悪の勢力が 勢いを増している昨今、 詩篇55篇22節のみことばが 真である事を明らかになる事を 願っている。 キリスト者がつまづいて これ以上、悪に迎合する…
大阪市生野区にある イエス教長老会平安教会の牧師による デイリー・メッセージです。 毎日、更新しています。 近畿福音放送伝道協力会(近放伝)が ABCラジオでお送りしております 「福音の光」のラジオ牧師もしております。
山は黙示文学的表現法では 信仰を阻害する諸要因の形容だ。 からし種は日本語なら 「豆」に相当する イスラエルで最も小さいものを 表す言葉だ。 もし私たちに豆…
私たちの手に負えない事は 神がしてくださいます。 しかし、手に負える事かどうかは やってみないと分かりません。 いずれにせよ、 手に負える事案であれば 出来…
真の力は神のみことばから。 荒んだ時代には 暮らし向きへの不安の所為なのか 目先の利益に翻弄されがち。 私たちには 先の見通しがつかなくても 時の流れも創造…
私たちは、 とかく他人と比較して 自分で自分を評価しようとします。 ですが、聖書は他人と比べず 神がどう評価されるかを 基準にするように教えています。 善を…
キリスト者として貧窮者を 助ける事は大切な働きの一つです。 ですが、ここにも 大切な心の在り方が求められます。 それは、神(みことば)への 愛ゆえに神の似姿…
主の祈りを唱えているだろうか? 祈祷文の出だしの部分に 「みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。」とある。 天、つまり神の国は みこころが100%…
みことばが 受肉して来られた方が 私たちキリスト者がお仕えしている 主イエスなのであるが、 受肉されたがゆえに、 人としての弱さもお持ちであった。 神であり…
光は福音であり 闇はその光に抗う この世の価値観。 今も昔も変わらないのが 自らの道徳的問題を 知的問題に転嫁して 隠蔽しようとする姿勢だ。 今もそうではな…
福音を思い起こし、 それを反芻して 真理を生きる事が 今まで以上に求められる時代に 私たちは生きています。 信仰を賜わったキリスト者は 心の中に聖霊がお住ま…
自分では努力もせず、 神に丸投げする者がいる。 そういう者は 神から賜っているタレントにも 無頓着である事が多い。 信仰とは、 神から既に賜っていると確信…
神はモーセを通して イスラエルに与えた 石板に刻まれた律法でなく、 新たな律法である福音を 私たちの心に刻んでくださいました。 信仰を賜わったキリスト者の心…
これまで多くの方々との 出会いがありました。 生きる望みを失っていた方。 深い悩みに苦しんでおられた方。 何を目指すべきか悩む青年。 親との関係に悩む学生。…
信仰を賜わったキリスト者が 教会に集う同信の兄弟姉妹と どのように交わるべきかを パウロは簡潔に コロサイ書3章12-13節に まとめてくれている。 このパ…
私たちキリスト者は 救いの器として 神に用いられている事を 忘れてはいけません。 神が私たちを救われたのは、 私たちを通して また別も者たちを救うためです。…
塩には様々な効能がありますね。 塩は味付けの基本ですし、 保存効果に殺菌効果まで、 塩は多目的に使える 万能調味料です。 さて、イエス様は 私たちキリスト者…
神の独り子イエスでさえ 郷里では奇跡を行えなかった。 イエスに力がないのではない。 イエスの力を否定する力が 郷里の者たちに強かったのだ。 不信は神の力を…
今では夜でも 街灯が煌々と街中を照らして 夜も昼のように 明るく過ごすことが出来ますが、 古代社会では夜は真っ暗闇。 夜間に砂漠を移動する行商人は 遠くの山…
イエスの恵み、 みことばの恵みが 私たちの霊と共にあって 生活の全てがみことばを 礎として営まれる事こそ キリスト者の喜びです。 そのような生活を送れるよう…
形あるものであれ、 時のあがれであれ、 それを始められた方の 存在がなければ スタートしません。 その始められた方こそ 神なのです。 人も、また、神の被造物…
イスラエルには ガリラヤ湖と死海という 大きな湖があります。 前者はペテロ、アンデレ、 ヨハネ、ヤコブが イエスに弟子として召し出されるまで そこで漁師とし…
委ね切ることが大切。 自分で抱え込んだって 解決できない。 委ねてみませんか。 あなたがたの思い煩いを、 いっさい神にゆだねなさい。 神があなたがたの…
約2000年前に イスラエルで政治犯として 十字架で処刑された 自称ユダヤの王ナザレのイエスが 救い主(メシア:キリスト)だと 信じる事は 愚かしく思えるの…
