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承久之乱(平安時代叢書第二十集)月〜金18時 https://ameblo.jp/tokunagi-reiki/

鎌倉幕府の成立後も平安時代は続く。平安時代の終わりは承久の乱。 ドラッカー講座 日曜18時 / 平安時代講座 土曜18時

<フィクション> ・わかりあえるはず ・あおひとくさ ・ほしがき ・せむかた -restart- ・ほむらみさき ・苦悶の捕虜 ・ほむらみさき、そして… <ノンフィクション> ・獅子光臨〜三原修の足跡 ・朴正煕の野望 ・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。 ・蟹工船の時代 ・平安時代叢書

德薙 零己
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川口市
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2008/01/03

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  • 承久之乱 107

    この構図が成立しているのに加え、近衛家と対立する九条家の輩出した一七歳の若き俊英である九条道家の存在があまりにも大きかった。 近衛家当主である近衛家実は関白…

  • 承久之乱 106

    年が明けた承元三(一二〇九)年一月、この時代の年齢の数え方は、誕生日で年齢を一つ刻む満年齢ではなく、元日と同時に年齢を一つ重ねる数え年であるため、源実朝は一…

  • 承久之乱 105

    間もなく年が暮れようかという承元二(一二〇八)年一二月二六日、京都の中原親能が在京のまま六六歳で没したという連絡が来た。 中原親能が亡くなったのは一二月一八…

  • 承久之乱 104

    そしてもう一歩踏み込んで調べると、もう一つの奇妙な点が見えてくる。 鎌倉幕府の政所を調べてみると、最高責任者である別当が複数名いるケースが出てくるのだ。トッ…

  • 承久之乱 103

    承元二(一二〇八)年一二月二〇日、熊野詣より北条政子が戻ってきた。 と同時に、源実朝に一つの知らせが届いた。 一二月九日に正四位下に昇叙したのである。 これ…

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  • 承久之乱 102

    北条政子は鎌倉幕府のキーパーソンである。無位無官の一庶民であるという建前はあっても、鎌倉幕府の創設者の妻にして、現在の鎌倉幕府のトップである人物の実の母であ…

  • 承久之乱 101

    北条政子が京都に出向いたことで得られるメリットは三つある。 一つは後鳥羽上皇と面会すること。本来であれば無位無官の北条政子が後鳥羽上皇に会うなど許されないの…

  • 承久之乱 100

    後鳥羽上皇と源実朝とは面識が無い。 後述することになるが、源実朝はその一生を鎌倉とその周囲で終えたため、生涯に亘って後鳥羽上皇と顔を合わせることが無かった。…

  • 承久之乱 99

    吾妻鏡の承元二(一二〇八)年七月一五日の記事はわかりやすい例だ。 この日、威光寺の僧侶である円海が鎌倉までやってきて被害を訴え出たのである。狛江入道増西とい…

  • 承久之乱 98

    天然痘を乗り越え、病床から復帰し、後鳥羽上皇の趣味に同調することで朝廷権力を自身の背景に加えることに成功した源実朝は、政治家としての活動を徐々に強めていくこ…

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  • 承久之乱 97

    後述するとした院政の歴史における重要なランドマークの消失についてであるが、その記録は吾妻鏡に記されていない。吾妻鏡の編纂者は記すまでもないことと扱ったのかも…

  • 承久之乱 96

    この日の記録として、後鳥羽上皇のもとで大規模な競馬(くらべうま) や流鏑馬が開催されたことが残されているのである。なお、実際に開催したのは五月九日のことであ…

  • 承久之乱 95

    伊豆で流人生活を送っていた源頼朝が京都の情報を定期的に得続けていたことは何度も記してきた通りである。ただし、源頼朝が獲得していた情報はあくまでも私信であり公…

  • 承久之乱 94

    組織の永続性(ゴーイングコンサーン) を考えるとき、現時点でトップの地位にある人の身に何かあったときの対処は絶対に欠かすことができない。そして、この時点の鎌…

  • 承久之乱 93

    源実朝が病気で倒れるところまでは、問題ないとまでは言わないにしても許容できる範囲である。しかし、源実朝がいなくなってしまったら鎌倉幕府はどうなってしまうのか…

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  • 修学旅行(18)

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  • 承久之乱 92

    承元二(一二〇八)年閏四月一五日、京都で大火が発生した。近衛家実の日記によると、七条北東洞院辺で発生した火災はそのまま西へ北へと燃え広がり、北は四条大路、西…

  • 承久之乱 91

    源実朝が表舞台から姿を消したとして、鎌倉幕府は正しく運営できるのか? 結論から言うと、可能である。 鎌倉幕府はもともと、源頼朝に仕える者を束ねる組織として誕…

  • 承久之乱 90

    奈良時代の天平年間に日本中に広まった天然痘は、当時の日本列島の人口の三分の一を死に至らしめたという大災害であった。 それから何度も天然痘は日本中で流行し、天…

  • 承久之乱 89

    無論、改元したところで天候が回復することもなく、天然痘が鎮静化することも無い。 それどころか、改元後には鎌倉で天然痘が猛威を振るうようになるのである。 吾妻…

  • 承久之乱 88

    これは多くの貴族や寺社にとって、後鳥羽院のもとに仕える最高の理由となる。地頭が荘園に居座っているために、源頼朝以前とまでは行かないにしても、それまでのゼロ回…

  • タイムマネジメント 60

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