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徒然なか話 https://blog.goo.ne.jp/np4626/

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴りです!

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2009/09/19

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  • 久留米絣とそろばん踊り

    先週だったか、テレビの「水戸黄門」シリーズを見ていたら、久留米が舞台で、黄門様が久留米絣の藍染めの仕事場を見に出かけるという話だった。誤って藍のカメに落ちて青く染まった犬が物語のカギになっていつもの勧善懲悪の物語が進行するのだが、水戸黄門といえば江戸時代前期の人。久留米絣の歴史が始まったのは江戸後期といわれているので時代が合わない。まぁ水戸黄門シリーズにはこの類のズレはよくあるななどと思いながら見ていると、もうやがて「久留米そろばん総踊り」の季節になることを思い出した。久留米最大の夏祭り「水の祭典久留米まつり」の中のイベントなのだが、幼稚園時代の孫娘がパレードに参加したこともある。今年はコロナの枷も解けたので盛大に行われることだろう。▼久留米絣の織りの機音を模した「久留米そろばん踊り」2015.4.25熊...久留米絣とそろばん踊り

  • 草木塔(ソウモクトウ)

    今日放送されたNHK「ニッポンの里山ふるさとの絶景に出会う旅」は草木の供養塔がある美しい里山、山形県飯豊町を紹介した。ここには人々が昔から利用してきた草や木を供養する草木塔と呼ばれる石碑が今も残る。飯豊町の北に位置する同じ置賜地方の白鷹町の史料によれば、草木塔は全国で160基が確認され、9割が山形県内に分布し、特に置賜地方に集中して存在する独特な石造文化財であるという。この地方に草木塔が数多く建立された背景のひとつは、米沢藩の江戸屋敷が江戸中期に大火に見舞われ、米沢藩では藩邸再建のため、大量の木材を切り出し、江戸まで搬送したことがあるという。川辺まで木を運搬し、川の流れを利用して搬送する危険な仕事に従事した木流し衆の安全を願って建立され、木流しの拠点に沿って建立されたという。「草木塔」と聞くと自由律俳句の...草木塔(ソウモクトウ)

  • 老ドクターと思い出の歌

    今頃の季節になると決まって思い出すのは53年前の7月下旬、ブリヂストンに転職し横浜市戸塚の横浜工場へ半年の新人研修に行った時のこと。多くの方々にお世話になったが、なかでも横浜工場診療所の所長を務めておられた酒井先生には、僕が人事労務に配置されて仕事のつながりがあったこともあって、永年にわたってお世話になった。先生が亡くなられて8年経つが、先生のことを思い出すと必ず頭に浮かぶ歌がある。僕が東京本社に勤務していた80年代後半、先生のところへ仕事でお伺いすると必ず、終業後は横浜の街へ繰り出すのがお決まりだった。ある時、何軒か回った後、カラオケバーに行った。そこで先生は病院に出入りしている製薬会社のプロパーさんを呼び出した。呼び出したわけはその若い男性プロパーさんはプロ並みに歌が上手い人で、先生は僕にそれを聞かせ...老ドクターと思い出の歌

  • オエ コモ バ(Oye Como Va)

    今日は息子が運転免許更新をしに菊陽町の運転免許センターへ行くというので、少し早めの昼飯を食べて車で送ることにした。じっとしていても汗がにじんでくるような暑さに「参ったな~」と思っていると、テレビで「空港ピアノ~オーストラリア・ブリスベン」を放送していて、フランス人のバンドが「オエコモバ」を演奏していた。70年代初めにサンタナでヒットしたあの曲である。ノリの良いサウンドを聞いていると少し元気が湧いてきた気がした。運転免許センターでは息子の更新が済むまで2時間以上を要すると思われたので、運転免許センターから少し北に行ったところを流れる「馬場楠井手」にかかる「井口眼鏡橋」を見に行った。以前何度か見に来たことがある。この井手は「ブラタモリ水の国熊本編」でも紹介された「鼻ぐり井手」から流れてきている。ついでに「鼻ぐ...オエコモバ(OyeComoVa)

  • 東雲節(修整版)

