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テーマは「歴史と旅」です。日々の街歩きや小旅行から得たヒントを公開していきたいと思います。

最新号は、「杉下右京は、寅さんを超えた!」 一つ前号は、「日本国債の格下げ」 もう一つ前号は、「神楽坂で花粉症予防」です。 宜しくお願いします。

嵯峨野の青竹
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2011/03/10

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  • 日本三名塔「瑠璃光寺五重塔」

    日本に多々ある五重塔の中では10番目に古い塔です。そしてその美しさでは「三大名塔のひとつ」と言われています。他の2つは、法隆寺と醍醐寺とか。 私の好みでは、円…

  • 西の京山口の繁栄を築いた「大内弘世」像

    応仁の乱で京が荒れ果てたとき、高級公卿は、こぞって「西の京山口」を目指しました。当時、多くの守護大名が在京しており、京の荒廃と運命を共にしていましたが、東の今…

  • 薩長同盟が推進された「枕流亭」

    此方も、一見は、普通の廃屋です。 しかし慶応3年(1867)、この建物の2階で、小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通らが、木戸孝允、広沢真臣らと、薩長同盟を推進する…

  • 倒幕の密談の茶室「露山堂」

    歴史公園とも言える「香山(こうざん)公園」の中央やや西に「露山堂」という茶室があります。文久3年(1863)藩庁の山口移転に伴い、毛利候は、藩庁近くの一露山の…

  • 毛利元就の菩提寺「洞春寺」

    県庁前から緩やかな坂を登っていくと、「香山公園」の西に「洞春寺(とうしゅんじ)」があります。当寺は見処が多いお寺です。 もとは、応永11年(1404)に大内盛…

  • 幕末の風雲急に「山口藩庁(御屋形)」

    関ヶ原の戦いに敗れた毛利家は、日本海側の萩を居城地に定められたため、大内氏の時代に「西の京」とまで謳われた山口は、萩と三田尻を結ぶ萩往還に沿う「一寒村」に落ち…

  • 「西の雅 常盤」の食事

    宿泊した旅館「西の雅 常盤」の夕食をご紹介します。季節は、春です。この旅館、檜が香る露天風呂「山頭火の湯」など、趣が異なる6種の湯めぐりが看板のようです。 ●…

  • 白狐の池から出土した薬師如来を祀る「薬師堂」

    史蹟「瓦屋跡」です。 明治維新期、此処には「瓦屋」という旅籠があり、長州を訪れた志士たちが、多く宿泊しました。その志士たちのうちの山田市之允(後の顕義)が瓦屋…

  • 中也詩碑そして山頭火句碑

    湯田で生まれ湯田温泉を愛した詩人の中原中也の詩碑と、防府生まれですが全国を行脚した自由律俳句の代表的俳人の種田山頭火の句碑が並んでいます。 所は「錦川通り」。…

  • 山口の佳景を詠んだ「山口十境詩」

    朱元璋の命により日本を訪れた「明使の趙秩」が大内弘世の依頼により、山口市内の美しい風景十カ所を詠んだとされる「山口十境詩」。その解説板が市内各所にあります。 …

  • 生家跡に建つ「中原中也記念館」

    詩集「山羊の歌」などダダイズムの詩で有名な、中原中也は湯田温泉の生まれです。現在、生誕の地に「中原中也記念館」が建っています。 中也は湯田温泉で生まれましたが…

  • 湯田温泉の発祥は「白狐の湯」

    湯田温泉を散策していると、彼方此方に、白狐を見かけます。 昔、湯田村の権現山の山麓のお寺の境内に、小さな池がありました。その小池に、夜な夜な1匹の白狐が、傷つ…

  • 井上公園内「井上伯爵像」

