chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
雪だるま
フォロー
住所
岐阜市
出身
未設定
ブログ村参加

2008/01/30

arrow_drop_down
  • 両足院

    日本には古来よりの暦がある二十四節季立春に始まり雨水啓蟄春分清明穀雨そして立夏小満芒種夏至夏至の末候が半夏生夏至の頃両足院は半夏生で輝く両足院

  • 東京都立第五福竜丸展示館

    カツオ漁船として第七事代丸の名で進水したのは和歌山串本町6年後静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され第五福竜丸に改称その翌年アメリカ国防総省とアメリカ原子力委員会がビキニ環礁・エニウェトク環礁でキャッスル作戦を実施したがその1回目の実験ブラボー実験で被爆被爆から13年後第五福竜丸は老朽化で廃船となり使用可能な部品は全て抜き取られ夢の島に係留されている姿が発見されたその後保存運動が興り今日東京都立第五福竜丸展示館に保存されている東京都立第五福竜丸展示館

  • 葛飾柴又寅さん記念館

    ーーテキ屋稼業を生業とする車寅次郎故郷の柴又に戻ってきては大騒動を起こす人情喜劇車寅次郎の恋愛模様を日本各地の美しい風景を背景に描いている生家が葛飾柴又時々ふらりと帰ってくる「くるまや」下町の情緒を再現元は仁侠映画のパロディ訪れて楽しい記念館だった葛飾柴又寅さん記念館

  • 醍醐寺

    真言宗醍醐派の総本山山号は醍醐山本尊は薬師如来世界遺産にも登録されている寺院この寺院を有名にしたのは豊臣秀吉醍醐の花見慶長3年3月15日九州平定ののち催された大茶会がそれだ醍醐寺

  • 雲龍院

    真言宗泉涌寺派の寺院山号は瑠璃山本尊は薬師如来西国薬師四十九霊場第40番札所泉涌寺境内の一番奥四季折々美しい風景が拝めるがお勧めは梅の時期と紅葉の頃雲龍院

  • トキワ荘

    昭和27年から昭和57年にかけ存在した木造二階建アパートトキワ荘

  • 柴又帝釈天

    日蓮宗の寺院経栄山題経寺が正式名称禅那院日忠題経院日栄によって開基された日蓮宗寺院時代は以外にも新しく江戸時代初期のこと柴又帝釈天と云われるようになったのは明治時代になってからだろうか有名になったのは人気映画「男はつらいよ」車寅次郎ゆかりの寺柴又帝釈天

  • 赤坂迎賓館

    東宮御所として明治42年に建設された元々は紀州藩の屋敷跡の地ネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎ住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったこと等々皇太子嘉仁親王後の大正天皇がこの御所を利用することはほとんどなかったという第二次世界大戦後皇室から国に移管され国立国会図書館法務庁法制意見長官裁判官弾劾裁判所内閣憲法調査会東京オリンピック組織委員会などに使用された迎賓館内は撮影禁止訪れた折は花鳥の間だけが撮影可能であった赤坂迎賓館

  • 大阪歴史博物館

    開館したのは平成13年前身は昭和昭和35年に造られた大阪市立博物館歴史系博物館の先駆的な存在展示は難波宮から始まる次は本願寺の門前町であった室町時代そして豊臣秀吉による大阪城築城時代さらに天下の台所となった江戸時代近代大正時代から昭和初期に至る大阪歴史博物館

  • 尾道を歩く

    古くからの湊町街の眼前には尾道水道と呼ばれる海峡がある知らなければ川と見間違うほど対岸が近い地元豪商や足利家の庇護・寄進などがあり街のいたるところに神社仏閣が建ち並び古寺めぐりが観光産業の一つでもある今回は旧市街の商店街を中心に紹介尾道を歩く

  • 明石城

    喜春城とも錦江城とも呼ばれた城戦の城ではなく藩政のための城築城されたのは江戸時代に入ってからの元和4年築城したのは小笠原忠真築城の前年信濃松本藩主より明石藩主へと国替えとなったことに起因徳川治世下での築城天守は台石まで造営されたものの不要との事で結局建てられなかった今日櫓は現存しており内部も見学できる現在は野球場や陸上競技場、自転車競技場、テニスコートもある明石公園としての役目を果たしている明石城

