俺より2歳年上の男性がいる。同じ会社の先輩で、俺が管理職になってから3年後、その男性も管理職になったと聞いている。彼と俺とは本社ビルの同じフロアで仕事をしていたことがあり、顔と名前くらいは知っている。だが、同じ部署で仕事をしたことはないため、ほとんど接点
たった一人の家族、最愛の妻を癌で喪った。独り遺された男やもめが、暗闇の中でもがき続ける日々の日記。
現在8月30日の午前7時26分。いつものとおり、通勤途中でブログの記事を書いている。昨晩は、夜中に何度も目が覚めてしまった。1時間半ごとに目が覚めてしまった。原因は仕事のストレスだ。やらなきゃならないことが山ほどあるのに、また余計な仕事が本店の課長から降ってき
かみさんが亡くなってから。それなりの月日が経った。それなのに、俺はいまだにかみさんの不在に慣れることができない。早朝に起床して、かみさんの仏前に座り、線香をあげる。自分の心にぽっかり穴が開いていることに気が付く。自分と周囲の世界との間に見えない壁があるよ
昨晩は夜中の1時半すぎに目が覚めた。目覚める前は、かみさんの夢を見ていた。だからだろう。夜中に目覚めてしまったにも関わらず、気分はホンノリ温かかった。たとえ夢の中であろうとも、かみさんと会えれば俺は癒されるのだ。だが、そのあとは熟睡できなかった。寝不足で
世間には、いろんな夫婦がいる。その中には、仲の悪い夫婦も少なくない。俺の親戚(おじ・おば)や友人、部下たちを見回せば、家庭内別居の夫婦なんてザラにいる。何年も口をきいていないとか、顔を合わせばケンカばかりだとか、別室で生活していて普段は顔も合わせないだと
天気の良い土曜日のことだ。俺が休日出勤をしないかぎり、かみさんと俺は必ず散歩をしていた。この習慣や趣味についてはブログに何度か書いてきた。散歩の時間は午後1時から夜10時くらいまでだった。そんなに歩いていたら疲れちゃうんじゃないの?と感じる人がいるかもし
寝ている間に夢を見る。かみさんの夢ならハッピーだ。たとえ夢の中であろうとも、かみさんと再会できれば幸せな気持ちになれる。全身が癒しで満たされる。だが、実際に見ているのは、かみさんの夢ではない。悪夢ばかりなのだ。見知らぬ人々が俺を追いつめる。嫌み、誹謗、中
人間は「記憶」によって作られている。過去の記憶の蓄積が、その人間の人生を左右している。俺は両親から虐待を受けて育ってきた。父親からは肉体的な暴力を、母親からは言葉の暴力を受けて育ってきた。そのせいで人間不信になった。人間に対する不信感は、イジメの原因にな
自分の内面を見つめる。すると、心(悲嘆)の微細な変化に気が付く。その変化を正確に捉えることができたなら、俺は多少、立ち直ることができるかもしれない。かみさんを喪った悲しみも、かみさんのいない寂しさも、時と場合によって微かに変わる。微かではあるが、鋭く変わ
今朝の出勤前のこと。観るともなしに、朝の情報番組を見ていた。アナウンサーが、あるベテランの俳優に聞いていた。どんなときに自分は生きているな…と感じますか?ベテラン俳優は、しばらく考えたあと、「子どもに叱られているときですね」と答えた。それを聞いていて、俺
先日の記事に書いたとおり、俺は最近、寝不足だ。毎晩、夜中の2時には目が覚めてしまう。暑くて眠れないわけではない。エアコンをつけっぱなしで寝ているからだ。仕事のストレスが原因かもしれない。だが、それもハッキリしない。確実なのは、目覚めた直後の、なんとなく物
やたらと「人生100年時代」という言葉が耳につく。この言葉がニュースやCMで使われる場合、そこに陰惨なイメージはあまりない。老後に対する不安より、明るい未来が待っているかのようだ。一緒に過ごせる家族がいてくれて、経済的にも心配が無いのなら、100年の人生も悪く
