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ニセアカシアの花
宮島サービスエリア近くをウォーキングしていると道路斜面に藤の花に似た白い花があった。藤の花は蔓性の植物であるが斜面に生えた木に咲いていた。Googleレンズで検索するとニセアカシアのようであり、北米原産で植物学上の標準和名はハリエンジュというようである。ニセアカシアの花
2025/04/30 06:00
市道堂垣内広池山線工事の今
市道堂垣内広池山線工事の可愛川部分の橋梁工事で、看板表示に橋梁上部工事とあるので橋桁が架けられ床版・舗装と橋が出来上がるのであろう。工期は9月30日と表示してあった。市道堂垣内広池山線工事の今
2025/04/29 06:00
二重原地区産業団地工事の今
上平良二重原地区に予定されている産業団地の工事に向けての準備作業が行われている。現在現場事務所の建築工事が行われており、まもなく造成工事に向けての森林伐採がはじまるのであろうか。二重原地区産業団地工事の今
2025/04/28 06:00
草笛
ボチボチと田んぼの準備をしなければいけないので取り掛かった。田んぼにはスズメノテッポウという雑草がびっしりと生えている。子供の頃の記憶で穂先と茎を引き抜いて葉を折り曲げて吹くとピィーと小さな音が鳴り子供の頃を思い出したのである。草笛
2025/04/27 06:00
キナヤ
キナヤ(木納屋)といってもわかる人は少ないであろう。昔炊事や風呂焚きの燃料は木材などであり、焚き付けをするコクバ(松の落ち葉)やコギ(細い立ち木を束ねたもの)、ワラキ(割り木)などを木納屋(木小屋)に収納していた。また農業用の用具なども保管していた。キナヤ
2025/04/26 06:00
ネコグルマ
崩れそうな木納屋にネコグルマの部品である猫背状の木材があった。親の時代には山で曲がった木を挽割加工して上画像のようにし、横材などで下画像のように組み立て車輪を付けて農作業運搬具としていたのである。ネコグルマとは両側の枠材が猫背状であったので名付けられたものであろう。ネコグルマ
2025/04/25 06:00
椎茸が!
以前に植菌したほだ木からは冬の時期に椎茸が出来ていたが、去年植菌したほだ木からは出来なかった。ところが久しぶりにみると1本のほだ木から沢山の椎茸が出来ていた。今年植菌したほだ木は仮伏せしているがぼちぼち本伏せをしなければ・・・椎茸が!
2025/04/24 06:00
広島はつかいち大橋架橋工事の今
時折り紹介している広島はつかいち大橋架橋工事の進捗状況で、以前の看板表示では海上部上部工工事で工期は4月14日までとなっていたが、現在看板には10月14日までの工期となっていた。広島はつかいち大橋架橋工事の今
2025/04/23 06:00
EXPO 70
現在大阪・関西万博が開催されており、毎日動静が報道されている。本棚の片隅に昭和45年(1970)に開催された時の「万国博オールガイド」冊子があった。訪れたパピリオンには印を付けており2日間で外国館37ケ所、国内館10ケ所と記しているが何を見たか覚えていない。若かったのだなあーもう行く元気はない。EXPO70
2025/04/22 06:00
抹茶碗で一服⑨-宮島焼
今日の一服飲む茶碗は宮島口の窯元である川原厳栄堂の川原陶斉の抹茶碗で、ちょっと見た感じは萩焼かと思うような茶碗である。宮島焼は宮島の砂を混ぜて焼くことから御砂焼、神砂焼とも言われているようである。抹茶碗で一服⑨-宮島焼
2025/04/21 06:00
旧石州往還道
平良地区丘陵開発地の西側に伸びている御棒杖山と菊ケ迫山の尾根に旧石州往還道があったことを何度か紹介している。先日紹介した市道堂垣内広池山線工事で寸断されたが所々に掘割の往還道跡がみられる。工事近くの測量杭をみると旧往還道の幅員が1m位となっているが荷駄馬が行き来した道はもっと広かったのではなかろうか。旧石州往還道
2025/04/20 06:02
三和村
旧佐伯町内にかつて四和村があったことは知っていたが、佐伯郡地誌略の地図を見ていてかつて三和村があったのを初めて知った。明治22年(1889)に峠村とは離れた飛び地である渡ノ瀬村、松ケ原村の三村が合併して三和村となり、役場は峠にあったようである。昭和4年(1929)に三和村・友原村が合併して友和村となった。三和村
2025/04/19 06:00
ハエブチ
ハエブチと言ってもわかる人はほとんどいないのではなかろうか。ハエ叩きのことで現在はハエを見ることは少なくおれば殺虫剤を使用している。物資のない時代に親たちが作っていたハエ叩きを作ってみた。棕櫚の葉を利用したもので後にプラスチックで出来たハエ叩きを見るようになった。ハエブチ
2025/04/18 06:00
野壺が!
