→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
走行移動なし。斜里。しゃりキャンプ場テント泊。のんびりと過ごす。間近に斜里岳。頂上がとんがっていて美しい姿。先週、たまたまラジオで聞いていたが、登山ルートは大半が沢登りで厳しいようだ。上から見る斜里平野はパッチワーク。昨日の走行で想像出来る。
→斜里 走行23km しやりキャンプ場テント泊。天に続く道を走行。真っ直ぐに延々と続く。天にたどり着くことは出来なかった。道の両側はじゃがいも畑。一面白い花。蒸かしじゃがいもが100円で売っていた。ハマナスが付いて廻る。白、花の直ぐ脇に実。モール温泉という呼び名
→斜里群小清水町 走行26km 浜小清水キャンプ場テント泊。網走湖は静かな朝を迎えた。網走を出て間もなく碑が目についた。屯田兵上陸の地となっていた。社会科?の授業で、北海道開拓者として習った記憶がある。碑の文章によると、明治30年日本全国からの約600名の兵員とそ
→輪行240km 網走 走行8km 呼人浦キャンプ場テント泊。列車は旭川から特急オホーツクで網走へ向かいました。大雪山の麓を通り、標高700m位を通過。鹿の姿も見えた。遠軽駅でスイッチバックして進行方向が逆転。登山鉄道ではないのに何故?路線の廃止、変更で遠軽駅が取り残
走行移動なし。旭川 宿泊まり。宿泊ホテルで朝食。コロナまん延下で宿泊客の多さが予想外だった。観察した結果、観光客が圧倒的、ビジネス客はちらほら。夏休みに入ったので家族連れが目立った。顔立ちが外国人と思われる人達も複数見られた。日本全国各地で廃校となった学
→旭川 走行28km 宿泊まり。昨夜は曇りと思っていたが、星空だった。月は出てなかつた。塩狩は地名で無く、塩は天塩川から、狩は石狩川から取った。この峠が両水系の分水界だから。今回の自転車旅で、石狩川は日本海迄辿り、天塩川は稚内側から辿って来たので、縁切りがた
→上川郡比布町 走行38km キャンプ場テント泊。塩狩峠通過。三浦綾子の小説でご存知の方多いと思います。事実は、大勢の乗客が乗った最後部の客車の連結器が外れ、登って来たレールを下り始めた。この先は急な坂になっている。クリスチャンの30歳の青年が手動ブレーキを掛
走行移動なし。剣淵 キャンプ場テント泊。朝、霧で寒い。膝を抱え込んでいる。BA5ウィルスの感染力は凄い。ワクチン接種は5回目という話も出ている。私は4回目もまだだが、4回目は有効期間が2カ月位という話も出ている。感染しても葛根湯で済んだという話も出ている。信じた
走行移動なし。剣淵町 キャンプ場テント泊。朝から雨。気温19℃寒い。停滞。
→士別市剣淵 走行39km キャンプ場テント泊。昨夜、木々があるので満天ではないが、再び星空。遅くなり木々の間に一際輝く星?ではなく三日月。段違いの明るさ。今朝は放射冷却も加わり冷えた。日中晴れた。ヒマワリ畑が一段と華やいでいた。種取りが目的か?三段雲が一瞬
→名寄 走行43km 日進キャンプ場テント泊。寒い朝。朝食用食料が無い。カロリーメイトを食べる。非常用として持っているもの。食べながら思い出す。ある夏、下北半島を自転車旅でキャンプ地を探しながら仏が浦付近を走行中、日が暮れて部落に到着。何とか素泊まりで宿があ
走行移動なし。音威子府村 天塩川温泉キャンプ場テント泊。夜は冷えなかった。早朝から雨降り。雨降りの中の撤収、雨中走行は嫌だ。50日間テレビを視てない。ニュース源はラジオ。世の中のこと、粗方知っている。不自由は感じない。普段の生活でもそうだ。だが、KDDIの通信
→音威子府村 走行37km 天塩川温泉キャンプ場テント泊。昨夜。満天の星空。数えきれない。万ほどあるのでないか。大きく輝くもの、瞬くもの、小さくひっそり光るもの。今回の旅で初めて見れた。久しぶりの星空。月が昇る前だった。星座が分からないが、知っている人は大興