    4年ほど前にYouTubeに「東雲節(しののめぶし)」をアップした。音源は戦前に録音された端唄名人・藤本二三吉さんの唄なのだが、2番の歌詞が聴き取れず、歌詞を探したものの結局見つからなかったのでやむなく1番のみ字幕を入れた。つい先日、ひょっとして江戸端唄・俗曲師範の笹木美きえさんならご存じかもしれないと思いつき、おたずねしてみた。笹木さんも初めて聴く歌詞だったそうだが、何とか解読していただいたので2番の歌詞も字幕を付けて再アップした。ちなみに「東雲節」は元歌となった端唄をもとに数多の歌詞が作られ歌われているという。熊本県大百科事典には次のように紹介されている。熊本とかかわりのある民謡で、のちにストライキ節となって流行する。本来は端唄の一種で、元歌の〽なにをくよくよ川端柳こがるるなんとしょ水の流れを見てくら...東雲節(修整版)

  • 「ツル」という地名

    地名の中にはその由来を調べてみたいなと思う地名が時々出て来る。熊本市北部の湧水地「八景水谷(はけのみや)」はその昔「ハケ」と呼ばれていた崖が語源であることをブログネタにしたことがある。今回は日本各地にある「ツル」という地名を取り上げてみた。「ツル」も「ハケ」と同じくまだ文字が無かった頃の古代日本語だと思われるが、「ふるさと寺子屋」の熊本地名研究会事務局長・高濱幸敏氏講話録には次のように記されている。――ツルという地名は、県内に小字で748もある。民俗学の創始者、柳田國男は、日本人の祖先は川をだんだんさかのぼり、住みよい場所を見つけて定住していったと言っている。川の蛇行した所は洪水のときに平地をつくる。うしろは山手になっていて、水はけがよく、薪にも事欠かない。ツルはこんな場所のことだと思える。砥用町には、緑...「ツル」という地名

  • 水球ボールの違い

    今、福岡で世界水泳選手権をやっている。水球もやっているが特に見に行こうというつもりもない。来月に入ると熊本で世界マスターズ水球が行われるので1試合ぐらいは見ておこうかなと思っている。先日テレビで世界水泳・水球予選リーグの日本対ハンガリーと日本対アルゼンチンのダイジェストを見た。試合内容・結果ともに「こんなもんだろうなぁ」という感じで特に驚くようなこともなかった。僕らの時代は1964年の東京オリンピックの前後だから、試合時間だとかバイオレーションだとかいくつかルールも変わっているが基礎技術は何も変わっていない。ちょっとうらやましく感じたのは使用するボールのこと。現在の使用球はまだ触ったことはないが、いかにも扱いやすい感じがする。耐水性を強化した特殊ゴムで出来ているらしいが、僕らの頃の牛のなめし革を張ったボー...水球ボールの違い

  • 8年ぶりの頓写会賑わう

    昨夜行われた本妙寺頓写会は、参道の露店出店が復活し、8年ぶりの人出で賑わった。仁王門を上ったところに古くからある仏具店の高齢の女将が木製長椅子に腰かけて店先を通る人の流れを眺めていた。「8年ぶりですね」と声を掛けてみた。「そうですね。前より多いようです」と言う。仁王門から胸突雁木までの桜馬場は人で溢れ、なかなか前に進めない。蒸し暑さの中をやっとの思いで大本堂の前まで来ると体中から汗がにじみ出すのを感じる。大本堂前で写経を納める行列が出発するのを待ち、行列を見送った後、浄池廟拝殿前の混雑を考え、大本堂の前と胸突雁木の下で参拝し、浄池廟参拝は日を改めることにした。帰り道、京町台への榎坂を上っていると、うしろからカツカツと靴の音を響かせながら中年女性が駆け上って来た。振り返ると「暗くて怖いので」と息を弾ませてい...8年ぶりの頓写会賑わう

  • ブラタモリ山形編

    今夜のブラタモリは山形編。「山形は何度も生まれ変わる?」をテーマに山形の変遷の歴史をたどった。最上義光に始まる山形藩のお気の毒な歴史はさておき、山形といえばサクランボ。那須にいた頃、上山や天童にサクランボ狩りに来たことはあったが、山形市内には行ったことがない。栃木県の那須に住んだことのある一人として興味深かったのはやはり山形県令を務めた三島通庸(みしまみちつね)のこと。元薩摩藩士で、山形県令の後に栃木県令も歴任しており、那須野が原の開拓や那須疎水の開削など数々の功績を残している。その三島通庸の山形における功績の一つがサクランボ栽培の導入だったことは初めて知った。山形へ一層親しみが増した。また三島通庸の息子、三島弥彦は日本が初めてオリンピックに参加した1912年のストックホルム大会に短距離選手としてマラソン...ブラタモリ山形編

