ある風の強い日でした 庭には、ママとおばあちゃんが育てた花が 咲き乱れていました でも、その日の風はとても強く 花が風に薙ぎ倒されています 『ママ、ちょっとペチュニアの丈を短くしてこうか? そうせんと、風であかんくなってしまいそうやで・・・』 とママに言うと 『そうやな、そしたらちょっと短く刈り込んで来て』 と言われ、私は庭に・・・
10年ほど前だろうか 確か季節は秋 私は、実家へ何かの用で立ち寄り 車を家の車庫の前に路上駐車していました たまたま、ママの友達も来ていたので 話に花が咲き、2〜3分のつもりが 実家で1時間ほど居たと思います おばあちゃんが、立ち上がり
おばあちゃんは、本当に楽しい人だった いつも、色々な事を思い出すんだけど 忘れないように、思い出した思い出を ちょびっとずつ綴っていこうと思います たぶん、私が中学校の頃の夏の暑い日 学校から帰って、勝手口から家に入ると おばあちゃんが居た (何故か大人になるまで、玄関というものを 殆んど使った事がなかったなぁ・・・何故?) 「おばあちゃん、ただいま〜」 「ひかり、おかえりぃ」
・・・ どれぐらい時間がたったんだろう・・・ 喫茶店で、叔父の話に笑い 姪の行動に笑わされ・・・ アナウンスが流れた 『・・・(覚えてない)』 私たちはゾロゾロと歩き
思ったより早く目が覚めて 早速、おばあちゃんのところへ これが現実なのか・・・と ガッカリしながらも 9時のお葬式の前には お寺の方や、私の叔父や叔母 そして、姪や甥もきてくれた お寺の方が読経してくれ それと一緒に、私たちも・・・ 読経が終わり
葬儀社の方が 『それでは、9時ごろにまいります』 と言われて、帰って行った ママと、剥き出しになっていたおばあちゃんの部屋の明かりに 和紙を張る作業をする そして、一段落し おばあちゃんに触れてみる 葬儀社の方が、ドライアイスを おばあちゃんの顔の両サイドに設置しているので 耳とかが、どんどん冷たくなっていく・・・
おばあちゃんが病院で亡くなって 横浜にいる弟に電話をし そして病室に戻ると 誰もいない・・・ え〜なんでおばあちゃん一人なん? 談話室には今まで私がいたから そこではないし と思ってウロウロしたら おばあちゃんが元々いた病室にママがいた どうやら・・・
横浜の弟に 『よく見てくれたね ありがとう』 って言われたけど 私自身の中では もっと一緒に居られたのに・・・ という後悔の気持ちでいっぱいだった 毎日毎日 おばあちゃんの病院に行きながら
大好きだったおばあちゃんが 5月29日 早朝2時24分 永眠しました 前日の夜9時半頃、主治医の先生から自宅に電話があり 夕方、大量にもどし、それを誤嚥したので 肺炎を起こしている 高齢ですので、もしかしたらという事があるかもしれません というものでした ママがその電話を受けたんですが
おばあちゃんは、心臓が元々あまり良くない 入院中の今も、不整脈が続いている このあいだ、床ずれの先生との会話で へぇ〜そうなんだ〜 と思ったのが 心臓が悪いと、腸の働きも悪くなるって事!
一週間前に輸血をしたおばあちゃん ずっとしつづけるのかとおもいきや 1日で終了 輸血をした日は、朝から熱があったらしく 輸血中もちょっとしんどそうでした そして、その後は血液の状態も少し良くなったんですが またちょっとずつ悪くなるようで 一昨日、昨日と 少量ずつ輸血しました
糖尿病のおばあちゃんは 良くなったり、悪くなったり… 一進一退を繰り返しています 3月ほど悪くはなっていないんだけど 血液に栄養がなかなか行きわたらず 先生から輸血をしてはどうかとの 提案がありました
(昨日の写真です) 今日は、私が病院へ行けなかったので (ちょっとママが忘れ物をして、面会時間後に行ったけど・・・) ママが行ってくれました(*^^*) ママから聞くと、今日のおばあちゃんは 本当によく喋ってたそうで 「姉さん呼んできて・・・」 とか、色々喋った後で ウワァ〜ンと泣いたりしてたそうです あんまり泣いたりするから
今日のおばあちゃんは、 口の中もキレイで 手もよく動かします 看護師さんたちがバタバタしてたので ちょっとバイタルを聞けなかったんだけど それでも、見た目はいい感じ 頑張れ、ふうちゃん!
今日のおばあちゃんは 微熱はあるものの 血糖値も180台 酸素濃度は100% 尿も、私が帰る時点で1500cc そして、何より おばあちゃんが目を開けています! まだ、あまり会話は出来ないんだけど 泣いたり、嫌がったり
「ブログリーダー」を活用して、ひかりさんをフォローしませんか?