かみさんが癌と診断された瞬間だった。俺の心は崩れてしまった。より正確な表現を取るならば、ストン…と墜ちてしまったと言ったほうがいいだろう。だが、かみさんは自分の病が完治すると信じていた。息を引き取る「その日」まで、痛みや苦しみがなかったからだ。かみさんが
ここ数日、熟睡することができない。夜中の2時には目が覚めてしまう。その後はウトウトするけれど、眠っているわけではない。朝まで意識があって、「無」になることができないのだ。理由はハッキリしない。仕事のストレスが原因かもしれないが、確かなことは分からない。寝
かみさんを喪ったとき。同時に俺は、たくさんのものを失った。家族と家庭を失った。穏やかで幸せな日常を失った。自分の健康に対する執着を失った。長生きしたいという願望を失った。そして、さまざまな趣味を失い、将来の夢や希望を失った。俺が廃人のようになったのは、こ
昨日の記事に書いたとおり、かみさんの夢を久しぶりに見た。かみさんと俺は、満面の笑顔で見つめ合っていた。あんなに幸せな気持ちになったのは、本当に久しぶりだった。たとえ夢でもかまわない。あのような体験を毎日してみたい。それができたなら、俺はかみさんの魂を自分
久しぶりに容ちゃんの夢を見た。かみさんは俺の顔を真っ直ぐに見つめていた。そして微かな笑顔を見せてくれた。かみさんの笑顔が嬉しくて、俺も微かに笑った。すると、かみさんはますます笑顔になった。その笑顔に釣られるかのように、俺もますます笑顔になった。それを繰り
現在8月14日の午後7時50分。いつもとは違い、帰宅の途中でブログの記事を書いている。今朝、たくさんの部下からお菓子をもらった。みんな旅行に行ったり帰省をしたりしていたらしく、お土産を買ってきてくれたのだ。一緒に出掛ける家族のいる人たちが羨ましい…と心底思った
現在8月13日の午前6時40分。いつもとは違い、自宅のリビングでブログの記事を書いている。今朝は午前5時半前に目が覚めた。その瞬間の感覚は、いつもの朝と同じだった。また朝が来ちゃったのか…また目が覚めちゃったのか…そして、まだ俺は生きてるのか…かみさんが亡くなっ
平日の昼休み。部下たちに誘われてランチに行く。平日の退社後。ときおり部下や友人に誘われて飲みに行く。他愛のない会話に花が咲く。その場の空気はとても軽い。そして、ふとした瞬間、誰かが自分の家族について語り出す。ウチの嫁さんがさぁ…ウチの旦那がねぇ…ウチの娘
かみさんは、いつも言っていた。80歳になっても二人で一緒にたくさん映画を観ようねぇ…90歳になっても二人で毎年、海外旅行をしようねぇ…おじいちゃん、おばあちゃんになっても二人で一緒にいっぱい散歩をしようねぇ…かみさんの言葉を聞くたびに、俺たち二人が寄り添って
周囲の人々を見ていると、俺は心の底から思う。俺も「普通の暮らし」がしたい…と思うのだ。朝目覚めると、家族と目が合う。ニッコリと笑い、「おはよう」と声を掛ける。一緒に朝食を取りながら、「今週末は何をして遊ぼうか?」と語り合う。身支度を済ませると、家族に見送
かみさんが亡くなってから、それなりの時間が経った。その間、いろいろなことが変わった。かみさんと一緒に歩いた街が変わった。夫婦二人で見た風景は、もはや当時の面影を留めてはいない。俺の内面も死別当初とは変わった。心臓を引き裂くような激しい悲しみは薄れたが、寂
人間には「生きがい」が必要だ。かみさんが元気だった頃ならば、かみさんの存在そのものが俺の生きがいだった。かみさんと一緒に過ごす時間が生きがいだった。かみさんと一緒に街を歩くのが生きがいだった。かみさんと一緒に笑うのが生きがいだった。仕事は辛かった。会社の