  • 南阿蘇鉄道の全線復旧

    7年前の熊本地震で甚大な被害を受けた南阿蘇鉄道が全線復旧し、15日、運転が再開された。南阿蘇村復興への重要なマイルストーンとなるだろう。思えば南阿蘇村は今から55年前、僕が社会人としての第一歩を踏み出した懐かしい村。トラックディーラーに就職した僕が最初に担当したテリトリーが南阿蘇村(当時は長陽村、白水村、久木野村に分かれていた)だった。熊本地震で崩落した阿蘇大橋も当時はまだ架かっておらず、立野から渓谷へ下って戸下温泉を通り、戸下の七曲がりを連日登ったものだ。高森へと続く道はまだ舗装もされていなかった。多くの人々との出会いもあり、濃密な思い出が残っている。中松駅の近くの建設業のオヤジは古いユーザーだったが有名な頑固者。初対面の時から挨拶をしても会釈も返さず、度々訪問したが、ほとんど会話らしい会話はなかった。...南阿蘇鉄道の全線復旧

  • 頓写会 8年ぶりの賑わい戻るか!

    熊本夏の風物詩「頓写会」に、8年ぶりに露店の出店が解禁されます。加藤清正公の御逮夜である7月23日(日)、菩提寺である熊本市西区花園の本妙寺で「頓写会」が開かれます。熊本地震で被災した仁王門の修復が昨年完了し、参道に8年前までの賑わいが戻ってきます。▼8年前までの頓写会の風景参道沿いに出店が立ち並び、日暮れとともに人出が多くなりはじめます。仁王門の階段から振り返るとこんな景色が見えます。仁王門下も徐々に進みづらくなってきます。仁王門へ上る階段もこの混みようです。本妙寺大本堂には献灯がぎっしりと並べられます。浄池廟を目指し人々は胸突雁木を上って行きます。浄池廟本殿の前でお参りをします。御宿廣嶋屋もこの混みようです。頓写会8年ぶりの賑わい戻るか!

  • コンチキチン

    日本三大祭の一つ、京都の祇園祭が現在開催中とあってテレビでも祇園祭関連の番組が多い。昨夜はBSプレミアムで「CoreKyoto祇園後祭山鉾巡行~誇りをかける古都の町衆~」という番組を放送していた。祇園祭をささえる町衆にスポットを当てていたが、なかでも興味深かったのは祇園囃子を奏でる太鼓・鉦・笛のうち、もっとも祇園祭を象徴する鉦(別名コンチキチン)を作る職人の話だった。鉦は金属製の打楽器で皿のような形をしている。もともとは仏具で、中世の念仏踊りなどで使われていたそうだが、阿国歌舞伎の念仏踊りで使われるなど次第に芸能のお囃子で使われるようになったといわれる。鉦はまず円形の鋳型を作り、そこに溶かした銅と錫を流し込んで作る。金属が冷え固まった後、鋳型を外し、表面を滑らかに削って完成となる。非常に繊細な作業を要し、...コンチキチン

  • 暑中お見舞い

    暑中お見舞い申しあげます。熊本も連日の猛暑日でげんなりとしておりますが皆さまいかがお過ごしでしょうか。多少なりとも涼気を感じていただけますような画像を並べてみました。もうしばらくは厳しい気候が続くと思われますがどうぞご自愛くださいますよう願いあげます。徒然なか話筆者敬白▼涼風吹き渡る菊池渓谷の淵▼GIFアニメーションから暑中お見舞い

  • 三番叟?のような…

    明治中期から昭和初期までの40年間にわたり、日本と日本人をこよなく愛し、その姿を撮り続けたバートン・ホームズというアメリカ人の映像作家がいる。彼が遺した映像は日本の民俗史料として大変貴重なものだ。下の映像もその一つで、1920年代と記されているので大正9年(1920)から昭和4年(1929)までの間に撮影された映像で、まだ子供と思しき二人の芸妓が一人は大鼓と小鼓、もう一人は太鼓を、大人の芸妓たちの三味線、箏、笛、胡弓などと一緒に演奏したり、その後、衣装を着替えて舞を披露したりしている。残念ながらサイレント・ムービーなので曲もわからないし、英語のキャプションにも演目や場所などについての記述はない。10年ほど前にこの映像を初めて見て、演奏している曲、舞っている曲が何なのか調べたいと思った。しかし、この映像につ...三番叟?のような…