先日、旧石州往還道からみた市道堂垣内広池山線工事ケ所(画像上向こう側)を紹介したが、旧石州往還道があった菊ケ迫山や御棒杖山の多くはかつて段々畑であった。この段々畑の跡に野壺が残されており、かつての農業施設で屎尿を貯蔵して腐敗させ畑の下肥として使用するための貯蔵壺であった。野壺が!
2025/04/17 06:05
平良丘陵開発用地内の予定登山道
昨日紹介の消滅した極楽寺参道の代替えの予定登山道のルートが工事説明会の資料の中に表示してあった。山陽自動車道の既設トンネルを通るルートのようで、旧参道は極楽寺橋から高圧線鉄塔脇、12丁碑ケ所で行き止まりになる。(中央上の赤線ケ所)※一昨日、11月18日をもって当ブログサービス終了とのお知らせがあった。2006年6月22日から老化防止のため19年間当市域を中心としてみたままを、当ブログを利用をさせて頂き紹介してきた。開設日の6月22日か、8月21日が開設7000日目となりますので、この日を目途に次の方策を・・・平良丘陵開発用地内の予定登山道
2025/04/16 06:00
平良丘陵開発用地内の石仏・里程碑
現在行われている平良丘陵開発用地内にあった極楽寺参道には以前にも紹介したが、石仏や里程碑の4丁碑・5丁碑・6丁碑・7丁碑・10丁碑があったが現在どこかに保管されているのであろう。これらは開発完了後どのようになるのであろうか。平良丘陵開発用地内の石仏・里程碑
2025/04/15 06:07
平良丘陵開発の今
2025/04/14 06:00
遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
昨秋に種蒔きした廿日市20代目桜島大根と廿日市10代目切葉松本地大根の双葉が出た頃に虫に悉く食われてしまいもうこれまでかと思っていた。しかし何とか残った苗で上画像の桜島大根、下画像の切葉松本地大根が育って花が咲いている。これらから種を採って廿日市21代目桜島大根と廿日市11代目切葉松本地大根を育てるつもりである。遊びの菜園-桜島大根・切葉松本地大根の今
2025/04/13 06:00
時折り紹介している市道堂垣内広池山線の可愛川に架かる橋の橋脚工事の進捗状況で、西側の橋脚工事はほぼ終わっているようである。完了している東側の橋脚上で何かの作業をされていたが架橋に向けての準備作業なのだろうか。市道堂垣内広池山線工事の今
2025/04/12 06:00
先日、平良丘陵開発用地側の市道堂垣内広池山線の進捗状況を紹介したが、平良集落側の道路予定地付近から菊ケ迫山をみると工事の気配は見られない。(上画像)しかし中平良付近からみると先日紹介した東側からの工事が平良集落山林間際まで進んでいるようである。市道堂垣内広池山線工事の今
2025/04/11 06:00
春らんまん
ウォーキング途中の道すがら様々な花が咲いており目の保養になっている。以前にも紹介した伊勢神社の老樹の桜、原市民センターのしだれ桜、道すがらの花桃、トキワマンサク、タンポポや名も知れぬ草花などがみられた。春らんまん
2025/04/10 06:00
原低区配水池
時折り紹介していたウォーキング途中でみられる原低区配水池の工事がすでに完了していた。、上画像は原小学校プール脇に大きな配水タンクが設けられており、平良・原地区境付近に下画像の中継ポンプ所が設けられている。原低区配水池
2025/04/09 06:00
錦町ぶらり-広瀬御本陣跡
