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オーラが伝えるすべて〜akuaの沢渡和〜 https://akuakazu.hatenablog.com/

20年近いオーラ診断を通して分かったこと。人生の様々な課題を乗り越えていくヒント。

ドルフィンスイムやセドナツアーも毎年開催しています。そこでの様子や写真もアップしていきます。またボロブドゥール寺院はオーラの構造と酷似しています。そうしたこともお伝えしています。

沢渡和
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2011/12/06

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  • AIとスピリチュアルが交わる 「ひとつながり性」のもたらす癒し

    ディープラーニングに代表されるAIの学習モデルは、大量のデータを多層的に解析し、その過程で特徴量を抽出・総合していく構造をもつ。 AIが多段階にわたってデータから意味のあるパターン(特徴)を拾い上げ、それらを段階的にまとめ上げるしくみを持っているのだ。 この多層的な構造は、一見すると単なるアルゴリズム的処理の集合にすぎないように見えるが、実際には膨大な数のパラメータが相互に影響を与え合い、ネットワーク全体としての整合性を保ちつつ機能している。 AIのレベルが上がるほど、ひとつの「有機的システム」として結びついていることを改めて認識させられる。 これこそが「ひとつながり性」であり、スピリチュアル…

  • チャクラの運動メカニズム

    チャクラとは、古来から伝わるエネルギーの中枢であり人の身体と精神そして宇宙の大いなるエネルギーを結びつける扉のような存在とされている。サンスクリット語で「車輪」や「輪」を意味し、頭頂部から下へ順に通常は七つの主要なチャクラがある。各チャクラには個別の大きな役割やテーマがあり、身体的な部位の対応だけでなく感情や意識の在り方とも深く結びついている。 さらに、チャクラはオーラの7層で保持されているエネルギーを肉体(物質)界に取り込む役割も果たしている。 オーラには7つの層があり、それぞれがエネルギー次元の異なる意識の領域につながっている。身体に最も近いエーテル体から感情体、メンタル体を経て、より高次…

  • 曖昧さが「わたし」の核心的要素

    私たちは当たり前のように「わたし」という言葉を使うが、その「わたし」はどこからどこまでを指すのか。たとえば「この身体はわたしのもの」と思っていても、その身体を構成する細胞や臓器のひとつひとつを「自分」と感じるかというと、その感覚は極めて曖昧なはずだ。 腎臓や肝臓といった肉体的臓器を意識的に「わたし」と捉えることは少なく、日常生活ではむしろ「わたし」というアイデンティティと内臓の働きとの間に距離がある。 肉体ですら「わたし」境界に曖昧さを持つ。 精神的スピリチュアルな探求では「わたしとは?」という問いは大きなテーマであり、肉体を超えた精神性やエネルギー的側面も「わたし」に当然含まれている、と多く…

  • このままの在り方

    現代社会では、常に「いまのお前はダメだ」「もっと成長しなければ」「より優れていなければ」というメッセージが溢れている。 ただでも自分の弱さや欠点をそのまま認めることには心理的抵抗がある。 だから、多少なりとも自分を良く見せたり庇おうとして演技のようなフリをし、身体や心に無理な緊張を強いることになる。 しかしスピリチュアルは、まず「ありのままの自分を受け入れろ」と言ってくる。等身大の自分でいろと言ってくる。 自分が等身大でいるとは、ありのままの姿を認め、瞬間ごとの感覚や感情を素直に受け取りながら生きることだ。 このとき、心の奥底が自然とオープンになる。こころが開いた状態となる。 スピリチュアルで…

  • 贈り物のように

    私たちはふつう、自分の人格や性格を「自分自身の一部」として所有しているかのように捉えがちだ。「私は内向的」「私は怒りっぽい」「私は几帳面で完璧主義」といった語りは、あたかも「私」という器のなかに性格や人格という属性がある程度は固定的なものとして、しまわれているかのようなイメージを持つ。 人格や性格は、正負のエネルギーが織りなす関係性のなかで一時的に現れる現象にすぎない。 状況や経験によって変化し続けるものであって、固定的属性ではない。 つまり、「私の性格」という言葉は厳密には矛盾を含んでいると感じる。性格・人格は「私のもの」ではなく、その瞬間や状況においての「関係性の結び目」として立ち上がって…

  • ディスレクシア2 ー近代の枠を超える希望ー

    ディスレクシアと呼ばれる特性をもつ人々は、文字や文章の読み書きには大きな苦労がともなうことが多い一方、イメージを素早く捉える力を備えている。 頭のなかで対象としているものの「完成形」が先にくっきり浮かぶのだ。 そのため、完成形そのものへのこだわりが強く、それを実現するためのプロセスを一歩ずつ確実に意味づけしながら進む必要がある。 もし途中でステップの歩みをつづけることが出来なくなったり、途中のステップを飛ばしてしまうと、せっかくの「完成形の閃き」が宙に浮いてしまい、混乱や停滞、無価値感を招いてしまう。 また完成形が見えているがゆえにそのレベルを落とすことができず、周りの人をうまく巻き込めず孤立…

  • ディスレクシア ー近代の枠を超える希望ー

    増えるディスレクシアの人々 近代社会の行き詰まりが明白になるにつれ、カウンセリングの現場でも年々増えている印象があるのがディスレクシアの人々。 知的能力に問題がないにもかかわらず、文字を判別したり文章をスムーズに読むことが難しいのが特徴だが、あらかじめ決められた枠組みや常識に縛られない自由さを備えていると感じている。 文字情報に重点を置く思考スタイルを得意とする人々は、無意識のうちに言語や論理のルールに沿って世界を切り分けてしまいがちだ。しかしディスレクシアの人は、文字を介さず物事の全体像や本質をとらえる傾向が強い。そのため、自分でも気づかないうちに既存の視点とは異なるアプローチでアイデアを組…

  • 傷ついた自分を抱きしめ直す

    無価値観を抱えていると、本来なら最も大事にしたいはずの自分の感情や気持ちから次第に切り離されていく。思考すら他者の代弁的なものになっていく。 生きるという行為や仕事に携わることは多くの場合「お前は無能だ」という社会からの圧力が無価値感を積み重ねるようにも感じられ、本心を素直に認識することすら困難になる。 いつしか「自分は何がしたいのか」「何を求めているのか」という問いへの答えが曖昧になり、手っ取り早い答えや歪んだ方向に意識が逸れがちになる。 こうしてますます自分を観る世界を観ることがおろそかになり、代わりに自己否定や他者への批判、欲望充足に時間を費やしつかの間の相対的優位感に浸ることが習慣化し…

  • 「気づき」は答えではない

    一般的なスピリチュアル文脈で語られる「気づき」は、答えや解決策のように語られることもあるが、本来的な「気づき」は単に「新しい有効な情報を得た」というレベルのものではない。 むしろ、自分のなかに以前から存在していた思考や感情の固まりが解け、それまでとは異なる視点や感覚が広がっていくような体感が起きている状態を指す。 セドナでは気づきが生じやすい 突然「これまで自分はこういうときに恐れを感じていた」「実は人に対してこんな期待を抱いていた」などと分かるときがある。 無自覚だったものが言語化されてくることで、「ああ、こういうことだったのか」と腑に落ちる感覚ともいえる。 その固まりが解けていく過程では、…

  • 般若心経の教え

    般若心経は非常に短いお経でありながら、仏教の核心である「空」の思想を強く示すため、古くから広く読誦(どくじゅ)され尊ばれている。 以前(2011年)の記事でも紹介したが、この経典は否定のオンパレードとなっている。 わずか262文字のなかに「無」や「不」といった否定を示す文字が頻繁に使用され「無」が21回「不」が9回登場する。​これらの否定語を通じて言語での表現が不可能だと思われる「空」の思想を表現しようと試みている。 空(くう)「存在しない」という意味ではなく、「固有の自性(存在が常に同一性と固有性とを保ち続けそれ自身で存在しているという本体)」を持った不変の実体はない、ということを指す。存在…

  • 神聖(神性)さ

    神聖さは、なにか日常生活と乖離した「特別な現象や空間」のことではなく、むしろ私たちがつねに接することが可能な「自然な在り方」にある。 日常のなかに静かに息づいている根源的な尊さや、なにかが溶けて流れていく感覚のことを指しているのではないだろうか。 わたしたちが神聖(神性)さを見失う理由として「自分の外側に神秘や奇跡を求めやすい」という傾向があると思っている。 いくつかの聖地 ――たとえば伊勢神宮やボロブドゥール寺院、あるいはセドナやイギリスのストーンヘンジ、グラストンベリーなど―― を訪れた体験から、こうした神聖な場が私たちの意識を変えてくれるのは「外からの力」よりも「内面からの呼応する力、感…

  • 映画『花束みたいな恋をした』考察3

    【4】本作の核心である「あと一歩」の回想 「われわれのこれまでの道のりは美しかった。あと一歩だった」 ブラジルキャプテンのジュリオセザールの言葉をもとに、ふたりは別れを決めた後も、この“あと一歩”がなにかを考え続けた。 実は本作は、ふたりの回想に基づいて創られている。 公式HPより抜粋 同棲中に浮気したかどうかを問い合う場面でも、深刻な問題には発展せず、むしろ「ふたりでひとつの恋愛」をもう保っていないからこそのゆるやかさが生じている。 最初はスニーカーを履いて自由を謳歌していたふたりが、社会に出て革靴に変わり、再会時に相手に「いい革靴を買ってあげたい」と思うほどの上下関係や社会通念を内包する恋…

