chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
おやじのつぼ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2009/04/07

arrow_drop_down
  • 千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

    9月28日(土)晴れ。「東金御成街道」歩き。今日で、終着地までの予定。というのも、歩くコースには、路線バスはなく、コミュニティバスがあるのみ。当然、鉄道はなし。「東金」駅まで行かなければ・・・、と。(9:22)前回の「御成台1丁目」交差点まで戻って、再開。東に向かいます。いきなり急坂。けっこうなアップダウン。車道が急に狭くなり、車が坂道をすごい勢いで下り、そして上ってきます。冷や冷やしながらの歩き。右手は公園、池も見えます。やっと道幅も広くなって一安心。と、後ろを振り向くと、「ちょうちん塚」が。直線の道をつくるために、昼間は白旗、夜は提灯を目印として、小高い場所に掲げたといわれていて、その目印となった場所が、その後、一里塚となったようです。道路の向い側にも同様の塚があったようですが、現在はもう残っていません。そ...千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)

  • JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

    開発が進む中、まだまだ緑が残っています。「御菓子司麻布菊園」。「麻布」という地名と「菊園」という屋号のいわれは?屋号菊園のいわれ先代菊園店主は、加賀百万石の城下より身をおこし、大正・昭和の御代を通じ宮中に於いて和菓子を以って御奉仕してまいりました。宮中御儀式及び両陛下宮様方御日常の御菓子をはじめ宮中の秘菓名菓を誠心込めて謹製し、昭和三十年、長い宮中奉仕の大任を終えました。その際、菊の園生の愈々栄えまさんことを願い、故入江相政侍従長より『菊園』との屋号を戴き、現在に至ります。予約が多く、生産がまにあわないほどの人気お菓子。(この項、「」HPより)けっこう車がやってきます。なかなか繁盛しているようす。台風の影響で竹もやられています。こちらの森も。「若松町」交差点手前に、旧道。「佐倉街道古道」。「国道51号線」との交...JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

  • JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

    ここを右に曲がった道が旧道の名残。○が鎌池交差点。この少し西から街道が復活。左下に「都賀」駅。(「今昔マップ」より)前回、当初は「千城台」駅まで歩く予定でしたが、途中でリタイア。次回の歩きを考えると、当初の予定のところまで行った方が得策。午後から晴れ間も出てきたので。9月15日(日)。晴れ。しかし、台風15号の被害が甚大な千葉県。興味本位ではいけないな、と。歩いていると、県南ほどではないようですが、歩いた沿道の樹木にはそうとう影響があったようす。JR総武本線「都賀」駅下車。線路沿いに北に向かい、「鎌池」交差点まで、約25分。自衛隊駐屯地東側のきわところから、「東金御成街道」が復活します。交差点までのわずかな区間が街道の名残(道幅が当初のまま)。「鎌池」交差点。「御成街道」という表示。このあとも、街道沿いに、この...JR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    (12:34)「犢橋(こてはし)」の宿に向かいます。旧家の大きな屋敷が目立ちます。下って、また上りの坂「油作の坂」。旧道の一部が残っているそうです。お堂の脇の左手の道。御成街道はほぼ直線に造成されたが、このあたりは工事を担当した村と村の接点で、東に向い工事してきた村と西に向かい工事してきた村とが目測を誤り、直線道として結びつかず、互いに主張を譲らなかったために曲がってしまったとか(「坂道散歩」さんのHPより)。以下、「房総史譚」HPより2009年12月25日(金)御成街道の犢橋宿を想う御成街道の「犢橋宿」は、街道沿いに人馬継ぎ立ての業務を行う「問屋場」の他、旅人相手の旅籠屋(渡辺屋・花嶋屋など)・茶屋(新茶屋)・酒屋・駄菓子屋・餅屋・荒物屋など、15軒ほどの店屋がありました。午後になると、華美な着物を着た「宿場...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    (11:05)街道に戻って東に向かいます。街道筋らしい旧家がいくつかあります。「長屋門」風のおうち。街道はまっすぐ延びています。「長作」交差点の角にも立派なお屋敷が。「はばたけ未来へ長作っ子!」創立140周年の小学校。千葉市のマンフォールの絵柄。「大賀ハス」、市の木「ケヤキ」と市の鳥「コアジサシ」を描いたもの。最近、新しいデザインのものができたそうです。「マンフォールカード」より。ちなみに、千葉市の市章は、千葉氏の家紋「月星紋」をモチーフとしているそうです。緩やかにアップダウンを繰り返して進む街道。(11:30)「天戸台」交差点。「四街道」という地名が。12時前ですが、右手にある中華料理店で昼食、休憩。再開。(12:08)右手に椎の大木。御成街道と古木「椎の木」御成街道は、船橋御殿から東金御殿までの10里15町...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    どこまでもまっすぐな街道。右手に「張替酒店」。以下の項は、「」HPより。写真も。・・・4代目店主の張替正信さんに、お話を聞きながら店内を案内してもらいました。張替酒店の創業は1905年(明治38年)で、今年でなんと創業114年になります。この建物は昭和6年に建てられて、今もなお現役で実際に住居としても使っているというのだから驚きです。釘を1本も使わずに組み上げられたそうで、今でも改修などで大工さんが来るとみなさんその技術の高さにビックリすると言います。大久保は現在の日本大学、東邦大学のあった場所に陸軍騎兵旅団の指令本部が置かれており駅前から続く商店街も含めて周辺には御用商人が軒を連ねていました。だから歴史あるお店もいまだに残っていて、張替酒店もその一つ。騎兵出身だった初代の張替一郎さんがお店を立ち上げ、以来終戦...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その2。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