  • 舟運が活躍した時代

    昨夜放送されたNHK「ブラタモリ~行田編~」では、「埼玉古墳群」で知られる行田はかつて利根川と荒川の支流が縦横に走っており、資材の運搬には便利だったのではないかという話があった。今では考えられないほど舟運が物流の主役として活躍したことは全国、もちろんわが熊本も同様だったわけである。しかし、動力がなかった時代、川は下りだけではないわけで舟運には苦労も多かったと思われる。そんな時代のエピソードがいくつも残っている。大代寅次郎さんの画集「水絵にのこす山鹿」(熊日新聞社刊)には、山鹿の明治、大正、昭和の風景が描かれているが、そのなかの一つが「菊池川筋」の「大舟橋場近し」と題する下の絵。添えられた説明には次のように書かれている。――山鹿に集積された肥後米は、大橋際の米出し場から舟に積まれ、川を下り、高瀬から海路大阪...舟運が活躍した時代

  • 茶室仰松軒と四つ御廟

    お盆の墓参りは昨日済ませたが、今日は所用のついでに立田山麓の泰勝寺跡(立田自然公園)に立ち寄って肥後細川家の墓所「四つ御廟」にお参りに行った。入門受付で「今日は生け花の個展をやってますよ!」という案内があったので、まずは「茶室仰松軒」へ向かった。まだ他には誰も来ていなかったので、昨年も一度お会いしたことがある花芸安達流の内山先生に作品それぞれについてご説明いただいた。僕の後に5,6人の方が来られたが、皆さん「茶室仰松軒」の中に入って観覧するのは初めてだったようで興味津々「今日はラッキーだった!」と喜んでおられた。一人の年配男性の方が「ガラシャ廟」の場所を内山先生に尋ねておられたので「私も今から行きますのでご案内します」と言って連れて行った。その方は「ガラシャ廟」だけが目的だったようだ。ところで明後日は42...茶室仰松軒と四つ御廟

  • 百貫の港とハーンの長崎行

    今日、玉名に行った帰り道は海沿いの国道501号線を帰ることにした。この道の愉しみの一つが、百貫港灯台の近くに車を停め、ボンヤリと海を眺めながらひと時を過ごすことだ。晴れた日には有明海の向こうに雲仙がきれいに見えるのだが今日はあいにく霞んでいて見えなかった。この景色を眺めているといつも必ず思い出すのが、ここから船で長崎を目指したラフカディオ・ハーンのことである。明治26年(1893)の7月、ハーンは百貫港から小舟で出港、沖合で蒸気船に乗り換えて長崎へ向かうつもりだったが、この蒸気船がなかなか来ない。7月下旬の舟上は相当暑かったに違いない。散々待たされてやっとの思いで長崎に渡った。ところが長崎のあまりの暑さにほうほうの体で帰ってくる羽目になる。しかしこの後、三角港で「夏の日の夢(THEDREAMOFASUMM...百貫の港とハーンの長崎行

  • 新日本風土記「うたう九州 長崎、佐賀、熊本の旅」

    来週7月18日(火)午後9:00からBSプレミアムで新日本風土記「うたう九州長崎、佐賀、熊本の旅」が放送される。新日本風土記は大好きな番組で、朝崎郁恵が歌うテーマ曲の「あはがり」や語りの松たか子などもいい。今回は熊本を含む九州3県のうたにスポットが当てられているようで楽しみだ。曲目は発表されていないので予想される熊本関係のうたを並べてみた。▼NHKの概要説明民謡、わらべ歌、歌謡曲、Jポップまで九州は「うた」の宝庫。異国情緒漂う長崎では「長崎は今日も雨だった」など数々のご当地ソングが生まれ、地元さだまさしの名曲に熱い思いを寄せる人々も。佐賀県からは、玄界灘でのクジラ漁黄金時代を伝える「鯨骨切り唄」。「五木の子守唄」や「おてもやん」など民謡が有名な熊本では、西南戦争の激戦を歌う「田原坂」が今も小中学校で歌い継...新日本風土記「うたう九州長崎、佐賀、熊本の旅」