  • 赤山禅院

    延暦寺の別院方除けの神として古来から信仰を集めたという紅葉の名所であり秋の紅葉の頃には紅葉祭りも行われる訪れたのは緑深い夏至の頃蒸すような木々の香りを味わい夏を堪能赤山禅院

  • 妙覺寺

    日蓮宗の由緒寺院山号は具足山本尊は十界曼荼羅寛正7年近隣の本覚寺を合併して寺域を広げ不受不施義の中心的寺院として発展天文法華の乱で伽藍が全焼した折は堺へと移転している織田信長の宿舎となったことでも知られ京を訪れた折はほぼこの寺で過ごしたという年に数回特別公開される寺院である妙覺寺

  • 東京都庭園美術館

    旧朝香宮邸宮邸は朝香宮一家が退去した後吉田茂によって外務大臣公邸となりやがて西武鉄道が白金プリンス迎賓館として使用した現在は東京都の所有となり庭園美術館として営まれている東京都庭園美術館

  • 林芙美子記念館

    戦前から戦後にかけて活躍した小説家林芙美子山口県に生まれ尾道市立高等女学校を卒業幼少期からの不遇の半生を綴った放浪記が評価されたのは25歳のとき詩集「蒼馬を見たり」「風琴と魚の町」「清貧の書」などの自伝的作品が次に続く彼女が昭和16年から没する26年まで暮らした家が今日記念館となっており見学できる林芙美子記念館

  • 青蓮院門跡

    青蓮院門跡本尊は熾盛光如来である青蓮院門跡

  • 宇治市源氏物語ミュージアム

    安時代中期に成立した日本の長編物語作者は紫式部とされている全54帖概ね100万文字の長大作近年、この作品が紫式部一人の個人作ではないという説が提唱されている明確な証拠はないが彼女が生きたと云われる時代と異なる作法が作中に登場するというのがその根拠であるさて真相はまだ明らかにされていない宇治市源氏物語ミュージアム

  • 西陣

    西陣とは地域の名称であって行政区域ではない絹織物の西陣織が生産されていたことからこの一帯という愛称で今日でも西陣の名称は広く知れ渡っている近代化の波で京都の街はどんどんと京都らしくなくなっている寺社仏閣を除けば京都らしい風景はむしろ全国に点在する小京都と呼ばれる地域の方がらしい風景が残っていると言わざるを得ないほど西陣は下町町屋が残り散策が楽しい西陣

  • 南堀江

    水路が発達した一帯川周辺には輸送に便利なため木材屋や家具店が増えていった高度経済成長期には多くの人々がここで家具を買い求めていったもとは橘通りと呼ばれていたが橘がミカン類というところから今ではみかん=オレンジでオレンジストリートと呼ばれている隣接するアメリカ村が若者の街なら堀江は大人の街お洒落で小奇麗な店が並ぶ界隈ふらりと撮影して歩いた南堀江

  • 路地

    都会の垢吹溜りのような垢は大抵は路地に積もるそういう空間には一種の法則があるのか同じような景色が広がる街を散策しカメラ片手にその風景を納めてゆくとついそういう風景を知らずのうちに撮影している自分がいる知らないビルにふらりと入りこむと幾何学化する都会の風景から取り残された昭和が香るそういう都会の垢が無性に恋しい今日も今日とてそういう風景を見たくて都会を歩いてしまう路地

  • 旧居留地区

    神戸村に設けられた外国人の居留地そういってしまうと身も蓋もないが東は生田川西は鯉川南を海北を西国街道に囲まれた空間安政五カ国条約に基づき外国の治外法権が及んでいた地域それが居留地区だったそう記するとまるで日本の治外法権地帯として数々の不幸があったようにも思われるが後の歴史学者によると居留外国人を中心に組織された自治機構により運営は極めて円滑に行われ日本側との関係もおおむね良好であったそうだ今日では碁盤の目のように走る通りとレトロな外観の建物により見え麗しい空間となっている旧居留地区

  • 都会の垢

    都会の年輪常にどこかで古い建物が取壊され常にどこかで新しい建物が構築される一様にではなく部分部分で新旧がごった煮同じ地区で一斉に様変わりすることもあれば点々と様変わりすることもある街を歩くとそういう風景に出くわす近代的なビルの横に戦後まもなく建てられたコンクリートすら朽ちよとするビルがある懐かしむように慈しむように撮影を楽しむ都会の垢