    今回からの街道歩きは、「東金御成街道」。御成街道は1613年12月、徳川家康が東金へ鷹狩りに出かけるために作られた。家康に命令を受けた老中佐倉藩主土井利勝は船橋~東金間約37キロに及ぶ沿線の村々97ヶ所の明主を召集、村ごとに工事区分を分担させ、農民を動員し、昼夜兼行で造ったところから別名「一夜街道」「提灯街道」、また家康の名をとって「権現道」とも呼ばれている。下総台地の分水嶺を西南にほぼ直線につづく御成街道は道幅3間(約5.5m)、両側には松が植えらえ、小川には橋を架け谷間には土手を造り、船橋市本町4丁目、千葉市御殿町、東金市県立東金高校敷地の3ヶ所に宿泊所が建造された。御成街道のように真っ直ぐに造られた街道はとてもめずらしく北海道の一部を除いて他にない。現在の御成街道は造成や開発などで一部寸断されているところ...JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)

  • 葛飾区銭湯めぐり。その10。そのぬくもり。「久の湯」。「吉野湯」。

    ㉓「久の湯」。葛飾区小菅3-11-17何かと気ぜわしい世間とはいささか離れて、今回、久々に銭湯巡りの報告です。台風15号が関東を直撃。我が家も夜中から朝方まで激しい雨風で、猫たちも不安なようすで、鳴き声がしきりに。電車もストップ。千葉などで大きな被害が出たもよう。ようやく静かになった、でもかあッと照り始めた日ざしの元、いつ運行するか分からないまま、自転車でおでかけです。「台風一過」。空気も少しは澄んできたようで、富士山が遠くビルの間から顔をのぞかせています。でも、今日の午後は9月としては記録的な猛暑になる、との予報。36℃。その通り、たしかに暑い!帰りもしんどいものがありました。しかし、陽が落ちると、ひところのような暑さは落ち着いて、銭湯通いも心地よい、ちょうどいい時節になりそう、といっても、残りわずかになった...葛飾区銭湯めぐり。その10。そのぬくもり。「久の湯」。「吉野湯」。