モーセは律法を与えて 罪とは何かを知らせると共に その罪を行いでもっては 償えない事を悟らせる役割の 神の器でした。 律法によって罪が確定しましたが、 その…
父と子と聖霊という 三つの位格を神はお持ちですが、 一つの神です。 顕れる神の性質により 三つ位格でお呼びしているだけです。 なにぶん神についての事なだけに…
アダムの背信によって 罪と死が人の世に入り込んで 神との関係が断絶したように、 イエスの贖いによって 罪の赦しと永遠のいのちという 神の祝福が与えられたと …
私たちキリスト者が 慕い求めるべきものは 本来、みことばであるべきです。 ですが実際は恵みばかりを 求めてしまっているのでは ないでしょうか? 恵みもみこと…
信仰生活を送る中で 辛い事もたくさん経験します。 いや、どちらかと言えば そちらの方が 多いかもしれません。 しかし、完全に 打ち負かされることはありません…
ローマ書4章20-21節を読んでいて ふと気付いた事があります。 それは、アブラハムは 神に約束されたことを 堅く信じたということです。 往々にして私たちは…
光は真理のみことば。 真理のみことばを生きる 私たちキリスト者は 罪の赦しを得て 互いに仕え合います。 なぜなら自らの弱さ(罪)を 悟った者こそキリスト者だ…
サタンの支配から解放され 自由を得たキリスト者は 勝利者です。 勝利が先に確定しているので 私たちは希望をもって 前進し続けることが出来るのです。 …
虐げられた時、 苦しみの渦中に置かれた時、 そこに主も共にいてくださいます。 そのことを信じられる人は 幸いです。 その信仰を主は裏切られません。 必ずあな…
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悪の勢力が 勢いを増している昨今、 詩篇55篇22節のみことばが 真である事を明らかになる事を 願っている。 キリスト者がつまづいて これ以上、悪に迎合する…
キリスト者の現世での 立ち位置についてパウロが ガラテヤ書2章20節で 述べています。 有名な聖句なので暗唱されている方も おられるのではないでしょうか。 …
あなたが天の御父から 信仰を賜わって 御子イエスの代償の十字架を 自分の罪の赦しのためであったと 心から信じているのであれば、 罪の赦しは完了しているのです…
信仰を賜わったキリスト者は 自覚してもらいたい。 この濁世から救い出さんと 主イエスは私たちのために 十字架で血を流して 私たちを贖い出して くださったとい…
私たちはどうしても 馬が合う人とつるんでしまいます。 それが大きくなり派閥となり 派閥間の闘争となるのは 政治の世界だけでなく 町内会、学級委員、 ひいては…
使徒の働きは 新約聖書の「使徒の働き」の記事で 完了しているのではなく、 今も天の御国で書き続けられており、 全てのキリスト者が その登場人物の一人だ。 だ…
人間の如何なる努力で もってしても 罪の赦しを得ることは出来ません。 旧約時代の律法を守ることも 人間には不可能です。 表面的には守れるかもしれませんが、 …
イエスは自らの十字架を負って ついてくるようにと 教えられました。 おそらくほとんどの者が 十字架を背負い得ないと思う。 イエスが私たちに悟らせたいのは こ…
キリストの模範に従う者が それがキリスト者。 であれば、キリスト者である 私たちもキリストのように 命懸けで仕える者であるべきだ。 命懸けでお互いに仕える社…
誘惑はサタンの仕業。 神が私たちを誘惑することは 決してありません。 むしろ神は私たちと 常に親しく交わろうとされます。 それを私たちの側が避けるので 隙が…
ガラテヤ書5章14節は 私が大好きな聖句です。 この世の人々が 隣人を自分を愛するように 愛することが出来れば この世は天の御国のように なるのでしょうね。…
私たち人間は 心の中での情動が行為となります。 ですから心の中でどのような 思いが去来しているかによって 実生活で現れる行為に差が生まれます。 安心感のない…
思い煩いを 全て神に委ね切るのは 意外に難しい事です。 なぜなら神に対する 絶対的信頼がなければ 出来ない行為だからです。 マルコの福音書9章で 口をきけな…
ヘブル書1章8節を 注意深く読んでみると あることに気付くでしょう。 それは父なる神が 御子イエスに「神よ。」と 呼びかけている点です。 復活されたイエスは…
主が私たちに求めておられるのは 悔い改めてみことばを生きる事。 私たちが心がけるべきは 正にこれだと言える。 先ずは神の御心に なかなか従い得ない 自分の弱…