昨日紹介した末広橋から真っ直ぐに進んだ高台にある広瀬御本陣跡で、江戸期隅貞家は庄屋で本陣を務めており、屋敷内に前山代宰判の勘場(宰判役所)が置かれていたようである。看板表示に明和頃の広瀬御本陣の間取り図が表示されているが、現存の建物は江戸末期に焼失後文久元年(1861)に再建されたもののようである。錦町ぶらり-広瀬御本陣跡
2025/04/08 06:00
錦町ぶらり-船橋
錦川に架かる末広橋で、この場所を江戸期の絵図でみると船橋長38間とあり、何と船を何艘か並べて板を架け渡して橋としていたようである。大きな川であり洪水の時には船を移動させて大水に対応できるようにしていたようである。(山口県立文書館-御国廻行程記絵図より)錦町ぶらり-船橋
2025/04/07 06:00
さくら満開
ウォーキング途中で久々に訪れた伊勢神社境内の桜が満開であった。例年のようにボンボリが吊り下げられていたが寒いので夜桜見物する人は少ないのではなかろうか。下画像は元原村役場(現橋本集会所)があった所の老樹桜も満開であった。さくら満開
2025/04/06 06:00
平良丘陵開発地側の市道第2群塚線から菊ケ迫山に向かって行われている市道堂垣内広池山線工事の現状である。旧石州往還道部分からみた掘割部分でこの先の西側部分は見ることが出来なかった。下画像の杭間(赤丸)が旧石州往還道部分で掘割り向こう側に続いていたのであるが・・・市道堂垣内広池山線工事の今
2025/04/05 06:00
時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、開発用地の西側に伸びている御棒杖山・菊ケ迫山に残されている旧石州往還道からの遠望である。上画像の矢印ケ所が宮島サービスエリアの展望所で、時折り展望画像を撮影しているところである。平良丘陵開発の今
2025/04/04 06:00
広瀬八幡神社
長い石段を上った高台にある広瀬八幡神社を参詣した。この神社の拝殿は当地では見られないような形式のものであった。拝殿の中央に通りがあり両側に板敷間が設けられているもので、いわくに文化財探訪によると「拝殿中央に馬道をとる割拝殿形式で、これを横町と呼んでおり、かつて礼祭の際は、名主が裃に着替え、神事に臨む前の控えの場所として横町は使われた。錦川を挟んで西側の名主と東側の名主各十二人、計二十四人の座が建物内で定められている」と記されていた。広瀬八幡神社
2025/04/03 06:00
木炭自動車が!
先日紹介した西岩国駅前に再現された木炭自動車が置かれていた。稼働しているのをみてみたいものである。当ブログ主が子供の頃、原行きの木炭バスが舗装もされていない砂の坂道をノロノロと登っていたのを思い出したのである。木炭自動車が!
2025/04/02 06:00
宮の串地区の遠望
錦川鉄道の車窓から宮の串地区の遠望で、錦川沿いに国道187号線が通っており三叉路向こう側に行くと本郷方面に向かう。三叉路角の神社境内にかつて河山村役場があり、後に美川町役場、岩国市役所美川総合支所があったが現在は取り除かれている。この地はかつての中心地であった。この宮の串には昭和20年頃廿日市電停前から広電バスが本郷村を経て宮の串までの路線があった。(下画像赤丸-広島電鉄開業80年・創立50年史より)昭和23年に省営自動車が本郷線の営業開始したので、昭和24年には広電バスは本郷までの路線となっている。宮の串地区の遠望
2025/04/01 06:00
2025年4月 (1件〜100件)
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