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その7。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    歩道のタイル絵。「県警本部」先にあるのは、「横浜税関」。「解説板」。建物は税関らしく正面を港に向けており、塔はイスラム寺院風のドームをいただき、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。その塔は、「クイーン」の愛称で親しまれている港ヨコハマのシンボル。5階建てのエキゾチックな庁舎には、「ロマネスク」などの西欧建築様式が混在し、それをベージュ色の磁器タイルが優しく覆っています。イスラム寺院を想わせる緑青色のドームは、「クイーンの塔」の愛称で親しまれています。クイーン塔のデータ竣工昭和9年3月設計者吉武東里氏(国会議事堂も設計)と伝えられているが、詳細は不明塔の高さ51メートル横浜税関の「クイーンの塔」、神奈川県庁の「キングの塔」、横浜市開港記念会館の「ジャックの塔」は、横浜三塔と呼ばれ、横浜港のシンボルとして親まれて...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その7。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その6。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    「馬車道」。ガス灯が並ぶ。「近代街路樹発祥の地」。この付近は、文明開化の象徴のような街。「馬車道」の街並み。この先、歴史的建造物や趣のある建物が並んでいます。「関内ホール」前にあるガス灯は日本で最初のガス灯を復元したもの。イギリスからやってきたガス灯たち「英国国会議事堂のガス灯」テムズ川のほとりにそびえる高さ96mの時計塔ビッグ・ベンがシンボルとして立つことで有名な英国国会議事堂は、正式名称をウエストミンスター宮殿といい、1065年エドワード国王によって建設されました。当時の建物は1834年の火災で焼失しましたが、1852年に国会議事堂として再建、ビッグ・ベンもその時に建てられています。このガス灯は、この建物の北西部に立つガス灯と同じものです。1872年(明治5年)日本最初のガス灯が馬車道にともされたことを記念...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その6。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その5。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (13:04)商店街を抜けて、「吉田町」。ここから港にかけての今昔。1880年代のようす。Aが都橋、Bが吉田橋。北東に延びるのは「馬車道」。海側は外国人居留地。現在の横浜球場は、大きな「横浜公園」そこから港に伸びる広い道が「日本大通り」。東波止場:通称「象の鼻」が右上に。また、上方に、日本最初の鉄道の終点(現在の桜木町駅付近)。2010年代のようす。Aが「都橋」、Bが「吉田橋」。大桟橋の左にあるのが「象の鼻」。この付近は、現在、もっと整備され、公園風に。また、「吉田橋」の下は「首都高横羽線」となっている。(13:10)「吉田橋関門跡」碑。安政6年(1859)6月2日、横浜が開港となって交易場、貿易港として栄えるにしたがい、幕府は、開港場の施設の充実にあたり、陸路である東海道からの横浜路を開設するとともに、当時、...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その5。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

  • 相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その4。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

    (12:33)「戸部通り」を進みます。1880年代のようす。すでに西の丘が開けています。そこを「横浜道」は縫うように南下します。2010年代のようす。中央の南北に通じる道が「野毛の切通し」。右手の海はすっかり港と陸との共存地域に。足下には「横浜道」のロゴが。「温故知新のみち」。次第に坂道になります。(12:47)右手は高台。「紅葉坂」は海岸から南西に伸びる坂。近くには開港に合わせて幕府が港の運上や治安、外交などのために設置した神奈川奉行所跡があります。野毛の切通し安政6(1859)年、東海道と開港場を陸路でつなぐ横浜道を通すために野毛の山が切り開かれ、この辺りは野毛の切通しと呼ばれ、直角に曲がって、野毛、吉田橋へと続く道になりました。開港場を目指して全国から集まる人々や物資が行き交い、輸入された様々な文物もまた...相鉄線「鶴ヶ峰」駅~「象の鼻」・「シルクセンター」~みなとみらい線「日本大通り」駅。その4。(「八王子~横浜・絹の道」を歩く。第4日目。)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?

ハンドル名
おやじのつぼさん
ブログタイトル
おやじのつぶやき
フォロー
おやじのつぶやき

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用