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  • 背水の陣

    おそらく「自分を変える」というのは、不可能なんだと思っています。自分からは離れられない。では「自分を変える」とは何を変えるのか?まるで哲学のような命題です。以前に書いたかもしれませんが、僕は自分を変えたくて20年目(5年ほど前)にある事を実行しました。それは、その時点から過去5年ほど遡ってそれ以前のレシピ本を全て捨てるというもの。取捨選択とか断捨離ではなく、惜しい物も思い切ってバサッと。過去に拠り所を求めず、現在から未来に拠り所を求めるために。もうこれで後戻りできないぞ、という決意を込めて。捨てた本はかなりの量で古本屋さんなどに出せば相応の価値があったかもしれませんが、あっさり捨てました。アイデンティティごとひっくり返したかった。あれから5年。カッコ付けて「背水の陣」のつもりでしたが失敗でした(汗)ちょっ...背水の陣

  • 他人の評価

    食べログとかGoogleMapとか、その他の評価サイトもSNSでも僕自身は自分のお店に点を付けられたり感想を書かれたりしたくないと考えています。良い点であっても同じです。良い点なら付けてほしい良い事だけ書いてほしいお店を運営する側ではこのように考える人もいますが僕は良い話も悪い話もなくていい。一人の人間がやっている事なので良い部分も悪い部分もあるのは重々承知しています。良く思われても悪く思われても仕方ありません。「他人の口に戸は立てられない」という諺があるくらいですからコントロールしようとも思っていませんが。僕はインターネット上で「他者をジャッジしない」「他者を巻き込まない」という個人的なルールを持っています。誰でも人から何か言われれば心が動きます悪く書けば当然のこと良く書いても受け止め方によっては相手を...他人の評価

  • お客様がゼロの日

    このブログを見てくださっている人の中には同業の方もいらっしゃるのではないかと推測していますが皆さんのお店ではお客様がゼロの日はありますか?また昔話をしますが、僕がお店を開業したのは8月で避暑地である北軽井沢は夏のピークの真っ只中。多い日は昼夜トータルでお客様が100人ノーゲスト(お客様が来ない)という心配はほぼありません。やはり気になっていたのは冬。年を越えて1月の寒い夜にその日はやってきました。ある夜、ずっと待っていたけど誰も来なかった。僕が東京時代に働いていた吉祥寺のLeBonVivantはあり得ないレベルの人気店で、平日も休日も関係なくいつも大盛況でLeBonVivant以外にもアルバイト等でいくつかのお店を経験していましたがさすがに東京。お客様が来ない日というのはありませんでした。自分自身が自分の...お客様がゼロの日

  • 2つのチャンネル

    結局、ビジネスをやっていて一番難しいのはお金の問題です。どの経営者もそれで悩みます。飲食店ではなくても同じ事なのではないでしょうか。とりわけ売価は、上げればお客様が離れてしまうし据え置けば会社が苦しくなってしまう。価格改定は、どのような業界の経営者でも避けて通れずハードルの高い作業の一つです。売価を上げれば顧客は離れてしまうのでしょうか?答えは一概には言えませんが、短期的な目線では減少すると感じています。基本的に価格を上げる場合ただ上げるだけではなく付加価値を加えて上げていくという方法もあります。これは実質的には値上げにはならないのですがうちは概ねそのやり方でやってきました。小規模なビジネスを経営していれば頻繁に利用されるお客様のお顔やお名前が浮かびますから価格改定に躊躇があるのは当然のこと。結果的に単価...2つのチャンネル

  • 10年の計画を立てました

    1999年にお店を開業した時点で、10年の計画を立てていました。「まずは1年だろ」とツッコミが入りそうですが開業資金の調達さえできれば、お店の継続には「謎の自信」がありました。(謎の自信どころか絶対の自信があって・笑)10年で次のお店に。タイミングよく移転もできて、インプットを中心に意義ある10年でした。その次の10年では集大成を。現在はここです。当初から多店舗展開は視野に入れていませんでした。目指せば道は開けたと思いますが、個人&地方という環境や経済的な事情もあって、継続を優先しました。スタート時には僕一人(家族の支えだけ)お客様のあても無いので地元でも外からでも、お店を気に入って来てくれる人がいれば良しというスタンスで始めたのですが最初からお店は大盛況で、仲間にもお客様にも恵まれて幸せでした。1999...10年の計画を立てました