  • 人間五十年、下天の内をくらぶれば

    福岡県みやま市の大江幸若舞「敦盛」の映像をYouTubeにアップして8年が過ぎ、これまで多くの方々に見ていただいた。その間ご質問をいただいたことも何度かある。最近では「幸若舞」に関するブログなどもよく見かけるようになったが、そんな中に「オヤ?」と思う解説も散見される。その一つが、信長もこれを謡いながら舞ったと伝えられる「敦盛」の有名な詞章「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」というくだりのことだ。これは「人の世における50年は天上界の中で最も劣っている天でも一日にしかあたらない。夢幻のようなものだ」という意味だと理解しているが、「人間五十年」の読み方について「じんかん」が正しく「にんげん」は誤りという説明をされている方が意外と多い。何か根拠となる史料でもお持ちなのだろうか。下のYouTube映像...人間五十年、下天の内をくらぶれば

  • 出水神社薪能 4年ぶり⁉

    コロナ禍のため、ここ3年中止された出水神社薪能が4年ぶりに開催されます。日時:8月5日(土)18:00~会場:水前寺成趣園能楽殿演目:能「熊坂」(前シテ網谷洋志後シテ田中秀実)能「熊坂」:牛若丸や金売吉次の一行を襲った盗賊熊坂長範が逆に牛若丸に討ちとられる。亡霊となって旅僧の前に現れた熊坂が、牛若丸との大立ち回りを再現、討ちとられた無念さを旅僧に語る。遊水池のほとりを浴衣姿で能楽殿へ向かう能好き女子能「熊坂」の一場面(2013年熊本城薪能より)出水神社薪能4年ぶり⁉

  • そもそも歌舞伎のはじまりは

    下の「歌舞伎のはじまり」という文章は、江戸時代前期の万治年間(1658年~1660年)に、浄土真宗の僧侶で仮名草子作家でもあった浅井了意(あさいりょうい)という人が書いた「東海道名所記」の中に出てくる歌舞伎の草創期についての記述である。この頃は歌舞伎の始祖といわれる出雲阿国も既に世を去っていたと思われるが、阿国と生きた時代が重なる浅井了意が書き残した話だけに、とてもリアリティを感じさせ興味深い。阿国歌舞伎は様々な文献によれば、大別すると「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれ、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていない。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、小歌と四拍子(笛・小鼓・大鼓・...そもそも歌舞伎のはじまりは

  • 宇土櫓の勇姿を見られるのもあと・・・

    熊本城宇土櫓を解体するに当たり、雨風から部材を守るため、櫓の周辺に鉄骨の素屋根を組み立てる工事が進行中です。秋には宇土櫓は素屋根で覆い隠され見えなくなります。その後解体工事が始まりますが、解体の完了は2025年末が予定されています。宇土櫓の再建工事が完了するのは約10年後といわれています。素屋根の組み立てが進みますと宇土櫓の姿は見られなくなりますので、再び宇土櫓がその姿を現すまで10年待たなければなりません。ぜひ解体前の今の姿をご覧になることをおすすめします。鉄骨の素屋根を組み立てて櫓を覆う工事が進行中宇土櫓の勇姿を見られるのもあと・・・

  • 南西は海雲漫々として万古心のうちなり

    玉名からの帰り、河内から山越えのルートを通る場合、時々、岩殿山山頂の黒岩から有明海とその向こうの雲仙岳を望むことがある。そんな時、必ず思い出すのが次の一節。これは謡曲「檜垣」の冒頭、ワキの僧による名のりの一節である。僧は自らが参籠する岩戸山(岩殿山)周辺の風景を「この上なくすばらしい絶景であり、南西方向に見える海面も天空もひろびろとしてはてもなく、往古の趣きをそのまま心に味わうことができる。」と言っているのである。これは世阿弥の創作なのだが、僕が初めてこの地に立った時、まるで世阿弥がこの地に立って謡ったかのように感じられ鳥肌が立つのを覚えた。実際には世阿弥が「檜垣」を捜索したのは佐渡に流された後らしいのでここへ来るはずもないのだが。謡曲「檜垣」にはその他にもこの部分が、戦国武将鹿子木寂心の作、いやもっと古...南西は海雲漫々として万古心のうちなり

