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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 潮来節(いたこぶし)の夜

    今朝フェイスブックを開くと、FB友であり、舞踊団花童のサポーター仲間でもある大阪在住の志場さんの誕生日お知らせが表示されていた。お祝いのメッセージを入れようとして、ふと先週護国神社で行われた「熊本城下町菓子祭り」のことが頭に浮かんだ。菓子祭りには上村元三商店も焼きそば店を出店していて、元三さん・敏子さんご夫妻と次女のあやのさんが焼きそば作りと接客に勤しんでいた。あやのさんは随分久しぶりにお顔を拝見したが、その時なぜか志場さんのことを思い出した。あれは12年前のちょうど今頃、熊本城本丸御殿で行われた「秋夜の宴」でのことだった。このイベントに度々出演していた「少女舞踊団ザ・わらべ」のことを紹介した僕のブログを志場さんが見ていてくださり、10月のザ・わらべの出番の日に大阪から日帰りで見に来られた。そして翌11月...潮来節(いたこぶし)の夜

  • あの日から50年

    昭和48年11月29日に多数の犠牲者を出した「大洋デパート火災」から今日でちょうど50年。先ずは亡くなられた104名の御霊に謹んで哀悼の意を表します。あの日、火災の第一報を聞いたのは当時勤務していた玉名から出張で久留米へ向かう車のラジオでした。出張先でもずっと気になっていて仕事を終えて帰りの車の中でも続報を聴きながら帰ったことを憶えています。以来、「大洋デパート火災」のことは喉に刺さったトゲのような思い出となり一生忘れる事はないと思います。社会に出て間もなかった頃、仕事の後の時間を過ごすのは大洋デパートの周辺と決まっていました。会社の同僚と飲みに行ったり、友人と食事に行ったり、喫茶店に行ったりとすべてあの周辺で間に合いました。しかし、そんな店々も昭和51年に大洋デパートが倒産・廃業してから間もなく消えて行...あの日から50年

  • 来年の大河ドラマは!

    来年のNHK大河ドラマは吉高由里子が紫式部を演じる「光る君へ」だそうだ。戦国時代ものや幕末ものに飽きていた僕にとって久々に観てみようかという気にさせる。脚本を担当するのは大石静。大河ドラマは2006年の「功名が辻」以来実に18年ぶりの担当だが、数々のドラマで実力は証明済み。「源氏物語」に描かれたエピソードをはさみながら物語を紡いでいくと思われるが、そのお手並み拝見といったところ。僕が興味を持っているのは清少納言との関係性がどう描かれるのかである。藤原定子(高畑充希)と清少納言(ファーストサマーウイカ)のラインが面白そうだ。平安絵巻さながらに優雅な「代継宮曲水の宴」来年の大河ドラマは!

  • 紅葉を眺めながら

    熊本城域の紅葉もピークを過ぎつつあるというので、夕方になってから見に行った。旧細川刑部邸の紅葉をひと通り見た後、正門を出ようとすると係の男性が大銀杏の前に立っておられたので「だいぶ散りましたね」と声をかけた。それからしばらく大銀杏談議が続いた。話題が刑部邸の移築の話に移った。子飼から三の丸への移築の話が続いた後、この地にはかつて化血研(化学及血清療法研究所)があり、僕が子供の頃には売血で生計を立てる人が毎日列をなしていたので、祖母からは近づかないよう言われていたという話をした。その男性が一瞬複雑な表情をした後、「実は私の92歳になる母が昔、化血研で働いていたんですよ」と言われた。僕は「しまった!」と思ったが時すでに遅し。「あゝそうでしたか」と返すしかなかった。世の中、どこで誰に会うかわからないなぁと思いな...紅葉を眺めながら