  • 上御霊神社

    畠山政長と畠山義就との私闘が境内であったことでその後10年にも渡る戦乱を招いた応仁の乱に発展した応仁の乱発祥の地とされる神社御霊の祟りを鎮めるため神泉池で御霊会が催されたのは貞観5年のこと御霊会の後出雲路の南と北にそれぞれ御霊神社が創建される今日では南に創建された御霊神社は御所の南の寺町通りへと移り区別するため上御霊、下御霊と呼ばれている出雲路を歩くなら立ち寄りたい神社である上御霊神社

  • 岩倉具視幽棲旧居

    堀河康親の次男として京都に生まれた岩倉具視幼少の頃は周丸と呼ばれていたが岩倉家へと養子に入り岩倉の姓を名乗るようになった人物京都洛北岩倉の地にある岩倉具視幽棲旧居を訪れる岩倉具視の名が世に知れ渡ったのは八十八卿列参事件から安政5年江戸幕府老中、堀田正睦が上京日米修好通商条約の勅許を得るためである関白九条尚忠は勅許を与えようとするが条約調印に反対の立場であった岩倉具視は公卿88人で参内して抗議する阻止行動を起こした事件がそれである日米修好通商条約は結局勅許無きまま井伊直弼が独断で結ぶ事になるその後、列強各国とも不平等な条約を締結し勅許の無い条約は無効とする立場を取る孝明天皇と全面対決へと発展世に言う安政の大獄が始まった安政の大獄は割愛するが大獄を通じて宮中での影響力を増した岩倉具視は後に皇女和宮の降嫁にも関...岩倉具視幽棲旧居

  • 平等院

    単立の寺院山号を朝日山と称するここは春の頃美しい景色を見せてくれる藤と鳳凰堂このコラボが最近有名カメラを持った人が列をなす平等院

  • 江戸東京たてもの園

    江戸時代から近世まで歴史的な建物を移築保存し展示東京都小金井市の都立小金井公園内に設置された野外博物館がそれだ元々は武蔵野郷土館であったものが平成5年に規模を拡大してリニューアルオープンたてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインは千と千尋の神隠しの参考になったという江戸東京たてもの園

  • 北野異人館街

    北野異人館街

  • 厳島神社

    古くは伊都岐島神社と称された式内社安芸国一宮ユネスコの世界文化遺産にも登録されている創建は推古天皇の時代に遡る御笠浜に市杵島姫命を祀る社殿を創建したことが始まりとされる厳島神社は海上に社殿が並ぶ干満が間近で見られる訪れるのなら道引きの時刻表を事前に参照しておくことをお勧めする厳島神社

  • 厳島

    古代より島そのものが自然崇拝の対象であった歴史の表舞台に登場するようになったのは平安時代厳島神社交通の要衝島へは観光船で渡る年間300万人以上の観光客を受け入れる厳島

  • 龍泉庵

    大本山妙心寺の塔頭寺院妙心寺四派のひとつ山内塔頭寺院の中で最大規模を誇る開祖は景川禅師禅は景川とまで言わしめる程の僧であった創建時は小さな庵であったそうであるが江戸時代にはいり現在の規模にまでになった冬の特別公開で時折公開されていた龍泉庵

  • 乙仲通り

    かつて海運貨物取扱業者が軒を並べた通り乙仲とは海運を当時の政府が乙種海運仲立業と括った長いので略称して乙種の乙と仲立の仲で乙仲と呼ばれた今では約270店前後の店がカフェ雑貨衣料品インテリアなどなど賑わいをみせ訪れる若者の多い通りである乙仲通り

  • 横浜異人館街

    横浜異人館街

  • 京都迎賓館

    平成17年に開館した日本を代表する施設海外からの賓客を迎える施設日本文化を具現した建物贅の限りを尽くした内装日本人すら知らない日本の美畳は全て中継ぎ表久しぶりに訪れ堪能した京都迎賓館

  • 大阪市中央公会堂

    財団法人公会堂建設事務所が設立されたのは明治44年のこと岡田信一郎のデザイン案を元に辰野金吾片岡安が実施設計を行った大正2年に着工し大正7年に完工鉄骨煉瓦造地上3階地下1階建ての構造ネオ・ルネッサンス様式を基調とした構造特別公開時には構内を自由散策できる公会堂の遠望は美しい大阪市中央公会堂

