実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
実家に住んでいた頃の話夜の9時〜10時くらいに玄関のチャイムが鳴ったうちにはインターホンがなく、その代わりにドア越しに要件を訪ねて返事がなかったら極力出ないようにしているその時は父親が応対したんだが、あまり常識的な時間の訪問ではないので、近くで見ているこ
部活後のバス待ちが暇なので部室で怖い話をするのが定番になってました。怖い話と言ってもだいたいオチが笑える話だったりしてふざけたものばかり。残っているのが顧問にバレないように、いつものように電気を消しドアはアンプで塞いでいました。その日のメンバーは僕と一つ
うちのオカンの方の先祖はその地域をまとめる豪農といわれる家でまた、その地域の治水に携わっていて、工事の際に人柱をたてたという話もある。その呪いがあるため、オカンの家では後継ぎである男の子が育たなかった。神社に相談にいったところ、男の子には女の名前をつける
11月の末に祖父が亡くなった。まあこの爺さんもともと暴走老人で、さらに認知症までやって、全身病気まみれだったのに何回も三途の川の手前で引き返してきて、家族はちょっと呆れ果ててた感じの爺さんだった。そんな爺さんもついに亡くなって、アルツハイマーのおばあちゃん
ある日、日曜の生放送。昼間の2時間を、地元の無名タレントに任せていた。季節は忘れたが、外は青空。スタジオから外は見えない。タレントは相手の若い女の子とテンポよくトークを続けている。俺はデスクワークをしながら、放送をチェックしている。すると、トークが突然止
ワイの伯母がDV旦那から逃げて母子家庭になり、ありついた仕事が病院の清掃。病院全般の清掃で(手術室だけは専門業者が清掃をする)清掃中に容態が変化した患者をみつけて看護師さんを呼んだり救急で運ばれたり、亡くなられた患者を見る機会もあるので、精神的にキツかっ
もう20年以上前の話。大学の友人と貧乏旅行を楽しんでいて、春休みに夜行列車に乗った。夜行と言っても寝台ではなく、座席の各駅停車。俺らと同じような学生なとで全車ほぼ満席、俺と友人はボックス席の窓際に向い合わせで陣取っていた。大学の同学年の女の子の話などしてい
私の会社は以前軍事に関連した施設だったので、大戦中に空襲があったりした場所。特にもう取り壊されてしまった昔の社屋は、あまり冗談を言わない先輩でも「あそこは幽霊出たよ」と口を揃えて言うくらいいわくつきの場所だったらしい。とはいえ社屋が新しくなってからはそん
妹の友達が典型的なだめんずうぉーかーで毎回浮気男とか借金男とか捕まえてきては「この人は私がいないとだめなのー」とか言って、その後振られるを繰り返してるんだがある時、ヤバイところから金借りてるからこのままじゃ何されるかわからない、というありきたりな嘘に騙さ
私が住んでいた漁師町で起きた出来事。高校は受験に落ちて行けず、私はすぐに土方になった。夜中2時頃になると1隻の船のエンジン始動とアイドリングがうるさくて起きる。ポッポ船と呼ばれるもので昭和中期に造られたオンボロ船。うるさくて当然ではあるものの、日に日にそれ
20年ぐらい前の真冬の夕方頃かな、車で田舎道にハマり迷った。もちろんスマホもカーナビもない時代。ウロウロしてると集会所みたいな建物があり、玄関前で作業服(?)の老人男性が座っていたので、道順を聞いた。「道なりに真っ直ぐ」と言われたので向かうと、途中で藪の中に
正月に親戚のおじさん家に行ってきた。息子が帰省して暇してるので久々に遊びに来いとのこと。親戚一家はおじさん、おばさん、兄ちゃん、妹さんの四人家族。その日妹さんは不在だった。小さい頃何度かお邪魔してたので間取りを覚えてた。昔の記憶が蘇り、小さい和室でお爺さ
3年ほど前の話当時俺はマンションの一階で一人暮らしをしていた。ある日、管理会社の担当から電話がかかってきて「夜中に子供がうるさい、と苦情がきたんですが……あの、お一人で住んでらっしゃいますよね? 結婚して子供ができたとか、そういうこと、ないですよね?」と聞
自分は、昔ひいばあちゃんの家でしばらく暮らしてたことがあるらしい。というのも、物心がつく前だったし、ひいばあちゃんも自分が小学校に上がる頃にはもういなかった。なんとなーく記憶はあるけど、みんなの言うひいばあちゃんに、ああそうなのねと記憶を左右されているか
小さい頃遊んでいた神社の話で、少し不思議な話。親の都合でよく引っ越していた俺は、親の実家の田舎の方が友達が多かった。だから、田舎で過ごす時間が楽しくて楽しくて仕方がなかった。その日も神社で友達数人と遊んでから帰った。夜になってお店が閉まる時間になる。お爺
あれは一昨年の事でした。晩御飯の仕度を終えて、(ちなみにカレー。)家族の帰りを待つ。ニコニコとお茶を飲みながら、さらにネットで充実!・・・まさに至福です。「しかし遅いなあ?八時過ぎだよ?カレー食べよかな?ウーン。」そんなとき、つい目がスルスルとPCから時
俺が高校生の時の話。当時俺は2階に自分の部屋を持ってた。高校生になって何となく親や弟と団欒するっていうのが面倒くさくなってたから1人で部屋にいてダラダラしてる事が多かった。それで、俺の部屋には机のそばに若干大きめの窓が1つ付いててね、窓を開けて外を眺めつつ