  • 映画『花束みたいな恋をした』考察2

    前回『花束みたいな恋をした』が単なる恋愛映画ではなく、「他者のために生きる」可能性を示唆していると書いた。 脚本家・坂元裕二の作品には、貫かれる 【自立 → 癒し → 再生 → 他者救済】 というテーマがある。 この考察2では、作品のなかの様々なエピソードが具体的に本作のテーマとどのように関わっていくかを考察したい。【1】自力で考えることの大切さ 本作では、社会的抑圧や“責任”といった言葉に縛られて自分を見失う主人公が、「恋愛はひとりにひとつずつ」という価値観に行き着くまでの道のりが丁寧に描かれ、作中のさまざまなエピソードが“違和感”として重層的に織り込まれている。 冒頭でイヤホンの左右を分け…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察3

    前回のつづき 映画のなかで平山はどのように「再生」を遂げるのか。 主人公は強い悔恨にさいなまれつづけ、そのギリギリの状態を支えてくれていたのは、音楽とフィルムカメラやささやかな自然の姿、そして「亭主と客」という関係を崩さずに相手を尊重して接してくれる飲み屋やスナックだった。 内面的にいつもギリギリの状態だからこそ、たんたんとした同じ毎日を送ることで、内的な問題が噴出しないように封印して過ごしていたとも言える。 頻繁に登場する首都高は、主人公が静かで変わらない毎日を送っている一方で、東京という都会(外界)は止まることなく進んでいる様をも表している。 住んでいるアパートに名札は出さないし郵便物もこ…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察2

    前回のつづき この映画の主題は「贖罪と再生」と受け取っている。 『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダースの脚本・監督なので、キリスト教的贖罪を示唆しているのかもしれない。 坂本裕二脚本の映画『怪物』の主題は以下の4つの構成で出来ているとした。 1.条件づけにある人々や組織 2.自然の力(地水風火)による浄化 3.「内的な死」と「自己の真実の吐露」 4.「気づき」「覚悟」による「再生」 一方、『Perfect Days』の主題は以下の構成となっていて、両者は類似している。 ひとの再生というものがこうしたプロセスを経るものだからだろう。 1.贖罪と過去の痛み 2.心をひらく 3.本音の吐露と癒…

  • 映画『パーフェクト・デイズ(Perfect Days)』考察1

    『パーフェクト・デイズ』を観た。 監督は『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴェンダース (Wim Wenders)。 主演は役所広司で舞台は東京。 ヴィム・ヴェンダース描き出す東京は、多面的で肯定的に描かれている。いろいろな生き方をする人たちを受け入れることができる町で、自然や都会がバランスよく配置される。 時代は2023年11月。 多くの方の考察では、 「日常の静かなたんたんとした生活の美しさ・豊かさや、シンプルに生きることの喜びを描いた映画」 という評価を目にする。 確かに、この映画の主題を描くうえでの必要性から「静けさ」や「日常のささやかさ」「自然の美」「丁寧な生活」などが魅力的に描かれて…

  • 最高善

    生命と宇宙の進化、個と全体、高次元との関係性を包括的に見渡すと、すべてがひとつながりになりながら絶えず変容を繰り返すホリスティックな世界像が浮かび上がる。 物質世界は、ビッグバン以来の膨張や元素合成の流れによって銀河や恒星が生まれ、惑星や生命へと連鎖してきた。 生命は物質と精神の両面を抱え、環境との相互作用を通じてこれまで多彩な進化の軌跡を描いてきた。 Art Swing MAMIさん 花 (フラワー・オブ・ライフ) 各個の存在はホログラフィックに全体の情報を宿しながら、同時にそれぞれが独自の特色をグラデーションとして示し合い、全体にも影響を及ぼす。 古代からの神秘思想や仏教だけでなく最新の量…

  • 「線を引く知性」「線を溶かす知性」

    知性にはふたつの性質がある。 一つは「線を引く知性」で、物事の間に境界線を引いて分類・分析を行う論理的知性。 もう一つは「線を溶かす知性」と言えるもので、境界を越えて全体を捉え統合する包括的知性。 現代は情報化や価値観の変容が急速に進み、この二つの知性のバランスがいっそう重要になっている。 「線を引く知性」(論理的知性)は、物事の違いに注目して分類し、論理的に考える知性を指し、ものごとをカテゴリーに分けしたり白黒やA/Bといった境界線を定めることで理解しようとする思考法である。 例えば西洋的な伝統では何事も明確に定義し、形式的な論理やルールによって世界を把握しようとしてきた。 このような分析的…

  • ことばと想念 言語が世界を構成する

    想念とことばは深いつながりがある。 私たちは言語を通じて物事に名前を与え分類し、それによって思考可能な事柄の範囲や構造が規定される。極端に言えば、自分が知らない言葉で表現される概念は思考や想念の対象にしづらい。​ 言葉によって物事を考える以上、思考もまたその言語によって制約される。言語自体が想念の地図を描いており、その地図の範囲外にはわたしたちの想念も及ばないことを示唆している。 語彙の差異も、話者が世界をどう認識しているかの差異につながっていく。 サピア=ウォーフ仮説では「『現実世界』というものは、じつのところ、その社会の言語習慣によって無意識のうちに作り上げられたものである。異なる言語を話…

  • 永遠の ”量子⇔物質化” 循環

    高次元とこの物質界とのつながりを考察するとき、 「量子 → オーラ → チャクラ → 物質化 →(再び)量子」 という循環を想定している。 これは、エネルギーの最も微細な高次元(量子レベル)から始まり、その影響がオーラやチャクラなどのスピリチュアルな構造を経由して、私たちが体験する物質的な現実へと具現化し、最終的には再び量子の高次元へと還元されるモデルである。 モンテズマ このサイクルの出発点は「量子レベル」の世界だ。 ここには物理学でもなお解明されていない不可解な性質が多い。 粒子が波のように振る舞う二重性や、量子もつれによって離れた粒子同士が同時に関連づけられる現象など、私たちの常識を超え…

  • すべてはグラデーションになっている

    すべてはグラデーション――この言葉には、一見すると対立しそうに見える二つの要素のあいだに、本来は連続的なつながりが存在していることを示唆している。 たとえば、白と黒のあいだには灰色という単一の中間色だけでなく、ほとんど無限に近いほどの濃淡が広がっている。 これを社会問題や人間関係、あるいは個人の内面世界にまで広げて考えてみれば、世界の見え方は驚くほど変わってくる。 横須賀美術館 安心感や安定感を求めたいという内面の動きからか、私たちは日常生活のなかで何かと物事を単純化して捉えたがる。 たとえば「この意見は正しい」「あの意見は間違っている」というふうに、白黒はっきりさせたい衝動が働きがちだ。 も…

  • 永遠の未完成

    「分からないこと」は至極当然なことであり素晴らしいこと。 未知が存在するからこそ、私たちは日々学び試行錯誤を重ね新しい視点を獲得していく。 まだよくわからないものに触れたとき、人は怖れや不安だけでなく可能性や期待感を同時に抱くものだ。 分からない状態は、世界の奥行きに気づくことができると同時に、発見の喜びを味わう入り口にもなりうる。 私たちの世界や人生は、いつも変化と生成の真っただなかにある。 どんなに学び経験し考えたとしても、到達するのは一つの暫定的な結論にすぎない。 いつしか新たな問いが浮上する。 社会のシステムも文化も、いったん完成形らしきものに至ったかと思えば、すぐに課題や矛盾が姿を現…

  • 鏡開き

    鏡開きには 「お正月に神様や仏様へお供えした鏡餅を下げて【割り】みんなで食べる行事」 という一般的な意味がある。 鏡開きでは「切る」のではなく「割る」と表現することも大切にされ、そこに「武家社会では刃物を使わない」や「縁起を担ぐ」という意味もある。 わたしは「鏡開き」の本質は以下にあると考えている。 鏡:日本の三種の神器のひとつであり、その意味は鏡を「内面を外界に映し出すもの」ととらえ、この現実世界を形づくっているもっとも大切なもの。 だから古代、外交で「鏡」が用いられてきたのも「ともに新しい世界をつくろう」という意味があったのだと考えている。 さて、鏡を「内面を外界に映し出すもの」ととらえる…

  • 期待

    人は誰でも無意識に期待してしまう。 相手に対してもそうだが、自分にも期待してしまう。 本来、期待することは悪いことではないはずだ。 自分に期待することで良い結果を出せることも多々ある。なにより前向きになれるし予言の自己実現効果もある。 問題なのは期待に応えられなかった時だ。 「今回はダメだったけれど次回に活かそう」と思えれば良いが、そこから先、失敗が怖くて身動きがとれなくなることもある。 そして、身動きがとれないまま躓いて、ころぶ。 たとえころんでも、期待を捨てることは人生を捨てることにもなりそうで、出来ない。 だから、ころんだままで顔だけ見上げている。 視野は立って歩いているときよりもずっと…