  • 近江八景随想

    先週のNHK「チコちゃんに叱られる!」では「急がば回れの回れってなに?」という疑問を取り上げていた。「急がば回れ」という諺は、「武士(もののふ)の矢橋の舟は早くとも急がばまわれ瀬田の長橋」という古歌に始まるとされている。この古歌の作者は諸説あるらしい。現在の草津市にあった矢橋の浦は今では「矢橋帰帆島」という人工島ができて景観が変わってしまっているが、かつてはここの港から琵琶湖対岸の石場へ渡し船が通っており、京を目指す旅人にとって最も近道だった。しかし、琵琶湖は春先の比良おろしなど風の影響を受けやすいという危険性があった。実際、昭和16年に琵琶湖でボート練習中の四高生が突風のため転覆し水死するという事故が発生し、それを悼んで「琵琶湖哀歌」という歌も作られた。そんな危険を冒して琵琶湖を船で渡るより、現在の大津...近江八景随想

  • 梅林天満宮例大祭

    今日は玉名市の「梅林天満宮例大祭」が行われました。地元で「ヤクサンドン」の愛称で親しまれている祭りも住民の高齢化や少子化によって歴史を繋いでいくのが厳しい状況にあります。これまで「下」「安楽寺」「津留」の3地区が順番に世話役を担当してきましたが、今回から3地区が合同して祭りを運営することになったそうです。外部から無責任なことをいうのは憚りますが、何とか次の世代へ繋いでほしいものです。澄み渡る秋空の下、多くの参拝者を集めて古社の秋祭りが行われた。地元・山部田神楽保存会による神楽奉納五穀豊穣、万民息災を祈念する天長地久の儀動画四百年の歴史を有する「鏑流馬」(熊本県指定重要無形民俗文化財)太宰府天満宮巫女による奉納舞梅林天満宮例大祭

  • 舞妓はレディ

    9年前の公開時に見逃した映画「舞妓はレディ」を今日BSPで放映していた。初見だったが予想以上に面白かった。周防監督の映画はほとんど見ているが、この作品は古都京都の物語をミュージカル仕立てとした発想が面白い。主演の上白石萌音はこの当時まだ未知数だったと思うが、この7年後には朝ドラヒロインを務めるなど今や人気女優の一人となった。興味深いのはこの映画を製作した9年前の時点で舞妓のなり手がいないことが物語の発端となっていること。3年前から起きたコロナ禍の影響で舞妓の人手不足が問題になっているという話を聞くが、これは古くて新しい問題なのだろう。この物語の舞台となっている花街・下八軒は明らかに京都五花街の一つ上七軒がモデルになっている。ロケは現地では難しいのでほとんどセットを組んだらしいが北野天満宮や上七軒歌舞練場な...舞妓はレディ

  • 長谷検校記念 第28回くまもと全国邦楽コンクール(映像)

    このコンクールを平成23年(2011)の第17回から見始めて12回。うち令和3年の第26回は無観客開催だったので、これまで11回見たことになります。コンクールでは箏曲の部、尺八・笛音楽の部、琵琶楽の部、三味線音楽・胡弓の部、三曲等合奏の部の5部門を総合的に評価しますが、過去の参加者数や最優秀賞数を見てみますと「筝曲」が優勢のようです。これは江戸後期から地歌などで筝を主奏楽器とする演奏形態が広まったことや現代邦楽への発展性が高まったことなどが影響しているようです。しかし、筝曲には演奏時間が長い曲も多く、コンクールの5分以内に収めるのは大変なようです。これまで僕が見た11名の最優秀賞の中で特に印象深い演奏者は次の5名の方です。しかし、最優秀賞にはなれなかった演奏者の中にも印象に残る方は何人もいらっしゃいます。...長谷検校記念第28回くまもと全国邦楽コンクール(映像)

  • 旧細川刑部邸にて

    先日覗いたが紅葉が進んでいなかったので今日再び旧細川刑部邸を訪れた。この数日でだいぶ色づきもよくなった。来年度から熊本地震で被災した建屋や塀などの復旧工事に入るため5年間閉鎖される予定だという。春の梅🌸の時季そして秋の紅葉時季もしばらくは見ることができない。この屋敷は初代熊本藩主となった細川忠利の異母弟、細川興孝が興した刑部家の下屋敷を、平成2年から4年がかりで東子飼町から現在の熊本城内三の丸に移築されたもの。わが家の菩提寺である浄照寺(西子飼町)のご住職の話では、移築した当時は既に細川刑部家につながる方は住んでおられなかったらしい。細川家の研究をしておられる津々堂さんによれば、刑部家は嫡家を始めとして四家に分かれており、わが父が幼い頃お世話になった立田長岡家はその一つだそうである。旧細川刑部邸のシンボル...旧細川刑部邸にて

  • 危うし 桜の名所!

