(愛知県清須市西枇杷島町小田井・名古屋市西区上堀越町2006年11月30日)庄内川に架かる名古屋高速6号清洲線の橋である。形式はエクストラドーズド(主塔と斜材により主桁を支える外ケーブル構造)であり、橋長294m(3径間)最大幅員23mである。橋自体は平成16年に竣工しているが、平成19年度の開通を目指して工事が進められている。新名西橋
(遅刻坂東京都千代田区永田町)メキシコ大使館と日比谷高校の間を赤坂の外堀通りに向かって下る坂は、明治時代に開削されたものである。永田町新坂
(天台宗明光山松寿院願王寺名古屋市西区中小田井2006年11月20日)天長六年(829)疫病が流行した際、僧澄純が滋覚大師(円仁)の薬師如来を安置し、疫病消除を祈願したのが始まりとされる。天正元年(1573)小田井城主織田信張が伽藍を寄進し、明治42年(1909)信州善光寺より阿弥陀三尊を勧請して、善光寺別院となった。小田井善光寺
(東京都渋谷区東)慶安三年(1650)麻布櫻田町(港区六本木)に創建したのが始まりという。元禄十一年(1701)現在地に移転している。寺号は禅語「一口吸盡西江水洛陽牡丹新吐蘂」(大河の水一切を飲み尽くせば、忽然と大輪の牡丹の花が咲く)を由来とする。普光山吸江寺
(愛知県蒲郡市大塚町十能2006年10月30日)吉良道(平坂街道)沿いにある寛政三年(1792)造立の秋葉燈籠である。十能常夜燈
(旧所在地:東京都渋谷区桜丘)左は寛文十二年(1672)に造立された角柱型庚申塔で、三猿が刻まれている。右は舟型庚申塔で享保四年(1719)造立である。大和田庚申塔
(愛知県蒲郡市三谷町東旧村社2006年10月30日)白鳳年間(672-86)天白大王宮として創建という。素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、明治時代に天白神社と改称されている。三谷天白神社
(東京都渋谷区東)昭和49年(1974)渋谷区議会議員故白根全忠氏より宅地、資料の寄贈を受け、翌年に渋谷区の原始から現代までを紹介する渋谷区立白根記念郷土文化館が開館した。平成17年(2005)には施設を改築して、渋谷にゆかりの文学者の作品と資料を展示する文学館を併設した。白根記念渋谷区郷土博物館・文学館
昭和33年(1958)大阪府堺市の帝國車輌で製造された南海電気鉄道高野線直通運転の優等列車(ズームカー)用の車両である。平成9年(1997)大井川鐵道に譲渡され、普通列車の運用にあたっている。(2006年10月26日)旧南海21000系
(東京都渋谷区千駄ヶ谷)青山権田原(外苑東)に、江戸幕府の鉄砲甲賀百人組によって祀られたのが始まりとされる。明治18年(1885)陸軍青山練兵場を設置するため、鳩森八幡神社境内に遷座された。昭和13年(1938)稲荷社に安置されていた随身像を修復した際、その胎内から「奉納甲賀百人姓名書」と「御修覆記」が発見されている。甲賀稲荷社
(静岡県島田市金谷東2006年10月26日)昭和2年(1927)に開業した大井川鐵道の駅である。構内の施設は往時のものが多く残されている。新金谷
(東京都渋谷区神宮前・千駄ヶ谷)外苑西
(静岡県島田市金谷河原2006年10月26日)浄土宗法性山専求院境内にある石幢(せきどう)である。六角地蔵は六道を表す地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道全てを救う役割を担う。石幢六角地蔵
(東京都渋谷区千駄ヶ谷都有形民俗文化財)鳩森八幡宮の境内にある富士塚は、富士山に見立てた築山に浅間神社等を祀って信仰する富士信仰である。千駄ヶ谷富士は寛政十年(1798)に築造され、七合目に窟を設けて、江戸時代の富士講指導者である食行身禄の石像が祀られている。千駄ヶ谷富士
(静岡県島田市金谷宮崎町2006年10月26日)金谷の鎮守として素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る牛頭天王社を大井川沿いに建立したのが始まりとされる。寛文元年(1661)水害により大覚寺(金谷本町)に遷座し、明治維新後は現在地に遷座、現社名に改められている。金谷八雲神社
(東京都千代田区神田三崎町)かつて三崎町には越後長岡牧野家上屋敷があり、安政七年(1860)跡地が幕府講武所となった。明治維新後は陸軍の練兵場となったが、明治23年(1890)三菱に払い下げられ、その後市街地化された。また、JR水道橋駅は神田三崎町地内に立地する。神田三崎町
(静岡県島田市金谷坂町2006年10月26日)東海道金谷坂沿いに、朽ち果てた親木の根を囲んで生える五本の楠がある。五つ子楠
(東京都文京区目白台)旧江戸川(神田川)に面する関口台地麓に築造された熊本藩細川家下屋敷(別邸)の一つである。細川家以前は清水徳川家、一橋徳川家の下屋敷があり、廃藩後は細川家の本邸となった。邸内にある松聲閣(しょうせいかく)は学問所として使用された。昭和35年(1960)東京都に売却され新江戸川公園となった。細川家下屋敷