  • 伏見稲荷

    稲荷神社は全国に3万社ほど存在する稲荷神社の総本社がこちら伏見稲荷神社霊峰稲荷山の西麓山そのものが神域紅い帯のように鳥居が続く守るのは狐さま農耕の神訪れて参拝伏見稲荷

  • 高松城

    玉藻城とも呼ばれる高松城高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことから別名がある城である築城は天正18年生駒親正が居城であった現存する城郭となったのは生駒家が転封となった後のこと高松城

  • 雪の清水寺

    音羽山清水寺言わずと知れた京都最大の観光名所降雪の風景は珍しい今回はモノクロの清水寺を紹介撮影は一年前のもので悪しからず雪の清水寺

  • 船場ビルディング

    鉄筋コンクリート地上4階塔屋1層地下1階建大正15年築店舗・事務所のほか住居も併設されていた吹き抜け構造のビルとして有名訪れる人が増え過ぎ平日以外は気軽に訪れられなくなった船場ビルディング

  • 大和ミュージアム

    呉市海事歴史科学館が正式名称戦前・戦後の呉市における船舶製造技術を展示と、記されているが展示の大半は旧日本海軍の超大型軍艦「大和」の建造と軍事活動が中心見所は1/10スケールの戦艦大和の模型呉市観光の起爆剤として今日でも大変な人気を博している大和ミュージアム

  • 日本郵船氷川丸

    昭和5年に日本郵船が就航させた貨客船同系船は計3船氷川丸日枝丸平安丸全てヘボン式ローマ字でHから始まる神社の名を戴いて船名が付けられている貨客船として建造されたものの時は戦中病院船として接収されている姉妹船の2船は太平洋戦争で沈没しているがこの船は魚雷が至近で爆発したものの生き延び今日、重要文化財として登録されている日本郵船氷川丸

  • 食道園 宗右衛門町本店

    宗右衛門町は難波の歓楽街道頓堀にかかる橋太左衛門橋と相生橋二つの橋の中間で道頓堀の北側鎮座する焼肉の老舗開店前の店内には長年の営業で染み付いた牛脂の香りが焼ける肉の匂いが想像できる食道園宗右衛門町本店

  • 大阪農林会館

    当初は三菱商事の社屋財閥解体で売りに出されたこのビルを買い取ったのが農林省のOB大阪農林会館のビル名はここから付けられた当初は農林省資材調整事務所食糧事務所など戦後の食糧統制を担う事務所などが入居戦後復興が済み次第に一般の入店が相次ぐ現在はアパレル美容院雑貨などなど、多種多様ビル内はまさにレトロ天井には建築当時は想定されていなかった配線が伝っている大阪農林会館

  • 芝川ビル

    花嫁学校「芝蘭社家政学園」現在は総合ビル洋菓子雑貨衣料そしてカフェ屋上にはイベントホールシンボル的存在のレトロビル巡り楽しむ芝川ビル

  • 光世ビル

    聖書マタイ地の塩世の光証券会社である仲介ではなくディーリングが主業務大阪本社ビル屋内を見学光世ビル

  • 自由学園明日館

    学校法人自由学園が所有する施設当初は5年制本科と2年制の専攻科(文学科・家庭科)からなる女学校として開校建物は一目見ただけでFrankLloydWrightの作と知れる当ブログでも兵庫県芦屋にあるヨドコウ迎賓館や愛知県の明治村に移築された旧帝国ホテル正面玄関を紹介その建築家がFrankLloydWrightである日本に現存する彼の作品は4作うち3作を紹介できた自由学園明日館

  • 鶴橋

    鶴橋は国内の異国特異の風景違う香り異国言文化さてここは何処だろう?迷い鶴橋だと気がつく鶴橋

  • 建仁寺

    山号は東山開山は栄西「けんにんじ」と読むのだが地元では「けんねんさん」の名で親しまれている秋の紅葉の時期だけでなく四季折々楽しめる建仁寺

  • 本竜野

    姫路から姫新線で分け入るすると醤油と素麺の町本竜野に至る播磨の小京都醤油メーカーヒガシマルのお膝元で揖保乃糸たつのの名産ふらりと巡ると半日程度町のそこかしこに秋の香りを感じる頃訪れた本竜野

  • 落柿舎

    嵯峨野の草庵俳諧の居である向井去来元は武士の身分にあったが若くして武士を捨て俳諧となった西国三十三ヶ国の俳諧奉行というあだ名が付いたのはそれが所以湖の水まさりけり五月雨落柿とはこの草庵の周囲にたわわに実っていた柿が一夜の嵐で全て落ちてしまったことに因む草庵で一句詠むのも一興落柿舎

