写真を躍起になって撮っているとカメラを持たない自分を見失っている。と気づけばいいのだが、撮れば撮るほど写真で物事を感じていると思う。人ごみにいる楽しさや天気のいい日に感じる自分の内の小さな感動。先日吉祥寺に撮影のために出かけてみて、街の雰囲気を感じ
なかなか手つかずだったテーマに参加してみました。僕の写真はスナップが多いので気軽なやつ。書いたからには誰かに見てもらいたいです。
どうも、相変わらず写真漬けの日々です。今月の一日学生合同展の例会に久しぶりに参加してきました。あの場は勉強になります。フラッシング?とかデジカメの使い方とか(超基本だけど知らなかった)。相変わらずの周りのハイレベルに最近調子乗ってたなぁ感が否めません。
例会お疲れ様でした。途中までしかいられませんでしたがとてもためになりました。やっぱ神ですあの人は。忘れっぽいのでここに感じたことをメモっておきます。ご参考に。現状我が写真部は撮っただけの写真が氾濫していること。これは特に神様はお話しに出していた(以後
日本の祝い方っていいですね。そのスタイルがたまらない。「ハッピーニューイヤー!」とか大声で叫ぶより、屋台や炊き出しに並んで「寒いね」「美味しいね」とか言って過ごすことがなんと感覚的なことか。そう、日本人は事実よりも感覚を言う。本来そう言う生き物なのか
最近スナップ写真にはまっていて少し前にかったGR1sで撮りまくっています。週に5、6本ペースになってしまって現像とかどうするんでしょうか、自分。明日カラーを引き取りに行きます。カメラを変えてから初めての現像なので、どんな風に写りが違うのかが楽しみです。一
底の方腐ってんじゃねぇかくらい放置していましたが大丈夫でしょうか。pass分かんなくて三十分くらい開くのに時間かかったし。さてさて、最近と言うとmixiとか言うものを背の高い人にすすめられて登録させられました。ひぃ。なんなんですかこれって?しばらく怖いので
なんとなく森山大道さんのことばを書きたくなりました。「決定的瞬間はその人の考えの中にある。ぼくにとっていつも決定的瞬間なんだ」「写真は今しか写らないけど、過去と未来にどこかで繋がっている」GRv1片手にふらふら歩きながら撮っていました。その姿を見
軽量フィルムカメラを探しています。スナップ感覚で撮れるレンジファインダー辺りを。クラッセ、ベッサ、ナチュラとかがカッコいいですね。値段の事情でナチュラが妥当かと。一眼レフならオリンパスのMXとか小さくて軽くていいんですよね。ナチュラ…。悩む。かと言っていつ
写真ってものはどうしても内面的になりがちなものです。何故かというと、気持ち一つで撮る人の視点が変わるからだと思います。一枚の中に物語を詰め込みたい人、自分の意図を写真に入れて気付いてもらおうとする人、撮ることで自分を納得させることを目的とるす人、色ん
比較的暖かい日が続いていますね。寒くなるんだと一度意気込んだ身としては、少しもの足りない感じがあります。かと言って凄く寒くなってみると、文句ばかり言うというお茶目さん。モンスターエンジンと言う芸人さんがユーチューブで流れていて、はまっています。芸と呼
名前は忘れましたが、自分とは何かについて書いてある本を少し前に読みました。自分とは外見か?どんな美女、美男でも顔をつぶしてしまえば特定出来なくなってしまう。なら自分とは内面か?どんな天才でも能力は衰えていくもの。だとしたら自分なんてないじゃないか、と
モノクロ写真を上のピクスに追加しました。
今日は久しぶりに部活の皆と集まって軽く例会(作品などをお互い見せて意見を出し合う場)が開らかれました。自分のは自信作だったんで作品に関して余裕ぶっこいてたら中々厳しい指摘があり、非常に勉強になりました(手前の手が邪魔かぁ;考えもしなかった↓)。ほんと反省しま
福田さんお疲れ様でした。びっくりしたとかよく言いますよね。理解に苦しみます。続けられねぇもんは無理なんだよ。でもまぁ、遠い国では一人の代表を決めるのにお祭り騒ぎなのに、日本はころころ変わりますね。どっちがいいかは分かりませんが。問題なのは50年後の受験生と
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