源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
2023年6月
源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
平家伝承地は、市域だけでも彦島や高畑・藤ケ谷・女郎ヶ迫、或いは県内各地の人里離れた場所に平家の落人が住んでいたという伝承がある。 中でも彦島八幡宮に伝わる「…
源平壇之浦の合戦で、8歳の身で平氏とともに海中に没した安徳天皇の霊を弔うため、 建久2年(1191)後白河天皇は長門国に霊廟を発願し、これが阿弥陀寺(現・赤…
2023年6月
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源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
平家伝承地は、市域だけでも彦島や高畑・藤ケ谷・女郎ヶ迫、或いは県内各地の人里離れた場所に平家の落人が住んでいたという伝承がある。 中でも彦島八幡宮に伝わる「…
源平壇之浦の合戦で、8歳の身で平氏とともに海中に没した安徳天皇の霊を弔うため、 建久2年(1191)後白河天皇は長門国に霊廟を発願し、これが阿弥陀寺(現・赤…
源平二大勢力で、先ず政権をとったのは平氏で、平清盛は太政大臣とまでなった。 『平家物語』には、平氏一族の知行国は30余か国、荘園は500余ヶ所、それらの多く…
この季節、食卓に上がるタケノコやフキそしてエンドウ豆は、何といっても初夏の色合いと香りをともない、まさに旬のイメージをそのまま運んでくれる。 先日、取り立て…
皇極2年(643)周防・長門の間にあたる厚東郡棚井(現・宇部市の一部)に配流された物部武忠が地名をとって厚東武忠と称したのが厚東氏の始まりと伝えられている。…
現在、山口市に編入(平成17年=2005)された徳地町は、山口県の中部佐波川上流の山間部にあり山口市全域の40%を占め、その90%は山林が占めているといわれ…
これは非売品であろうが、入院中に2冊の本が届いた。 一冊は、美術館からの『潮流・下関2021』で、一昨年度の美術館の企画として私と清水恒治氏の写真展を開催さ…
満開に近い我が家の桜に見送られて約1ヶ月腰痛治療のため入院し、この間に2度の選挙、院内投票という貴重な体験をさせて頂いた。 選挙の院内投票があることを聞いて…
「大内」を広辞苑で見れば「室町時代周防長門および豊前の守護大名。古くは周防の在庁官人で多々良氏を称。」とあり、琳聖太子は出ていない。 ところで、大内氏が渡来…
中世への流れのなかで、長門における古代からの事績として国や国衙(こくが=国府)、神社、寺院、そして和同開珎鋳銭所などのことを書いてみたが、もう一度防長両国成…
白川郷から五箇山、八尾、古川、高山などと訪ねたことがある。 ふと「下関でしょう、遠い九州からようこそ」と言われた。それも、各所である。かれこれ25年ばかり前…
今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』が始まって、普通に見ているが、天下布武の信長のイメージも、狂気ともいえる残忍性があり、ドラマがどのように展開するだろう…
我が迫町の現職市会議員が、昨年亡くなったことで「今後、地域の相談相手は?」と思いながらも自治会の動きもなく、市内では「あの人が出るらしい」と幾らかのうわさが…
和銅年間、わが国最初の造幣局が全国6ヶ所に造られた。その一ヶ所が長門国長府で、わが国最初の貨幣「和同開珎」が鋳造(和銅年間=708~714)された。 明治4…
神話のころだが、景行天皇は長門地方に穴門国造(あなとのくにみやつこ)と阿武国造を任命したとある。(西暦80年のころだが、すでに本州西の果てまで(下関地方)大…
昨年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(脚本家三谷幸喜)は、中世の初め平氏から源氏に移行して鎌倉幕府成立、いわゆる藤原氏を中心とした貴族が権力を握っていた…
昭和30年代、下関の漁港に活気があったころ、造船、船具、魚函など市内の水産漁業関連業者も活気があった。ふと、漁網会社の方が「生月(いきつき)に行って来た」と…
「能楽大会が下関市民会館で行われますよ」とプログラムを添えて、宮本隆吉さんからお手紙をいただいたのは新春早々のことだった。 宮本さんによれば、文化庁が、質の…
昨令和4年12月初旬、下関市竹崎町の大丸下関店7階のJOIN083に「思わぬ出会い 私の本棚-エキマチ読書室」というコーナーが設置された。 これは、市内出身…
源頼朝が富士川で、平氏に勝ったのは治承4年(1180)だった。その後、平氏は追いつめられ遂に寿永4年(1185)3月24日、壇之浦の戦いで安徳天皇とともに平…
平家伝承地は、市域だけでも彦島や高畑・藤ケ谷・女郎ヶ迫、或いは県内各地の人里離れた場所に平家の落人が住んでいたという伝承がある。 中でも彦島八幡宮に伝わる「…
源平壇之浦の合戦で、8歳の身で平氏とともに海中に没した安徳天皇の霊を弔うため、 建久2年(1191)後白河天皇は長門国に霊廟を発願し、これが阿弥陀寺(現・赤…
源平二大勢力で、先ず政権をとったのは平氏で、平清盛は太政大臣とまでなった。 『平家物語』には、平氏一族の知行国は30余か国、荘園は500余ヶ所、それらの多く…
この季節、食卓に上がるタケノコやフキそしてエンドウ豆は、何といっても初夏の色合いと香りをともない、まさに旬のイメージをそのまま運んでくれる。 先日、取り立て…