→中頓別町 走行37km ピンネシリキャンプ場テント泊。直ぐ裏に敏音知(ピンネシリ)岳703mがある。霧雨の中走行。憂鬱。人家は全く見えない。牧草地が延々広がっている。半夏生擬き木の葉の白くなった部分が赤くなっている。病気なのかな。
走行移動なし。クッチャロ湖畔。キャンプ場テント泊。雨で停滞。昨日まで見た、この近辺の牧草、牧場風景。牛達の姿の違いは何なのか?草を食んでいるのとグターと寝転んでいるのと。腹一杯なのか、やる気が無いのか。
→中頓別鍾乳洞→クッチャロ湖 走行38km キャンプ場テント泊。鍾乳洞へ行って来ました。普通カルスト地形はサンゴ礁の石灰石が多いが、北の海はホタテ貝とフジツボの殻で出来た石灰石。ゴツゴツした岩肌だ。洞は1つがずうっと繋がっているのではなく、カルスト台地に点在
→浜頓別町走行31km クッチャロ湖畔キャンプ場テント泊。冷え込んだ。夜来霧雨と風。テントびっしょり。10℃位か。厳しい気象状況の朝。霧で真っ白。温かいコーヒーがはらわたを暖める。冷たい東風の中出発。国道を離れて農業用村道通称エヌサカ線を走行。電柱も道路端の標
→宗谷岬→猿払村 走行57km キャンプ場テント泊。鉛色の空。冷たい東風。北限のコンビニ、セイコーマートで食料調達。再びやって来ました宗谷岬。14.5℃。ここには人が集まりますね!観光客、ライダー多数。チャリダーはいない。閑散とした道を走行。猿払村へ。キャンプ場
走行移動なし。宗谷ふれあい公園キャンプ場テント泊。雨模様。停滞。旅の恥じかきデー。テント泊の食事は自炊。その内容をちょっと紹介。夕飯は人参、しめじ、玉ねぎ、これは切り方で味が変わる。横輪切りが良いことを発見。豚肉か袋づめ惣菜等、キャベツ、これは1枚1枚手で
→ノシャップ岬→稚内温泉→宗谷ふれあい公園走行23km キャンプ場テント泊。今日の目的は日本最北端の温泉に入ることだったが、走行途中出会いがあった。北海道に入って初めて鹿と対面。家族連れ、お父さん、お母さん、若いオス、子供と思われる。そしていくつもの大きな木
→礼文島香深 走行18km →フェリー 稚内 宿泊まり。礼文島を離れるに当たり「花の島」と呼ばれているのに花の写真が無いとは許せない。ごもっとも。まとめて掲載します。日食観測点で昭和11年生まれのお父さんと出会った。一生懸命写真を撮っている。この記念碑を目的に来
→礼文島 スコトン岬→澄海岬→久種湖 走行30km キャンプ場テント泊。島内移動。島の北部へ。今日の写真は礼文島にこんなところがあるんだ?場所の説明はしません。ところで、皆さん、小学校生?の時、礼文島で金環食が見れた、という報道を記憶してますか。1948年の出来
→礼文島内 走行26km 緑が丘キャンプ場テント泊。昨夜のミーティングは感染予防自粛で、歌、踊りはなし。島案内とゲーム。旅人は15~16人位だった。島内移動。トレッキングコースを一部2時間程歩いた。昨夕の夕日は感動的美しさだった。反対側の空には月。一夜明け目の前の
→礼文島 フェリー移動 走行5km 宿泊まり。今回のタイトル、こころ旅、の思い出に残る旅が嘗てあった。2010年夏、最初の自転車日本一周の旅で訪れた稚内の宿がここモリシ・パユースホステルだった。因みに、アイヌ語で「果ての土地」という。現在はオーナーさんが変わりゲス
→稚内 輪行移動396km 特急宗谷 宿泊まり。北海道列車の旅、5時間快適です。車窓は黄色い麦秋、水を張った緑の田、牧草の刈り取り、今の時期最初に刈り取る牧草は牛にとって栄養たっぷりらしい、ロール巻き、じゃがいも、まだ花は咲いてない。旭川を始め滝川、深川、砂川
走行移動なし。札幌。宿泊まり。休養で停滞。エアーマットの空気抜けピンホール発見。修理完了。完全に修復出来たかは実際に使用して確認。