  • 南禅寺

    太平興国南禅禅寺無関普門が開山南禅寺は別格本山別格本山とは臨済宗の寺院の序列で京都五山というのがある天龍寺相国寺建仁寺東福寺万寿寺五山を定めた後に南禅寺を序列に加えたため五山の上、別格と称したのだ春の桜夏の楓の緑秋の紅葉冬の雪景色境内自由散策のこの寺院は四季折々美しい景色を見せてくれる南禅寺

  • 天龍寺

    臨済宗天龍寺派の大本山霊亀山天龍資聖禅寺と称す足利尊氏を開基とす京都五山の第一幾度かの火災に見舞われ現存する伽藍の大部分は明治期以降のもの嵐山観光の基点として数多くの人の目を楽しませてきた庭園この日は静かだった天龍寺

  • 鴻池新田会所

    開墾されたのは江戸時代中期大阪の豪商鴻池善右衛門宗利がこの地を耕す開墾当初たった8軒が入植したのみ第二次の入植でようやく20軒を越えた程度の片田舎だった当代、入植から数えると13代前後この会所の北東側には現在も当時の子孫が暮らしているそうだこの地は元は蛇行する河川の通り道宝永元年に大和川付け替え工事が行なわれ旧河川・水位が減少した湖沼に広大な空き地が生じたそこを開拓したのがここの地名ともなった鴻池豪商の富豪ぶりは相当のものだったのだろう鴻池新田会所

  • 京の街角

    京の町は普通の都会だ町家の風景もあるのだが圧倒的に都会の風景が広がるそんな町を歩く碁盤の目の通り密集する都会寺院観光に飽きたらこんな場所を巡ってみるのも良いかもしれない京の街角

  • 圓光寺

    瑞巌山開基は徳川家康時は慶長6年伏見城城下に伏見学校円光寺として建立されたのに始まる現在地へと移転したのは寛文7年のことである秋は紅葉の名所圓光寺

  • 京都府立植物園

    日本発の公立植物園開園は大正13年敗戦時にはGHQに接収されたこともある敷地は24ha元は上賀茂神社の境外末社である半木神社の敷地だったため植物園内には半木神社も鎮座している広大な敷地を巡り森林浴をする暑くなる少し前訪れてみた京都府立植物園

  • 荒田廉売場 跡

    懐かしの風景を見たくて再び訪れたこの場所大正昭和の間ここは役目を果たしそして歴史に忘れ去られた後は生活空間となった今日では民家が立ち並ぶ風景が広がり商という言葉は途絶えている何が売られ誰が買い求めたのかそういうことを考えながら撮影を続けるこの廉売場は何時生まれ何時途絶えたのかそれすら判別できない空間が広がっていた荒田廉売場跡

  • 醒ヶ井養鱒場

    県立淡水魚養殖・研究施設この施設が造営されたのは明治12年のこと一時、民間に払い下げられるが再び県営施設となりニジマスアマゴイワナなど清流の淡水魚を育てる施設内は淡水魚の香りが広がり独特の生臭さが周囲を覆う数百万匹にもおよぶ淡水魚たちが織成す風景撒き餌が売っており群がってくるニジマスを見ることも出来る醒ヶ井養鱒場

  • 八幡堀

    この町を発展させたのは豊臣秀次堀の背後に控える鶴翼山、通称「八幡山」と呼ばれる標高280mほどの山頂に山城を造営する城下町は山麓南の平野部に形成その城下町に防衛(水郷)と物流のため全長6kmもの水運を設ける水運を商船が行き交うことで後に、近江商人と呼ばれる商人たちを生むことになる戦後、舟運は廃れ長年放置された結果、汚泥が溜まり異臭を放つようになるその後よみがえる近江八幡の会の発会により修繕が行われ今日、美しい風景が蘇る八幡堀

  • 佐川美術館

    佐川急便創立40周年を記念してこの美術館は造営された開館は平成10年主な所蔵は平山郁夫と佐藤忠良開館から9年後樂吉左衛門の陶芸作品を展示する「樂吉左衞門館」を敷地内に新館として併設展示室以外は撮影可能な美術館企画展と共に楽しめた佐川美術館

