パソコンの交換で、新しい機器に慣れる必要などがあり、しばらくブログ更新を停止していましたが、本日から再開してみます。休止していた間に、家庭内にもいろいろなことがありました。 まず、今月21日に、姉が死去しました。享年95歳でした。男、男、女、女、そして私が
多世代交流のブログ広場
時事評論、随想日記を綴るとともに、創作を連載の形で発表する場としても利用しています。過去作の詩集「愛それによって」単行本「おじいちゃんの書き置き」「あなたの孫が幸せであるために」も、全文を掲載しています。現在連載中の著書は「少年期の戦中と戦後」です。 「ブログ連歌」は07年10月から始めています。誰でも自由に投句してください。エンドレスに続けてギネスに挑戦です。
2024年5月
パソコンの交換で、新しい機器に慣れる必要などがあり、しばらくブログ更新を停止していましたが、本日から再開してみます。休止していた間に、家庭内にもいろいろなことがありました。 まず、今月21日に、姉が死去しました。享年95歳でした。男、男、女、女、そして私が
本日は、91歳の誕生日でした。ただし家の中でも話題になることはなく、私が何も言わないので、たぶん娘たちも気づかずにいたのでしょう。伝統的に、家族の誕生日を祝うという習慣は、私の家にはありませんでした。 でも、90年を超えてここまで生きてきたのは、長かったな
2024年5月
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パソコンの交換で、新しい機器に慣れる必要などがあり、しばらくブログ更新を停止していましたが、本日から再開してみます。休止していた間に、家庭内にもいろいろなことがありました。 まず、今月21日に、姉が死去しました。享年95歳でした。男、男、女、女、そして私が
本日は、91歳の誕生日でした。ただし家の中でも話題になることはなく、私が何も言わないので、たぶん娘たちも気づかずにいたのでしょう。伝統的に、家族の誕生日を祝うという習慣は、私の家にはありませんでした。 でも、90年を超えてここまで生きてきたのは、長かったな
昨日は、旅にくわしい孫の案内で「国営ひたち海浜公園」へ行ってきました。往復の列車からして、初めて経験する特別仕様車で、座席は進行の左側が2列、右側は一列のみという「ゆったり型」でした。こういう形の車両の存在自体を、私は今まで知らずにいました。勝田の駅か
珍しく昼のうちにブログを開けている。天気はおだやかな薄曇り、寒くも暑くもない、過ごしやすい季節である。明日は朝から「国立ひたちなか公園」へ行く予定がある。朝9時に出発で、乗る列車も予約で取ってあるとのことだ。 この公園には「日本で2番目に大きい」という
ちょっと油断すると、本当に無為のうちに一日が過ぎてしまう。体が健全体でなくなって、毎回の排尿を、カテーテルを通しての自家作業で処理しているのも影響していると思う。一日に数回、頃合いを見てすべて自分で出来るようになったのだが、それがかえって、一仕事してい
一転して、暗くて寒い一日になりました。強い雨ではありませんが、一日中、降ったり止んだりしながら、日暮れにさしかかっています。 テレビニュースによると、台湾ではマグニチュード7.7の地震があったとのことで、観光客も避難するなど、混乱に巻き込まれたとのことで
あたたかい春の日です。朝一番に、長女に付き添ってもらって、予約の決まっていた病院へ行ってきました。主治医からは、自分の身体の現状について、かなり明確な説明を聞くことができました。かかっているのは泌尿器科です。要するに私の膀胱が、経年で疲れ果てて、ダラン
新しい機器になって、まだ試運転中です。体調も、あまり良くはありません。地元の警察病院で、経過観察中です。明日は予定された通院日、現状に適応できる生活技術などを聞いてみようと思っています。きょうから四月、暖かくなる日を待ち望んています。
天気のよい土曜日の昼前だ、日当たりの良い居室は、暖房がなくても暖かい。一階と地下の会社には、きょうは休日だから誰もいないだろう。 身体はあまり健康体とは言えなくなったが、日常の暮らしが不快というほどではない、九十代になっているのだから、まあこんなものか
(熊)久しぶりですねご隠居、ずっとお呼びがないから、めでたく浄土行きしたかと思ってましたよ。(隠)失礼なこと言うな。五体満足で、ちゃんと生きてるよ。もっとも、その五体満足が、少々怪しくはなって来てるがな。でも現在90歳、この5月には91になるんだよ。(熊)そりゃ良か