→札幌走行26km 宿泊まり。朝、立ち込める霧で辺り真っ白。4時過ぎ。この中、やって来る車、数台。何しに?海開きは今週末。釣り?鮭?単なる溜まり。嘗て聞いたこともない、見たこともない、何か?もやもやとした不思議な気持ちで朝食。昨夜、やられた。キタキツネ。トレーラ
→石狩市弁天走行43km 石狩海水浴場駐車場テント泊。石狩川の河口へやって来た。川の幅は広い。日本海へ注ぐところを見ようと思ったが、とんでもない。広大な河川敷が広がってその先端迄延々歩いて行かなければならない。おまけに今日ここで2度目の雷雨に襲われた。土産物店
→岩見沢市北村走行15km キャンプ場テント泊。カッコウが朝早くからしきりに縄張り宣言?渡り鳥なのに。昼間でも盛ん❗今日はやっと夏が訪れた。木陰は吹く風が爽やか。木陰でお昼寝のお嬢ちゃん。すやすや。キャンプ地は札幌の郊外で車で1時間位。昨日からのキャンプ宿泊者達
→月形走行22km 皆楽公園キャンプ場テント泊。暦で半夏生。田植えを終わらせるサイン。道内はとっくに終わっている。草の半夏生はないが木の葉が半夏生している。一方麦秋で麦が色付き始めている。刈り入れはまだのようだ。石狩川の三日月湖がこの近辺多い。普通に流れが変
→浦臼町走行57km 鶴沼公園キャンプ場テント泊。石狩川沿いに走行。深川砂川自転車道というのがあってそこを走行。ほぼ快適に走行。ほぼということは快適でないところがあった。1つは橋の工事中で迂回路を通らせられた。途中迄は案内看板があったが最後の所でうやむや。どっ
「ブログリーダー」を活用して、JA1GQNさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
→東京 輪行移動。自宅。無事帰宅。旅はこれで終り。
→札幌泊。走行58km 。今日の道はきつかった。支笏湖の湖岸を走った後、登りとなる。登り道になると、宿で聞いていたので、踏ん張って、こいだ。休み休みで、峠らしきに所に到達。標高570m 。何とか峠と名前がないので、地図にも何も記載されてない。よし!これで札幌まで下
→支笏湖泊。走行28km 。苫小牧から支笏湖まで自転車道がある。快適に走れる。林間にシダが繁殖している。何故か?フキでない。ナナカマドの先端部分から色付き始めている。苗を植林したばかりの光景。白いのは保護。アオダモの木。支笏湖は水温が高いのか、水浴していた。
→苫小牧泊。走行82km 。走り切りました。サラブレッドの産地で、馬牧場が列なっている。牧場の1区画に1頭の割り当てなのか?太平洋は波穏やかで、水がきれいだ。道は走り易く、厚賀から日高自動車道が平行しているので、国道の交通量は激減。ただ、ひたすらに走った。日の
→ 静内泊。走行62km 。様似という所の海中に取り残された岩がある。折しも霧が発生した。国鉄日高本線跡が残っている。チャリダ―に会った。ママチャリで鹿児島から走って来た。78歳のお父さん?旅人というより山頭火みたいな、行く宛のない、世捨て人風な男。バス停がしゃ
→様似泊。走行34km 。昆布漁の謎が解けた。早朝の決められた時間、一斉に舟が出て行く。戻り、陸揚げ、干場へ、舟は又出て行く。一家総動員で働いているのだろう。8時にサイレンが鳴り響いた。続いてスピーカーから、昆布漁終了。多分5時からの3時間勝負。沿岸で拾うのは時
→襟裳岬泊。走行59km 。黄金道路を走行。トンネル9カ所、内最長は4941m 。残りの部分は殆ど履道。日高山脈から延びる断崖が太平洋へ落ち込み、そこに造った道路。莫大な費用が掛かった。海岸の岩礁で昆布が取れる。日高昆布。海岸で採集している姿を見た。漁舟は出てなかっ
→広尾町泊。走行38km 。農場地帯から牧場地帯ヘと変わった。畑地から牧草地へ。この辺りの牧場には、サイロ搭が多くある。現用中のようだ。何に使っているのか?
