chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
だいぢのEasyBassing https://blog.goo.ne.jp/daidi

初めはバス釣行記のブログだったんですけど・・・。 関東を中心に色々と釣りや散策に出掛けています。

旅行ブログ / 関東お出かけスポット

※ランキングに参加していません

だいぢ
フォロー
住所
八代市
出身
戸塚区
ブログ村参加

2009/04/07

arrow_drop_down
  • 熊本大学キャンパスミュージアム企画展 「恐竜化石コラボ展」 (熊本県熊本市)

    今回は、熊本県熊本市にある熊本大学で開催されている熊本大学キャンパスミュージアム企画展「恐竜化石コラボ展―熊本大学による調査・発掘と博物館の立ち上げ―」に行ってみた。熊本大学内で開催された。熊本大学の表門(重要文化財)。通称「赤門」とよばれているようだ。今回の企画展は、九州に広く分布している中生代白亜紀~新生代古第三紀の地層から発掘される恐竜などの化石の研究で、多くの成果を挙げている熊本大学が、2024年3月に熊本県天草市立御所浦白亜紀資料館が「天草市立御所浦恐竜の島博物館」として、また、2025年4月には鹿児島県薩摩川内市にある甑ミュージアム恐竜化石等準備室が「薩摩川内市立甑ミュージアム」としてリニューアルオープンすることが決定したことから、御船町恐竜博物館を含めたゆかりのある3つの自然史系博物館とコラ...熊本大学キャンパスミュージアム企画展「恐竜化石コラボ展」(熊本県熊本市)

  • 娑婆神峠の石畳 (熊本県宇城市)

    年の神古墳を見学した後は、娑婆神峠の石畳(さばがみとうげのいしだたみ)を見に行った。娑婆神峠の石畳は現在の熊本県宇城市の小川町と豊野町をつなぐ、戦国時代に整備された峠道の入口部分に敷かれた石畳である。小川町側。石畳は小川町側と豊野町側の峠道の入口に敷かれている。石畳は土砂に埋もれて良く分からない。解説板によると、娑婆神峠は整備されるまでは人馬でさえ越えるのが難しい峠道であったが、戦国時代の(天正年間1573年~1592年)に鰐瀬(現在の熊本市城南町)の僧であった立善が発願し、住民とともに石畳敷きの峠道を整備したとのことである。豊野町側。小川町側の石畳は県道の改修により現在地に移設保存されているが、豊野町側は当時の位置に敷かれている。また、この峠は、道路であるとともに、位置や険しさなどから、戦国時代には要塞...娑婆神峠の石畳(熊本県宇城市)

  • 年の神古墳 ほか (熊本県宇城市)

    竹崎城を散策した後は、熊本県宇城市松橋町にある市指定史跡「年の神古墳」に行ってみた。年の神古墳は、古墳時代後期の6世紀に築造されたと推定される古墳で、以前は円墳と思われる墳丘が残存していたが、1954年(昭和29年)に隣接する樹木が倒壊し墳丘が失われ、現在は巨石を組み合わせた横穴式石室が露出している。年の神古墳広い田んぼに隣接している。墳丘はなく石室材が露出している。(現地解説板)年の神古墳巨石横穴型古墳で、6世紀以後の後期古墳である。数値はわからないが以前は円形の盛土があったらしく、その傍らには大楠があったが、昭和29年の台風の際にその楠が倒伏し盛土を壊し、初めて石室が現れ、その中に人骨一体分があった。その後倒伏した大楠を整理し又壊れた盛土で整地、人骨は石室の中に埋めその上に板石を置き、更に石造の神(年...年の神古墳ほか(熊本県宇城市)

  • 竹崎城跡 (熊本県宇城市)

    熊本県宇城市にある豊福城跡を散策した後は、近くにある竹崎城跡にも行ってみた。九州自動車道の跨道橋を渡り、山道を登り竹崎浄水場のさらに上に腰曲輪があり解説板が建てられている。竹崎城は宇城市松橋町竹崎にある、標高約75mの丘陵に築かれた山城である。築城に関しては定かではなく、築造年は南北朝時代から室町時代前期頃、築城主は竹崎氏かもしれないとのことである。城域を囲い込むように重なる帯曲輪が多く設けられており、西側谷部の斜面には大小の帯曲輪が約17段重なってる。以前は、地名等から元寇で活躍した竹崎季長の居城跡と考えられていたが、発掘調査によって、元寇の時期から180年ほど後である15世紀頃の出土品が確認され、この城を竹崎季長の居城とする可能性は低くなっているようだ。竹崎季長の居城だと思っていたがその可能性は低いよ...竹崎城跡(熊本県宇城市)

  • 豊福城跡 (熊本県宇城市)

    今回は、熊本県宇城市にある豊福城跡を散策してみた。虎口を抜けると広い平地が広がっており、その奥に主郭部がある。豊福城跡は、宇城市松橋町豊福の国道からほど近い、広い田畑が隣接する住宅地に残る平山城跡である。築造年は定かではないが、建武の中興に貢献した名和義高が八代郡を領した1334年(建武元年)とされ、築城者は名和義高の重臣であり、この地に代官として派遣された内河彦三郎義真と考えられている。草なども刈られており、築城当時から残る地形が良く確認できる。城跡は東西約265m、南北約285mの楕円形状の独立丘陵地にあり周囲は外堀で囲まれており、丘陵地の頂部にある主郭跡は、東西48m、南北26mの長方形状の平地になっている。中世の城郭跡としては保存状態が良いことから、現在は豊福城跡として宇城市の史跡に指定され整備保...豊福城跡(熊本県宇城市)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、だいぢさんをフォローしませんか?

ハンドル名
だいぢさん
ブログタイトル
だいぢのEasyBassing
フォロー
だいぢのEasyBassing

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用