今回は小倉城です。ここ、小倉城は、本丸を中心に、松丸、北の丸、二の丸、三の丸などで構成された平城です。当時は大天守、小天守、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3217もあったそうですが、現在残っているのは石垣の一部と堀だけで天守閣や櫓は再建されたものです。また、天守閣は実際にあった形とは違うようですね。最上層の入母屋破風を除き、破風は一切なかったようです。現代においてコンクリー製で再建時に観光面を考えて追加したそうです。小倉城は戦国時代に毛利氏が最初に城を築いとといわれております。やがて関ヶ原の合戦後に細川忠興が入城しましたが、やがて熊本へ移り、その後に小笠原氏が入りました。幕末の時代に長州と戦い小倉城は長州の手に落ちます。明治に陸軍の駐屯地となり司令部が設置され終戦後米軍が接収しますが、後、解放され現在に...小倉城を歩く
博多駅の博多口から歩いても10分位かな?地下鉄の祇園駅近くにあります東長寺(とうちょうじ)へ行ってみました。真言宗の寺院だそうで、山号は南岳山、別名「東長密寺」ともいわれます。伽藍には本堂のほか、六堂、大仏殿、五重塔などがあり、福岡藩2代目藩主の黒田忠之公のお墓もあります。ここは、九州における真言宗九州教団の拠点寺院になっているそうです。また、九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場でもあります。このお寺の付近には、ほかにも寺院が密集している所です。このお寺は、大同元年(806年)、弘法大師の空海が唐から帰国した際、博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立したとお寺に伝えられているそうです。盛況だった時代もあったようですが、その後、永禄・天正の兵火に焼け荒廃してしまいました...最近、五重塔をお披露目した博多の東長寺へ行ってみました
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