心がイライラする。身体がザワザワする。全身が震え、呼吸は荒い。頭がボンヤリしている。精神安定剤を飲んではみるが、効き目を実感することはできない。そんな状態が先週から続いている。いったい、これは何なんだ?いったい、俺はどうしちまったんだ?ネットで検索してみ
この世界には、通り過ぎたら引き返すことのできない「境界線」がある。理論物理学者たちは、その境界線を「事象の地平線」と呼んでいる。その地平線の向こう側は、「重力」も「密度」も「温度」も無限大だ。そのうえ「時間」と「空間」は極限まで歪んでいる。すべての物理法
俺は「神」なんて信じてない。もしも神がいるのなら、かみさんが癌になることはなかっただろう。また、かみさんが亡くなることもなかったはずだ。そうだ。神なんかいない。だが、「神に似た者」はいるらしい。特別な能力があるわけではないし、むしろ大勢の人から見れば愚劣
8月1日から3日まで。俺は会社を休んだ。これで夏休みは使いきってしまった。旅行に行ったわけではない。旨いものを食いに行ったわけでもない。鬱と無気力で身動きできずに3日間を過ごしてしまった。朝からウィスキーを飲み、酔っぱらったら寝てしまい、目が覚めたら酒を
たっぷり寝たのに眠気が抜けない。副交感神経が優位に働いているからだろう。だからと言って、リラックスしているわけではない。心がザワザワして落ち着かないのだ。とても不快だ。とてもシンドイ。俺の自律神経は壊れているらしい。壊れた原因は、よく分からない。かみさん
かみさんが死んだ。世界でいちばん大事な人が死んだ。たった一人の家族が死んだ。子どもはいない。親は「毒親」だ。俺は”ひとりぼっち”になったのだ。それでも俺は生きたいか?死にたい…なんて言う俺がおかしいのか?俺は死ぬことに固執しているわけではない。どうしても
かみさんが亡くなってから、俺は”ひとりぼっち”だ。話をする相手はいないし、一緒に行動する人もいない。最も濃密な関係を築いていた人が亡くなったとき、人間は完全に孤立してしまうのかもしれない。だが、今はまだマシだ。コロナ禍が収束し、以前のように、義母や2人の
毎朝5時半くらいに目が覚める。だが、目が覚めても目を開くことができない。じっと目を閉じて、俺は光を拒絶する。かみさんのいない現実を受け入れたくないからだ。ひとりぼっちの現実を受け入れたくないからだ。しかし、現実は残忍だ。逃避したい俺を強引に世界に引き戻すか
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俺より2歳年上の男性がいる。同じ会社の先輩で、俺が管理職になってから3年後、その男性も管理職になったと聞いている。彼と俺とは本社ビルの同じフロアで仕事をしていたことがあり、顔と名前くらいは知っている。だが、同じ部署で仕事をしたことはないため、ほとんど接点
人間は、仕事をするために生きているんじゃない。生きるために仕事をせざるを得ないのだ。かみさんが元気だった頃。俺は生きるために仕事をしてきた。だが、かみさんが亡くなってから、目的と手段が逆転してしまった。俺は今、仕事をするために生きている。だからこそ問うの
かみさんが亡くなった後。周囲の人々の一部が、よく言っていた。せめて子どもがいれば良かったのにねぇ…俺がとても悲しんでいること。俺が慟哭していること。俺が心を病んでしまったこと。精神疾患が原因で会社を休職したこと。そして…俺が“ひとりぼっち”になってしまっ
かみさんと俺は、いつも語り合っていた。死ぬときは、二人一緒が良いよね…そうは言うものの、俺は多分、自分が先に死ぬだろう…と思っていた。女性のほうが、男性より平均寿命が長いからだ。だが…かみさんが癌になってしまった。とても進行の速い癌だった。かみさんは俺を