  • 鬱の景色

    真っ暗な中、平均台の上を歩いているようだった。進む先も真っ暗で足元しか見えない。進まなければいけないのに足は重くて動かない。そんな気分だった。 「普通」から外れること、家族の期待を裏切ってしまうことが怖かった。周囲の視線も怖くて外に出られず、LINEの返信もできなくなった。心配をかけまいとついてしまった嘘にじわじわと首を絞められていく。何もできないまま時間だけが過ぎて状況が悪化していく恐怖から、毎晩 「起きたら過去に戻っていますように」 「いっそ世界が終わっていますように」 と祈りながら眠りについていた。 人に会うことが怖くてたまらなかった。知り合いに会ったら近況を聞かれ、何も進んでいない自分…

  • 対話と正論/正しさ

    昨今「ロジカルハラスメント」という言葉が話題に上がることがあります。 意味としては「正論ばかり言って相手を困らせること」にあります。 このようなひとは、正論を押し通すことで相手をコントロールすることが目的になってしまっています。 ビジネスの世界で、正論によって「ひと」がつぶれていくのをたくさん見てきました。 また会議が無味乾燥で無意味なものになっていきそうな場面にも多く立ち会ってきました。 「正論」を押し通すような相手との対話はおそらく不可能でしょう。 思考や気持ちの交流が主目的の対話において、相手の話に耳を傾ける気のない人と言葉を交わす時間が有意義なものになるはずはありません。 なんらかの目…

  • 地球の再生のために ー瞑想ー

    私、アテナが地球の再生を司っています。 地球が人類によって破壊された後の再生です。 伊豆高原 いま地球で起きている多くの争いは人類の内面の葛藤の結果です。 内面に平安がないから起きてしまうことです。 その結果あなた方に平安をもたらすはずの自然が破壊がされていきます。 ますます平安がなくなるのです。 ますます争いが大きくなります。 そしてどこかで大きな破壊の引き金がひかれてしまいます。 争いの結果は勝利者がいないことを学ばなければいけません。 争いはいつも敗北者しかいません。 いま地球が惑星規模でその巻き添えとなりそうです。 あなたを通して進化を目指しているあなた方の先祖たちも同様にです。 どん…

  • 自分のためでなく宇宙のために2 -セッション感想-

    以前upした記事「自分のためではなく宇宙のために」は私が書いたものではなくセッションを受けた方からの寄稿文ですが、評判が良くて嬉しく思います。 類似内容を別の方に個人セッションでお伝えし、その後に感想をいただいたのでUPさせていただきます。 ーー セッションでお伝えしたテーマ ーー 生きづらさの原因は以下とは異なる考え方価値観で、正しさを主張したいという思いにその原因があるので、以下のことをいつも留意してみて欲しい。 「Aが優れているBが優れていない」ということはなく全ては等価値である。 すべてにおいて良きことを貫く存在として生きる。 ーーーーーー セッションでとても楽になりました。 いままで…

  • 鬱 - 鬱が増えている理由 -

    前回のつづき 鬱の内的風景はこんなに厳しいものにもかかわらず、現在日本では10人に1人以上が鬱の経験者であると言われています。 セドナ2024 なぜ、現代はこんなにも鬱や統合失調症で悩むひとが増えているのでしょうか。 スピリチュアルカウンセリングを通して考えられる理由は以下となります。 自然破壊と自然にふれる機会が著しく減っていること 自然と触れ合うことで癒しや体内エネルギーの流れが生まれます。自然破壊が進んでいることは、わたしたちを育んでいるエネルギーが破壊されていることでもあります。 美を感じるとき、わたしたちの意識では癒しも起きているのですが、その美を感じる感受性すらも、自然破壊や人工的…

  • 鬱 -道が見えなくなるとき-

    江戸時代の士農工商などの身分制度は現代ではないため、こどもたちにとっては将来歩んでいく多くの道筋が用意されている。 そしてそれぞれのひとが、それぞれの道を見出して歩いていく。 自分自身か親などの身近なひとから、この道(将来)を歩いてみるといいとの提案を受け、それを受け入れ歩み始める。 周りの人は、それがそのひとの幸せになる道だと良かれと思って提案している。本人も信頼しているひとからの助言でもあり、また社会経験も情報も乏しいことから、その道を信じて歩みをすすめる。 都会にいれば様々な職業を見聞きすることもあるだろうが、地方にいては社会職業についての情報は尚更不足しがちとなる。 学生で、自身の「良…

  • 好き勝手と自分勝手

    似ている言葉だけれど確かに違う。 「好き勝手」は心の思うままに行動すること、「自分勝手」は自分が利するためだけに行動することだと私は思っています。 月山 そう思ったきっかけはカズさんでした。 彼はセッション中に「私は好き勝手に生きている」と言います。その言葉を他の人から聞いたのであれば我儘だと思ったかもしれませんが、カズさんがそうだとは思いませんでした。その一方で、好き勝手に生きているという言葉を否定する気にもならなかったのです。 そのことが不思議に感じ、この二つの言葉の違いについて考えてみました。 調べたところ「好き勝手」というのは好きなようにすることだそうです。悪い意味で使われることもある…

  • ありのままの自分

    「ありのままの自分を愛しなさい」という言葉を聞くことがあると思います。 さて、「ありのまま」とはどういうものを指すのでしょう。 私は「純粋な自分」という言葉が近いのではないかと思います。 他者の言葉や行動に左右されない、純粋なままの状態。 そうあろうと心掛けること、それがありのままの自分を愛することにも繋がると、そう考えています。 言葉にして伝えることは簡単でも、実際に純粋でいることは難しい。 歳を重ねるごとに投げ掛けられる言葉は増え、関りを持つ人も増えていく。 立場や関係性も変わることで、自分を偽る場面も増えることでしょう。悪意をもって騙すのではなくとも、無意識に本来の自分から少し離れた誰か…

  • 自分のためではなく宇宙のために

    自分を大切にと言われることはあっても、宇宙のためになるよう動きなさいとは初めて言われた。自分と他人という身近な範囲でしか考えることができなかった自身にとって、非常に衝撃的な言葉だったと思う。しかし、説明をよくよく聞いてみるとすんなり納得できることだった。 宇宙のためというのは皆がより良く生きるために行動すること。自身の利益を追求するのではなく、自身も他者も善く生きるための意図と行い。 言葉にすると単純にも見えるが、実際に行動へと移せている人は多くないだろう。 きっと最初は意識するだけでも難しい。 今までの自分は宇宙のためになることができていなかった。 例えば、自身が他者から受けた被害を相手が気…

  • 2024年春 伊豆高原セミナー参加者感想

    「全体に向けて自己をひらく」というテーマで、4月に伊豆高原セミナーを開催し、私自身多くの気づきに充ちたものとなりました。 以下は参加者感想抜粋です。ご覧いただくとセミナーの様子が伝わるかと思います。 次回は9月に開催予定です。 全体の印象 ・駅からホテルへ向かう道中の桜並木や部屋からの景色が素晴らしく、いつまでも観ていたい風景でした。 ・世界が危機的な時代となり、一足飛びにジャンプしようという内容でしたのでとてもハードでした。導こうとされているところは、途方もなく遠く届かないような思いもありながら、それでも様々なアプローチやアドバイス、体験があり、私は出来る、きっと出来るという確信が芽生えたよ…

  • 映画『花束みたいな恋をした』考察

    『怪物』がLGBTの映画であり、『花束みたいな恋をした』は単なる恋愛映画と思っているひとは、いないと思っていた。 両者とも坂元裕二脚本であり、彼の脚本は、 【精神的自立 → 癒し → 再生と救済 → 他者救済】 が主題となっている。 『怪物』が本家アカデミー賞にノミネートもされず、日本アカデミー脚本賞すらとらなかった。 おどろき、勢いに任せ前回のブログを書いた。 『花束みたいな恋をした』は、単なる恋愛映画ではない。 「他者のために生きる」 その可能性を模索した映画である。 画像はすべて公式HPより抜粋 * 『怪物』が、 「常識や世間など外部の力によって抑圧され、ありのままの自分が間違っていると…

  • この世界の再生のために -映画『怪物』考察8-

    突き抜けた自棄が、この世界や宇宙の再生のためには不可欠であることを、こころのどこかで知っているひとがいる。 「ありのまま」でいるには、完全に自己の鎧を脱ぎ捨て、傷つきやすい裸の状態でなくてはならない。 「ありのまま」とは、孤独で苦しいものなのだ。 観念的な苦しさではない。 かなしいまでに、この世界も宇宙も、「かなし」さに充ちているから。 このありのままの状態でいつづけることの出来る力強い精神のひとが、いつの日か不死鳥のごとく飛び立ち、わたしたちを先導してくれる。 釈迦がそうであったように。 「宇宙」やこの「世界」にとっての「内的な死」のためには、誰かによる自棄を必要としている。 不死鳥になるま…

