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  • 第90回、敬老会に思う

    去る1月3日、恒例の敬老会が上嘉鉄小学校体育館で盛大に開催されました。今回は第90回という記念すべき年でしたので集落も記念タオルを作って盛り上げていただきました。 敬老会は初敬老の方だけの為だけにあるのではないのですが、やはり主役は初敬老者です。今年は該当者は6名でしたが参加されたのはわずか1名でした。 90回も続いてきた集落の伝統行事、しかも集落民にとっては年始の賀詞交流会も兼ねた意義ある行事。この超多忙な時期に正月早々招待を受けた来賓の方々、主催者である集落役員、青年団そしてさらには祝いの場を盛り上げるため余興の準備や練習に何日も費やしてきた壮年団や婦人会のみなさんのこと..

  • 2010年の初敬老の挨拶です。

    初敬老代表あいさつ 平成22年12月1月3日 前島 ミエ子(上東) 初敬老を代表いたしまして一言ご挨拶を申し上げます。本日は私たちのために心温まる敬老会を催していただきまして誠にありがとうございます。 私たちは昭和16年、ちょうど太平洋戦争勃発の年に生まれました。戦時中の事はよく覚えておりませんが、終戦後の奄美群島は米軍支配下となり、これまで使用していた日本の紙幣が使えなくなってB円に切り替えしていた事だけが今でも記憶にあります。 昭和28年12月25日、奄美群島は祖国日本へ..

  • 巻頭言

    上嘉鉄魂129号 (平成22年4月12日) 西島常吉編集長を中心に毎月定期に発行していた上嘉鉄魂ですが、昨年4月発行の第128号以来編集長の体調不良から休刊しておりました。上嘉鉄魂の塊ともいえる編集長の熱い思いを受け継ぐことができず編集委員一同申し訳なく思っておりましたが、このたび装いも新たに復刊することができました。 とは言っても、編集員が若返った分、働き盛りの40〜50歳代が多い上、公私ともに多忙なため不定期発行となると思います。読者の皆様もあまり期待せずに読んでいただければ幸いです。 これまで同様、地元上嘉鉄からいろんな情報を発信していきたいと思い..

  • 「上嘉鉄魂」第66号より

    ■ 福岡輝一郎氏 町固定資産税審議委員に 固定資産税新議員は固定資産(土地・家屋・機械等)の適正評価を決める機関、固定資産は年数の経過と共に評価が軽減されるので評価の見直しを審議することを主目的とする機関 町長が選任し、議会の議決が必要。 任期は3年、喜界町では各中学校から1名選任される。おめでとうございます。 しっかり頑張ってください。 ■ 生島常範氏 町財政改革推進委員に任命 我が喜界町では他市町村と合併しないで自立の道を選択したので現行の行政改革大綱の見直しを行わざるを得なくなっています。 民間人で組織する喜界町財政改革推進委員..

  • ふるさと Ⅱ・・・秋田 秋貞

    これらの人ばかりでなく、私をはじめ島をはなれて島外に居住している人に共通する。その証に各地で郷友会を結成して互いの親睦と郷愁の念を一つにしている。 かつて私の父は 「どこで暮らしてもよいが、生まれ島は忘れるな」 が口癖で私に対する生遺言でもある。父の一家は、明治33年父16歳の時、土地を処分し種子島に農業移民として島をはなれたという。 父はどうしてか、自分の生い立ちや過去(47,8年)について一切私たち子どもに話さなかった。 父が自分のことについて語るのは、上嘉鉄の駐在所に赴任して来る警察官が警察の先輩として表敬挨拶に来訪する時に語るのみであった。 ..

  • ふるさと Ⅰ

    ふるさと 秋田 秋貞 私は郷里喜界島を「誰が名付けた百之台、眼下に見下ろす海原広く、磯打つ白波島を彩る」と詠んだ。 それは奄美百景の一つである百之台が喜界島の代名詞であろう。狭義の郷里(ふるさと)は、上嘉鉄が私のふるさとである。 いつしか沖縄在住半世紀余、島をはなれたのは、昭和28年5月、大きな夢をふくらませて渡沖した。 「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」・・・と来沖以来、片時も島を忘れることなく郷愁の毎日でした。 そのこころざしは果..

  • 発掘が語る上嘉鉄遺跡 Ⅲ

    上嘉鉄集落の起こりは縄文晩期の頃(2300〜3000年前)には、小字名でマチィチャ・ウックダ・ウフドゥンムの付近一帯の構造改善偉業の際、大型土木機械で表土を掘り起こしたら、大量の土器・石器の破片が出土して関係者を驚かせました。 一時工事を中止する騒ぎにまで発展したが、どのゆな経緯があったか、はっきりしないが工事は続行された。 出土した遺物を数名の興味関心のある方々が採集し保管してあったものを当時の熊本大学の白木原教授が鑑定して「ハンタ遺跡調査報告」にまとめてあります。以来付近一帯を上嘉鉄遺跡と称しています。 それに因ると上嘉鉄遺跡は縄文晩期の遺跡であることが判明してい..

  • 喜界馬のこと

    馬の仔が駆ける広場や金久原(はにくばる) 馬飼うも一家の力蕃蔗(はんすう)植う ハイとドウ手綱一本の馬耕かな 友岡 藤市郎氏の「句集憧憬喜界島」にある歌です。喜界馬が昔は上嘉鉄にもたくさん飼育されていたことを裏付ける歌です。 馬に関する俳句が3句も出てきます。それだけ馬の思い出が心に残っているのでしょう。 友岡氏は鹿児島県の農業普及員をされていた方で農業の専門家、私の尊敬する大先輩です。農業大学校など指導する立場にあった方です。もちろんシマの上嘉鉄の出身です。 1句目は、上嘉鉄の県道沿いには、草競馬みたいなことをやっていたのでしょうか。先輩方か..

