親愛なる兄弟姉妹の皆さん人々をいやされるイエスの観想を続けましょう。今日は特にわたしたちが身動きできない、行き止まりの道に迷い込んだ状況を考えて欲しいと思います。しばしば、希望を持ち続けることが無駄に思われることがあります。諦めが生じて、もう闘うこともしたくなくなります。こうした状況が、福音書の中で、体の麻痺した人のいやしを通して語られています。こうしたことから、今日は、ヨハネによる福音書の5章にある、病気で動けない人をイエスがいやすエピソード(5,1-9)を取り上げたいと思います。イエスはユダヤ人の祭りのためにエルサレムに行かれました。すぐに神殿に向かわれず、ある門の傍らで足を止められました。それはおそらく犠牲として捧げられる羊を洗う場所だったかと思われます。この門の近くには、多くの病人が横たわっていま...イエスの「ベトザタの池でのいやし」を考える、教皇一般謁見