  • なすとかぼちゃ

    花童サポーター友のNさんから獲れたての茄子をたくさんいただいた。ありがたいことだ。茄子と言えばつい先日は、高校時代からの水泳仲間のFさんから獲れたてのかぼちゃをいただいた。いずれも夏野菜の代表。旬のものをいただけるのは実にありがたい。「茄子とかぼちゃ」とくればつい口をついて出るのが「背戸のなぁ…」という俗謡「なすとかぼちゃ」の唄い出し。この唄について江戸端唄・俗曲師範の笹木美きえさんのサイトには次のように解説されている。「茄子と南瓜」幕末より唄い出され、お座敷や寄席でも踊られた。大正まで流行が続き、立花家橘之助が♪奥州・・・から甚句形式を加えた賑やかな"浮世節"で唄うようになった。浮世節(うきよぶし)というのは、女流音曲師・立花家橘之助が明治中期に始めた三味線音楽のことで、流派の名前でもあるらしい。先日、...なすとかぼちゃ

  • 邪馬台国どこに

    今夜のNHK「クローズアップ現代」は「邪馬台国はどこに」と題して、先月、新たな石棺墓が発掘された佐賀県吉野ヶ里遺跡の話題を取り上げた。今のところは副葬品などは発見されず、石棺に赤い顔料が塗られていた痕があり、身分の高い人の墓であることが推測されるという程度なので「邪馬台国」云々はまだ早過ぎると思うが、これから続く「謎のエリア」の発掘が楽しみではある。思えば、佐賀県吉野ヶ里町に、弥生時代の大規模な遺跡が発見されたのは、1989年の2月だった。発見翌日のNHKは朝7時のニュースワイドで「女王卑弥呼の住まいか・・・」というセンセーショナルなアナウンスが流れたのを今でもよく憶えている。僕にとって思い出深いのは、大規模遺跡発見フィーバーも冷めやらぬ翌年の夏、吉野ヶ里からほど近い佐賀県の鳥栖工場に転勤したからである。...邪馬台国どこに

  • 2023年上半期動画視聴ベスト10

    YouTubeマイチャンネルの「2023年上半期動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。1位の「伊勢音頭」はいわば民謡の王様みたいなものですから常に上位にランクされるのは当然と言えば当然と言えるでしょう。数多ある「伊勢音頭」の歌詞の中でも有名なものに「伊勢へ七度熊野へ三度愛宕様へは月参り」というのがあります。信心深さを賛美したり自慢したりするときのたとえですが、その起源は、出雲阿国が慶長年間に始めたという「かぶき踊」の演目として有名な「茶屋遊び」の「茶屋のおかかに末代添はば伊勢へ七度熊野へ十三度愛宕様へは月参り」という歌詞がもとになったのではないかといわれています。かつて僕が住んでいた近江地方には多賀大社というイザナギ・イザナミを祭神とした近江随一の大社があり、「伊勢にゃ七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月...2023年上半期動画視聴ベスト10

  • 第28回くまもと全国邦楽コンクール

    今日は朝から熊本市民会館へ「第28回くまもと全国邦楽コンクール」を見に行く。このコンクールは2011年から見始めた。1年延期と1年無観客があったので見るのは今回が11回目になる。今回は5人の審査員席より前の席が立入り出来なくなっていたので演奏者を遠くからしか見られずちょっと残念。それはさておき、今回嬉しかったのは筝曲部門の中島裕康さんが最優秀賞に選ばれたこと。実は随分前から個人的な「推し」で、何度かこのブログでも紹介したことがある。そのうち6年前の記事がこれ。(第23回くまもと全国邦楽コンクール)彼の受賞でなぜかホッとした。最優秀賞に選ばれた筝曲部門の中島裕康さん▼第28回くまもと全国邦楽コンクール結果第28回くまもと全国邦楽コンクール

  • 文月朔日、もうすぐ七夕

    今日から七月。雨の中、例月のとおり午前中に藤崎八旛宮で朔日詣りを済ませた。午後には雨が止んだので、ここ数日やめていた散歩に出かけた。上通では「竹の日フェスタ」というイベントをやっていた。毎年7月に七夕にちなんだイベントとして15年前から始まったらしく、また7月7日が「竹の日」であることから、願いごとを書いた短冊を竹に結び付けるコーナーがあったり、竹製品の展示や竹を使ったものづくりをするコーナーなどがあった。七月は和風月名で言うと「文月(ふづき)」。その由来は七夕や短冊などにあるといわれているので、まさにこの時季にふさわしいイベントと言えよう。願いごとを書いた短冊を竹に結び付ける子どもたち〽織姫と彦星の天の川での七夕の逢瀬を唄った「もみじの橋」2019.10.9Tsuruyaサテライトスタジオ祇園東叶久さん文月朔日、もうすぐ七夕

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