スローライフに異変発生。 今月1日から、部屋に隣接する敷地の、 宅地造成工事が始まった。 出窓の向こうは、元は駐車場だ。 常時、駐車する車両は2台程度で、 環境は申し分なかった。 南東向き。
婆猫ふみが逝って14年。2013年に迎えたミライが既に10歳。派遣の人間は限界……
ふたり暮らし(人間1+婆猫1)⇒捨て猫・大野くんを家族に迎える⇒野良の黒絵保護⇒ミライ引き取り⇒大野くんが行方不明⇒黒絵が老衰で亡くなる⇒ペット可の賃貸物件でトラブルが起き、泣き寝入り⇒派遣差別に耐えられず退職(今ココ)
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スローライフに異変発生。 今月1日から、部屋に隣接する敷地の、 宅地造成工事が始まった。 出窓の向こうは、元は駐車場だ。 常時、駐車する車両は2台程度で、 環境は申し分なかった。 南東向き。
みぞれの予報ながら、 しばらくは雨が続き、 やがて雪になった。 十五年前の二月。 雪が降りしきる昼間、 ふみを抱いて玄関を出てみた。 体重2キロを切ってしまったふみは、 ゴツゴツした触り心地で、
昨年まで、自分の内部には嫉妬が在った。 あらゆる人を、羨ましがっていた。 ここが、自分の醜いところだ。 人間性が変わった訳ではないけれど、 今は、日々の暮しに感謝している。 屋根の下で寒さをしの
師走に入り、悲痛な出来事を知る。 X(旧ツイッター)に記されていた、 ある町の事件なのだが…… 焼身自殺を遂げた人が、 飼い猫を道連れにしていたという。 二匹が亡くなり、三匹目は逃げ出し、 その後の行方は判らな
ミライと、GariGariサークルのつき合いは長い。 前の前の部屋から、 成猫になってしばらくしてから使っている。 8年以上、馴染みになっているツール。 サークル状のツメ研ぎなんだけど、 実際は「巣ごもり」のよう
3月に逃げ出した職場。 そこで親交のあった若干名と、 しばらくは連絡を取り合っていたが、 それももう、途絶えた。 途絶えた縁である以上、 そこに縋る訳にもいかんよなあ。 幾度か、連絡しようと考えて
やっと、やっと、秋? 夏が去って行くのは感じる。 でも汗っかきの自分は、 少し動いただけで汗だくになってしまう。 8月まで住んでいたマンション。 「立退き期限」まであと1か月程なのに、 実は、約3
お母さん 猫と暮らせるようにしてくれて ありがとう
消耗するばかりの8月だった。 モノをひたすら捨てる毎日。 モノにも魂はあるだろうから、 自分勝手に処分する事を続けると、 気が滅入り、体調も悪くなる。 減らない。 まだ終わらない。 容赦な
食事中に、差し歯が落ちた (上の前歯)。 よかった。 誤って飲み込まなくて。 歯医者さんで、入れ直し。 こんな時に。 泣きっ面に蜂だよね。 時間もない、金もない。 立退きを求める大
転居先が決まった。 「決めた」というか。 この部屋が分相応だろう。 自分の限界が如実に表れている。 県内・市内でも、もっと拡げて探すと、 好ましい物件は幾つも見つかる。 ただ、駅から離れすぎていた
強情なのに、流されやすい。 冷淡なわりに、「営業」に弱い。 そんな欠点が、部屋選びでも出てしまう。 先日は、内心「望み通りの部屋じゃない」、 そう何度も思いながら、 手付金(仲介手数料=申込金)まで払い、
内見しようとしていた物件が、 話を進めて行くうちに、 「ペット可」だけど「OKなのは犬」と判明。 猫を伴って借りる事はダメなんですとさ。 そんなに驚く情報ではない。 6年前にも「小型犬のみ可」など、
うちの猫トイレは、けっこうデカイ。 高齢ふみの足腰を考えて、 大きめのモノに買い換え、 それをずっと使って来た。 ミライも、仔猫時代のポータブルはすぐ卒業。 ある時期から黒絵を嫌がるようになったので、
「立退き要請」の文書を受け取ってから、 早くも2か月が経とうとしている。 まだ半年あるから~と、 呑気に構えていた訳ではない事は、 お察しいただけるかもしれない。 5月初旬に母が救急搬送されてから、
こんな日が、来るんだな。 5月に脳幹出血で倒れた母は、 今日が弟の命日である事を、 おそらく思い出せない。 意識は奇跡的に(と素人ながら思う) 戻ったものの、記憶の断片たちを、 寄せ集めて統合する事までは、
どうにも身動きがとれないのは、 気持ちがいっこうに晴れないのは、 何故なのか。 「そんな日もあるさ」 と押しやる事もできず、 あえて考え込む。 「振り返る」クセだね。 好い記憶より悪い記憶
今住んでいる建物が、 老朽化による取壊しが決定した事を、 周りの人間に話すと少なからず驚かれる。 あ。意外なんだ…… オーナーサイドが主張する、 「取壊しを決意するに至った経緯」は、 修繕費ばかり嵩むようになっ
本日、ガス会社による、 「ガス警報器」の撤去作業。 そういえば、春先に、 火災報知器の器具点検があった。 思えば、その時点で既に、 建物の取壊しは決定していた訳だ。 火災報知器は、法定点検。 集合住宅の場