  • ハート

    7つのチャクラの中心に「ハート」は位置しています。 上(クラウンチャクラ)から数えても4番目。 下(ベースチャクラ)から数えても4番目。 両手を左右に拡げた真ん中。 「ひと」という存在の中心にある。どこからでも一番近いように。 「ハート」には既に完全性があるので、「時間」の消失がはじまるところでもあります。 わたしたちの「生きている時間」は、変化のために存在しているからです。 別の言い方をすれば、わたしたちの意識が完全に「ハート」にあるとき、「永遠のいま」を感じているともいえます。 ひとりひとりの完全性(自身の絶対的善の探求)は宇宙の完全性でもあり、そこに還る旅を、永遠とも思えるほどの永きにわ…

  • 無題

    企業風土という、企業内で共有されている価値観なり行動様式は、たしかに存在している。 いままでコンサルティングを通して、多くの企業を観てきて感じる。 この風土形成に一番影響力を持つのはオーナー経営者であるが、同時にNo.2で番頭さんと呼ばれるひとも、この風土に寄与していることが多い。 実務の統括責任者がNo.2であるからだろう。 No.2はオーナー経営者とは違って、経営やそのビジネス成否に生殺与奪がかかっている訳では無い。 だからだろうか。 数百人規模の企業では、No.2の方の持つ人格、人品がよく出るものでもある。 コンサルティングを通して、わたしが何十年も関わってきた企業のNo.2の方が先日、…

  • 自己否定と自己嫌悪

    私が自己嫌悪に陥り「私はダメだ」と自己否定したとしよう。 数式的に 私=I ダメ=☓ とすると上記の文章は I=☓ となる。 だが、この「私はダメだ」をその同じ私は正しい(=〇)と思っているため、 I=(I=☓)=〇 となる。 2つの”I”は一つにできるので、 I=☓=〇 という矛盾が残ってしまう。 この矛盾はこころのなかで葛藤となり、自己分裂を促進する。 さて、あなたは一日のうちに何回ほど、「自分はダメだ」と自己嫌悪の言葉を唱えているだろうか。 そのたびに葛藤のエネルギー(☓=〇)が残る。 この葛藤のエネルギーはそのうち「理由の分からない疲れやすさ」になっていくだろう。 ここまで読んで分かっ…

  • 奇跡

    目は「虚数世界(高次元)」と「物質世界」を結ぶ接点にある。 オーラのエネルギーフィールドは「虚数世界」に位置づけられるが、それを視えなくさせているなんらかの障壁が、各個人のなかにある。 だから、現時点ではオーラを万人が認識することはできない。 ただ、たとえ視ることができなくとも、より高次のものへの憧憬は、誰にでもあるだろう。 しかし、この憧憬は、自身の「良心」と「善意」をもとにしたものでないと、その憧憬自体が欲得となってしまう。 奇跡は、高次元をこの次元に降ろす”能力”から生じるのではない。 「良心」と「善意」を大切に生きよう、ひとや世界を救おうという、「かなしみ」のようなものから生じている。…

  • 2023 セドナツアー

    「オレはきっと変わらないよ」 そう思わない? 息子(以降「息子くん」と記載)と一緒にセドナに向かう車中で発せられた、彼の言葉だ。 「自分から変わろうとする訳でない。出会いも含め環境や周囲が強引に変化していくことで、自分が変わることを余儀なくされる。それがセドナの本質だよ」 * 今回のツアー参加者のなかに14歳の少女がいた。 9歳のときから白血病となり、学校にもいけず、厳しく困難な薬や治療とともに、長い闘病生活をつづけてこられた。 それがほぼ治ったといって良い状態になったのが、私がお母さまと初めてお会いしてすぐの、昨年11月。 私はこれまでに20回ほどセドナを訪問している。 ハワイ島とともに、世…

  • あるクライアントとの書簡

    【恋愛】 Aさん 私は、一時的に自分を好きになってくれる人はいても、ずっと愛してくれる人はいないと思っている。 潜在的な意識であったが、相手への信頼がないのはそこから来ているのかもしれない。 沢渡和 「愛」をどのようにとらえるかにもよりますが、男女の愛を考えるならば、おなじ人を何十年も愛することをしつづけるならば、それはある種のホラーだと思っています。 すべては「変化」しなくては宇宙も人も拡張出来ないので、感情的なものもハート的なものも変化を余儀なくされています。現実が常に「変化に向けての挑戦」をしかけてくるのが人生、と私はとらえています。 安定をほしがる以上、幸せはありません。 「友情」と「…

  • 『怪物』考察のご感想2

    * 全考察シリーズ読みました! 最後の考察7では壮大なクライマックスにぐいぐい引き込まれていくようで、この考察シリーズという映画を見ているようでした。 人物の再生から宇宙の再生へと展開して行くなかで、読んでいる自分が「考察空間」という次元に紛れ込んでいたような気分になります。 しかも、登場人物の再生サイクルと宇宙の再生サイクルが、相似形となって書かれていて面白いのです。 和さんが、いつもお話しされている「自分を観る」という行為は、『怪物』の主題の行為とも相似系になっていると思いました。 自分自身で、 1)自己の真実の吐露を自ら積極的に行い 2)条件付けに気付き 3)それに呆れ返り 4)内的な死…

  • 『怪物』考察のご感想

    『怪物』考察文章をすべて読んでいただいた方からの多くのご感想メール、ありがとうございます。映画を観る必要もあり、また考察は2万字を超えるのに、1週間に渡ってのお付き合いありがとうございます。 皆さんからメール等いただていること、あらためて感謝申し上げます。どうぞ気楽に送ってくださいね。私も気づきがたくさんあるので。 さて、そのなかで、とても面白く興味深いメールを、ご本人の了解もいただいたうえで、紹介させていただきます。 ところで、なぜ私がワクワクしながら書いていたことが分かるのだ! 気持ちは抑えて書いたつもりなのに。 以下ほぼメールそのままの形で皆さんとシェアさせていただきます。 * 『怪物』…

  • 映画『怪物』 考察7-最終話-

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 星川依里 清高の息子 主人公 私は依里が好きだ。 依里は母親が好きだ。 ありのままの依里を受け入れてくれ、やさしく愛情深かった。しかし父親は強い条件づけのもと依里を虐待し、妻にも暴力をふるっていた。そして、母親は突然、出ていく。 湊の母が自宅を訪ねてきたきた時の依里は、最初、嬉しそうにしている。母の面影をみているからだ。しかし鏡文字を指摘されると、とたんに不機嫌になる。父親と同じ部分を早織に観たのだ。 LGBTかもと思わせるような繊細な他にはない魅力を、男女問わずに放っている。だからクラスの女子からの受けもいい。それが一部男子生徒には気に入らない。暴力が…

  • 映画『怪物』 考察6-湊2-

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 麦野湊 (写真は公式HPより抜粋) 二章 クラスで依里がいじめられているのを見て、自分のなかに沸き起こる気持ちの処理が追いつかず、また思うがままに動けない自分も嫌になり、教室で暴れる。そこを保利先生に止められ、偶発的に鼻血が出る。 三章では、その帰り道で依里に声をかけ仲良くなり、徐々に、自分のなかで依里への想いははっきりしたものになっていく。このとき、依里がいじめからか裸足だったので、湊は自分の「靴」を一足分け与える。 靴は「支え」の象徴で、このとき、湊が依里を「支える」ことを決めたことが分かる。ふたりで一足ずつの靴を分け合っての、片足ケンケンは、なんと…

  • 映画『怪物』 考察5-湊1-

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 麦野湊 早織の息子 主人公 3章は彼の視点で進行する。(写真は公式HPより抜粋) 小学5年生で、いまのところ、特に夢もなく、好きな科目もなく、勉強や運動にも特段秀でているわけでもない。 学校や周りから与えられたことを、これまで淡々としてきた。中学受験とて、特にしたいわけではなく、シングルマザーでも子育てをちゃんと出来てると思いたい母親の願望なのだと、薄々分かりながら受け入れているだけだ。その意味で自主性はない。 繊細で傷つきやすく、他人の言葉に左右されやすい。ひと一倍周りの目を気にするため、自分を出せずに臆病になっている。 そして、そんな自分が嫌いでもあ…

  • 映画『怪物』 考察4

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 伏見校長 以前は凄腕の、ある意味、本物の「教師」であったが、校長という管理職側になり、子どもへの直接的指導から離れた。多くのモンスターペアレントを相手にし教育委員会との板ばさみのなかで、相手の目を見て話し、ひとと真摯に向かい合うことを辞めた。自身を、このつらい世界から鈍感にするために、殻にこもるようにもなった。 「目を合わせない」彼女は、そのうち、目が死んでしまう。 音楽室で湊と対峙し指導して以降、はじめて「目を合わせる」ようになる。スーパーで早織と目を合わせ会釈をするシーンも、音楽室以降と私は考えている。 拘置所の接見室での校長と夫とのやりとりが、分か…

  • 映画『怪物』 考察3

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 湊の母親 早織:主人公「湊」の母親。1章は彼女の視点から描かれる。 映画がはじまってすぐに、ビル火災の現場にガールズバーがありそこに保利先生がいた噂話を、彼女が働くクリーニング店で客とする。その会話のフランクさと少し下卑て慣れた感じから、お互いに学生時代からの同級生であり、ロケ地の諏訪湖のほとりで幼少期から育ったことが分かる。 他人事の噂話を長い間してきたことは、その演技から伺える。 早織は子を思う情は厚いが、「条件づけ」されている人物の最右翼でもある。 ビル火災を自宅でみながら、その消火活動を「がんばれー」と大声でベランダの高みから応援する。(高みの見…

