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2011/04/06

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  • 世界宗教・幸福の科学と菩薩への道

    日本人と諸外国とでは、平和の考え方が違うようです。 日本人は何もしないことを平和と考えていますが、諸外国では正義と悪の価値観が明確で、悪は徹底的に粉砕し、神の正義の実現こそ平和と考えています。 幸福の科学は、正義と平和に関して現代の問題にとりくんでいます。 世界宗教は唯一、一つのものから出ています。 ゆえに本来は対立するものではないはずです。 教えが、自国中心の歴史観で違いが出てきています。 違いを埋めていくのは幸福の科学で説かれている仏法真理以外にはありません。 地球人になるために(同化する..

  • 高度な哲学を凌駕する幸福の科学の仏法真理 主の謙虚さに学ぶ

    人間の認識には限界があります。 宗教家としての在り方と哲学者としての在り方の違い等を含めて考えてみます。 真理に込められた内容を深いところで理解することは、その人の魂の成長度と比例関係にあると思えます。 仏説・正心法語の中の真理の言葉・正心法語の中の一節に 「自他は これ 別個に非ず 一体なり」とあります。 非常に平易な言葉で書かれています。 唯物論者は、自分と他人が一体であるという認識はしないでしょう。 おそらく、自分と他人が一体であるというのであれば、その理由を説明しろ と言ってくる..

  • 時間論 時間とは主観的なものなのか

    一般的な時間についての考え方は以下の通りだと思います。 時の流れのある一瞬の時刻。 ある時刻とある時刻の間の長さ という意味でつかわれることが多いようです。 しかし、上記の時間に対するとらえ方は物理的時間のとらえ方であり、過去から現在・未来へと一様に流れる、一方向に流れる時間で、逆方向に進むことはないと考えられています。 一般的感覚としてもその通りでしょう。 しかし、生物の時間は物理的時間のように未来に向かって一方向に流れる時間ではないと自分は考えています。 生物の時間は、円環的な時間の流れ方をしていると考えています。..

  • 認識論 認識によって天国・地獄にわかれるのです

    認識論は難しいと思います。 しかし、ここを通過しなければ、人間の本質や霊的世界を本当の意味で知ることはできないかもしれません。 仏教的な認識論と言えば十八界だと思います。 仏教的認識論 十八界 眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と感覚器官の対象に対応する 色・声・香・味・触・法の六境 感覚器官と対象の関係を認識する 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識 これらの関係を十八界と仏教では読んでいます。 感覚的なものは、過ぎ去るものであり、無常であります。 無常ということは、存在の中に滅びを内包しているということです。 肉..

  • 新築の家を建てるには老朽化した家を取り壊すしかないのか

    例え話をします。 ある家族が、家を建てかえるかどうか考えています。 現在の家は老朽化が進み、ライフスタイルに合わなくなってきたからです。 その夫婦には一人息子がいます。 この息子は、わがままで享楽的な人生を生きています。 父の言うことなど聞かず、わがままし放題な息子です。 ある時、家族会議で現在の家を改修工事で補修するか、家を取り壊して新築の家を建設するか議論していました。 古い家は改修工事では追い付かず、思い切って新しい家にしようと提案する父。 しかし、わがままな息子は家を取り壊し新築の家を建てるまでの間、東京を離れることになるので反対します。 ..

  • 愛に基づく自由

    本当の自由とは 己の主体的意志にもとづいて行動し、その結果に対しては責任をとる姿勢だと思います。 自由といっても認識の広がりや、深さ高さによって条件づけられますから、個人の自由には限界があると思います。 本来、自由自在ではありますが、知らないことに関しては思考することも行動することもできないということです。 この自由意志をどの方向に使うかによって、人間は成長し、あるいは堕落もします。 自由意志があるということが、因果関係や縁起の理法が成り立つための根拠であると考えます。 カントは言います 「おまえの根本命題がすべての人に当てはまるように行動せよ」。 ..

  • 神を信じる信仰心がない人は反省できない 地獄領域の拡大

    神を信じる気持ちがなければ、自分の過ちを反省することはありません。 自分自身に悪いことが降りかかると、すべて原因は他人のせい、環境のせいといった具合に自分の問題に帰することがないでしょう。 反省することを知っていれば、あるいは反省の意味を理解していればこれほど地獄領域が拡大することもなかったでしょう。 根本原因は、神や高級神霊といった目に見えない尊い存在を信じることができない唯物論が蔓延しているからです。 臓器移植に関しても、人間の『死』を脳が停止した段階と定義すれば、心臓が動いていようが死んだことにしてしまい、臓器を取り出すというのだから、真実の世界観から見たら大..

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