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2010/06/26

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  • 加藤 清正公を訪ねて

    今回は、加藤清正を、本妙寺に訪ねてみました。ここは、清正公の菩提寺でもあり、今も浄池廟に清正公が静かに眠っています。清正は刀鍛冶の加藤清忠の子として、今の名古屋市で誕生、父親の死後、母親とともに秀吉、ねねのもとを訪ねて以降、秀吉に仕える。秀吉は清正の器の大きさをを見抜き可愛がったといいます。清正は秀吉に恩義を感じ一生忠義を尽くしました。清正の功績は熊本城を代表とする卓越した築城術のほか、治水、振興の業績面でも肥後熊本の人々にとってよき領主であったようですね。清正が肥後を収めたのは、せいぜい25年位でしょうか。でもその25年の歳月は数百年の歳月に相当する業績であったようです。清正は死後、遺言により城の北西の地に葬られた。そこに廟堂を建て浄池廟と称した。その後、寺も火災にあい、再建時にここ浄池廟の地に移転してきたと...加藤清正公を訪ねて

  • 宮本武蔵を訪ねて

    今回は、宮本武蔵です。ここは熊本市の北部になるのかな。九州自動車道の熊本ICの近くです。ここに武蔵のお墓と銅像があり公園となっています。まずは、武蔵の銅像から。武蔵といえば二天一流、つまり二刀流ですね。写真は武蔵の写真です。刀を大小を両手に持っています。横からもどうぞ。大小二刀を持っているのがよくわかりますね。自然体で相手に対しているというところでしょうか銅像のそばにあった案内板です。武蔵の解説が書かれていますね。ここには、むさしの銅像と、武蔵塚、つまり武蔵のお墓があります。死後も細川家を守るために、遺言により鎧を着て葬られたといわれています。武蔵のお墓です。この下に武蔵は鎧を着たまま静かに眠っています。武蔵の最後が迫った折に、書かれた21ヶ条とのこと。武蔵は、今の岡山県の宮本村で生まれたとされる。13歳の時、...宮本武蔵を訪ねて

  • 源頼朝公の絵を九州国立博物館で見てきました

    今日は九州国立博物館へ久し振りに来ました。『よみがえる国宝―守り伝える日本の美―』展示を見るためです。■博物館へ向かいます。楽しみです。一番見たかったのは、学校の教科書に載っていた頼朝さんです。■これを見ながら、わくわくしながら展示室へGO!です。■右が源頼朝公、右が平重盛公です。本日は頼朝公は本物。重盛公は模写です。時期によりお2人とも本物の時期と片方は模写の時期があるようです。それにしても、お二人とも風格があります。■頼朝公です。日本で最初の武家政権を打ち立てた偉大な人ですね。学校へ行っていたときは、教科書に必ず?載ってましたね。本物に会いたかったです。今回、会えてよかった。■重盛公です。絵は想像してたより大きかった。黒か黒に紫の混色の服をきていると思ってたら模様があったのですね。昔の人は意外とおしゃれです...源頼朝公の絵を九州国立博物館で見てきました

  • 小倉城を歩く

    今回は小倉城です。ここ、小倉城は、本丸を中心に、松丸、北の丸、二の丸、三の丸などで構成された平城です。当時は大天守、小天守、平櫓117、二重櫓16、櫓門12、狭間3217もあったそうですが、現在残っているのは石垣の一部と堀だけで天守閣や櫓は再建されたものです。また、天守閣は実際にあった形とは違うようですね。最上層の入母屋破風を除き、破風は一切なかったようです。現代においてコンクリー製で再建時に観光面を考えて追加したそうです。小倉城は戦国時代に毛利氏が最初に城を築いとといわれております。やがて関ヶ原の合戦後に細川忠興が入城しましたが、やがて熊本へ移り、その後に小笠原氏が入りました。幕末の時代に長州と戦い小倉城は長州の手に落ちます。明治に陸軍の駐屯地となり司令部が設置され終戦後米軍が接収しますが、後、解放され現在に...小倉城を歩く

  • 最近、五重塔をお披露目した博多の東長寺へ行ってみました

    博多駅の博多口から歩いても10分位かな?地下鉄の祇園駅近くにあります東長寺(とうちょうじ)へ行ってみました。真言宗の寺院だそうで、山号は南岳山、別名「東長密寺」ともいわれます。伽藍には本堂のほか、六堂、大仏殿、五重塔などがあり、福岡藩2代目藩主の黒田忠之公のお墓もあります。ここは、九州における真言宗九州教団の拠点寺院になっているそうです。また、九州八十八カ所第一番霊場・九州三十六不動尊結願霊場・九州二十四地蔵尊第二十二番霊場でもあります。このお寺の付近には、ほかにも寺院が密集している所です。このお寺は、大同元年(806年)、弘法大師の空海が唐から帰国した際、博多滞在の折に密教東漸を祈願して建立したとお寺に伝えられているそうです。盛況だった時代もあったようですが、その後、永禄・天正の兵火に焼け荒廃してしまいました...最近、五重塔をお披露目した博多の東長寺へ行ってみました