3 月にしては底寒さを感じる、暗い日です。家に蟄居して、あまり興味もない高校野球のテレビ中継などを見ています。名義としては私が会社の代表者ですが、実務一切は、しっかり者の長女にすべて任せています。たぶん私よりも、経営者としての適性を備えているように思いま
とりあえず日記を書くように、日々を記録することから始めてみます。現在の私は、あまり健康体ではありません。ただし地元の警察病院で、主治医による定期観察を受けているので、深刻な心配はしていません。なにしろ90歳を過ぎているのですから、それなりの老体になってい
再開はしましたが、まだ本人はコロナだったらしい「病み上がり」状態で、おまけにパソコンも新品と交換になり、学び直しの手順にウロウロしています。1933年生まれで、間もなく91歳になる私としては、この先は「オマケ」の人生として、せめて悠々と暮らして行きたいもので
パソコンの不具合により突然の中断をしていましたが、機器を更新して本日からブログを再開できることになりました。従前と変わらず、よろしくお願い致します。じつはパソコンの不具合とともに、本人も「コロナ」感染により、しばらくの間おとなしくしておりましたが、そち
冬至が過ぎて2週間ほどになった。居室の窓の上部に当る直射日光の幅が、1メートル近くにまで拡大してきた。南側に建つ学生会館が新築されるとき、長女の助言を聞きながら、少しでも北側斜線を低くするようにと交渉したのが、その後ずっと役に立っているのだと思う。太陽
あまり正月らしくない、落ち着かない正月だった。家の中でも、ちゃんと「明けましておめでとう」の挨拶をしただろうか、記憶がない。正月は慣例で2日の新聞の発行がないから、正確なことがわかりにくいのもあるが、正月最初に編集されたであろう3日付の朝日新聞朝刊の大
今年も「あの日」が巡ってきた。私は小学校(当時の名称は「国民学校」)の2年生だった。目が覚めて起きたときから、家の中が妙に騒がしかった。兄が興奮した様子で「米英軍と戦闘状態に入れり…」と、ラジオのニュースを繰り返していた。資料によれば、「大本営陸海軍部
今までに、ほとんど経験した記憶がないのだが、きょうの朝、目覚める前に、母親に会っていた。実際の母親とは、昭和48年(1973年)に死別しているのだから、それはちょうど50年前のことになる。母の死因は乳がんだった。本人はかなり早期に乳房のシコリに気づいていたのに
大木晴子さん主催のライブ&トーク「希望をつなぐために語り・歌おう」を聞きに、渋谷の「LOFT9」へ、阿部めぐみさんに教えていただいて行ってきました。出演者は音楽家の中川五郎さんと伊東正美さん、司会が大木晴子さんでした。題名の通りに、今だからこそ西口のような
詩人サトウハチロー氏の妹(異母)に当る佐藤愛子の新著を読んでみた。百歳にして著書を出すということ自体が稀有のことと思われて、期待して買ってみた。が、読んでみての第一の印象は、やや外れというべきか、題名の通りの「屑籠」だなあ、ということだった。ちなみに検
雨に籠った一日を、終日、家で過ごしている。その雨も、たいした雨ではない。無理をすれば、近所への出掛けは、傘がなくても用が足せそうな程度である。それでも、どこへ行くあてもない。 長くお世話になった、毎週水曜日の午後1時半、サンプラザ地下にあるボウリング場
中野サンプラザが、この7月2日をもって閉館することになった。この施設には、長らくお世話になった。当面のおつきあいとしては、毎週水曜日に通っていた「ボウリング教室」が、私の近年の生活の大事な部分となっていた。教室と言っても堅苦しいものではなく、要するに仲
気がついたら、90歳になっていた。長女に「おめでとう」のお菓子をプレゼントされたのが、もう昨日のことになってしまった。90は漢数字で縦に書くと、「卒」の略字「卆」のように見えるから、昔から「卒寿」と呼ばれている。人生の卒業に近いようにも思われるが、私の身辺
かつて「鯉のぼりの歌」があったのを思い出した。五月になると、ラジオからも流れていたような気がする。学校で習ったのではなく、今もなんとなく覚えているので確かめてみた。甍(いらか)の波と雲の波重なる波の中空を橘かおるあさかぜに高く泳ぐや鯉のぼり開ける広きそ
タイミングを外して、やや季節外れの話題になってしまったが、今年の5月5日にも、屋上のポールに鯉のぼりを上げてみた。この鯉のぼりセットは、1991年に、最初の孫の誕生を祝って買ったことが、箱の蓋に書いてあった。その孫はすでに社会人になり、やや縁は薄くなっては
