カンが我が家に来た後、親戚の家に飼われ始めた柴犬はな。今月(10月)12日に16歳になったのだが、ここへ来て急速に衰えて、カンより状態が悪くなってきた。立てなくなり、歩けなくなるとともに食事を口にしなくなってしまった。 今は飼い主のベッドで一緒に寝ているとい
ハンハリーリ・バザールを出ていよいよエジプトの地を離れ、日本に向かうという時を迎えつつあった。最後の夕食の場所がナイル川沿いのボートレストラン。ナイル川に面している。そしてナイル川の西岸に太陽が落ちようとしていた。悠久の大河に日が落ちるその様子を見て、
エジプトの考古学博物館。カイロ中心部にあるのだが、まあとにかく暑かった。何しろ冷房が効いていない。人も多いし、しかも非常に広い。様々なところにいろんなものが収蔵されていて、エジプト人のガイドさんに言わせると、全部しっかり見るには一週間かかると言っていた
カイロ市内の観光の中で、オールドカイロと言われる地域にあるコプト教の教会をめぐった。このコプト教はかつて東ローマ帝国がエジプトを支配していた時代以来ずっと今日まで信仰を守ってきた人たちがおり、イスラムが支配してもその信仰が守られ続けてきた。特にナイル川
モカッタム山のふもとにあるシタデル(要塞)の建設は、アイユーブ朝最初のスルタン、サラディンによって1176年に始められた。 現在シタデルの東外壁だけが残っている。シタデルの建設にはギザのピラミッド群や古都メンフィスから持ち去られた石材が使用された。シタデル
エジプト旅行⑭階段のピラミッド、もっとも古いエジプトのピラミッド(金)
階段のピラミッドはエジプトのピラミッドの中で最古である。ジェセル王というファラオが今から4700年ぐらい前に、メソポタミアの方から来た技術者であるイムホテプに作らせたピラミッドである。高さ62メートルであり、東西125メートル、南北109メートルの長方形の底面を持
エジプト旅行⑬メンフィス、アラバスター製のスフィンクスと聖牛アピスの解剖台遺跡(木)
メンフィスにはアラバスター製のスフィンクスがある。alabaster というのは大理石の一種だと言う。このスフィンクスはどうやら新王国の頃に作られたようで、ギザの方が古いのである。ただ20世紀初頭にこの像が見つけられたのだが、ギザのものに比べて顔の状態はとても良い
屈折ピラミッド(Bent Pyramid)とは、エジプトのダハシュールにある古代エジプト・古王国時代の第4王朝のファラオで、クフ王の父でもあるスネフェル王のピラミッドである。このピラミッドの角度が途中で変わってしまっていることについては諸説あって、設計図通りにいかなか
エジプトのソウルフードというとコシャリという食べ物がある。これは小麦でできたマカロニ、現地ではマカロンなと呼ばれているが、それに米、豆などが混ぜられており、そこにトマトのソースなどがかかっている食べ物である。日本人からすると今一つ美味しいとは感じないか
ギザの大スフィンクスは、巨大なスフィンクスの石像である。古代エジプトの古王国時代に作られ、カイロ郊外、ギザの三大ピラミッドのそばにある。スフィンクス(Sphinx)は、エジプト神話やギリシア神話、メソポタミア神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持っ
最近のカンの様子を週一程度でご報告します。はっきり言って状態は日に日に悪くなっています。最近ではかろうじて立つことは出来るのですが、歩くことはできなくなりました。従ってハーネスをつけて散歩に連れて行くわけですが、調子の良い日でも50 M 歩くとその後は体が崩
サウジアラビアのトルコの領事館、イスタンブールにあるのだがそこで疑惑の事件が起こった。大使館はアンカラにあるのだろう。大使館の次のランクが領事館だ。この事件も様々な解釈が出来るのだろうが、全般的にはアラブ人、アジア人は列島で野蛮な人々だという印象操作が
