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  • 母校

    ちょうど4年前のGW、避難区域に指定されていた小高小学校はひっそりと静まり返っていた。 震災当日に行われた卒業式から教室は時が止まっていたのとは反対に、敷地内の地震による割れ目から草木が生い茂っていた。 そこに在校生が休みを利用して訪れ、子供たちは避難区域なぞお構いなしに遊び...

  • 帰る場所

    避難区域の小高区商店街にて。 一時 帰宅をして被災した家と商店の整理をしていたご家族と出会った。 母子は山形に避難し、お父さんは隣町の原町に居を構えて仕事をしている。 建物はもう取り壊されて、ない。原発事故さえなければ家族が揃って生活の再建ができただろうが、も...

  • 日本のおかあさん

    まだ人もまばらだった小高区の商店街で出会った明るく親切な女性を僕は親しみを込めて「おかあさん」と呼ぶ。 思えばこの地方で僕が抱く日本人の「おかあさん」像の方に数多く出会った気がする。 海に面している浜通りの地域性だろうか。 写真を撮る場所を尋ねると真っ先...

  • 変わらない風景

    農村の冬の風景は得てしてうら寂しいので、 如何ようにも寂しげに撮れる。 放射能によって山林や大地が汚染されようとも風景は不変だ。 僕はこの時、樹々の、大地の嘆き声を聴いた気がした。 その嘆声と風景とが不埒にも美しいと感じてしまう自分が、いた。 綺麗なだけで...

  • あの頃高校生だった君

    彼女は震災がおきた年に高校3年生となり合唱団の団長を務めていた。 被災後は避難生活、合唱団の再開とその継続、そして卒業と文字通り怒濤の1年だっただろう。 苦悩を表に出さず、歌を通して表現しようとする姿は雄々しくもあり、痛々しかった。 結局、小高の自宅へ帰ることなく卒業...

  • 運命の悪戯

    鹿島でギャルと会った。 正確に言うと、レゲエ好きでファンキーなねーちゃんというところか。そしてアーティストとして絵描きの活動もしている。 そんな明るそうな彼女も南相馬市で唯一廃校が決まった真野小学校のブランコに腰を掛けて暫くすると真顔になった。自分の母校であり、息子が通うは...

  • 波乗り

    原発から北へ30kmほどにある烏崎の浜辺、震災以直後はさすがにサーファーを見 かけなかったが、1年が過ぎた頃から散見するようになった。 このサーファーさんは海からあがると清々しいお顔をしていた。 海が多数の人の生命を奪ったのも、原発から日々汚染水が漏れているのも十分承 知...

  • 原始的衝動

    何を思い、壁に刻印したのだろうか? ひっそりした横穴の中、瞳を閉じて1500年以上前の人が描いているさまを想起する。 原始的衝動を目の当たりにすると浮世に渦巻く欲望の数々がバカらしくもなる。 避難区域内にあるこの名も知れない壁画が「要らないものが多すぎる」と語っているか...

  • 大陸の香り

      この地方には珍しくはざ掛けされた田んぼに笠を被った女性が1人いた。 西陽を浴びて輝きを放っていた稲穂を前に撮影させてもらった。 撮影中から古風なアジが出てる写真になるのだろうと思っていたけれどプリントをして驚いた。 この女性のお姿、雲南省あたりの少数民族の人々のそれとデ...

  • 些細でありふれた風景の一つ

    2012年秋、人もまばらな鹿島区 上栃窪で車を走らせていると、公園でゲートボールをやっているお年寄りたちを見かけた。 脇に設置された放射線量測定器は低 くはない数値を示していたが、後先短いご老人はお構いな...

  • 木こり/Woodcutter

    浜から山に向かって徐々に線量が高くなる南相馬市では山中の樹々は汚染されている。鹿島区でも山に近い上栃窪の木こりさん宅の自宅の放射線量も決して低くはない。 ながらく木を刈ることを生活の糧としていた人にとってどのような心境なのか、出会って間もなくの僕は聞くのを躊躇った。...

  • 再開

    2年前の夏、常磐線原ノ町ー小高間の桃内駅。 久しく電車とヒトの往来が途絶えた線路は夏草に覆われていた。 恐ろしいほどの静寂と、それを突如として切り裂く鳥の囀り。 まるで人類が滅亡した世界に迷い込んだかのようだった。 きたる3月末、小高区の避難解除がなされ路線も再開の予定だ。...

  • 背負い人

    小さい頃から僕は、ゲーム『信長の野望』シリーズをこよなく愛し数々の大名になりきって全国統一を果たしてきたが、相馬氏とは全くの無縁だった。小大名ゆえの困難さに加え、伊達氏、北条氏、上杉氏等近隣諸国の有力大名に囲まれている地理的難しさがあったからだ。そんな僕はゲームを通り越して末裔の...