昨日は、西六郷少年少女合唱団の定期演奏会に行ってきました。どこかで縁がつながっているようで、この時期になると案内のお知らせが来て、長女が気をきかせてチケットの購入手続きもしてくれていたのです。会場では、お互いに高年齢になってきた「みんなのうた熱中人」と
きょうの朝日新聞土曜版「Be」の「サザエさんをさがして」は、1969年(昭和44年)の「公団住宅、また外れ」がテーマだった。この時代、私たちも住宅探しには苦労していた。当時は西池袋の、線路わきの四畳半アパートに住んでいた。生活の上では、幸いにしてテレビ拡張期だ
たぶん昨日のことだが(昨日のことなのに「たぶん」をつけなければならないのは不本意だが)、散歩に出て「春らんまんの中野通り」を見て来た。薬師公園のすぐ横にある歩道橋の上から眺めるのが、よい風景である。かなりの大木に育った桜の並木が、中野通りの両側に並んで
人は眠っている間に、かなり多くの夢を見ているらしい。ただし、記憶に残っているのは、目覚めに近い時間帯に見た、最後のものに限られるようだ。自分が夢を見やすい体質なのかどうか、他人との比較も出来なのでわからないのだが、朝起きる直前まで見ていた夢が、その時点
長らくブログは夜の寝る前に書くものだと思ってきたが、気がついたら書かずに寝てしまうことが多くなった。結果として2月には、たった一度しか書いてないことに気づいて愕然としたところだ。これでは訪問者が減ってくるのも当然である。自分の生活に「張り」がなくなるの
今年の5月になると、私は満90歳に到達する。90歳は、漢数字で縦書きした場合の字の形から、「卒寿(略字で「卆」とも書く)」と呼ばれるのだが、なんとなく卒業のような感じもある。一般的に見ても、今後に何かを期待するというよりも、「お疲れさま」と労わられて、機嫌
年末に発生した中野区の集団強盗事件の犯人、7人組のうちの2人が逮捕されたということだ。強盗と言えば、一人でも自宅に入られたら怖いものだが、これが集団として襲ってくるというのだから、考えるだけでも怖い話だと思う。今までの日本には、なかった種類の犯罪だが、
国会での施政方針演説で、岸田首相が「出生率の反転を」と述べたことが、きょうの新聞に出ていた。日本の総人口は、2010年の1億2千800万人をピークとして、減少の時代に入っている。これは、私の家の現状とも符合している。 私は昭和8年(1933年)の生まれだが、上に兄
朝の新聞を見て気がついた。阪神・淡路大震災が28年前にあった日だ。あの朝は、早朝から異様な雰囲気だった。東京にいて地震を感じた記憶はないのだが、朝のテレビでヘリコからの中継映像が流れ、「高速道路が倒壊しています」と伝えているのを見て衝撃だった。それでも肝
渋谷のLOFT9を会場とした、新宿西口地下広場をテーマとした会に行って、帰ってきたばかりです。吉岡忍さん、山城博治さんをメインゲストとし、そこに若い世代の研究者男女二人が参加し、大木晴子さんが総合司会者として全体をまとめる構成でした。会場は渋谷の「LOFT9・Sh
昨日は、所沢の文化センター「ミューズ・キューブホール」(下車駅は「航空公園」)へ、間庭小枝さんのコンサートを聞きに行ってきました。「第2回・見上げてごらん夜の星を」です。間庭さんのコンサートと言えば、秋に行われる「椰子の実コンサート」が定番で、昨年の10
年の始めの雲一つない晴天の一日、長女の夫婦とその娘の夫婦、そしてそこに生まれた1歳8ヶ月になる長男と、そこに私が加わった6人で深大寺へ行ってきた。新年のお参りに行くという宗教的な感覚は、誰も持ってはいないのだが、車で行ける正月の行き先としては好ましく思
今年最後の夕日が、先ほど西に沈んで行った。今はもう見ることができない。明日から新年つまり「来年」になるのだが、人との挨拶は、きっと「今年もどうぞよろしく」と言うに違いない。私たちは生きている限り、常に「いまの一瞬」にしかいられないのだから。 昔は「数え
「歳月は人を待たず」と言われる。原典は陶淵明の詩で、「雑詩」の中に出てくる「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当(まさ)に勉励すべし。歳月は人を待たず。」という言葉から来ているとのことだ。今年もあと明日の一日だけになった。日めくりカ
旧知の人で畏友の金田義朗氏から、新著の送呈を頂いた。金田氏は旧・全繊同盟の教宣担当者として活躍された人で、私の事業草創期からお付き合いが始まった恩人でもあり、私とはほぼ同年代に当る。今は悠々自適の歳月を楽しんでおられるかと思っていたら、「神と人間の関係