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マラナ・タ https://blog.goo.ne.jp/malanata

私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

ハレルヤおじさん
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垂水区
出身
姫路市
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2009/07/20

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  • 神の命の中で

    「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」口語訳聖書「このように、人間は、天地を造った神様に似た者として造られました。」リビングバイブル創世記1章27節神はご自分の創造物の最後に、ご自分に似せて、ご自分のかたちに人を造られました。神が自然界の全てを支配されているように、人にその支配を任せて、人の支配を通して自然を支配するようにお定めになりました。「ご自分のかたちに」と強調されています。ここで神は「創造された」という言葉を繰り返されています。三度も繰り返しています。これが神の最高傑作品だからです。動物と同じように被造物であるにも関わらず、神に似せて造られたのです。こんなすごいことはありません。この事実だけでも、私たちが今、ここで生きているということが神...神の命の中で

  • 信仰とは

    「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」へブル11章1節「信仰」とは、自分が願っているものを何回も自分の心に言い聞かせて、それがかなえられることを神に押し付けることではありません。そうではなく、神が言われたこと、また神が願っておられることを、そのまま自分の心に受け入れて、なんの疑問も提示せず「しかり」と納得し、確信することなのです。神が言われることが、「そのとおりである」と受け入れることが信仰であり、信仰の結果、その目に見えないことが自分の中で体験されていることになります。その目を閉じて、神の御手の内に一切を、素直に喜んで委ねるなら、これは最高、最善の信仰です。それは神がなぜ其々の働きをなされるのかを知ろうとはしません。理性と、感覚、体験には、怒りと不正以外の何物し...信仰とは

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