日本での仕事をとるかタイの妻をとるか。迷わずタイへの移住を決意したお父さんと、その家族の物語です。
このブログは小学生の息子が感じたことと、父である私の体験の複眼で綴ります。私たち家族のこと、チェンマイの家づくり、タイの医療や教育のことetc。チェンマイでの新しい生活をユーモアたっぷりに記録していきます。応援してくださいね。
妻の生い立ちや、“魂の伴侶”とも言うべき私たちの不思議な出会いについては、もう少し落ち着いてからゆっくり書いていくことにします。毎日毎晩、妻のことを思い返していると、やはり心の中の「喪失感」が強くて私自身が苦しいのです。感情に流されず冷静に書けようになってからにします。さて、今日は妻がいなくなってからの我が家の現状のお話です。今は5人暮らしです。私、二番目の娘、その夫、その2歳の男の子、そして高校2年生の息子です。長女は、口では家に帰ってくると言いながら、たまに姿をみせるだけです。高校生の息子は、妻がいなくなってから車を運転して学校に通っています。2台ある車のうち、小さい方の車です。そのせいで学校が終わってからあちこち行ったり、友達を家に送ったりして帰りが前よりもだいぶ遅くなりました。妻が生きていたら、きっと怒...娘とタイ語で会話できるようになりました
妻が亡くなって、あっという間に8日が経ちました。昨夜、寝る前にまた例によって妻のことを思い出していました。そうしたら、あることにハッと気づいて、思わず「ゴメンね!」と口に出してしまいました。妻は13年ほど前、私と一緒に暮らし始めた頃から3年間ほど、私の知らない間に日記を書いていました。もちろんタイ語です。自分の生い立ちや、当時はバラバラに暮らしていた子供たちのことも書いているのですが、内容の多くは私への思いです。なぜこの3年間ほどだけ日記をつけていたのか、その理由は聞いたことはありませんし、この10年ほどはその存在すら忘れていました。そのころ、私は将来彼女を伴侶とするかどうかについては煮え切らない態度に終始していました。彼女の欠点がやたらと目についたり、お互いに法的には結婚している相手がいたりしました。それだけ...妻の日記
昨日、葬儀はすべて終わりました。亡くなった日を数えて5日目でした。お寺の中の火葬場です。棺が火葬台の上に運び込まれたあと、火葬台の周りを取り囲むようにたくさんの人が見守る中、いろいろな供え物を抱えた親戚やお坊さんが火葬台の周りを3周します。このとき、実は私は携帯カメラしか抱えていませんでした(笑)。このあと、地元の名士?や親戚代表など全部で10人くらいが、司会に呼ばれた順番に火葬台に上がってきて、棺の前に供え物(袈裟)を置きます。その間、お坊さんも一人ずつ呼ばれて上がってきて、供え物に手をあてて短い言葉を唱えます。私は棺の近くにいて、一人一人に、「ありがとうございます」と小声で言いながら手を合わせて挨拶をしました。さて、いよいよ最後のお別れのときです。棺を花いっぱいにします。カムペンペットの葬儀のしきたりでは、...最後のお別れ
妻の故郷、カムペーンペットでの葬儀2日目の様子をご紹介しておきます。朝は7時にお坊さんがやってきて、タンブンを行います。夜の部に比べれば人数は少ないですが、近所の人なのでしょうか、早い人は6時ごろ来て、始まるのを待っています。朝のタンブンでは、読経が一段落したあと、お坊さんに食事を出します。すべて、親戚や知人の女性たちの手作りです。同じものをお客さんにも出すので、特に夜の部ではすごい量を用意します。さて、昨日の夜の部はものすごい数の人が集まってきて、たまげました。始まる8時少し前には、敷地をはみ出して、道路にまで人だかりができていました。昨夜は計ったように8時ピッタリにお坊さんがお向かいの寺からやってきました。手を合わせる妻の下の妹です。この間も、上の妹は食事をお客さんに振る舞う準備で忙しくたち働いていました。...コン・ラック、コン・ディー
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