かみさんが元気だった頃。毎年の夏休み、俺たち夫婦は海外を旅行した。会社からは5日間の夏季休暇が与えられる。7月から9月までの間のどこかの週で、月曜日から金曜日までを休みにすると、土日を入れて9連休になる。その9連休を海外でゆったり過ごすのだ。どこの国に行
物心がついたばかりの幼少期。俺の実家の近所に仲の良い夫婦(Kさん夫妻)がいた。俺は不思議だった。Kさん夫妻は、とても似ていたからだ。夫婦である以上、血はつながっていない。それなのに、何故こんなに似ているのだろうか。一方、俺の両親は似ても似つかない。似てい
かみさんと俺は、散歩が大好きだった。俺が休日出勤をしなくてよい土曜日。雨が降っていない土曜日。二人のどちらかの体調が悪くない土曜日。毎週土曜日のたび、俺たち夫婦は散歩ばかりしていた。6時間から7時間もブラブラ歩いていた。目的地も決めずにブラブラ歩いていた
かみさんが亡くなってから。俺は毎日、泣いていた(と言うより“哭いていた”)。あまりにも強烈で激しい悲嘆に、俺の心が耐えられなかったのだ。そんな日々が、2年から2年半ほど続いたと記憶している。それを過ぎた頃、ようやく俺は、毎日泣くことがなくなった。ときおり
2010年4月28日のこと。癌研有明病院の医師は、俺にかみさんの余命を告げた。医師は悲痛な表情を浮かべながら「余命は年単位ではない」と言った。この言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。俺の全身の血液が、頭から足元に下がっていくのを感じた。気が遠くなった。全身が凍えて
かみさんが元気だったころ。あの20年間を振り返ってみれば、賑やかだったけど、わりと平凡に生きてきたのだと思う。劇的な「変化」があるわけではなかったが、俺たち夫婦は満足で、いつでも穏やかに生きてきたな…と思う。どこにでもいる普通の夫婦。だが、それで良かったの
現在6月26日の午前7時15分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。この記事がアップされるのは6月27日。かみさんが息を引き取った日だ。毎年かみさんの祥月命日には、必ず休暇を取っている。今年も休暇を取ることになるだろう。たぶん俺は、飲酒欲求を抑圧し
断酒を始めてから、そろそろ1か月が経つ。アセトアルデヒドによる覚醒作用もないし、強烈な倦怠感も影を潜めている。睡眠導入剤の効果もあって、寝つきは良いし、熟睡できてもいるようだ。だが、良いことばかりではない。目覚めてからの数時間、強い鬱(うつ)と全身の筋肉
テレビを点けていると、ときおり葬儀会社のCMを見かけることがある。CMからは、「さようならが温かい」だとか、「30%の割引中です!」という声が聞こえてきた。大抵の人々は「良いCMだなぁ…」なんて思っているのだろうか。しかし、そこに最愛の人を亡くした悲しみは
6月21日(土)のこと。午前11時から、かみさんの法要が始まる。俺と義弟はタクシーに乗り、午前10時半には菩提寺に到着した。お供え物と花束をご住職の奥様に渡したあと、俺と義弟は待合室で時間が来るのを待っていた。毎年のことではあるが、かみさんの法要の日は厳かな気持
運の悪いことに、俺は「親ガチャ」に外れてしまった。毒親の下に生まれてしまったため、虐待されて育つことになった。俺の過去には悪夢のような記憶が山積している。虐待されてきた幼少期の記憶は、身体の中心から末端にまで染みついた。そのトラウマが、俺の人生に暗い影を
土日や祭日。家族のいない俺は、完全な孤独だ。話しかける相手もいないし、話しかけてくれるはずのかみさんもいない。そんなとき、友人たちのことを思い出す。今頃みんな、どうしているんだろう…なんて考えてみたりする。Aくんは子どもを諦めたけど、奥さんと仲良く暮らし