    こんな情報が熊本城のホームページに載っていた。▼熊本城の桜(丸太)を配布します熊本城では、倒木の危険がある桜の撤去を行っています。熊本城は桜の名所として多くの方々に親しまれていることから、撤去により発生した桜の丸太について、活用を希望される方に無償で配布を行います。ご希望の方は、事前申し込みの上、下記の配布期間内に引取りをお願いします。この情報を見る数日前、監物台樹木園周辺の桜の木がかなり減っていることに気付いた。「倒木危険」の札が貼られた木が多いことは前から気付いていたが、それらの伐採が進んでいるようだ。試しに加藤神社参拝の帰りに、伐採された木の根っこを数えてみた。埋門の辺りまでで10本を超えている。植樹の計画はどうなっているのだろう。熊本城の桜の季節も寂しくなるかもしれない。監物台樹木園前の桜危うし桜の名所!

  • 熊本城下町菓子祭り

    今日は4年ぶりの護国神社「熊本城下町菓子祭り」。かつて「九州一の菓子の町」と謳われた新町の旧中職人町に坐していた祠を護国神社に遷座して8年。コロナで中断したものの、第6回目の菓子祭りが今日開催された。境内には特設ステージや菓子を始めとする多くの出店が立ち並び、詰めかけた多くの人々が菓子と芸能イベントを楽しんでいた。僕の今日のお目当ては専修大学熊本玉名高等学校Venturesの演奏。期待通り全国トップレベルのパフォーマンスを楽しんだ。朝から大勢の人が詰めかけた熊本県護国神社今は護国神社の一角に鎮座するお菓子の神様菓祖新宮神社NHK熊本児童合唱団のステージ熊本市立西山中学校吹奏楽部の演奏▼専修大学熊本玉名高等学校Venturesの演奏民謡「八木節」をロック調にアレンジした曲おなじみ国民的ヒット曲「マツケンサン...熊本城下町菓子祭り

  • 紅葉の橋のたもとから・・・

    今日から紅葉シーズン恒例の旧細川刑部邸特別公開も始まった。しかし今日はそれを横目で見ながら玉名へ向かう。いつもと違い、有明海沿いに国道501号線を走る。進行方向右側に展開する山並みの紅葉具合を眺めながら進んでいると、思わず、「紅葉の橋のたもとから袖を垣根の言づてにちょっと耳をばかささぎの・・・」と端唄「紅葉の橋」の一節が口をついて出る。今年は紅葉の色づきが遅いとテレビで言っていた。しかし、近年は完全に色づく前に落葉してしまうのが目立つ。10数年前の今の時季の写真を見ると、鮮やかに色づいた葉がぎっしりと茂った写真が何枚も出てくる。これも気候変動の影響なのだろうか。「紅葉の橋」にちなんで紅葉に彩られた橋の写真を並べてみた。五家荘へ向かう樅木の吊橋(八代市泉町)二俣橋の二俣渡し(下益城郡美里町)紅葉の橋のたもとから・・・

  • 防府天満宮 裸坊祭とゴムクローラ

    昨日、KBC九州朝日放送の「アサデス。」で防府天満宮から生中継をやっていた。その中で今月25日に迫った御神幸祭「裸坊祭」に使われる御網代神輿(おあじろこし)のことを紹介していた。この御網代神輿は御祭神である菅原道真公の御霊を乗せて御旅所の勝間浦まで御神幸する台車で、直径2㍍もある車輪が付いている。この車輪が500㌔にもおよぶ重量の御網代神輿を支えるので社殿から下ろす石段や商店街のカラータイルを傷つけていたらしい。そこで2011年にブリヂストンが車輪のトレッド部分を覆うゴムクローラを奉納した。ゴムクローラというのは、本来、農機具の足回りに用いるものでブリヂストン熊本工場(熊本県玉名市)で生産している。僕が熊本工場に在勤していた1973年から生産を始めた。またブリヂストン防府工場もこの祭りに参加しているが、初...防府天満宮裸坊祭とゴムクローラ