  • 映画『怪物』 考察2

    前回のつづき ーー ネタバレあり ーー 依里の父親:星川清高。主人公「依里」の父。 何かから逃げるかのようにお酒を飲みつづけ、しらふでいる時間を限りなく少なくしたいと思っている。 担任の保利が自宅を訪問した際も、自宅の庭の草木に乱暴に水を遣りながら「大学どこ、学校の先生って給料やすいらしいね」という。 いまどき、学歴や給与を、出会って最初に聞く人間はいない。 このことから、お酒は彼にとっては「自己抑圧」と「条件づけ」のためのものであり、また実は庭の植物を枯らすことなく愛しているのだが、男らしさや社会的成功などの条件づけを自らに課し、他者をもその視点で観ることで、一層、自らの条件づけの力を強めよ…

  • 映画『怪物』 考察1

    常識や世間など外部の力によって抑圧されることで、ありのままの自分自身が間違っていると思い込み、世間や組織、学校システムなどに合わせようとしている人々がいる。 そのように条件づけされてしまった人々が、本来の自分自身を取り戻すためには、ありのままの自己受容とそこからの再生を願いながら、日々を生きることしかなくなる。 しかし、このように生きられる人は、まだ幸いなひとである。多くのひとは、自分が条件づけられていることも、また、ありのままの自分がどのようなものなのかも知ることが出来ずに知りたいとも思わずに、社会的/組織的拘束を当たり前のものとして、そのなかで生き残ることに汲々として頑張ることになる。 こ…

  • 平らな木の板に、棒状のスティック木を廻しながら押し付け「火種」を創り、その火種を可燃しやすいもので包込み、息を何度か吹きかけ酸素を入れていく。 この方法が、人類がおこなったもっとも原始的な火起こしの方法だと思う。 昨日の月例セミナーで、この火起こしを実演していただき、初めて、自然発火の瞬間を、目にすることが出来た。 火種はすぐに出来、それを包み込み、息を何度か吹きかけると、急にボッと想像以上の火が湧き上がる。 原始の火を出現に立ち会えたからだろうか、感動だった。 こうして作られた火は古代から現代に至るまで、神聖な儀式では不可欠なものであった。 多くの宗教のもとになっているゾロアスター教では「火…

  • アカシックレコード

    「かつて在ったものは、在りつづける」 その概念としてのアカシックレコードについて、哲学者ベルクソンは語ってきた。 意識の開放性は多くの方が実感しているだろう。 この開放性に基づいて、「かつて在ったものは、在りつづける」とすると、意識は拡張しつづけることになると同時に、内部や外部を持たないということになる。 内部や外部を持たない理由は、意識が時間や空間といった物理的制約に縛られないからだ。 この無限の自由度が、私たちが体験する現実(物質)世界の多様性を生み出し、また、過去や未来、他者とのつながりなど、時空を超えた体験を可能にしている。 内部や外部を持たないということは、ある意味、私たちが体験して…

  • 「好き」を知る

    ひとは「好き」なことに没頭しているとき、「怖れ」や「過去の痛み」から自由になっています。ときに「幸せ」を感じているかもしれません。 このとき創造的であり、多くの存在への感謝をも感じています。 ひとの健全な創造性を阻害するものは、「怖れ」「不安」です。 逆に言えば「怖れ」から自由になれる「場」や「時間空間」や「対象」は、「好き」なものと言えます。 こうした「場」を、魂は誰にでも用意しようとするものです。 その人がその人らしく「ありのまま」でいられる「場」が、成長をもっとも促すからです。 わたしは、カウンセリングの仕事をしながら、思うことがあります。 「素晴らしいカウンセラー」とはどのような人のこ…

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    [ - オーラが伝えるすべて

  • 2022春 伊豆高原セミナー感想抜粋

    今回のセミナーは、コンサルティングの話も含めてこれまでになく新鮮に感じられて、 繊細に感じとること、すべてを信頼することを意識できたことが嬉しかった。 わくわくして、どきっとして、ぐっときました。 沢渡和 → 20年以上もの間、伊豆高原でセミナーをしていますが、このような感想をいただいたのは初めてで、ぐっときました! どんなに知識が増えても、インナーチャイルドが癒されない限りぐるぐるまわって進まないことがよくわかりました。今はインナーチャイルドワークで、毎日泣いています。だめだって指摘されないと動けないのは、だめ出しの指示待ちのくせがついているのかなと。 今回は、インナーチャイルドが刺激されて…

  • 写真家 土門拳

    クライアントを前にしたとき、その神性のみにフォーカスしていくことは、セッションという場で望ましいことなのか分からないが、美しい瞬間にはなるだろう。 私がオーラをみえるようになり今もその活動をしているのは、そのためではないかという気が最近している。 まずチャクラを通して心性を観て、いくらか話したのちに、ようやく神性に至る。 神性の認識に至らないうちに終わるセッションもあり、その場合はセッション後ひとり考えることがある。またそのひとは訪れるかもしれないから。 神性とは過去生や霊的能力のことではない。これらはむしろ心性の方。ブロックもむろん心性。 そのひとを通して顕れているそのひとの天なる部分、それ…

  • ブロックと勇気

    自分が「勇気」を発揮している姿やイメージはどのようなものでしょう。 私の場合は「勇気」という言葉から感じるのは以下のようなものです。 ・目の前にある壁を突破している ・鳥かごのように四方を囲まれているなかで、その囲いから出て行く ・平行棒のような高いところに立っていてそこから飛び降りている ・我慢していた言いたいことを他者に向けて言っている 皆さんはどのようなイメージでしょうか。 視野や行動範囲の拡がりに向けてまた自分自身の理不尽だと感じている状況の打開に向けて、これまでの安定的な状況や慣れ親しんだ行動パターンから離れるというイメージではないでしょうか。 生命は無限性に立脚しているので、わたし…

  • いまが大切な瞬間なのだと感じるとき

    高校のとき修学旅行で、嵯峨野の寺々を散策しているとき、きっとこの場面は永く記憶に残るだろうと思ったことがあった。 理由はなぜだか分からない。 その散策自体が重要だったのかどうか、またなぜ嵯峨野の地なのかも分からない。 たとえば、誰かとあっているとき、またなにかの光景を目にしているときや、言われた言葉が自分のなかで大きく響くときなど「いまなにか大切な瞬間に立ち会っているに違いない」と思うことはないだろうか。 デジャブ(既視感)とは違い、高校時代特有のぼんやりとした意識の頭なのに、自分のどこかがせわしなく動いている感覚。 将来なにが起きるかは具体的には分からないが、将来に向けての大切ななにかを、い…

  • オーラセッションと観察者効果(問題)

    量子力学の観察者問題(効果)は、ミクロの世界では一つに定まっていない確率事象が、ひとたび人が情報を「知る」ことによって確率(可能性)が一つに定まってしまう(波動関数の収縮)ことをさす。 「知る」前の状態では、いわゆる可能性が重ね合わせの状態にあり、シュレーディンガーの猫(の思考実験)で有名なように、すべての可能な状態が同時に存在している。 アンコール海で生まれた 潮騒のメロディ 追いかけながら 朗らかに歌う 幾たびも♪MAMIさん オーラを物質次元的な存在と仮定するならば、限りなくミクロな状態として存在しているはずだ。そうでなければ、誰もが「観ることが出来る」はずだから。 さて、私(観察者)が…

  • フランキンセスの香りとエジプト時代

    1年以上前の伊豆高原セミナーでの香りやクリスタルを用いてのセッションにて。 私はヒーリングの際には複数のもの、それは例えば、音とクリスタル/香りと光/声明とハンズオンヒーリングなど、ひとつではなく複数の癒しのための道具を使うことが、通常のやり方だ。 だが、その日は、香りだけで、しかもフランキンセスという1種類の香りだけを用いて行うこととした。 そうすることが、必然に感じていたからだ。 クライアントとなる方に横になって寝てもらい、私をはじめとして参加者は、5分ほどの間、クライアント役のオーラやチャクラを観る。 その後ヒーリングをはじめていく。 その日は、わたしがひとりでおこなった。 わたしは自分…

  • 服従しない 隷属しない

    ただでも、2年以上にわたるコロナ禍があり、また先月より始まったウクライナ紛争という、いつ核が使われてもおかしくない状況のなかで、わたしも含め皆ストレスにさらされている。 加えて、近代社会が、 資本主義、国民国家体制、経済での生産者と消費者の関係性、教育システム、戦争の様相や国防、地球環境、宗教など、 あらゆる面でその限界を迎えている。 この限界を超えるために、あらゆるシステム機能が強化され、多くのひとに服従/隷属を強いる力が強大化している。 ますます、個々人の感じるストレスは増大し、企業内、学校内や友人との関係性においても「やわらぎ」は遠のき、小さな確執が増えていることだろう。 多様性(ダイバ…