  • 実績を作る

    修行時代から誰かに食事を作るのが好きでした。家族、親戚、友人、恋人、もちろんお客様にもお正月やら、夏休みやら、親戚が集まる時には進んで腕を奮っていました。独立を決めた際には自分を知るみんなが心から応援してくれました。独立前というのは、当然ながら「自分の店」を持っていませんからとても不安なものです。自己資金も無かった僕が(自分にとって)多額の借金をしようとすれば銀行、保証協会、商工会、テナントの管理会社、創業支援の公的窓口あらゆる方に実績をアピールしなければならないのですが実績はこれから作るのですからうまく行かない事も多くて、自信を無くしてしまう日が続きます。パトロン(資金提供者)がいるならば別ですが優秀な経歴があっても、必要なのは返済計画なので個人で独立するのに一番のハードルになるのはお金の問題。借金は怖...実績を作る

  • 一通り書いたところで

    僕自身とお店の略歴を2回に渡って書きましたがここからは一つ一つのエピソードを抜き出していきたいと思います。北軽井沢に移住してきた頃私達一家が北軽井沢に移住してきたのはまだ長野新幹線も開通していない1995年でした。僕の意志ではなく、両親が移住したからです。自然の中で暮らしたいという父(東京生まれ&育ち)が北軽井沢にペンションを建てたのがきっかけ。僕はその当時、吉祥寺のLeBonVivantで働いていたのですがそれがきっかけで退職し、応援に向かいました。色々あったのちそのペンションは両親と弟夫婦が主体となって運営する事に決まり僕は立ち上げ〜軌道に乗るまでのお手伝いというスタンスになりました。当時は清里や甲斐大泉などのペンションが流行っていて(落ち着いてきた頃)僕の未来の憧れの一つにも「地方に移住してペンショ...一通り書いたところで

  • 25年経って・2

    僕のお店が1999年に開業したという話はTwitterでも当ブログでも何度も書いているので、ご存知の方も多いかと思います。1999年に開業したお店は北軽井沢にあった商業施設内のテナント物件でした。その商業施設は当時、非常に人気を集めていてお店のスタートにはもってこいの環境でした。なにせ、人が集まっていますから。根拠のない自信に満ち溢れていた時代なので「お金がなくても開業できる」「失敗なんかしない」普通にそう考えていて、ずいぶん強気でしたがそれでもまずまず好調なスタートを切りました。最初の店舗は9年間。本当に夢中で働き続けました。吉祥寺LeBonVivantはフランス寄りの南欧料理のお店でしたがイタリア帰りのシェフの下で料理を学んでいたので北軽井沢時代はイタリア料理を作っていました。イタリア料理はブームでと...25年経って・2

  • 25年経って

    前回の投稿でお店の再定義の話を書きました。自分はどこからやってきて、どこに向かっているのか実は、とある取材があったんです。その中で自分の経歴を話す必要があり(これまであまり経歴について語った事がなかったので)さて自分の経歴ってなんだろう?と考えてしまいました。なにせ、25年も自分のお店をやっているので経歴と言っても、どこで修行してとか、どこの国に移住してとか一般的な話にはならないので、何を話せば良いのやら。で、振り返ってみたんです。そこまでが前回の投稿。この職業に就く事を決め、調理師専門学校に通っていた頃五反田にあったウイーン料理のお店でアルバイトをしていました。そこにはオーストリアからやってきたシェフとスーシェフがいて調理場では日本人の僕がコミ(調理補助)ドイツ語を話す彼らとのコミュニケーションは英語で...25年経って

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