  • 栗林公園

    回遊式大名庭園生駒家家臣佐藤道益の居宅の作庭が元である生駒家は改易となり松平頼重が高松藩初代藩主としてこの地を治める松平頼重はこの地に御殿を建築し居宅とした第2代藩主頼常が飢饉対策として作庭を始め現在の庭園になったのは概ね第5代藩主頼恭の頃だろうか日本3名庭よりも美しいとされた栗林公園早春の頃の風景を紹介栗林公園

  • 宝泉院

    京の奥座敷開門前に到着一番乗りで山門をくぐる絶景はあったただしほんの数分やがて境内は喧騒に包まれたちまち広東語が標準語となるもう少し静かに眺めたまえよ寺院が泣いている宝泉院

  • 長岳寺

    山号を釜の口山と称す本尊は阿弥陀如来弘法大師空海が開山と伝えられている山の辺の道にあり花の寺として知られる盛時には塔頭寺院が48坊あったとされ広大な伽藍が連なっていた事だろう戦火で荒廃し徳川家康が復興したとか杜若の時期美しい風景が見られる長岳寺

  • 松尾大社

    旧社格は官幣大社現在は神社本庁の別表神社秦忌寸都理が勧請して社殿を設けた東の厳神西の猛霊境内が黄色く染まるのはGW少し前のこと初夏の始まりの少し前冷えた空気がなんとも心地よかった松尾大社

  • 原谷苑

    原谷の春絶景が広がるここの桜を見ずして京都の桜を語るなかれ入場料は時価1,500円が最高値訪れた日は最高値晴天と溢れんばかりのピンク原谷苑

  • 京の春

    淡い風景京の春そこには桃源郷があるさ迷い歩き景色に出会う京の春

  • 城南宮

    創立年代は不詳国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀って創建された離宮の鎮守社として代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったという春が始まる少し前神苑は賑わうここは京都御所の裏鬼門を守る神城南宮

  • ブラフ18番館

    この館は建築当時からこの地にある建築されたのは関東大震災の後のこと戦前は外国人向け住宅であったが戦後はカトリック山手教会の司祭館となった現在の地に移築されたのは平成3年のこと館内は大正末期から昭和初期に掛けての震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現しているブラフ18番館

  • 外交官の家

    建築されたのは明治43年の事と伝えられているただし建築されたのは横浜ではなく渋谷区南平台町移築されたのは以外にも新しく平成9年の事喫茶棟も併設されている外交官の家

  • エリスマン邸

    スイス人貿易商の邸宅EhrismannResidenceAntoninRaymondが建築した建築されたのはこの館が建っている建物の南東約400mほど離れた地だった移築?実際はマンション建築のため解体されたその建材を現在の地へと持ち寄り再建したのだエリスマン邸

  • 山手234番館

    関東大震災は横浜にも大打撃を与えた山手の地の家屋も瓦礫と化す横浜に居住していた外国人たちは横浜に見切りをつけ神戸や上海へ移住していった復興のため市営の住宅の建築が始まり民間事業もその後を追うように開始されるこの屋敷は民間事業に依る集合住宅として建築されたこの屋敷関東大震災から5年後の築である山手234番館

  • 山手111番館

    J.E.Laffinが建てたと伝えられる建物アメリカ人両替商彼が乗っていた船が修繕のため横浜に停泊長期の逗留の折に日本人の娘と恋をするベタなドラマのような現実の末日本に留まることになるただしこの建物で暮らした訳ではないこの屋敷は結婚する長男のために建てたものである大正15年の築と云われる山手111番館

  • 横浜市イギリス館

    元はイギリス軍駐屯地の跡昭和12年築イギリス政府工務局上海事務所が設計したというしかし建物が完成した年日中戦争が勃発した不遇の戦時下を乗り越え周囲は港の見える丘公園になる横浜の洋館は全て無料公開されている横浜市イギリス館

  • 城南宮

    方除の大社春を告げる時期この社は賑やかになる原因は梅それはそれは見事な桃源郷が神苑に現れる城南宮

  • 積雪の清水寺

    音羽山清水寺数年に一度の降雪の風景訪れ留め置いた積雪の清水寺

  • 旧前田侯爵家本邸

    加賀百万石の前田家廃藩置県後明治17年7月7日華族令により華族が五爵制になると加賀本家は侯爵に叙せられる華族有数の大富豪千円で豪邸が建てられた時代に前田公爵家の年間所得は26万6442円だったという連日盛大な晩餐会が催されたこの邸宅これだけの施設ながら見学は無料目黒近辺を訪れたのならぜひ見学してもらいたい旧前田侯爵家本邸