(金谷劇場静岡県島田市金谷宮崎町2006年10月26日)大正2年(1913)に築造された、木造2階建、正面モルタル貼りの劇場である。当初は舞台劇場であったが、戦後は映画館として昭和44年(1969)まで営業された。(2008年解体)旧金河座
(東京都文京区目白台区指定有形文化財)日本女子大学内にあるこの建物は、明治39年(1906)に豊明図書館兼講堂として煉瓦造で築造された大学講堂である。大正12年(1923)関東大震災により被害を受け、煉瓦は剥がされ現在の姿になった。昭和36年(1961)大学創立60周年を記念して、構造補強が施され、創立者成瀬仁蔵の名をとって成瀬記念講堂と改称されている。成瀬記念講堂
(愛知県清須市西枇杷島町・名古屋市西区枇杷島2006年)元和八年(1622)庄内川を渡る美濃路の橋として架けられたのが始まりである。現在の橋は昭和31年(1956)に架けられたもので、日本百名橋に選定されている。上流側には名古屋鉄道の庄内川橋梁があり、絶え間なく列車が橋を渡っている。枇杷島橋
(東京都墨田区横網)平成5年(1993)両国貨物駅跡地に開館した7階建の江戸東京博物館は、近世江戸と近代東京の歴史や文化を伝える施設として設置された。江戸東京博物館
(岐阜県大垣市船町2006年10月17日)大垣城の外堀の役目を果たした水門川は、安八郡輪之内町で揖斐川支流牧田川に注ぐ木曽川水系の一級河川である。慶長年間、大垣藩によって船町湊が設置され、町は水運によって栄えた。元禄二年(1689)松尾芭蕉はこの地を訪れ、「おくのほそ道」結びの地として「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と句を詠み、船で伊勢二見に向かうためこの地をあとにした。水門川船町湊
(東京都江東区大島)旧中川右岸のこの地は、かつては川に挟まれた湿地帯で大きな中洲のような地形であったことから大島(おおじま)と名付けられたという。大島駅近くには都営新宿線開通以前からのマンモス団地が点在し、地域の人口を増やしている。江東大島
(岐阜県大垣市俵町2006年10月17日)菓子製造会社鈴木栄光堂の建物である。木造建築は大正3年(1914)、鉄筋建築は昭和10年(1935)である。ゼリコ
(東京都世田谷区豪徳寺)正徳五年(1715)に創建した真言宗善性寺は、大山寺を開山した良弁が彫ったという不動明王を本尊とする。然し、明和年間(1764-71)に寺が火災に遭い、全てを焼失して、その後再建されている。赤堤山善性寺
(岐阜県不破郡垂井町2006年10月17日)昭和初期に築造された銀行建築である。後に赤坂銀行(不破郡赤坂町)は十六銀行(岐阜市)に吸収合併され、戦後、垂井支店建物は個人に売却された。旧赤坂銀行垂井支店
(東京都港区白金台)昭和13年(1938)建築家内田祥三によって設計された、SRC造7階地下2階塔屋付、延床面積15,091m2の研究所施設である。業務で関係する東京帝国大学伝染病研究所と隣接して設置され、平成14年国立医療科学研究院として改組されたのを機に埼玉県和光市に移転した。その後暫く閉鎖されていたが、平成30年(2018)港区の郷土歴史館、在宅緩和ケア支援センター、子育て施設、区民協働スペース等の入る複合施設「ゆかしの杜」として再利用された。旧国立公衆衛生院
(岐阜県不破郡垂井町府中2006年10月17日)美濃国府政庁跡に鎮座する御旅神社は、金山姫命(かなやまびめのみこと)を祀る。旧美濃国総社と推定され、南宮大社(仲山金山彦神社)の御旅所(神幸渡御の仮安置所)の神社でもある。寛永十九年(1642)には、徳川家光が南宮大社と共に社殿を造営している。南宮御旅神社
(東京都台東区鳥越旧郷社)かつて存在した鳥越山を境内地としていた鳥越神社は、景行天皇年間(71-130)日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地を良き斎庭と定めて皇祖神を祀ったのが創始とされる。白雉二年(651)住民がその日本武尊を祀り、白鳥明神として改めて奉祀した。寛治六年(1092)前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り、無事隅田川を渡ることができたのを白鳥明神の加護と称え、鳥越大明神の社号を奉ったという。江戸時代に入ると天領の年貢を蓄える浅草御蔵を設けるため、幕府は鳥越山の土を使い隅田川を埋め立て、鳥越神社の境内は著しく縮小された。鳥越神社
(愛知県蒲郡市中央本町2006年10月16日)吉良道(平坂街道)沿いに真言宗松金山薬証寺がある。平安時代末期、三河国司であった藤原俊成が坂本村(蒲郡市坂本町)に創建したのが始まりとされる。その後衰退し廃寺となり、寛永二年(1625)現在地に再興され、明治12年(1879)には近隣にあった全高寺を合併している。薬証寺
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