「JIN -仁-」の時代の蘭方医(特別編)
破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎をデザインした新千円札の発行が4日後に迫った。そこであらためて4年前のブログ記事「JIN-仁-の時代の蘭方医(その2)」を読み直してみた。これは大阪大学名誉教授の芝哲夫氏が著した文章「北里柴三郎の生涯と適塾門下生」の中から抜粋したものである。—―オランダ人医学者マンスフェルトが明治4年(1871)に熊本に来て、古城医学校が出発します。柴三郎は親の奨めで、語学を勉強するつもりでこの学校に入りました。実はマンスフェルトは日本語が全然喋れなかったのです。ここにマンスフェルトのオランダ語を通訳し、翻訳して生徒に伝える助教が二人いました。一人は阿蘇の西の日向町出身の高橋正直で、もう一人は山鹿出身の奥山静叔でした。奥山静叔の墓は熊本市内の池田町の往生院にあります。実はこの奥...「JIN-仁-」の時代の蘭方医(特別編)
2024/06/29 21:27