  • 戦争と平和

    戦争は、明確に、外交の失敗なのだ。 米英独露宇の外交失敗だ。 起きたとき、寝ている間にも頭のどこかで戦争のことを気にしていたことが分かったので、いささか腹立たしいため、この文章を書いている。 政治家が人類の代表であるとするならば、もっとも大切にすることは何か。 福祉か 経済力か 国防力か 国民教育か いや違う。 ましてや、 支持率や 政権維持や 既得権益確保、 責任回避 などでは断じてない。 「安定的平和の維持」 だろう。 もっと言えば 「恒久的平和」 と言ってもいい。ぁん。違うか、、なんか文句あるか! 哲人皇帝 マルクスアウレリウスアントニウスも『自省録』で次のよう(「」内)に言っている。 …

  • 情報戦

    1)陰謀論というカテゴリーでくくられる悪を征伐しようとする情報 2)進化・アセンションするための情報 3)未来予知に関する情報 上記3つはスピリチャアル関係で人気がある情報だろう。 1)の陰謀論系ではトランプ信奉者のQ(アノン)が 2)では松果体活性化や石灰化を防ぐ手法、子宮活性化から縄文の活用、アマテラスまで幅広い。 3)では定期的に世界的有名人が出てくる。2050年ごろから来た人とか。キリスト教の第3の予言などもこのカテゴリーか。 情報はそれを自分やその仲間だけが知っているということから、優越感を持つことが出来る。そして、それは情報というものの意味化作用などの性質上、どうしても排他性を伴っ…

  • 素晴らしい日々

    今日が人生最後の日だったら。。。 という言い方がある。 では、これから3年が人生最後の年月だったら。 「人類最後の日」ではあきらかに言い過ぎとなるが、かりに誰もひとが存在しない地球の美しさに想いをはせてみると、自らの襟を正そうと思うのは私だけだろうか。 3年がゆっくりことに当たれる最後の年月だとするなら、やはり自らのなかに「他の存在への慈しみのこころ持ち」や「感謝ーここに在ることのありがたさのようなもの」をはぐくみたいし、そのようなものを分かちあえる対象物を創造していきたい。 誰でもそうではないのかな。 このような行為には「幸せ感」ももれなくついていそうだし。 「慈しみ」や「感謝」のはぐくみと…

  • オンラインでのオーラリーディングと空間の超越

    前回からのつづき。 コロナ禍のなか、オンラインでセッションやセミナーをする機会が増え、面白かったことがある。 一つ目は、オンラインでも対面と変わりなくチャクラやオーラーフィールドが観察できること。 理由は、チャクラを観るとき、ちょうど虚の世界と実の世界の境目で観ているから、空間を超越しつつこの物質次元で観察できるのだと考えている。 天と地の境目を行きつ戻りつしている。 二つ目は、一つ目とは真逆だが、オーラやチャクラがまったく観察出来なくなることがあること。 それは、クライアント側がZOOMなどでバーチャル背景や背景ぼかし機能を利用しているときに限られる。 この場合、まったく観察出来ない。 はじ…

  • コロナ禍とオンラインセッションでのオーラ

    コロナ禍について、2021年5月23日発行のメルマガで以下のように書きました。 ★★★★★★★★★★★★★★★ コロナ禍はずっとつづく。 少なくともむこう10年以上の単位で。 これまでの変異の様子からワクチンをもすり抜ける力を持つと、容易に想像できる。 社会システムはゆっくりとだが崩壊に向かっていくだろう。 もともと、もっと早くに崩れる予定ではあった。 1995年頃に。 人類の執着がそれを許さないできた。 1995年に崩れるよりも、痛みは大きくなるだろう。 これからは、すべてのことがらをあまり我慢しないことだ。 制約する組織やものには、力強く「No」といって退けよう。 いまは、みずからの魂や天…

  • 知性 ≠ 自分

    前回の記事で、知性は自己に対して外部的に働くと書いた。 感情や思考はオーラの2層にそのほとんどが存在しているので、肉体にほど近い。 3層の知性はハートにほど近い。 感情や思考については、確かに自分自身に立脚しているが、知性やハートにはそのような自分という感覚を持ちづらいかもしれない。 だからか、知性を活用して自分自身を観ることをしていると、自分というものが薄れていく感覚を持つことになる。 ハートを活用しても同じこと。 無私の感覚は、自分を観ることやハートを意識することを通して養われていく。 自分自身を客観的に観るときに活性化している脳の部位は、「前頭前野」ということが分かっているらしい。創造的…

  • ハート(チャクラ)

    <キーワード> ゼロバランスポイント 人の存在の中心 十字架(ハートで交差) 無執着 葛藤・分離の解消 慈しみ 勇気 繊細さ ナチュラル インナーチャイルドのおうち せつなさ アナンダカンダセンター アセンション 人生の羅針盤 内なる声 流れ ブレークスルー ひらめき 中庸 拡がり 陰陽バランス <肉体器官> 心臓 胸腺 肺 乳房 ハートのチャクラは、胸の真ん中にあります。 そして、多次元とこの次元を結びつける役割を担っています。言ってみれば多次元の入り口となります。 それは同時に肉体(3次元)と意識(多次元)を繋ぎとめる中心ポイントでもあります。 別の見方をすれば顕在意識(3次元 表)と潜在…

  • 単純化

    いろいろなものは、実は、複雑で分かりにくく出来ている。 もちろん単純化した方が受けはいい。 多くのひとは単純化されたものを求めている。 だからつい、単純化したい気持ちになる。 しかし起きている現象も「ひと」という存在も、単純化・類型化することで、大切なものが抜け落ちてしまうように出来ている。 大切なものとは、単純化された言葉ではなかなか表現出来ない、単純な感情や欲望ではなくてもっと内面的なもの、自分でも気づきにくい精神的な深みのようなもの。 だからそれはハート的で魂的なものとなる。 これらを単純化して説明した哲学者は過去ほとんどいないだろう。多くの哲学者は自分の直覚したものをなんとか証明したく…

  • 情報量と高次元

    前回のつづき。 世界に流通している情報量は、日を追うごとに莫大に増えていってます。 インターネットが広く活用される1995年以前とは、文字通り次元が違います。 ある意味、現在の情報量は高次元的とも言えるでしょう。 ここまで大量の情報に日々接していると、今後は情報の意味を自己の文脈のなかで理解し、血肉とするものと捨て去るものを識別しなくてはなりません。 それが出来ないと情報エネルギーの大容量でパンパンになり、身体のなかやオーラフィールドの流れが阻害されてしまう。 入手した情報を自己流に捉え直し、自分にとってのその意味を吟味したなら、古いものはすぐに捨てる。 私も訓練中です。 そも、なんのために情…

  • 次元 / 高次元

    花 (フラワー・オブ・ライフ)パステル+銀箔/ 30.5 x 39 cm 夢を見ました。 『私が一番、輝ける図形は何?』、と夢の中で、私は尋ねていました。 それがこの図形です。 どうやら、手まり模様や染め物の モチーフ等に見られる、 古くからの幾何学模様 のようです。 次元の違いをイメージで言うと以下のようになる。 3次元:2次元のものを様々な視点から確認出来る。 たとえば、以下のイラストの女性が持っている紙は2次元。それを3次元にいる女性は表も裏も見ることが出来れば、また水平にして1次元のようにみたり、斜めにして立体的に見たりも出来る。 つまり、ひとつ上の次元にいるものは、下の次元のものを3…

  • 知性とハート

    小林秀雄『モオツァルト』のなかでの私の好きな一節。 『突然、感動が来た。もはや音楽はレコードからやつて来るのではなかつた。海の方から、山の方からやつて来た』 山笑う アクリル+パステル+銀箔/ 30 x 39 cm ひっそりと、しなやかに、 いのちの流れを 微調整し、 世界に働きかける 宝の山です。 「哲学者アンリ・ベルクソン2」の記事のなかで、ベルクソンの哲学に対する考えを紹介した。 【思考の基本的要求を満たすことに汲々としている科学的習慣と手を切り、知性が自然に下っていく坂道を、精神に鞭打って再び登らなければならない。哲学の役割は、まさにその点にある】 わたしが言う「知性」(オーラの知性層…

  • 天職 その2

    なんでもそうですが、やってみないとそれが好きかどうか、愉しいかどうかは分かりません。「やってみる」というのは、「身体を使ってやってみる」。 水のなかで泳ぐことが好きかどうか、いくら本を読んでもYouTubeをみても分かりません。実際に水のなかで泳いでみないことには。 たとえ映画が大好きでも、編集作業が好きなのか、音響が好きなのか、服飾や大道具が好きなのか、演じることが好きなのか、いろいろあります。 演奏が好きでも、オーケストラの指揮者となるとまた、まったく別の能力が必要となるでしょう。 スピリチュアルが好きでも、セッションやセミナーの主催ともなると、想像もしていないことに遭遇していきます。 だ…

  • 書くことの力

    ひとの内面は、通常、曖昧な形式をとっています。 常に明確な形となっているひとは、むしろ危険かもしれません。 なんでもかんでも「~しなければならない」「~するべきである」というように、シュディスト(shoudsit)やマスティスト(mustist)の可能性があります。 完璧主義者と言ってもいいでしょう。 そのような生き方は早めに手放した方が、自分も周りの人も、楽で幸せになります。 ひとの意識は自然な状態では「グラデーション」となっていて、また、複数のテーマが同時変更で生じているため、通常は、曖昧な形をとっています。 何か大きな「覚悟」を決めたり、直感を重視しているときは、その限りではありません。…