みことばを生きる 福音行者であるキリスト者が 日常生活で心得るべきことを パウロがピリピ書4章8節に まとめてくれている。 そこで挙げられている 事項に基づ…
キリスト者も 堅実な信仰を維持するために、 今という瞬間を 大切にしなければなりません。 私たち人間の悪い癖に 問題の先送りと 現状判断の甘さが挙げられます…
ローマ書8章31節を 心に刻みましょう。 神があなたの味方であるなら 何も恐れる必要はないはずです。 逆に恐れを覚えているとすれば、 神の臨在に対する疑いが…
信仰を賜わったキリスト者は 霊的には既に復活をして 神の子とされていますが、 肉の復活は キリストの再臨を 待たねばなりません。 しかし、復活の初穂である …
ストレスフルな時代ですから 速攻で眠ってしまう事も 多いかもしれませんが、 出来れば眠りにつく前に 一日を振り返ってみて 一日の間に神からいただいた 恵みの…
神から信仰を賜わって 救われた者は、 それ以前とは生き方が変わります。 それは当然です。 救われる以前の基準が この世に根ざしたものであったものが 救われた…
救いの有難さが分かると みことばを喜ぶことが出来る。 みことばを喜ぶので 自然とみことばを生きることになる。 それがキリスト者として 最も堅実な歩み方だと言…
どれだけ努力しても 私たちの行いによっては 救われることは出来ません。 なぜならどれだけ努力しても 罪を犯さない、 つまり神の御心に適った生き方を 残念なが…
みことばが人となって 旧約の預言通りに この世に来られた方が イエス様です。 みことばだけでも有難いのですが、 神の真理のみことばを 限りある人間の言語で表…
厳しい状況下にあっても 未来に対する明るい希望があれば 克服することが出来ます。 私たちキリスト者の 心にお住いの聖霊様は 私たちに希望を与えてくださいます…
どれだけ深まろうとも 暗闇が光を消し去ることは 決して出来ません。 イエスの福音は世を照らす光。 福音を生きるキリスト者は 決して闇の中を歩くことはなく 光…
神から信仰を賜わって 罪の赦しを得て キリスト者としての歩みを 始めたばかりの頃は 救われたということ自体が あまりにも センセーショナルだったので とにか…
栄養過多は肥満や糖尿病の 原因となるように、 恵みも受けてばかりいると 恵みを当たり前と思うようになり、 結果的には害となってしまいます。 私たちは先に神か…
信仰生活は守備より攻撃を 選択した方が賢明です。 守備は相手に攻撃の機会を 先に与えてしまうことになります。 ですから攻撃の方がよいのです。 攻撃的信仰とは…
サタンが人間を支配する二大武器は 罪と死でした。 罪は私たちを神と断絶させます。 律法によって罪が確定し、 私たちをさらに罪深い者としてのです。 しかし、イ…
聖書的に死とは別離を意味します。 そのことをふまえて ヨハネの福音書11章25ー26節を読むと イエス様は二つの約束をされたことに 気付くと思います。 先ず…
神が万物を創造され、 今もトータルコーディネートして くださっている事を 忘れないようにしたいですね。 私たち人間は 神から被造物の管理を 委任されましたが…
神の力は 私たちがみことばを生きる事で 品行方正となったから その代価として与えられるものでは ありません。 神の力はみことばを通して 自分の弱さを自覚した…
救いは全ての人に オープンとなっています。 救いと聞くとこの世の事でなく 死後の事のように考える人が 多いように思いますが、 救いは今、最も重要なのです。 …
人の真心など感じられない 荒涼とした現代社会であっても、 傷ついて壊れかけた心であっても、 神のみことばとの深い交わりを 取り戻すならば、 たちどころに癒し…
私たちが豊かな実を結ぶには イエスという幹に しっかりとつながればよいのです。 イエス様はみことばが受肉された方。 ですから、 みことばとつながれば良いので…
罪の赦しを得て、 神と深くお交わりを させていただけるように なったのですから、 信仰を賜わって 罪の赦しを得る以前の 生活習慣を見直して みことばを生きる…
聖書に書かれているみことばは 神の私たちに対する約束です。 私はカルヴァン派の牧師なので 約束より契約という単語を よく使います。 神が私たちに対して必ず果…
残念ながら人は 自分の努力のみでは 神の御心に100%そった生き方を 恒常的に選択することはできません。 どうしても自分に都合が良いことや 自分に利益を来た…
私たちは自分の弱さを認めるのを 非常に恐れます。 自分の弱さを認めるという事は 自分のそれまでの生き方を 全て間違っていたと認めるかのように 感じるからです…