感や安定感を求めたいという内面の動きからか、私たちは日常生活のなかで何かと物事を単純化して捉えたがる。 たとえば「この意見は正しい」「あの意見は間違っている」というふうに、白黒はっきりさせたい衝動が働きがちだ。 も…

  • 永遠の未完成

    「分からないこと」は至極当然なことであり素晴らしいこと。 未知が存在するからこそ、私たちは日々学び試行錯誤を重ね新しい視点を獲得していく。 まだよくわからないものに触れたとき、人は怖れや不安だけでなく可能性や期待感を同時に抱くものだ。 分からない状態は、世界の奥行きに気づくことができると同時に、発見の喜びを味わう入り口にもなりうる。 私たちの世界や人生は、いつも変化と生成の真っただなかにある。 どんなに学び経験し考えたとしても、到達するのは一つの暫定的な結論にすぎない。 いつしか新たな問いが浮上する。 社会のシステムも文化も、いったん完成形らしきものに至ったかと思えば、すぐに課題や矛盾が姿を現…

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