  • 「雨月」と「妥協する」

    もうすぐ「時雨れる」(しぐれる 晩秋から冬にかけての通り雨の多いこと)季節だが、気候変動でこのような情緒溢れる時分も、日本からなくなっていくのだろうか。 「雨月」とは、名月が雨で観られないことをあらわす大和言葉。 いにしえびとは、雨とともに見えない名月を観ていた。 この文字を観て音読していると、雨音が聴こえてきそうな気がする。 見えないものを観て、聞こえないものを聴いた。 それは「こと」の「まこと」を知るため。 それを「言の葉」としていったのが大和言葉と言われている。 「和を以て貴しと為す」で有名な、聖徳太子の十七条憲法の「和」も「やわらぎ」と読むと最近知った。しかも憲法の最初の言の葉。聖徳太…

  • 「正論」「べき論」

    「正論」や「べき論」を振りかざすひとの近くにはいたくない。 企業や社会にとってコンプライアンスがお題目になってからというもの、ますますこのようなひとが増えてきているように感じている。 「正論」は、誰にでも言える。 価値がないとまでは言わないが、本当に価値があることは現実と正論との間を埋めるステップにある。 これを考えるのは難しい。しかも現実は変わりつづけていくのに合わせて、ステップを常に再検討していかなくてはならない。 それだけではない。 正論はそれが正論であるがゆえに反論が難しく、かといってどうすれば良いか分からない場合では、ひとを追い詰めダメにする。 正論を言う人には「現状とのギャップをど…

  • 魂の色合いと個性

    個性は持って生まれたもの、魂の色合いのことだと思っている。 魂は輪廻を通しての土台であり、「大きな自分」として、いつ何時もあなたとともにいつづける。 魂の色合いは人生体験(観てきたもの)の多様性とともに彩られていく。 魂は究極的には眼であるが、その眼の放つ光の色合いとでも言えばいいだろうか。 あるいは光のグラデーションの在り方。 これはオーラやチャクラで観察することは難しい。 描く絵や創造物などから、ふと顕れていたりするたぐいのもの。 そのひとの魂の色合いが、現代社会に適応するかどうかは分からない。 多くの人が適応できないからこそ、これだけ、鬱や精神不安で苦しむ人が多いのだと思う。 しかし、人…

  • あなたのためを思って言う

    「あなたのためを思って言う」=わたしのためを思って行動しなさい。 「みんなそう思っている」=わたしはこう思うし、なんとしてもそれに従え。 「もうお姉ちゃんなのだから」=より一層わたしの言うことをききなさい。 「いい年なんだから」=世間にしたがって生きろ。私の顔をたてろ。 「優秀な人はその場で決める」=つべこべ言わずに今すぐこの宗教/ネットワークビジネス/自己啓発グループに加入しろ。 「すべては愛なんだから」=つべこべ言わずに我慢しろ。わたしはずっと我慢しているんだから。 実は主観的意見にもかかわらず、客観的に見せかけた言葉というのは多くある。 もちろん後者が、当人が本当に思っていること。 こう…

  • 考えると感じる

    「考える」= 外側にエネルギーが向かっていく 「感じる」= 内側にエネルギーが向かっていく わたしはこの二つの言葉を使うとき、そのようにイメージしてしまいます。 では、内側にエネルギーを向けて「考える」とどうなるでしょう。 不思議と「感じる」に近くなりませんか。あるいは「探求する」という感じに。 つぎに、自分の外側で「感じよう」とするとどうでしょうか。 自らの意識が大きく拡張されていく感じがしませんか。 結局、「内側」も「外側」もまず感じてみて、その後、考える。 それは「考える」というよりもやはり「探求する」に近いものでしょう。 考えるとは「ものと親身に交わること」「ものを外から見るのではなく…

  • 誰かのために

    多摩動物公園北園飼育展示係の方が以下のように書いています。 【ゾウはエネルギー効率が非常に悪い動物で、食べた物の45%ほどしか消化できないといわれています。野生では他の動物が食べないような栄養価の低い植物を大量に摂取して、あの巨体を維持しています。そして、消化しにくいタネは大方がそのままの状態で排出されます。1日の移動距離は数十キロといわれるため、ゾウは大量のタネを養分や水分とともに広い大地にまいて歩いていることになります。】 アフリカのサバンナでは、森林再生にゾウのこの特徴が大きな役割を果たしていると聴く。「食べて歩いて排泄する」という生存のための基本機能を果たすことだけで、利他的になってい…

  • 罪悪感とコントロール

    他人をコントロールするのに長けた人々は、巧妙にあなたの罪悪感を刺激して自分の思うとおりに人を動かします。 政治家が良く使う手としては、まず誰かを悪者に仕立てあげる。その悪者が感じて当然の罪悪感を、マスコミを通して煽ります。 大衆は自分が常日頃に感じている罪悪感を、その悪者とされている人だって当然感じるべきなのに痛感しておとなしくしないのは悪者だと攻撃するようになります。 するとなぜか、政治家本人が悪いにも関わらず、批判の矛先は悪者に仕立て上げられた人に向かってしまう。 ------------- 罪悪感のイメージ、は以下のような感じで「自分で自分を責める」ものです。 脳内では、他人から責められ…

  • がんばる

    「裁く」と「頑張る」は似ていると思う。 「裁く」ひとには「頑張る」ひとが多いからだろうか? 自分を「裁き」 ながら「頑張って」いるとか。 ---------------- がんばることは、なににつけ「良き」こととされています。 しかし、がんばってがんばって、登りたくない/登るべきでない山の頂上に早く立ったところで、降りる手間と疲労を考えると、それは望ましいことではない。 がんばるべきであるとハートで確信したことを、その意図をキープしながらがんばるのであれば、こうしたことは防げると思います。 以前、魂はあなたがとった過去すべての選択を活用すると書きました。 ですから、間違った/登るべきでない山に…

  • 自分

    「自分」についての考察は、過去の哲学者たちだけでなく、今後も全人類が探求しつづけることが望ましいテーマです。 ここではスピリチュアルな視点から観た「自分」について書きます。 スピリチュアル的に言うと、すべての大元として「無限に絶え間なく永遠につづく生命エネルギーの拡張」があります。 それは「自分」という存在が浮かんでいるエネルギー場のようなものです。 「場」というと空間をイメージしてしまいますが、次元が異なるので、空間的なものではない意識場です。意識を空間的にとらえるひとは少ないと思います。 ところで、わたしたちはこの「無限に絶え間ない拡張とながれ」を「天界」と呼んだり「根源(Source)」…

  • 選択(の間違い)

    チャクラが螺旋状を描くためには中心となる軸が必要となります。 チャクラが開くときの螺旋状の円運動は後からついてくる。まず最初に中心となる軸が必要です。 意識世界において、中心軸は「意図」を、螺旋の円運動は「柔軟性」「ながれ」「気づき」「欲や恐怖からの解放」などを示している。 ---------------------- 「選択」には「判断」が伴うと思い、その「判断」が間違っていることをおそれて、選択することに罪悪感や恐怖を覚える人がいます。 すべては完璧であり宇宙の流れに任せておけば良いとの考えから、自らの「選択」を意図的に避ける人もいます。 また、どちらの「選択」をすることが自分にとってより…

  • 分かる/分からない

    言葉にはそれを使う主体者が存在する。 何らかの説明や内容を「分かる」「理解する」という言葉にも主体者がいる。 何に対しても、すぐに分かったというひと、いつまでも分からないというひと、いろいろいでしょう。 たとえその主体者が分かりたいと思って説明を聞いても、もしそれを分かってしまったら/理解してしまったら、自分は変わらなくてはならないことに追い込まれるとしたらどうでしょうか。 【分かる=安心が得られる】 【分からない=現状維持で良しと出来る】 理解出来ないとひとが言うとき、それは「分かりたくない」のかもしれません。 特に自分の内的安定が脅かされるたぐいのことでは。 一方、分かりたいと思うとき、わ…

  • ポジティブ/ネガティブ

    ポジティブシンキングという言葉に代表されるように、物事をポジティブに前向きにとらえることで、積極的に行動することを推奨する考え方があります。 確かに、考える段階でとどまってしまう人の方が、実際に行動に移すひとよりも圧倒的に多く稀であることからしても、また行動することで現実とのフィードバックループが生まれ成長が促進される側面の点からしても、ポジティブシンキングには肯定できる部分が多くあります。 しかしある出来事をこれはポジティブでありこれはネガティブであると解釈するのは他ならないあなた自身なので、ひとつの解釈でしかありません。 大切なのは自分の出来事に対する「ありのままの反応」がどのようなものか…

