子どもを語ることは希望を語ること…子どもの視点を尊重し支援する民間教育の実践者の立場から語ります。
人の世に生れ落ちた時から「前例のない」こと続き。その後の人生もまたしかり。本来「教育は雑学」的な視点から、時には反教育的なタブー視される問題や異次元の藪睨み的な発想も交えながら思うまま綴ります。
戦前のことは分からないが、戦後の日本の学校教育の中でいわば夏休みの定番となっているものに「夏休みの自由研究」なるものがある。自分が小学生の子どもだった時にも幾つかやった記憶が甦る。「自由研究」とは言っても小学生の子どもが考えてやることだからたかが知れている。自分は木を削り出した駒や滑車を組み合わせた手回し扇風機なんていうものだったと記憶する。実に他愛ないものだが、やはり時代を反映している。今もまだ、この悪しき伝統(?)は続いている。敢えて「悪しき」というのは、本当は学校から解放されて楽しいはずの夏休みがいささか憂鬱になるからである。「自由研究」と言いながら、子どもにとっては半ば強制の思いである。「自由」と言いながらちっとも自由じゃない。本来の趣旨に反する。日本の場合、夏休みは1学期と2学期との学期の間にあ...夏休みの自由研究は必要か?
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