  • まぼろしの銘菓「さおしか」

    父が幼い頃(大正時代初期)日参した泰勝寺の長岡家でふるまわれたおやつの中に、新坪井六間町にあった菓子舗・福栄堂の銘菓「さおしか」があったらしい。どんなお菓子だったのかは福栄堂も今はないのでわからなかった。ところが先日、熊本情報ブログ「肥後ジャーナル」の2年前の記事に、明治28年創業の老舗和菓子店「福栄堂」が味噌天神近くで火曜日だけ営業しているという記事を発見した。この店が件の「福栄堂」なのか確かめたくて今日訪れてみた。「肥後ジャーナル」の記事のとおり、今日は休業日で閉まっていたので、味噌天神に参拝した後、裏の公園から電話インタビューを試みた。女将さんと思しき年配の女性が電話に出られた。かつて六間町に店を構えていたお店(の後身)なのかや、わが父の思い出の菓子だったこと、それを今でもどこかで作っていないか探し...まぼろしの銘菓「さおしか」

  • 高齢者講習を受けて思う

    今日は運転免許更新の高齢者講習を受けに行った。この講習は2度目だが、今日の実技講習で初めて指導官から「ちょっとセンターライン寄り気味」と注意された。長年のクセがついているのだろう。また「左を開けすぎるとバイクや自転車と思わぬ接触事故を起こしかねない」とも言われた。思えば運転免許を取ってから今年で56年。免許を取ってしばらくしてトラックディーラーに勤めたのだが、初めて先輩社員を乗せて運転した日のことをよく憶えている。先輩から「車が左に寄り過ぎていて怖い」と言われた。だいたい初心者の時は誰でも左側に寄り過ぎになりがちだ。ひょっとしたらその時の先輩の注意がずっと頭の隅にあったのかもしれない。初任のテリトリーは阿蘇一帯だったので走るのは山道ばかりだった。テレビの「ポツンと一軒家」でよく見る山道より条件は悪く、まだ...高齢者講習を受けて思う

  • 着物の日

    明後日11月15日は「着物の日」。着物が今日のような姿になるまで、3回の大変革があったという。最初の変革は、平安時代後期から、広袖の下に着る下着だった小袖を表着に変えた時。それは戦国時代のファッションリーダー、織田信長によるといわれる。その小袖に何色もの糸を織り込んだりして華美なものに変えて行った。第二の変革は、江戸時代中期、第5代将軍徳川綱吉の時代、町人生活の奢侈を取り締まるため、金糸や鹿の子絞りなどが御法度となった時。そこで登場したのが友禅染。扇絵師の宮崎友禅は、着物を、より繊細で色鮮やかに大変身させた。そして第三の変革は、19世紀半ば、イギリスで化学染料が発明された時。明治初期、友禅染の名人・広瀬治助が、この化学染料を使い、試行錯誤を繰り返しながら、ついに新たな友禅染を生み出した。以来、安価な着物が...着物の日

  • ハーンが見た盆踊り

    6月3日のブログに「揃うた揃うたよ踊り子が揃うた」という題名で、ラフカディオ・ハーンが、五高教師時代に書いた「知られぬ日本の面影」の中に、ハーンが初めて松江へ向かう途中、伯耆上市で見た盆踊りの風景のことを書いた。ハーンはその盆踊りで唄われる歌詞も紹介している。(原文)Sorotaswoimashitaodorikogasorota,Soroikite,Kitahareyukata.(和訳)揃ふた、揃ひました、踊り子が揃ふた、揃ひ着て来た、晴れ浴衣。歌詞は明らかに「潮来音頭」や「潮来甚句」などで唄われる「揃うた揃うたよ踊り子が揃うた秋の出穂よりよく揃うたションガイー」との関連性がうかがえるが、この唄が何という曲名なのかわからないのでそのうち調べてみようと思っていた。以来そのことをすっかり忘れていたのだが、先...ハーンが見た盆踊り