  • 尼宝市場

    尼崎市武庫之荘8丁目付近に路線のない陸の孤島のような場所路線は無いと記したが実はこの市場のすぐ北を東海道新幹線が走っているしかし当然であるが駅はないそんな不思議な立地であるのにこんなにも巨大な廉売場が形成されている天井の化粧パネルは以前紹介した尼崎市大庄西町2丁目にある大庄新市場と同じ大庄新市場から真北へ約5km比較的近い立地から関連性がありそうである現在は南北に約100mほどであるが以前は南へもう少しあったらしくトタンで不自然に切られていたまた一つ昭和の風景が消えようとしていた尼宝市場

  • 勝林院

    魚山大原寺勝林院声明の中心地である声明とは仏典に節をつけた仏教音楽梵唄梵匿魚山ともいう法然と顕真などによる宗論大原問答が行われた地でもある勝林院

  • 宝泉院

    大原寺勝林院の塔頭寺院阿弥陀如来がご本尊拝観料は抹茶と隣の勝林院の共通券付きで1,000円降雪があれば訪れたくなる寺院あいにく、降雪はやや白いという程度であったが存分に景色を楽しんだ宝泉院

  • 呑んべ横丁

    京成立石駅の駅前昭和の香りが残る数少ない空間が広がる狭い路地密集するスナックやパブ小便とタバコと酒の匂いこれが昭和だと通りが声高に宣言しているような町角写真は一挙公開呑んべ横丁

  • 下町風俗資料館

    台東区立の博物館で上野の不忍池の河畔に建つ「庶民の歴史である下町の大切な記憶を次の世代へ伝える」がこの施設の目的展示されている風景は大正時代のもの急速な近代化と近代化から取り残された下町が交錯した時代ロマンチックとは言わずロマンチシズムと言った時代物は無く不清潔で質素な生活でも現代よりも夢はあった人情もあったかもしれない懐かしくも儚い風景がそこにはあった下町風俗資料館

  • 日本丸

    神戸市で進水式を行ったのは昭和5年設計はラメージ・エンド・ファーガソン社がおこない川崎造船所が建造した太平洋の白鳥と呼ばれた帆船昭和59年に退役するまで約半世紀に渡り帆船操船技術を多くの船乗りが学んだこの船が帆を張ることは無い船内を巡り往年の雄姿を思い浮かべた日本丸

  • 勝林院

    魚山大原寺勝林院声明の中心地である円仁が創建したと伝わる伝えたのは声明今風に言えば歌詞を経典とした歌そう言えばわかり易い独特のリズムで経典を謡う今日でも受け継がれている勝林院

  • 宝泉院

    大原寺勝林院の塔頭寺院阿弥陀入来を本尊とする創建は嘉禎年間宗快法印が初代と伝えられる額縁庭園雪の日に訪れられるは幸いである厳冬の折訪れた宝泉院

  • 新宿ゴールデン街

    新宿区歌舞伎町1丁目にある飲食店街長屋に約300件の飲食店が軒を連ねるかつては文壇バーなど個性豊かな店があり常連客として作家編集者映画監督俳優といった文化人が多く集まることで知られていたバブル景気の地上げなどで解体の危機もあったが乗り切り今日も個性的な店が並ぶ新宿ゴールデン街

  • 祇王寺

    白拍子の祇王白拍子とは今日でいう芸人のこと苔に覆われた境内祇王はこの寺で念仏三昧の余生を送ったと今日伝えられているがさてことの真実は如何様で遭ったのか今日の我らに知る由もなし祇王寺

  • 南極観測船 宗谷

    商船として建造されたが日中戦争激化を受け引渡しが拒否され大日本帝国海軍が買上げて運送艦として使用された沈むことなく敗戦を迎え復員兵引上げに従事戦後は巡視船として灯台補給船として活躍昭和31年この船は南極観測船の任務に就く南極観測船宗谷

  • 天龍寺

    臨済宗天龍寺派の大本山の寺院正式には霊亀山天龍資聖禅寺後醍醐天皇の菩提を弔うためだが政敵を弔ったのは夢窓疎石であったという落慶供養は後醍醐天皇七回忌に執り行われた天龍寺