→大樹町晩成温泉泊。走行:59km 。畑地の中を走行。農薬散布の隣では手作業による農作業。畑の中に人の姿を見ることは稀だ。十勝川の河川敷に樹齢150年のはるにれの木がある。町の文化財になっている。
→中川郡池田町:走行44km 池田北のコタンYH 泊。畑地をひたすら走行。田んぼは見当たらない。農地も機械化で広い。牧場と同じように入り口に看板がある。じゃがいも畑も多く、今、花盛り。北島三郎が歌う「石狩川よ」に花咲く頃は、孫は道産子、とある。この歌は石狩平野のこ
→士幌泊。走行34km 。御天道様はご機嫌斜めで、曇り、雨で顔を出してくれない。今日の道は大きな峠もなく淡々と走れた。畑地が殆どで、牧場が幾つかあった。国鉄の士幌線が遺したコンクリート製のア―チ橋が幾つか現存する。国立公園内だったので、調和を取るためだった。一
→糠平泊。走行21km 。途中、幌鹿峠標高1081mを越えた。朝、霧雨。気温低め。今日のルートは、7年前のリベンジだ。2017.7.5に今日のルートを通ろうとしたが、途中崖崩れの為通行止め。台風被害だった。その時は、帯広迄出て、ここ糠平へ来た。ブログ日本三周46日目を読んで下
走行→然別湖泊、32km 。途中白樺峠標高900m越えがあったが、数えきれない程の足つき休憩をして何とか越えた。今日も御天道様のお陰で晴れ。林間を気持ち良くサイクリング。今朝のこと。朝風呂で、露天風呂へ入り、上がろうとしたとき、ヘビがいた。張り紙に、たまにヘビが出
走行:深山峠→上富良野 バス輪行→新得駅走行→屈足(くったり)総21km くったり泊。バス輪行移動で狩勝峠を越えた。あっという間だった。初めての経験だったが、バス輪行も使える。花特集としました。
美瑛の丘、パノラマロ―ドサイクリング走行:44km 。登り下りの連続。丘の斜面が畑地。開拓者達は、さぞ大変な苦労をしたのだろう。今は機械化され少人数でも対応可なのではないだろうか?丘の上に出ると、パッと景色が開ける。パッチワークは連作を避けるための結果だ。北海
美瑛の丘散策サイクリング走行:20km 四季彩の丘:有料花園へ行って見た。圧巻と言っても良いと思う。花好きの人なら1日居ても飽きないだろう。この季節、道内の紫色はラベンダーと思い込んでいたが、 濃い紫色のサルビア、薄い紫色のキャットミントがあることを知った。今
札幌→美瑛:特急カムイ号列車移動。旭川の手前に美唄があり名前が紛らわしい。実走→上富良野町美馬牛19km 午前の天気は荒れ模様。突風に、にわか雨。気温が下がった。19℃。架線に何かが引っ掛かったとかで、列車遅れ。美瑛駅で自転車組み立て後、走行開始。ぜるぶの丘へ行
東京→札幌 北の大地に来てます。列車移動。新幹線はやぶさ号は満席状態。シ―ズンで北海道旅行の人達が多いのか?北海道へ初めて旅したのは1963年昭和38年。夜行列車で青森駅に到着すると、そこが連絡船への乗船口だったことを覚えている。津軽海峡冬景色がヒットするずう
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:西武秩父→浦山:標高500m→西武秩父35km 。浦山には、秩父巡礼札所:大日如来堂がある。湖はダム湖、流れている水がきれいで水面がきれいでした。猿に餌をやらないで!の看板があったが、途中、群れが道を横断していた。
走行:秩父→飯能43km 。山伏峠630m 越え。それ程ハ―ドではない。その分物足りない。
走行:正丸→青梅26km 。狭路の性か、交通量が極めて少ない。快適なルートだ。天目指(あまめざす)峠590m を越え、トンネル、峠を通りゴ―ル。
走行:青梅→東飯能26km 。適当にアップダウン、トンネル、山王峠。気の向くまま走った。気持ちの良い天気。ちょっともの足らない走行。
走行:奥多摩→大月 46km 。松姫トンネル入り口標高790m 。ここを通過後はずっと下り。人生下り坂、気持ち良し。天気が今一。曇りで気温20℃。猿橋を見学。初めて。ここは渓谷になっていて、渡るには難所だ。日本の3代奇橋の1つと、看板があった。
新幹線で長野まで。北しなの線で黒姫まで鉄道移動。走行:黒姫→戸隠中社16km 。ずっと登り。
奥多摩駅→武蔵五日市駅33km 。楽なコ―ス取りで、小さな峠越しが一ヶ所。激坂で歩かされた。
走行:上野原駅→武蔵五日市駅37km 。JR 高尾駅にエレベーター無く、階段辛かった。ナビで検索した道の経由地指定しなかったため、道を間違え遠回りした。経験して発見するミスがあるものだ。途中、甲武トンネル入り口で、標高600m。その後、ロングダウンヒル。気持ちの良いも
走行、武蔵五日市→上野原32km 。陣場街道、八王子の和田峠:標高698m越え。中山道にも和田峠があるが、これとは異なる。久しぶりのヒルクライム、きつかった。連休中で、チャリダ―、ハイカ―が多かった。
テント生活は封印し、宿、泊まりの生活とします。輪行で脚を伸ばし、期間は短めとなるでしょう。旅の毎日はブログ投稿を続けます。