    井上公園内には、勿論、井上馨の像があります。 通称:聞多(もんた、ぶんた)。藩主毛利敬親から、多くの人の意見を聞くように名付けられました。此の地(湯田村)で井…

  • 足湯もある井上邸跡「井上公園(2)」

    山口郊外にある湯田温泉。風雲急を告げる幕末。長州藩は、日本海側の僻地の萩から山口に政庁を移しましたが、その頃、此処は重臣たちの屋敷地でした。高級役人の井上馨の…

  • 足湯もある井上邸跡「井上公園(1)」

    かつての城下町には、郊外の温泉地がセットになっていました。何かあると。療養するとか懇親会を開くとか。例えば、仙台藩の秋保温泉、会津藩の東山温泉などです。 一方…

  • 新鮮な野菜が美味しい「Cafe STAND」

    防府に戻ります。 駅前の再開発ビル「防府ルルサス」1階で見つけたカジュアルレストラン「Cafe STAND」です。店内は広くて清潔。ちょっとした休憩にピッタリ…

  • 和風の味付け「サン・ミケーレ」ホテルモントレ ラ・スール銀座店

    美味しいレストランが登場したので、場を変えて、銀座のイタリアンレストラン「サン・ミケーレ」へ。此処のシェフは和風の味付けが得意で、しかも2ヶ月毎にメニューを更…

  • 新鮮な魚料理:割烹「いちはな」

    「凄いぞ!防府」とは別に、「うまいぞ!防府」というパンフレットがあり、その中から、「割烹いちはな」さんへ。防府駅から近く、毎朝市場で仕入れた魚を会席料理に、と…

  • 萩往還を見守る「宮市観音、定念寺」

    宮市本陣兄部家を少し西へ行くと、萩往還沿いに「定念寺」があります。往来を見守るのは「宮市観音」です。 落ち着いた山門の好感の持てる此の寺院「定念寺」は、明治4…

  • 宮市の商業の中心「宮市本陣兄部家」

    宿場町「宮市」は、防府天満宮の鳥居前町でもあります。天満宮の大鳥居の西約100mの処に、宮市「本陣」を務めた「兄部(こうべ)家」があります。 兄部家は、鎌倉時…

  • 流転の俳人「山頭火ふるさと館」

    漂泊の俳人:種田山頭火は、明治15年、宮市で生まれました。防府天満宮から直ぐの処に「山頭火ふるさと館」があり、そこから直ぐの処に生家跡もあります。  山頭火は…

  • 英雲荘ゆかりの「毛利重就公」像

    まずは司馬さんの文章(世に棲む日々)から。 いま防府という市に包含されてしまった三田尻港は、長州藩第二の商港であり、三百年来の藩の水軍基地であり、その港は、港…

  • 防府市街が一望「春風楼」

    防府天満宮の本・拝殿エリアの西門外に建つ「春風楼」です。江戸期文政年間に、長州藩第10代藩主:毛利斎煕公が「五重塔」として工事を始めるも、資金不足のために中断…

  • 菅公のご母堂が信仰「天神本地観音堂」

    防府天満宮本殿の東門の外、まるで奥院のような風情で、「天神本地観音堂」があります。周防観音霊場第24番札所です。 菅公の御母堂が観音信仰をされていたからとも言…

  • 晋作辞世の合作者「野村望東尼の像」

    高杉晋作の辞世の句「面白き こともなき世を 面白く 住みなすものは 心なりけり」の上の句は晋作が詠んだものですが、下の句まで詠む力が残っておらず、見かねた望…

  • 菅公のご神威「酒垂神社」

    防府天満宮の参道脇に鎮座する「酒垂神社」です。 建久6年(1195)東大寺の再建責任者だった僧:俊重坊重源が再建成就を感謝し、松崎天神(現:防府天満宮)のご加…

  • 晋作所縁の「防府天満宮/大專坊」

    今は防府市と一括りされる此の地ですが、江戸時代の地名は、三田尻、宮市、富海、鋳銭司などで、司馬さんの小説では、当然ですが、こうした旧地名で登場します。防府天満…

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