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思考機関 https://shikhokikan.seesaa.net/

日常の出来事を種にして、思考實驗を繰り返しています。バスケットの中の赤リンゴを思考し論理しています

論理、哲学、数論、信号機論、遠近法、線路の平行について、ピストルから飛び出す弾、陸橋の上の赤いパラソル、 亀に追いつかないうさぎ、ゼノンの苦悩、ヘーゲルの偉大さ、マルクスの生活の中の論理学、禅定力の発揮、金縛りの正体、団塊の世代、バリケードと硝煙の狭間、三浦つとむの言語世界、吉本隆明の思考世界、・・・・・

山の峠
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2010/03/03

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  • かがみ論(3)

    目の前の赤い信号機と言う思考 信号機からの反射する光が、眼球というレンズを通し、網膜細胞を活動させると、その活動を脳細胞が色として組み立てるのです。 光は、ただ網膜細胞を活動させるのだが、この物体に反射する事で、反射した光は、物体の表面の特性に対応した周波数の光として、視覚器官を介して、脳が多様な色彩として了解する。 この特定の周波数の光が、物体の表面に反射するのだが、しかしその反射する光は、…

  • かがみ論(2)

    私の目の前にある信号機が赤から青に変わる。信号機を見ながら、其処に赤色から青に変わる信号機が有るのを了解している。赤色の信号機があるのです。信号機自体が、赤なのです。 私の、その視覚体験に対して、次の様な区別を立てる。 私達が瞼を閉じた時にも、その信号機に有る赤い色、瞼を開ければ、やはり目の前にあると見えている。 この時赤い色は、客観として其処に存在していると理解している。 ただ存在する赤と…

  • 禅の言葉(7)

    道元の一つの疑問 ー「顕密二教とも談ず。本来本法性天然自性身と。もしかくの如くなら、過去の諸仏何によりてかさらに、発心し菩提を求めるや」 発心(修行)して菩提を求める。修行は人間にはない菩提を獲得する手段と成る。修行が人間が持っていない菩提を手に入れることが出来るモノと理解されている。 しかし持っていないモノをてにいれるとして、それは何処かになければならないはずで、人間は修行で、その人間にない…

  • 鏡像の理屈(1)

    釈迦の教えを鏡にして、自己を知る事となるのだが、この比喩としての鏡について考える。 鏡に写る像は、鏡の前にいる者の似姿が、像として成立して居る。その鏡の中の像は飽くまでも視覚器官によって知覚される姿で有って、それはありふれた他者の似姿をこの目で見る事と同じなのです。只この時私達はこの目で他者を見ていても、自分の目で自分の顔を見る事は出来ないのです。 そこで、鏡と言う道具が考えられた。其処に写る…

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