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2008/01/22

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  • 選挙応援で練り歩き

    4月に行われた市議会議員選挙の候補者の応援で、地元地区を練り歩きしました。この地に嫁いで40年余り・・もはやこちらの方が慣れ親しんでいますが、いつもは車で通り過ぎてしまう場所を、ゆっくりと歩きながらいろいろな発見がありました。ちょっと写真が多くて長くなりますが、一気にアップしておきたいと思います。練り歩きは始めての経験で、候補者、宣伝カーといっしょにゆっくりと歩き、投票をお願いします。1日をかけて約20㎞を歩き、歩数は確か2万6千歩位だったと思います。でも休憩をしながら、ゆっくり歩いたので、そんなに苦にはなりませんでした。お天気もよくて気持ちよかったです。とても花の好きなおうちみたいです。家の前の畑はきれいになっていて、これから何を植えるんでしょう。見事な枝垂れ桜。去年はいっぱい咲いて撮影スポットとなっていた鎌...選挙応援で練り歩き

  • 足利フラワーパーク(後編は花壇の花)

    足利フラワーパークは藤の花だけと思いきや、フラワーパークという名前だけに、花木や花壇の花などたくさんあります。私が行ったときは、バラはまだでしたが、春の花壇の花がいっぱい咲いていました。さすがプロの手にかかり、花はいきいきとして、花壇のデザインなども素敵に作られていました。チューリップもちょうど見頃。来年はうちの花壇にこんなチューリップを植えたいな。足利フラワーパーク(後編は花壇の花)

  • 足利フラワーパーク(前編は藤の花)

    4月のお出かけ記事はまだ続きます。今回は足利フラワーパークです。最初は別の場所に1968年に「早川農園」として開園。その後1997年に都市開発のため「足利フラワーパーク」として今の場所にオープンしました。園のシンボルである大藤は日本の女性樹木医第一号である塚本こなみ氏によって移植され、大藤(当時樹齢130年)の移植は前例がなく常識を超えた移植プロジェクトに全国から注目を集め、日本で初めての成功例となりました。足利フラワーパークといえばこの大藤ですが、行ったのが4月22日でまだ全然咲いていなくてがっかりでした。大藤の前の案内板には「不可能とされた大藤の移植平成8年棚面積72平方メートルに切り込み移動、今や1000平方メートルを超える棚に成長見事に復活した驚異的な生命力」と書いてあります。大藤は咲いていませんでした...足利フラワーパーク(前編は藤の花)

  • 福島桜紀行(その3 花見山公園)

    三春の滝桜は数日早くて残念な思いをしましたが、2日目に行った花見山公園はちょうど見頃で本当に感動しました。花見山公園とその周辺は福島市渡利地区の花木生産農家により、色とりどりの花木畑や、里の原風景で織りなされています。その集落の1軒の阿部家でも戦前、戦後を通し、山を開墾し花木栽培を続けてきました。1950年代後半になると開花期には山が一面の花で埋まるようになってきました。花卉栽培の作業をしながら観光客の相手までする余裕が無かったこともありますが、戦場で多数の悲惨な死を見てきた阿部家の主は、戦争で苦しんだ人たちを元気づけたいとの思いもあり、昭和34年4月に無料開放したのが花見山公園の始まりです。その後写真家の秋山庄太郎氏によって紹介され、観光客が増加していったため、周辺の整備も行われました。ただ花木の栽培や管理は...福島桜紀行(その3花見山公園)

  • 福島桜紀行(その3 猪苗代湖)

    ホテルから天鏡閣まで乗ったタクシーの運転手さんが、見学を終えるころ門の所で待っていてくれました。猪苗代駅まで送ってもらうつもりでしたが、時間があるからと、途中2か所に車を停めてくれました。最初が十六橋(じゅうろっきょう)です。戊辰戦争の際、西軍(新政府軍)は母成峠を破り、この十六橋の破壊が間に合わず橋を渡って戸の口原に侵攻。白虎隊は戸の口原で西軍と戦うが敗北し、水路を伝わって飯盛山に集結し自刃したという話。その時の話はこちらに書いてあります→★猪苗代は戊辰戦争の舞台となった場所で、昨年で戊辰150周年あたるそうです。これが西軍の侵攻を防ぐため破壊しようとしたが間に合わなかったという十六橋です。その後、猪苗代湖にまだ白鳥がいるというので立ち寄ってみました。カモがたくさんいます。いました。白鳥。数羽は北へ帰らず、こ...福島桜紀行(その3猪苗代湖)

  • 福島桜紀行(その3 天鏡閣)

    福島桜紀行は2日目です。まずはホテルからほど近い天鏡閣に行ってみました。天鏡閣は有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)親王殿下によって明治41年に建てられ、大正天皇が命名された洋館です。ルネッサンス様式の意匠をこらした館内は明治の香りを今に伝えております。本館は2階建て天然スレート葺きの八角塔屋付きです。内部は撮影ができました。食堂居間撞球室西客室天鏡閣の名にふさわしく館内には七面の鏡があります。居間やホールの壁につくりつけられた装飾のある暖炉、マントルピースは大理石が使われ、アール・ヌーヴォースタイルのものです。マジョリカスタイルといわれるイギリス製のタイルが使われています。塔屋に来ました。塔屋の窓から見た風景です。離れたところに天鏡閣別館が見えます。福島桜紀行(その3天鏡閣)

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