  • 言語世界をつくりかえる

    記事言葉と裁かない知性で以下のように書いた。 【人がどのような言葉を使うかは、その人がどのような存在と接しているのかと同義になっていく。 どのような現実を創り出し、観ていこうとしているのかと同義になる。 この一致性は、いにしえの人々には明らかなことだった。 私たちは言葉を使っていると思い込んでいるが、むしろ言葉に使われているのかもしれない。 使える言葉と意味や発音をあてがわれているのかもしれない。 使いたい言葉と意味を丁寧に選び直し心を込めて発話していくことは、創りたい現実やうつくしい現実を創り出していくことにつながっていく。】 ブロックがあるひとならば、多くの場合マイナス作用やダメージを自分…

  • 言葉のちから

    「言葉」はどうしてこんなにも強い力を持ってしまうのだろう。(前回の記事) 漢文学者の白川静は『漢字 生い立ちとその背景 』(岩波新書)で次のように言う。 「今から約五十年前、北京郊外の周口店遺址から、数次にわたって、北京原人とよばれる古代人骨が発見された。地層的に五十万年以前の人骨とされているものであるが、その脳骨の調査によって、言語中枢の発達や聴覚領の著しい拡大の事実が認められ、かれらがすでに相当数のことばを用いていたことは、確実であるとされている」 「原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである」 「文字はもと神と交渉し、神をあらわすた…

  • 自分の力を発揮しては他人を傷つけてしまう / 誤認

    エネルギーブロックに言葉が付帯してしまうのは、なぜか。 以前の記事 「葛藤の発見」では以下のように記載しました。(追記あり) 【人類のブロックの大元は、自分は完全/完璧ではないという「罪悪感」にも似た感覚です。なぜなら、完全さと平安さとともにある「すべての源」のなかに長い間にわたっていて、あるとき、そこから自らの意思を持って旅立ってきた存在がわたしたちだからです。 「罪悪感」というと宗教的な感じがするかもしれません。「罪悪感」といわずとも「自分が悪い」「自分のせいだ」「自分が未熟なのだ」「自分はダメだ」という想いといえばいいかもしれません。 多くのひとは、こうした言葉を自分自身に対して一日に何…

  • ブロックに付与された言葉

    「言葉と裁かない知性」という記事で、以下のように書いた。 【ブロックの大半はオーラの2層(ときに3層)にあり、そしてほとんどが潜在意識を含めた意識で扱っている言葉と映像や音の記憶から成り立っている。 ブロックはチャクラ上に顕れるもので、チャクラのエネルギーの流れを阻み、その人の現実世界をスムーズに行かせない働きをしてしまう。 それだけ言葉とそれに付与している意味が、現実世界に対して影響力を持っているとも言える】 同じ言葉を使っていても、ひとによってその意図や意味するところが異なる。 言葉としての「祈り」をただ瞑想的行為として使うひともいれば、具体的な目的を達成するための意味で使うひともいる。神…

  • エネルギーのブロック化

    こころざしである「意図」を見ることが大切と、前回述べた。 「意図」はほとんどの場合「言葉」で出来ている。 もちろん「言葉」以外の「意図」もあるだろう。 「音」や「リズム」、「触感」や第六感的な「五感六感の感覚」で掴み表現される意図も多い。こうした意図表現は、絵画、音楽、彫刻などの芸術を通して、わたしたちに示され、わたしたちはその意図を五感六感から受けとっている。 芸術以外で表現される意図については「言葉」に頼ることになる。 言葉の多くは「祈り」をその語源とする。(『常用字解 第二版』 白川静著 参照) 言葉の起源がそうであるように、ひとは本来的に祈らなければいられない存在なのだ。 祈りの表現と…

  • こころざしの世界

    昨日の記事のつづき。 どのような場合でも、意図や動機が大切。 この世界で鏡の法則として実現されるのは、行為ではなく意図の方が、その割合は大きい。 他者に働きかけるときの「動機」や「意図」と、自身に働きかけるときの「動機」や「意図」に違いがあるならば、その違いを「他者」「自己」として別々に記述しなくてはならない。違いがないならば、そのひとはもはや、他者と自己について同一化されている。 「自分に厳しく他人に優しい」ひとの場合、「自分に厳しい」の背景にある「意図」と「他人に優しい」の背景にある「意図」に違いがあるかないか。 意図において、「自分に厳しい=他者に優しい」が成り立つのかどうか。 ちなみに…

  • 自分に厳しくか優しくか

    自分に厳しく他人に優しくあろうとする人がいる。 スピリチュアル的に言うと、他人に優しく貢献するその前に、まず自分を充たさなくてはならないということになる。だからこの場合は他人に優しくする前に自分に優しく、ということになる。 セッションをしていて、納得いかないものがある。 スピリチュアルな視点で言うならば、自分も他人も含めての自分だから、自分はさておいて他人に優しくすることも、大きな意味での自分を愛することにつながるのではないかと思うのがその理由。 同時に、他人に優しいということ自体に倫理的問題はまったくない。 社会的にも、以下の順が望ましいと思われているのではないか。 1.自分に厳しく他人に優…

  • 自分を大切にするとは(セッション例)

    前回の記事の理解を深めるために別に視点から。 過去の個人セッションのやりとりを一部以下に記載します。(ご本人了承済) クライアント ⇒ ク) カウンセラー ⇒ 私) ク)はじめまして。 これまで様々なスピリチュアルセッションやセミナーを受けてきたのですが、何か充たされない思いがあるのです。でもそれが何か分からないので、知人の紹介でここに来ました。 漠然とした質問ですが、どのようなことでもいいので何かアドバイスをいただけたら嬉しく思います。 私) 出来るようになると嬉しかったりすることや、あるいはこのようでありたいと思う自分の理想像のようなものはありますか? ク)私はいつも自分を大切にしてないっ…

  • 自分を大切にするとは

    感覚や気持ちを、善悪の判断で押し殺さない。 感覚や気持ちは、なにより「ありのまま」のものでそれがゆえに、自分自身の内奥に到達するための道しるべとなる。 内奥に導かれれば導かれるほど、人生はシンプルになり、感覚器官を通して観るもの、聴くもの、触れるものへの感謝の念は自然と湧き起こる。 一生懸命観ると、そして観ること聴くことを思考に邪魔させずに行うならば、それは、なぜか反転して自ら自身を観る目となっていく。 「美しい」と感じているのはどのような働きなのか?のように。 この反転が「和」を生み「神性」を生む。 なぜなら自己の内奥は「和」しているから。おおきなひとつながりにある「神性」であるから。 私た…

  • スピリチュアル人生相談4

    質問私は人の顔色ばかり窺ってしまいます。 人の評価を気にし疲れてしまうのです。 どうしたらその気性から自由になれるでしょうか。 回答 ご質問ありがとうございます。 まず最初に、 人の顔色を伺っている、まさにそのときに、どうしてそのようなことをするのかの理由を観ていくことです。 何らかの恐れなのか、期待なのか、防衛本能なのか、歓んでいて欲しいのか、愛して欲しいのか。 相手がどのような顔色をしてくれたら、満足なのかを同時にみます。 そしてそのような理由から顔色をうかがう自分を、どのように感じるかを、またありのままに観ます。 これ以降の対応はケースバイケースで異なってきますが、多くの場合、以下にあて…

  • スピリチュアル人生相談3

    質問 最近、コロナの関係で不安を煽って、コロナで大変な生活はスピリチュアルで売り上げアップ! という、 物質社会を高次元のエネルギーで補おうとするのを…ワタシ的にはズルいし、スピリチュアルはそんな ものじゃないのに…。 お金の為にスピリチュアルを使うなんて…と思っています。 モヤモヤする一方、どこかでズルいと言いながら羨ましく思ってる自分も居るズルいという私が抱く考え 自体が、固定概念なんでしょうか? 私も生活がありますし、ある程度のお金で生活しなければならないし… 天界と繋がれて満足しつつ、スピリチュアルでビジネスをするのではなく、サイドビジネスで稼げばいい のでしょうか? 回答 ご質問あり…

  • スピリチュアル人生相談2

    質問 オーラは、どんな風に見えますか? 回答 量子力学の世界では、量子のふるまいは「観察者がいるかいないか」が決定的に大切となります。 光は、観察者がいない状態では「波」(多次元性が維持されている状態)ですが、観察者がいる状態では「粒子」(3次元的状態)となります。 (量子の二重性と呼ばれています) 断続的に観察したり、観察する人はいない状態で情報だけ入手しても、情報をしばらく経ってから入手しても、そのようになります。 (量子の非実在性と呼ばれています) 観察(情報の入手)により、ふるまいが「確定」してしまう。 観察するかしないかで、存在のあり方、もっと言えば「多次元性」か「3次元性」かの違い…

  • スピリチュアル人生相談1

    質問 私は「何故私はここにいるのだろう、私には生きている価値がない、死んだ方がマシではないか」とネガティブになってしまう時があります。こんな私でもは幸せになれるでしょうか。 回答 「死んだ方がマシ」 少しばかり、不明瞭な言葉です。 A「(生きているより)死んだ方がマシ」なのか B「死ぬ行為の方が、価値がないと感じるよりもマシ」なのか。 C「単にとても辛いの比喩」なのか。 明晰に自分をとらえ、そして知るのは、幸せに生きるうえで大切なことので、まずは冒頭の言葉の背後にある意図を探ろうとしてください。 すると、自分にとって解決しなくてはならない本質は何か、が見えてきます。 混沌の沼から脱出できます。…

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