  • 諸行無常

    『東日本大震災復興 相馬三社野馬追』と銘打って開催された2011年 の野馬追。 残念ながら規模は大幅に縮小され、特に南相馬市内の行事は形だけのものとなってしまった。 雲雀ヶ原 では蹄鉄の音が鳴り響くこともなく、 野馬懸は素手で馬を捕えることなく引き馬での奉...

  • カッコイイ武士

    野馬追で一番カッコイイ人を撮ろう、そう思って今年の野馬追に行った。   総大将出陣祝いの宴でのこと。勢揃いした相馬武士たちは各々が鎮魂や復興など様々の想いを胸に秘めこの日に臨んでいた。特別な年に開催される野馬追、武士たちは一様に険しい表情とピリピリした緊張感を発していた...

  • 不動

    小高名物の野馬追火祭り。 夕闇に凱旋した武士たちを沿道に焚かれた篝火と火の玉とが出迎える。 古来より絶やすことなく灯していた火。 今年は小高の地で武士を迎えることもできなければ、火を焚くことさえ叶わなかった。 代わりに今年は原町のお祭りで小高の火祭りが再現された。 小規模ながら闇...

  • かけがいのない存在

    母親が 二 人の娘と赤子と共に映ったありふれた写真。しかし震災後に出産した東北の多くの母親と同じように、笑みの裏側には様々な 想いが 詰まっていた。   この女性は米澤志寿子さん。生粋の相馬の浜生まれ浜育ちで、市内の言葉とは異なり 、直截 でありながらどこかおっとりとした浜言...

  • 原風景

    海と山に挟まれし浜通り。 相馬から福島へ向かうと程なく、奥羽山脈に分け入る。 雨上がりの午後、辺りは霧に包まれ神秘的な雰囲気を帯びていた。 霧間に姿を見せる、太古から姿を変えずにそびえる山々と、先人が切り拓いた畑々。 まさに日本の原風景の一つ。 木々や草花は新鮮な水と空...

  • 内に宿りしDNA

    「普通」ってなんだろ、そんなことを考えさせてくれた撮影だった。 津波で廃墟となった原町の老人ホームでの撮影も終盤を迎えた頃、一台の軽自動車が入ってきた。震災から3ヶ月以上も過ぎていたこの頃、津波の被害が甚大だったこの地域は一種の観光地と化しており、地元の車のみならず他県ナンバ...

  • 狭間

    津波に襲われ廃墟となった老人ホーム。 3ヶ月を経ても時は止まり、数々の痕跡が残ったままだった。 圧倒的な力で押し寄せてきた津波と片田舎で幸せな余生を送っていた老人たちを、僕は想起していた。 その狭間でふと思った。彼らは何処に行ったのだろうか。 そしてヒトはこれから何処へ行...

  • 遠い日の忘れもの

    遠い昔の忘れものを相馬で見つけるとは思いもしなかった。 今回のプロジェクトで高校生の写真を撮りたいと漠然と思っていた。そして意中のモデルはサッカー部員だった。しかし道端でサッカー部員に会うことはなく、痺れを切らして直接コンタクトをとったのが小高工業サッカー部だった。小高工業は...

  • 末路

    水田の上で行き場を失った大型漁船。 まるで太平洋戦争末期に散った戦艦大和の運命のようだった。 空母を中心とした航空戦が主流になりつつあった時に、国を挙げて造られた時代遅れの巨大戦艦。 その末路は片道燃料での玉砕だった。 技術にしろ物にしろ、時代や場所に見合ったもの...

  • 幸せなループ

    幸せな関係を、相馬の港町で見た。 その幸せな関係は相馬市のみなと保育園にて育まれている。みなと保育園は松川浦から目と鼻の先にあり、距離にすると100メートル足らず。幸いちょっとした高台にあるため保育園は津波の被害を免れた。海が近いからか懸案の放射線量も、毎日行なっている独自検...

  • 献身の精神

    このシリーズを始めて以来、僕は看護婦さんを探していた。別に個人的な趣味ではなく、震災後、原発事故後のこの状況で病院に残っている方はさぞ誇りを持って働いているだろうと思ったからだ。だが出会いはいっこうになく半ば諦めかけていた頃、取材先の相馬の幼稚園で看護学校の学生さんが実習に来て...

  • 相馬の人情

    江戸っ子は「義理と人情と痩せ我慢」というが、相馬にも相馬の人情があった。 佐藤浩美さんは夫の浩治さんと相馬市で上下水道の設備会社を営んでいる。夫は生粋の相馬人だが奥さんの浩美さんは原発20キロ圏内の南相馬市小高区出身。この地域の女性はとても保守的で、「男性の一歩後ろを歩く」感...

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魂ノ記録〜高橋かつおが出逢った人々
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