  • 妙満寺

    顕本法華宗の総本山元は天王寺屋通妙の外護創建は日什創建されたのは六条坊門室町応仁の乱で伽藍は戦火に見舞われ綾小路東洞院へ移転その後堺、寺町二条を経て昭和43年に現在の地へと移転している妙満寺

  • 宝巌院

    臨済宗天龍寺派の寺院通常非公開なれど春と秋公開されていて常時公開と大差ない臨済宗天龍寺派の寺院時代劇の撮影でも何度かロケ地となった喧騒の中拝観宝巌院

  • 深川江戸資料館

    昭和61年に開館した資料館江戸時代の天保年間ごろの深川佐賀町の街並みを再現した展示施設改修工事で暫く休館していたが2022年、リニューアルされた江戸の下町を館内に再現照明は早朝から深夜までを再現当時の江戸っ子の暮らしぶり原寸大の模型の中をさ迷ういい体験をした深川江戸資料館

  • 一華院

    通常非公開の東福寺塔頭寺院永徳二年に東漸禅師が創建した寺院である記事は割愛一華院

  • 白龍園

    白髭大神と八大龍王何れも山の御祭神故青野正一氏が蘇らせたこの地特別公開された折喜び訪れた白龍園

  • 山本亭

    1920年代に建てられた近代和風建築の邸宅元々は庄屋の鈴木家の邸宅であったそうだが関東大震災ののち浅草でカメラの部品を製造する合資会社山本工場の経営者である山本栄之助氏がこの建物の所有者となり以後、山本一族が居宅として過ごすこととなる現在では伝統行事の披露会や琴の演奏会などが開催される施設となったが一般にも開放され見学できる葛飾柴又寅さん記念館を訪れた折こちらへも足を向けた山本亭

  • 葛飾柴又寅さん記念館

    寅さん車寅次郎元は昭和43年から44年にかけ放映されたテレビドラマが始まりその後映画化されるのだがこれは実に面白いエピソードがあるテレビドラマシリーズ最終話で奄美大島にハブを取りに行った寅さんが逆にハブに咬まれて死んでしまうこのストーリーに抗議が殺到慌てた製作陣が寅さんを復活させ映画化したというのだ山田洋次監督の原案と絶妙なコマ割り渥美清の演技力記念館を訪れもう一度男はつらいよを見たくなった葛飾柴又寅さん記念館

  • 柴又

    葛飾柴又といえば「男はつらいよ」フーテンの寅さんドラマの地元には帝釈天が鎮座正式には経栄山題経寺と称する帝釈堂内殿の外壁は彫刻アートで飾られている巡って、鑑賞して、食して柴又は下町風情が似合う柴又

  • 旭マーケット

    西脇市にある昭和の風景朽ちる前にと再訪してみた以前訪れたときと比べ荒廃は進んでいた旭マーケット

  • 旧邸御室

    築80年を超える旧邸旧邸御室御室とは地名宇多天皇が創建した門跡寺院仁和寺の雅称及び住職の雅称も御室と称するさてこの邸宅の御室は地名からなのか雅称からなのか通常非公開だが時折公開される初夏のころ訪れてみた旧邸御室

  • 琴ノ浦 温山荘園

    武者小路千家家元名代の木津宗泉により作庭された潮入式池泉回遊庭園ニッタ創業者である新田長次郎の別荘庭園個人庭園としては日本最大で広大な池に驚かさせられる池は淡水ではなく海水庭園最奥にはプライベートビーチも皇族も度々訪れたという格式高い庭園である琴ノ浦温山荘園

  • ポルトヨーロッパ2

    和歌山マリーナシティにある異国情緒規模も大きく撮影が楽しい立体的な空間が全て日本ではない市内からは少し離れておりマイカーか公共交通機関ならバスしかない併設された遊園地バーベキュー施設などもあり家族連れにはもってこいの場所だポルトヨーロッパ2

  • ポルトヨーロッパ

    県和歌山市毛見の人工島和歌山マリーナシティ内にあるテーマパーク地中海の街並を再現架空の街張りボテなのだろうがここの風景が妙に気に入った続くポルトヨーロッパ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、雪だるまさんをフォローしませんか?

ハンドル名
雪だるまさん
ブログタイトル
雪だるま倶楽部
フォロー
雪だるま倶楽部

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用