クフ王のピラミッドの南側で発見された、世界最古といわれる木造船「太陽の船」を復元し、それを展示している博物館に行った。この船は、ファラオの魂が天空を往来するときに使うものとされ、葬儀に使われたともいわれている。すぐ横の敷地には第2の船が埋まっているのが確
エジプト人は基本的に農耕の民ということが言えるんだろうが、ナイル川流域を除いて国土のほとんどは砂漠である。ちなみにサハラ砂漠のサハラとはアラビア語で砂漠のことを指す。サハラ砂漠は「砂漠砂漠」という事になってしまう。西側からは砂漠の民であるベルベル人が、
いよいよチケットを切ってもらいエジプトの至宝ピラミッドに近づく。クフ王のピラミッドにまず近寄っていく。今は階段状になっているが、古くは石灰石で塗り固められていた。そして階段を登っていき、ピラミッドの中に入る。非常に狭い狭い道を中に進んでいく。体を相当小
今回の旅行で、様々なモニュメントを見てきた。パルテノン神殿やアフェア神殿。ハギアソフィアやスレイマンモスク。しかし私を含めて同行したツアーの人たち全ての人が素晴らしいと言っていたと思うのだが、あのピラミッドを、その一部分だけを見ただけで興奮してバスの中
エジプトの死者の書というのがあるのは知っていたが、もちろんチベットにもあるのだが、死者の書をエジプト考古学博物館で見たら、神聖文字(ヒエログラフ)という文字で、パピルスに記されているのだが、それを現代にもう一度再現して売っている人達がいる。 下の写真に
エジプト旅行③ナイルに浮かぶ月と「イスラム神秘主義の踊り「タンヌーラ」(日)
ナイルに沈む月を見ながら、イスラム神秘主義の踊りとされるタンヌーラを楽しんだ。別名スーフィズム(イスラム神秘主義)ダンスと呼ばれている。ムハンマドを讃える曲をバックにくるくるとずっと延々と回り続けていくダンスである。スカートをはいて、そのスカートが回転
ミッチーを飼っていた飼い主さんのところの、タロ兵衛さんもお亡くなりになりました。飼い主さんが飼い主不在のところを預かって育てていたとのことです。享年20歳7ヶ月。凄い。長寿です。ご冥福をお祈りします。 カンの介護に参考にするため良く動画を見させてもらいまし
アテネからカイロに入ってそのままギザのピラミッドのすぐそばのホテルに泊まった。その日の夜にナイル川のディナークルーズをオプショナルで頼んであったので行った。そもそもナイルデルタの地帯なので、どの川が本当のナイルなのかわからないが、何にせよナイル川の支流
アフリカの地に降り立ったのは今回初めてで、ヨーロッパに近い、またアジアにも近い文明の交差点のエジプトなのであるが、アフリカであるのは間違いないのである。そこに住む人たちはエジプト人。話す言葉はアラビア語。肌の白い人から黒い人まで混在している。 カイロは
アテネピレウス発エーゲ海クルーズ⑤エギナ島ピスタチオと聖ネクタリオス(水)
エギナ島でもう一つ行ったところが聖ネクタリオス修道院である。この修道院そのものはそれほど古いものではなく、19世紀の半ばから20世紀の初めに来た、聖ネクタリオスが建てた修道院だ。彼の死後ギリシャ正教会から聖人として認められた。彼は晩年をこのエギナ島で過ごし
アテネピレウス発エーゲ海クルーズ④エギナ島アフェア神殿(火)
エギナ島はアテネから約30kmで、サラミス島に次いでアテネに近い島である。サラミス島というのは世界史の教科書にも出ている有名なペルシャ戦争においてのサラミスの海戦で名前を残した島である。 人口が結構多いエギナ島では、オプショナルツアーでアフェア神殿とネ
ホントに夏を越せるとは思いませんでしたが、痛々しい姿をご覧ください。人気ブログランキング、ブログ村に参加しています。応援クリックお願いします。
アテネ、ピレウス港発のエーゲ海クルーズの2番目に訪れる島はポロス島。ここはなんだか見るものはなくて、滞在時間も非常に短かった。ヨットがずっと並んでおり、あと土産物屋さんもいっぱい並んでいる。少し登っていくと時計台があった。私は時計台を目指してそこから写
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