  • 泰勝寺跡にて

    今日は所用で子飼へ出かけたが、帰りは車が混まない立田山の方へ回って帰ることにした。立田自然公園(泰勝寺跡)の前まで来るとやっぱり素通りは出来ず四つ御廟をお詣りして帰ることにした。いつものようにまず肥後細川家初代藤孝公と夫人の御廟をお詣りした後、忠興公と玉(ガラシャ)夫人の御廟をお詣りするのだが、ここまで来るといつも思い出すのが、忠興公が朝鮮出兵にあたって夫人に送った歌とガラシャ夫人の返歌のことである。忠興公の歌は「なびくなよわがませがきのおみなえしあらぬかたよりかぜはふくとも」これに対するガラシャ夫人の返歌が「なびくまじわがませがきのおみなえしあらぬかたよりかぜはふくとも」これは、忠興公が美貌のガラシャ夫人を籬で囲った女郎花にたとえ、自分の留守中にあらぬかた(太閤の暗喩)からの誘いがあってもけっして乗って...泰勝寺跡にて

  • 熊本と福井の関係

    このところNHK「ブラタモリ」は福井づいている。すなわちセレクション「福井〜福井のルーツは“消えた都市”にあり!?〜」(11/2)「敦賀〜すべての道は敦賀に通ず?〜」(11/4)「鯖街道・京都へ〜鯖街道は何を運んだ?〜」(11/11)福井市は熊本市の国内唯一の姉妹都市である。姉妹都市となったのは、経済や産業面での共通点もさることながら、1840年に肥後熊本藩10代藩主・細川斉護公の三女である勇(いさ)姫が、越前福井藩主・松平春嶽公へ輿入れし、姻戚関係になったことや、熊本藩士で儒学者の横井小楠が福井藩に招聘されて藩政改革にあたるなど深い歴史的関係があったことが大きな要因になったようだ。2014年10月には熊本城二の丸広場で開催された「秋のくまもとお城まつり」で「熊本市・福井市姉妹都市締結20周年記念イベント...熊本と福井の関係

  • YouTubeの話題二つ

    いつから始まったのか、YouTubeマイチャンネルのホーム中段に「おすすめ」というエリアができていて、投稿動画のうち24本が紹介されている。ここにリストアップする基準があるらしく順番は常に変動している。必ずしも僕が今「おすすめ」したい動画とは一致しないがしばらく様子を見てみよう。【マイチャンネルのホーム画面】NHK熊本ローカルの平日夕方ニュース情報番組「クマロク!」では今週火曜日から3日続けて、秋深まる五木村を現地で取材した。最終日の今日は「五木の子守唄保存会」の淀川つるよさんが唄う正調「五木の子守唄」が披露された。戦後、レコード発売された「五木の子守唄」とは趣を異にする伝承唄が心に沁みた。この正調「五木の子守唄」は下の動画の中でも藤本喜代則さんによって唄われています。2011.4.30熊本城本丸御殿春の...YouTubeの話題二つ

  • 谷汲観音と夢野久作

    昨日のブログ記事「谷汲観音様のはなし。」にT様から興味深いコメントをいただいた。コメントの中に「夢野久作の『押絵の奇蹟』を思い出しながら生身の人間よりもなまめかしいだろう生人形「谷汲観音」を想像しました。」という一節があった。これを読んだ瞬間「ん?」と理解できなかった。夢野久作というのは大正・昭和期の作家で、名前は、祖母がよく「夢野久作のごたる話」という表現を使っていたので子供の頃から知っていた。非現実的な話というニュアンスで祖母は使っていたと思う。彼の作品を手に取ったこともあったが、その怪奇性みたいなものが肌に合わなかった。コメントに書かれた「押絵の奇蹟」というタイトルは記憶にあったが、おそらく読んでいないと思う。そこで青空文庫で斜め読みしてみた。演奏中、喀血して倒れた美貌のピアニストが、自身の命が長く...谷汲観音と夢野久作