大河ドラマが江だった年に滋賀の関連史跡を両親とレンタカーで回って、ついでに関ヶ原まで足を伸ばした時のはなし古戦場跡に着いた時にはもう私はぐったりして車から出られない状態だったが、夏だったからあんまり長いこと車にいるわけにもいかず、資料館は車から降りて見学
父の同僚が体験した話ですその同僚の名前を玉木(仮名)としますあえて物語風の文章表現にしてます。合わない方はご注意下さい玉木は今年30歳の消防士だ。ある日、高校時代の友人が自殺した報せを受け、非番の日程調整をし、告別式に出席した。まだ若い内に自殺という死に方な
めちゃめちゃブスだった妹の話。うちの家系は母方の家系が美男美女ばかりで俺は残念ながら父親に似て長州小力似なんだけど俺と妹以外は顔が整っていてすごく羨んでる。妹は小学校に上がるまでは、綺麗な顔立ちだったけどだんだん太って醜い顔になって行き体調もすぐれず学校
家を売りたいという話が来たので、査定がてら訪問にいった。玄関先にゴミが置いてあったり、庭木が好き放題になっていたりして一見して、手の入ってない荒れた家だった。呼び鈴を押すと、庭先から6才くらいの女の子が覗き込み、俺と目があうと急いで逃げ出した。中に入ると、
兵庫県の三木市にかつて大きな国民宿舎があったいまは別の企業が営業しているので名前は伏せるがこの広大な施設のちょうど真ん中に鉄筋の塔が今も立っている
京都市外のショッピングセンターに夫と当時5ヶ月の息子と買い出しに行きました。そこに行くのは初めてでした。買い物を済ませ、時計を見ると既に18時を過ぎていました。空腹だったので、このままフードコートで夕飯を済ませて帰ることにしました。フードコートは2階にありま
現在、再開発が進んでいる将門公の首塚近くで仕事してた先輩エンジニアの話そこは地下3階だか4階にサーバルームがあって、先輩はそこでサーバマシンの運用管理を行っていたのだが、しばしば誰もいない筈の室内から子供たちのケラケラ笑う声が聞こえる、首のない鎧武者が馬
稀によくある変わったバイトの話。もう15年くらい前の話だけど、街中で声をかけられたお爺さんに気に入られて喫茶店に一緒に行った時に、バイトの話をもらった。「学生ならお金無いやろ。うちでちょっと働かんか?」何気ない提案だったけど、最初はお断りするつもりだった。
俺が小学生の頃、水色のワンピースを着た女性を何度も見かけた。最初に見かけたのがいつなのか覚えてないが、小学3年生の頃に習字を習いはじめたんだがその初日に見かけたのを覚えているので、その前から見ていたんだろうとは思う。俺以外に見えないらしい。表われると、いつ
ここ最近の話……というか現在進行形。数週間前くらいから、今くらいの時間(深夜2時くらい)に風呂に入ると必ず俺を呼ぶ声が聞こえる。声と呼び方は間違いなく嫁なんだけど、嫁じゃない。なぜか確信が持てる。もちろん嫁は「自分は呼んでない」とも言ってる。なんでかは分か
俺夏に東京の城西のアパートに引っ越してきたんだけど、越した初日にものすごい変なおっさんを見てからずっと不幸が起こり続けてて結構怖くて書き込み
バイクの教習中、夕方6時過ぎごろのちょうど薄暗くなってきたときスラロームの練習しててインストラクターにアドバイスもらってた。教習コースは道路のすぐ隣に面しててインストラクターは道路に背を向けて、自分は道路と対面して指導を受けてた。そのとき視界の端がなんか気
友人は幼いころ、毎年夏休みを父方の田舎で過ごした。滞在中は、おじいさんと散歩に出るのが日課だったそうだ。その日もいつもの散歩道を二人で歩いていたのだが、ちょうどさしかかったおじいさんの田んぼの中に、目に留まるものがあった。7月のおわり頃の一面青々とした水田
何故か小さいころの記憶とかが結構スッポリ抜けてて切っ掛けがあれば思い出すかなと思ってるんだけど思い出せない。それでも印象に残っているものは細部まで覚えていると言う、そんな偏った記憶がある。高校生までの記憶が結構抜けてるのに気がついたのも最近。だけど、その
お盆で帰省した時の話。数年ぶりに地元に戻ったおれは、友人たちと会ってしこたま酒を飲んだ。夜の11時を回った頃だったか、誰が言い出したのか肝だめしに行こうという流れになった。正直そんなのではしゃげる歳ではないし、めんどいなと思う部分もあったが、どうせ次の日の
俺の友人に、勘だけで生きてる奴がいる。バイク乗りなんだが、それまで無事故無違反だったのに急に「今日出掛けたら捕まりそうな気がする…?」と思いつつ気のせいだろうと判断し出発したら実際に速度超過で捕まったり、別の日、事故りそうだと思ってたら本当に事故にあった
生前、映画の舞台道具をつくる仕事を祖父さんはしていた。そこで戦前のサイレント映画の中に『お岩さん道中記』という映画があったと聞いたことがある。
専門学校生の時、デリバリーやってる寿司屋でバイトしてた。たまたま支店で事故した奴が出て代わりに配達するためにそっちの店に行った。話が変わるけど、オレの住んでる所には県内では有名な幽霊マンションていうのがある。かなりデカいマンションで地元では幽霊マンション
小2くらいの夏休みの話外で遊んでいたら同じ学校の子たちが20人くらいゾロゾロ歩いていてその中に友達がいたから声をかけると「一緒に来いよ!」と先頭には童話にでも出てきそうな「ザ・紳士」なお爺さん行先はスーパーで、みんな一心不乱にそれぞれカゴにお菓子を詰めだした