2023年10月
主は、エルカンターレを信じて信じて信じ切ることが信仰であると言われました。 では、信仰が本物か偽物なのかの判断基準はどこにあるのでしょうか。 それは実践の中に答えがあるといえます。 主を信じたのであれば、それを行動にしなければ信仰が本物かどうかわからない部分があるといえます。 イエス様は 「その木がどんな木か知りたければ、その実を見ればよい」 と言われていたと思います。 木が原因で実が結果ということです。 原因・結果の法則、縁起の理法をわかりやすいたとえ話で、語られていると思います。 人間には自由意志..
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」 は福沢諭吉の『学問のすすめ』の一節ですが、この内容が意味するところは人はすべてにおいて平等であると解釈できますが この平等とは話の前提に過ぎず、 その後の文は 「実際に世の中を見渡してみると、優れた人あるいは、劣った人もいて両者には雲泥の差があるように見えるのはどうしてなのか?それは学んだか、学んでいないかの差なのだ」 と書かれていたと思います。 最初の文は機会の平等、チャンスの平等と理解できますし、後半のほうは自助努力をして学問を学んだか、さぼったかによって結果が違ってきますよ。 ..
カルマの法則とは、宇宙的に通じる普遍的法則のようです。 カルマの法則とは、蒔いた種は刈り取らねばならない。 原因・結果の法則または、仏教的には縁起の理法と言われています。 イエス様の言葉でいえば 剣をとるものは剣によって滅ぼされる あるいは、 自己責任の法則 本来、人間には自由が与えられていますが、自由には責任が伴うということでしょう。 この自由には責任が伴う部分がカルマの法則にあたるところでしょうか。 物理的には作用反作用の法則、バランスの法則でしょうか。 現代は唯物論がはびこり、神や仏あるいは高級霊と言われる存在を信じないことが知識人なのである、..
2023年10月
「ブログリーダー」を活用して、ガンちゃんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。