稚内から名寄まで、国道40号線南下旅 … 最後に、『抜海』全部出し
美深を出てからは国道40号線を名寄まで南下し下川、西興部を経由し滝上まで行きました。名寄から先は国道40号線南下旅ではなくなるので旅行記は昨日で終わりです。最後に、『抜海」を全部出しします。『抜海』は独立した村でしたが稚内と併合し稚内の一部になりました。その名残が今も“抜海村”として地名になって残っています。その『抜海』の語源は「パッカイ・ペ」(子を背負う・もの)で、抜海市街地の南外れにある抜海岩に由来します。大きな岩が小岩を背負うような形をした岩です。この岩の下には海食小洞窟があり、オホーツク文化初期の「抜海岩陰遺跡」もあります。あとは抜海駅の本編でアップしなかった抜海駅の画像をどうぞ。これで稚内から名寄まで、「国道40号線南下旅」は終わります。稚内から名寄まで、国道40号線南下旅…最後に、『抜海』全部出し
2024/05/31 05:07