真夜中にかかってきた1本の電話、ドラマはそこから始まった。事態は思いも寄らぬ展開へ進む...
いけない恋とはわかっているけど... ほんとうに懲りないダメな自分がいる。結婚が最良の愛なのか? 気持ちで繋がってる愛は現実という障壁に勝てるか? 実体験を小説風に書いてみました。
厚美からの毎夜の嫌がらせ子供たちや親類、友人への虚偽この期においてもまだそれは続いていた。
2006年は本当にいろいろなことがあり過ぎて自分がこれまで生きてきた中で特に凝縮された1年だった。
「どうして... こんな時に病気になんかなるんだ…!」病院を出てすぐに帰る気にはなれずに街をフラフラとぶらついた。
もう、心も身体もくたくたに疲れていた。 サークル活動のメンバー達からのバッシング。親、兄弟、親戚からの圧力。そして、厚美から毎日夜通し繰り返される幼稚な嫌がらせ。
感情のない相手がこういうことをしていたとわかったが、 3人の子供たちのことを考えたりすると...“ 今後どうしたら良いのだろうか... ” そればかり思い詰めるようになった。
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病院では、病気の苦しさと、やりきれない気持ちで過ごし、やっと退院して家に帰って来た。
厚美が仕事を始めてからは、もう、家庭という姿はなくなっていた。 自分は家を出て厚美と別居し、その後、百合恵と再会した。
自分と厚美は学生時代に知り合い、ごく普通に付き合い、そして、結婚した。もちろん、「この人と一生を共に過ごして生きたい」 と思って...
百合恵が依頼した弁護士を介しての協議はものの30分足らずで終了してしまった。弁護士事務所を出た百合恵と自分はそのビルの1階にある喫茶店に入った。
「これから先、支えになってあげられないんだ」「自分は、、、百合恵とは一緒に進めない」 そう伝えてから4ヶ月後、自分へのおとしまえをつけるために百合恵は弁護士を通じて要求を出してきた。
この2ヶ月というもの、いろいろなことがあり過ぎた。やっと夏休みになり、子供たちと旅行に行ったはいいが、それも台無しにしてしまったし、明日から仕事ということもあり、何だか憂鬱な気分で連休の最終日をこれもまた重苦しい雰囲気のサークル活動の場で過ごしていた。
我が家では、毎年お盆の夏休みに子供たちを引き連れて旅行に出かけていた。今、思い出すと楽しいことも沢山あった。二男が小さい頃などは自分はまるで幼稚園の先生状態で、毎年クタクタに疲れて帰ってきたことを思い出す。自分と厚美との関係がいくら険悪になったとして
厚美の目論見にまんまと嵌ったちゃん子と自分は、結局サークル活動の場から追われる破目になった。何の罪もない子供には心から申し訳ない気持ちだったが、自分たちのした事へのおとしまえをつける為には仕方なかった。秋田さんの計らいにより、なんとかお互いの子供たち
厚美のちゃん子と自分に対する無差別攻撃は、サークル活動へも及んだ。何も関係のない人達の感情を逆撫でし、その感情をちゃん子と自分、そしてそれぞれの子供たちがもろに受けた。彼女の盲滅法な暴挙でこの一件を公然に曝し、自分やちゃん子に精神的な苦痛を与えるとい
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