  • 谷汲観音様のはなし。

    浄国寺(熊本市北区高平2丁目)の寺宝「谷汲観音」様をしばらく拝観していない。近々お伺いするつもりだが、これまで「谷汲観音」様については何度もブログネタにさせてもらった。その中から主なものをピックアップしてこれまでの経緯を整理してみた。2010年10月21日NHK-BS2にチャンネルを回したら、「男前列伝」という番組の再放送をやっていた。俳優の山本耕史が熊本を訪れて、江戸末期から明治初期にかけて活躍した熊本出身の活人形師・松本喜三郎の作品についてリポートしていた。山本耕史が特に心を動かされたという「谷汲観音像(たにくみかんのんぞう)」。たしかにテレビ画面を通じても不思議なオーラを放っている。いったいこの観音像はどこにあるのかと見ていると、なんと僕が週2、3回はその前を通っている浄国寺というお寺だった。現存す...谷汲観音様のはなし。

  • YouTube歴15年

    YouTubeへ投稿し始めてもうやがて15年になる。現在まで、公開・未公開合せて810本投稿しているが、この間にはいろんな思い出がある。なかでもYouTubeを始めて1年後の「少女舞踊団ザ・わらべ(現舞踊団花童)」との出逢いが大きかった。彼女たちの存在を広く知らしめたいとの思いがYouTubeを続ける原動力になったことは間違いない。熊本城築城四百年記念事業として1999年から始まった本丸御殿の復元工事は2007年に完成した。翌2008年4月から一般公開が始まったが、当初は制約が多く腫れ物に触るような公開だった。それが2010年に入り、さらなる観光振興のため、大広間で伝統芸能を中心としたイベントが行われるようになった。2010年から2016年の熊本地震で本丸御殿が閉鎖されるまで、「春の宴」や「秋夜の宴」など...YouTube歴15年

  • 想い出の家族旅行

    母の卒寿を祝おうと、母とわが兄弟姉妹4組の夫婦連れで、人吉~五木村~五家荘を旅してからやがて12年。旅行好きだった亡父が特に好きだった県南を巡ってみようと思い立っての家族旅行だった。12年の歳月が流れ、今年101歳を迎えた母は、幸い何とか生きながらえているが、一緒に旅した義兄(姉婿)と弟は既に鬼籍に入った。僕を含め残った兄弟姉妹もみな健康面で問題を抱えており、家族旅行の再現は難しそうだ。毎年この時季になると決まってこの旅行のことを懐かしく思い出している。青井阿蘇神社に参拝小雨の中、樅木の吊橋を渡って五家荘へ向かう宿泊でお世話になった人吉旅館の女将さんと娘の嘉恵さん嘉恵さんは当時「少女舞踊団ザ・わらべ」に所属していた。(真ん中が嘉恵さん)想い出の家族旅行

  • 鏑流馬の伝統を次代へつなぐ

    今日は「秋のくまもとお城まつり」恒例の「武田流騎射流鏑馬」が熊本城二の丸広場で行われ、日中は27℃という夏日にもかかわらず、連休初日とあって最近二の丸広場では見たことがない大勢の観衆がつめかけ、約1100年の歴史を有し熊本県重要無形文化財でもある「武田流騎射流鏑馬」の迫力に歓声を上げていた。古武道である騎射流鏑馬にも女性入門者が増えてきたと見え、今回の射手7名のうち2名が女性射手だった。1100年の歴史を次代へつなぐ一端を女性が担っていくのかもしれない。武田流騎射流鏑馬宗家・竹原家14代師範の騎射増えつつある女性射手鏑流馬の伝統を次代へつなぐ

  • 北前船が運んだもの ~しげさ節~

    先週、夏目漱石内坪井旧居で行われた「舞踊団花童公演」の演目18曲のうち、唯一初見だったのが島根県隠岐の島の民謡「しげさ節」だった。テレビやYouTubeでは視聴していたが、最近、花童の演目になったと聞いていたので今回は最も楽しみにしていた。この「しげさ節」の元唄は、新潟県柏崎市地方の盆踊唄・座敷唄の「三階節」だといわれている。隠岐の島も柏崎も北前船の寄港地だったので船乗りたちによって伝えられたともいわれている。しかし、「しげさ」(出家さんがなまったもの)という言葉が「三階節」の原歌にも謡われているので、逆に隠岐の島の「しげさ節」が柏崎に伝わって「三階節」になったのではという説もあるらしい。ただ、「しげさ」という言葉は柏崎の古い民話に出てくるらしいのでやっぱり「三階節」が元唄のような気がする。いずれにしろ民...北前船が運んだもの~しげさ節~

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