  • 久々に参加した盆踊り

    この夏、久々にシマの盆踊りに参加する機会がありました。「はにく」から聞こえるシマ歌やサンシン・テーコーの音に胸の高鳴りを押さえられず、会場へ急ぎ、感動と感謝の思いで参加することでした。 「ふるさとは遠くにありて思うもの、そして・・・・」という句もありますが、伝統的な行事に直接参加することによってシマの良さを肌で感じ取り、ふるさとを再発見する良い機会になりました。 踊りの輪の中では、幼児からアジー・アンマーまで多くの人々が渾然一体となって、踊りそのものを楽しんでいる姿に大きな感動を覚えました。 踊る人、見る人と参加の方法はそれぞれであったにしても、会場のみなさんの気分は..

  • 八月踊り唄保存会 関東交流に参加して

    桐野 達江 私たち上嘉鉄八月踊り唄保存会一行20名は、5月3日の夜「フェリーきかい」で出発、5月4日、鹿児島より空路東京へと向かいました。 羽田空港には、東京上嘉鉄会の方々、親戚の方々が出迎えてくださり、ホテルに落ち着きました。その日は、親戚のところへ行く人、親戚とホテルで面会する人、同級生と雑談される人、街に出られる人と自由行動でした。 5月5日、いよいよ東京上嘉鉄会との交流の日です。朝からそわそわして落ち着きません。誰、誰が見えるかな? 念入りに化粧や身支度を済ませ、ロビーに集まってきては、..

  • 尚徳王の喜界島平定(1466)

    『しまぬゆ 1 1609年 奄美・琉球侵略』を読むと 島の歴史にくわしくなりますよ。P91に琉球の尚徳王が喜界島を攻めたときのことが詳しく書かれています。 尚徳王には兄二人がいたらしい。その兄たちを差し置いて三男の尚徳が王位を継いだのは21歳のときだそうです。 兄二人は、謀反人、護佐丸の娘の子であったため、敬遠され王位にはつけなかったらしい。 尚徳王は、1441年の生まれ、喜界島に攻めたのが21歳の若さです。 王位継承に疑問をもつものもいるなか、その者たちに自分の実力を見せつけてやるために尚徳自ら、喜界島平定(1466)に出掛けています。 船5..

  • 八月踊りで子どもたちと交流

    3月19日、地区上嘉鉄センターで上嘉鉄小学校の6年生9名と上嘉鉄八月踊り唄保存会(高橋サダ会長)が八月踊りで交流しました。 一月に小学校で行われた6年生の「すんがりがー」の発表を見た一部の会員が2月の練習会で「素晴らしかった!子どもたちだけで歌い、踊り、しかも意味の説明まで堂々とできた」と感想があった。 誰からともなく「是非、一緒に」の声があがった。早速担任の原田ゆかり教諭に連絡をとると 「実は子どもたちももう出番はないの?と私に聞くほど得意にしていました。」と快諾の返事を頂いた。 卒業式の3日前に行われた交流会には、9名の児童の保護者も数名参加のほ..

  • 上嘉鉄のヤンガー

    上嘉鉄小学校の県道の上にある上嘉鉄では、湧水量No1の湧水地です。 夏場ともなれば、親子連れが、網をもってグッピーを取っている姿が見られます。 小さな淡水のエビも生息しています。 私の職場の同僚は、淡水魚が好きでよく休日には、子どもさんを連れて、小動物を捕獲しては、水槽で飼って楽しんでいます。

  • キカイジマ・キカイガジマについて Ⅱ

    ・吾妻鏡(1188年3月5日) 宇都宮信房、先月の頃、鎮西より書状を進ず、貴賀井島へ渡ることを申し上げた。去年、例の島の形勢を窺った結果、海路の次第これを絵図にして献上した。 かの島へ渡ることは、難儀との諸人の話によって思いとどまっていたが。この絵図をご覧になって後、あながち人力を披露させる程でもないとのことで、再び追補を企てた云々。 信房はこの大功によって賞を加えられた。 ・吾妻鏡(1188年5月17日) 遠島の一族家臣が、貴賀井島に渡り合戦を遂げ、かの島を降伏させたとの連絡があった。その功績によって信房に勲功を施す云々とあります。 ・源頼朝下文「..

  • 第10回 さわやか銀行杯において

    (上嘉鉄東チーム3位入賞) 主題の銀行杯は9月9日総合グラウンドで8時30分より開催されました。 試合に先だって前日のコート作りがグランド使用中で出来なく当日の早朝6時より小雨降る中、役員の方々で行った。 予定通り実施出来るか気がかりでしたが早々に参加した方々の加勢を戴いて、ようやく開会の8時30分に間に合いほっとしました。 参加チームは40チーム、8ブロックに分かれてリーグ戦で行った。上嘉鉄からは上東2チーム、上中1チーム、上西2チーム計5チーム出場でした。 入賞した上東チームは、1回戦で荒木チームに勝ち、2回戦で志戸桶東チームに勝ち、3回戦..

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yuiさん
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喜界島上嘉鉄の集落誌「上嘉鉄魂」
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