最終形態は、ただの「物置き台」になってしまったけど、 もとは、収納スペース付きの鏡台だった。 そして、持ち主が私である為、不憫な事に、 鏡が使われる事は殆ど無かった。 学校を卒業後、 新たに学びたい事、調べたい事があ
ミライ、10歳の誕生日(推定)。 すっかりシニア猫なんだなあ。 ずーっと私が部屋に居るせいか、 ミライの機嫌はイイ(と思う)。 ずっと部屋に居るのは、 コロナ禍のテレワーク期と同じだが、 明らかに今
気がつくと、一年以上 映画館に行ってなかった。 昨年初めまでは、月1ペースで 何かしら観に出かけていたのに。 地元のシネコンだけじゃなく、 市外や都内の映画館にも足を運んだ。 レイトショーを利用し
四月は、漆黒の季節だ。 ふみが逝ってから、そうなった。 夜空に浮かび上がる桜は美しいが、 その背後の大きな漆黒のほうに、 気持ちが吸い寄せられてゆく。 桜が咲いても散っても、 春は、闇が近い。 心
久しぶりに動物病院へ行ったわ。 黒絵を連れて行った病院を再び訪ねる。 再び、といっても実に26か月が経っていた。 そして、ミライにとっては6年半ぶり。 しかも、その病院は初めてになる。 前の病院には、拾った直後からよく
ねえ、にゃあちゃん ――昨年頃から、ミライのことを 「にゃあちゃん」って呼んでる。 きっかけはまるで判らないけど、 「ミライ」と半々で呼びかけている。 にゃあちゃんと生きて行きたいって、 変わらず私は想って
派遣先の退職が確定した翌日から、 脚の付け根に痛みを覚えるようになった。 寝ている時、会社で座っている時、 動作を伴わない分には何も感じない。 動いた途端、 可動域が拡がる瞬間、痛みが走る。 放置はよくないだろうと本能で悟り
陽射しが春めく2月後半から、 3月、桜の綻び、この時季が いつも憂鬱だ。 理由は花粉症じゃあない。 町に「新顔」が現れる季節だから。 引越しシーズンの到来は、 捨て猫が増える事も意味する。 新顔は、すぐ判
75歳以上の国民が、 死を選択できる制度、 「PLAN75」。 映画は、制度の運用開始から まもない時期を描いている。 根拠となる法令に支えられ、 プランにも民間のものがある。 充実したサービス内容の分、 自費が発生する。
何度目か判らない、もう。 数え切れないほど感じた、 「ひどいなあ……」が、 今日も降り積もる。 派遣は「人間じゃない」のか、 この部署では。 自分の能力が低いから、 あと性格も悪いから、 結局自己責任なのかもしれない
ふみのお得意ポーズ。 この間、偶然ミライが 見せてくれて、嬉しかった。 涙が出る。 幸せだ。 にゃんにゃんふみちぃ~ ふみちぃ………
あなたにさようならって 言えるのは、今日だけ 明日になって、またあなたの 暖かい手にふれたら、きっと 言えなくなってしまう ――この詞の意味がね、 十代の時は無理だとしても、 成人しても、三十路を越えても、 ずっと解
毎年なぜか、この日を忘れない。 昔々のバイト先で一緒に働いた、 S君の命日。 同じバイトとはいえ、 職種が違うと接点少なめ、 でも深夜組だと絆ができやすい。 みんな脳内が変になってるから。 仕事終わりに、
黒絵の葬儀を行えた事に関し、 現在の部署には感謝している。 その前の部署では、 絶対残業はできなかったので、 「残業大歓迎」の現部署は、 貧困派遣の経済に養分をくれた。 その一方で、喪ったものがあり、
黒絵の三回忌。 真夜中、ツメ研ぎの音がした。 ミライの姿を探すと、 私の布団の上で寝ている。 そうか。 戻って来てるのか…… 安心したかのように、 再び眠りに落ちて行った。 部屋と外を自由に行き来で
そういえば、 猫の死骸って見かけないわよね。 案外、外で生きていけるもんなのね、 きっと。 ――誰かが昔言ってたなあ。 今なら、次のように答えたい。 それはね、猫や犬の死骸は、 通報を受け次第、自治体清掃局が出向き、
「大晦日には消えていたい」 心療内科でボソッと呟いたら、 いつもは淡々としたドクターが (患者に心底寄り添っていたら、 医師のほうがもたないだろう)、 「このままじゃ無駄死にだよ」 と、熱く訴えかけてきた。
まん防(まん延防止措置)解除後、 帰りの電車で座った記憶はない。 それ以前は、テレワークが推奨され、 通勤する人の数が抑制されていた為、 たまに座れた気がするなあ。 杖をついた人、 ヘルプマークを提げた人が、 電車に乗り
黒絵が亡くなった直後に、 ホットカーペットが故障し (ふみが逝った後10年余り健闘)、 2年もそのままにしていた。 単に面倒くさかった。 私は、何もかもが面倒で、 よほど切羽詰まった物でない限り、 壊れた後
7年。 大晦日に年越し蕎麦を食べて来た。 長生きしたいと願った事は 一度もないし、 それまでの人生で、 「大晦日の年越し蕎麦」 を 全く習慣にしていなかったのに、 なぜ唐突にこの「7年」だったかというと; 父に一日でも
一年前は 幸せだったな。 幸福感の期限は短い。