  • 野波神社です

    三瀬は、北山ダムの近くにある神社です。西暦268年に建立された神社です。現在は西暦2011年ですから1700年以上も前から、何らかの形で存在した神社ということになります。当時、大陸から日本へ渡ってきた人々の神々を祀っていたのが最初かもしれませんね。西暦268年というと、どんな時代だったのでしょうか。西暦240~248年頃、邪馬台国で有名な「卑弥呼」が亡くなります。その後、男の王を立てたが国内は乱れ、女王「壱与」を立てて国内を鎮めた。小国家の時代から大和政権による国内統一へと動き始めた時代、そんな時代に建立された神社で、この辺では一番古くからある神社ということになります。この野波神社は、もともとは別の場所にあったらしいのですがダム建設により社地(明神原)が水没予定地となり昭和27年に詰ノ瀬山へ移築、昭和48年ゴル...野波神社です

  • 唐河神社と七郎神社へ行ってみました

    福岡から263号線で三瀬トンネルを抜けて北山ダム湖付近を通り池田交差点を左折、しばらく行くと藤原氏とゆかりのある唐河神社があります。この神社に合祀されたことがある、ここより東にあり七郎神社へも行ってみました。ここは唐川の集落にある神社です。藤原氏を祀る神社だそうです。唐河大明神祭神:天児屋根命(藤原氏の祖先神だそううです)神体:青石神紋:三ッ寄十二菊花三瀬村史によれば、この神社は平安時代末期1154年(久寿元年)、藤原鎌足の子孫である藤原式部少輔兼基は西国鎮撫のために肥之国に下向、乱が鎮まった後も、ここに居住し、生国である大和国、春日大明神を勧請し、柳野山早馬大明神を建立した。官職の式部少輔とは役人養成機関である大学寮の管理をする役職で、従五位に相当し五位以上が平安貴族と言われたようです。その後、嫡男大和守兼隆...唐河神社と七郎神社へ行ってみました

  • 昨日、博多シティへ行ってみました(記事追加:ブルーインパルス・歩行者天国)

    現代の歴史の1ページかと思い、昨日の土曜日の午前中、新装した博多駅へ行ってみました。博多シティ、ハンズ、阪急他100店舗以上ものお店がぎっしり詰まっているビルですね。毎日20万人もの人がきて、昨日の土曜日は32万人を超えたそうです。店員さんも含めると、いったいこの建物の中にいったい何万人いたのやら。私が行ったのは午前10時過ぎ頃でした。阪急の地下へ行ってみると大勢の人が並んでいました。有名な店のお菓子は1,2時間は並ばないと買えそうもありません。時間が過ぎれば過ぎるほど混んでくるのは目にみえているので、店内を回ることに集中します。まずは、屋上へ行き順次見ながら1階へおりることにしました。屋上までエレベータでまっしぐら。屋上へついたら、まず、鉄道神社へ行き、その足で展望台?へいきました。屋上から階段を上ります。ま...昨日、博多シティへ行ってみました(記事追加:ブルーインパルス・歩行者天国)

  • 桜井神社、志登神社へ初詣に行きました

    あけましておめでとうございます。新年となりましたが、こう寒いと外出もままならないですね。でも、年明け最初の行事として初詣へ、いざっ!!どこへ行こうかと思いつつ、比較的近くにある桜井神社、大神宮へ行き、志登神社にも行ってきました。志登神社は、かなり古くからある神社です。以前、記事を書いています。よかったら記事を見てください。見てもらえたら、うれしいです。さて、櫻井神社です。由緒書きによれば、寛永9年(1632年)に黒田二代藩主黒田忠之(ただゆき)公によって創建され、三間社流造の本殿に、豪華な装飾が施されています。拝殿、楼門が福岡県指定文化財に指定。隣接している大神宮は、伊勢神宮の内宮と外宮を一体化した神明造りの社殿だそうです。この大神宮は江戸時代まで伊勢神宮にならい、21年ごとに建て替えていたようです。また、拝殿...桜井神社、志登神社へ初詣に行きました

  • 楠木正成を祭った神社が福岡近郊にありました

    今、楠木正成の小説を読んでいます。皇居の桜田門近くに馬に乗った鎧武者姿の銅像が有名ですね。楠木正成は中世は河内の土豪で、その当時、悪党と言われた1人です。悪党とは、悪い人の意味ではなく政権を握っている支配層に対して対抗しようとする人々を指す言葉でした。鎌倉幕府末期に彗星の如く出現し新しい時代を作った功労者です。足利尊氏も楠木正成の人格に一目おいていたようで、正成と戦って首級をさらした後、その首を遺族の元へ丁重に送り返しているそうです。まだ本の1/4位まで読み進んだところですが、正成の父親が亡くなり当主になり、赤松円心などの悪党は、各地に点々と存在しているけれども、まだ六波羅探題の力は強いと思われていた頃で、悪党が連携を図りはじめ対抗勢力に育ちつつあるところまで読み進んできました。後醍醐天皇、大塔宮などが登場して...楠木正成を祭った神社が福岡近郊にありました

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