ださいたま 埼玉 彩の国を主テーマにするエッセイ 川柳 植物、寺社 サツマイモ いも焼酎
さいたま市在住の元新聞記者の70歳老人がつづるエッセイ。さいたまも住めば都。
偉人② 塙(はなわ)保己一(ほきいち) 没後200年 本庄市で様々な記念行事
江戸時代の全盲の国学者・塙保己一(1746~1821年)の没後200年に当たる2021年、出身地の本庄市では、市や市民団体などに企業などによる様々な記念行事が行われた。命日の9月12日には恒例の「遺徳顕彰祭」が開かれ、かって地域の主要産業だった瓦材で地元企業が製造・寄贈した座像も祭壇に添えられ、座像は市内の全小学校にも一体ずつ贈られる。「塙保己一記念館」では11月14日まで、愛用の机などを公開する企画展を開催した。米国の社会福祉活動家で視覚と聴覚の重複障碍者だったヘレン・ケラー(1880~1898年)も、1937年の来日時にこの机に触れたのは有名な話。生涯を紹介した「世のため後のためものがたり塙保己一」を「総検校塙保己一先生遺徳顕彰会」は2万部発行、市内全小学校に配布した。全国から募集したイラスト入りの没後20...偉人②塙(はなわ)保己一(ほきいち)没後200年本庄市で様々な記念行事
現在の県立熊谷高校周辺ではよく知られている話のようだが、夏目漱石の有名な小説「坊ちゃん」のモデルは、当時熊中と呼ばれた県立第二中学校の先生だった。この話自体は10年近く続いているこのブログでも、先に書いた記憶がある。漱石が熊中で教えたことがあるというのではない。漱石が留学先のロンドンから帰った後、愛媛県尋常中学校に赴任した際、同じ職場にいた弘中と交友を深め、その破天荒な人柄にひかれて「坊っちゃん」を書く際にモデルにしたのである。「坊ちゃん」が発表されたのは、熊中時代の1906年のことである。弘中は当初からモデルとされたが、「私の知ったことではない」と無頓着だったという。弘中は、埼玉県の人ではない。山口県出身で同志社普通高校(現同志社大学)卒業後、1895(明治28)年、愛媛県尋常中学校に英語教師として赴任、たま...夏目漱石の小説「坊っちゃん」のモデルは熊谷中の先生だった
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