現在7月20日の午前7時16分。いつものとおり、通勤途中にブログの記事を書いている。今日は定時で退社する。義弟(かみさんの弟たち)が上京してくれるからだ。そして21日には菩提寺に行く。例年通り、義弟と一緒にかみさんの墓参りに行くのだ。かみさんの祥月命日は6月27日だ
かみさんが亡くなったのは、6月27日のことだった。この記事がアップされる20日は、かみさんの祥月命日の1週間前になる。毎年、祥月命日の直前の土曜日には、かみさんの法要を行ってきた。今年も20日の金曜日、義弟が上京してくれて、21日の土曜日には、俺と一緒に菩提寺に行
かみさんが亡くなってから。俺は希死念慮に囚われた。世界でいちばん大切なモノを失ってしまったからだ。人生を共に歩んでいく伴侶を喪ったからだ。暖かい家庭を失ったからだ。未来に絶望してしまったからだ。そうだ。俺は消えてしまいたいのだ。だが、自死する度胸なんてあ
毎朝5時半くらいに目が覚める。だが、すぐに目を開けられるわけではない。光を見るのが疎ましい。身体を動かすのが億劫だ。なぜだか頭痛もしている。全身を不快な「何か」が満たしている。しかし、いつまでも目を閉じているわけにはいかない。苦痛を堪えて目を開き、俺は身
週末はずっと布団の中にいた。身体が半端じゃなくダルかったからだ。さらには鬱がひどかったからだ。死にたいと強烈に思った。眠っている間に心臓が止まってしまえばいいと思った。かみさんが亡くなってから。俺はずっと“ひとりぼっち”で生きてきた。だから分かるんだ。か
明日は今日より良い日だろう。もし明日がダメだとしても、1週間後あるいは1か月には良い日がやって来るだろう。1か月後がダメだとしても、1年後には、事態は好転しているはずだ。かみさんと出会って以来。俺はそんなふうに思って生きてきた。かみさんの生前。俺は意外と
今朝も早く目が覚めてしまった。時計を見ると、まだ午前4時過ぎだった。せめて5時半くらいまで眠っていたい。だが、最近は暗いうちに目が覚めてしまう。仕方がないので布団の中にいるのだが、心の底から沸き上がる「不快感」に耐えられない。俺は「死にたい… 死にたい…」と
生きてはいても楽しいことがあるわけじゃない。苦しみに耐えても報われるわけじゃない。死んじゃったっていいのだが、自ら命を絶つ度胸もない。仕方がないから生きている。それはとても虚しくて苦痛な日々だ。面白くもないクソみたいな日々だ。そんな俺に対し、せめて子ども
かみさんが癌研有明病院に入院していた時期のこと。最初で最後の抗癌剤治療が行われた日のことだった。かみさんは病室のベッドで眠っていた。俺はベッドの横に置かれた椅子に座り、かみさんの寝顔を見つめていた。かみさんが目を覚ました。そして、かみさんが言った。プーち
毎週の土曜日と日曜日。俺は自宅の中で“ひとりぼっち”だ。会話をする相手はいない。触れあうことのできる相手もいない。まるで世界には、俺しかいないみたいだ。とても寂しい。とても不安だ。溶けて崩れてしまいそうだ。俺は自分を保つため、ウィスキーに手を伸ばす。ちび
ある方から頂いたコメントを読んで、思い出したことがある。ごく最近のことだ。俺がテレビを見ていたら、出演者が言っていた。夫婦はいずれ死別するんだから。早いか遅いかだけの違いだよ。俺は愕然とした。言っていることに間違いはない。だが、それが夫や妻を亡くした人に
とっくに諦めていたはずなのに…俺は心の底から思ったのだ。かみさんがいた頃に帰りたい。6月29日の午前3時前。真夜中に目覚めた直後のことだった。哀しかった。淋しかった。心細かった。だが、こればっかりは、どうしようもないのだ。誰かが手を差しのべてくれるわけではな
