津波に襲われ廃墟となった老人ホーム。 3ヶ月を経ても時は止まり、数々の痕跡が残ったままだった。 圧倒的な力で押し寄せてきた津波と片田舎で幸せな余生を送っていた老人たちを、僕は想起していた。 その狭間でふと思った。彼らは何処に行ったのだろうか。 そしてヒトはこれから何処へ行...
遠い昔の忘れものを相馬で見つけるとは思いもしなかった。 今回のプロジェクトで高校生の写真を撮りたいと漠然と思っていた。そして意中のモデルはサッカー部員だった。しかし道端でサッカー部員に会うことはなく、痺れを切らして直接コンタクトをとったのが小高工業サッカー部だった。小高工業は...
水田の上で行き場を失った大型漁船。 まるで太平洋戦争末期に散った戦艦大和の運命のようだった。 空母を中心とした航空戦が主流になりつつあった時に、国を挙げて造られた時代遅れの巨大戦艦。 その末路は片道燃料での玉砕だった。 技術にしろ物にしろ、時代や場所に見合ったもの...
幸せな関係を、相馬の港町で見た。 その幸せな関係は相馬市のみなと保育園にて育まれている。みなと保育園は松川浦から目と鼻の先にあり、距離にすると100メートル足らず。幸いちょっとした高台にあるため保育園は津波の被害を免れた。海が近いからか懸案の放射線量も、毎日行なっている独自検...
このシリーズを始めて以来、僕は看護婦さんを探していた。別に個人的な趣味ではなく、震災後、原発事故後のこの状況で病院に残っている方はさぞ誇りを持って働いているだろうと思ったからだ。だが出会いはいっこうになく半ば諦めかけていた頃、取材先の相馬の幼稚園で看護学校の学生さんが実習に来て...
江戸っ子は「義理と人情と痩せ我慢」というが、相馬にも相馬の人情があった。 佐藤浩美さんは夫の浩治さんと相馬市で上下水道の設備会社を営んでいる。夫は生粋の相馬人だが奥さんの浩美さんは原発20キロ圏内の南相馬市小高区出身。この地域の女性はとても保守的で、「男性の一歩後ろを歩く」感...
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