6月27日。かみさんの祥月命日だった。この日、俺は一日、自宅にいた。夕方から軽い不安感があり、俺はウィスキーを飲み始めた。グラスを傾けるスピードが、いつもより速かった。俺はすっかり泥酔してしまった。意識が朦朧とし、夜8時半には寝床に就いた。最初に目覚めたのは
会社から帰ってくると、いつでもかみさんが俺を出迎えてくれた。遅くまで残業し、午前0時を過ぎて帰宅しても、「先に寝てな」という俺の言葉をスルーして、かみさんは俺を待っていてくれた。かみさんはいつでも笑顔だった。いつでも家の中は明るくて、俺を包み込む「何か」に
6月27日。かみさんの祥月命日がやってきた。あれから、ずいぶん時間が経った。だが、俺には「ずいぶん時間が経った」という実感がない。1日という時間はとても長い。毎日を乗り切ることがとても苦しい。淋しくて、虚しい時間は、長く感じられるってことなんだろうか。それな
かみさんが癌だと診断されたとき。俺は主治医と二人きりになる機会があった。そして俺は、主治医に質問をした。かみさんは、どのくらい生きられますか?主治医の回答は残酷なものだった。余命は年単位ではありません…俺が期待した答えではなかった。俺は、奥さんは治ります
かみさんの祥月命日の法要が終わり、義母と2人の義弟は、北海道に帰っていった。法事という大きなイベントが終わり、少しは緊張もほぐれるだろうと思っていた。そうすれば、俺の交感神経の興奮も治まって、久しぶりに熟睡できるだろうと期待していた。だが、やはり眠れなか
かみさんが亡くなってからの数年間。俺はかみさんを探していた。かみさんの姿を求め、何もないはずの虚空に向かって腕を広げていた。かみさんの気配を探り、静まり返った空間の中で意識を研ぎ澄ませていた。だが…探したところで見つかるはずはない。確かに俺は、かみさんを
心と身体は区別できるんだろうか。精神と肉体とを別々に論ずることは正しいのだろうか。たしかに心理学のベースには「心身二元論」がある。身体とは別に、心という実体があるという前提に立たない限り、心を対象にした科学は生まれないはずなのだ。だが、心理学は科学ではな
かみさんが元気だったころ。俺にはたっぷり「自分の時間」があった。今より遥かに残業が多かったし、休日出勤も少なくなかったが、それでもたくさんの「自分の時間」があった。かみさんがいてくれたからだ。かみさんと一緒にいる時間。それは俺にとって「自分の時間」だった
この記事がアップされる6月21日の金曜日。俺が会社から帰宅すると、家の中には義母と2人の義弟がいるはずだ。3人は「おかえり~」と言って、俺を出迎えてくれるだろう。6月27日は、かみさんの祥月命日だ。この日の早朝7時前、かみさんは、俺と義母に看取られながら逝った。
かみさんが亡くなってから。俺は睡眠導入剤を飲まないと眠れなくなってしまった。ずいぶん長い間、薬に頼り、身体が慣れてしまったせいだろうか。それとも、ここ数ヶ月、精神的に追い詰められているせいだろうか。睡眠導入剤が、あまり効いていないようなのだ。寝付きは良い
6月17日の月曜日。いつものとおり、睡眠導入剤を飲んでから寝床に就いた。就寝時間は午後11時頃だった。それから何時間が経っただろうか。また夜中に目が覚めた。いつもの中途覚醒とは違い、決して不快な気分ではなかった。その直前まで、俺は夢を見ていたのだ。かみさんの夢
いつも夜中に目が覚めてしまう。その後は朝まで、ほとんど眠ることができない。さすがに疲労が溜まってきた。ダルくてダルくて仕方がない。どうにかして朝まで熟睡したい。ここ最近、ずっとそう思ってきた。16日の日曜日。夜の10時には眠気が襲ってきた。だが、俺は寝床に就