−thee EURASIAN CANNONBALL− 走れ!夕焼け逃避行 大阪発 ポルトガル経由 稚内行き 29カ国200日
2006年4月
麻婆豆腐と言ってから、しまったこれは日本語だったと思ったが、なんなく通じた。なんのことはない、普通に考えたら、中華料理の名前なので中国語なのだ。でも、すんなり伝わったのには驚いた。というのも、中国では発音にいつも悩まされていたからだ。 こ
昼過ぎの広場付近を北に向かって歩いていた。バスの中から見るより、人々の活気を感じる。その人ごみを抜けながら、頭の中は麻婆豆腐のことでいっぱいになりながら、その店を探した。 「陳麻婆豆腐」はほどなくして見つかった。空腹の体が、感覚を研ぎ澄ま
心身ともにすがすがしくなって、部屋に戻った。この部屋にはテレビも備え付けられていたので、それを見ながら少し休憩しようかなと思った。しかし、体を洗いたいという欲求が満たされると、とたんに忘れていた食欲が湧いてきた。そういえば朝は食事代わりに
受け取った名刺は、パンダの絵が描かれた旅行会社のものだった。そしてその女性は旅行会社の人であるらしい。彼女は流暢な英語で話し始めた。このホテル内にカウンターがあること、チベットやパンダ繁殖基地などへのツアーをやっていることなどを、簡潔に慣
僕は手に持っていたメモ帳をもう一度開いた。やっぱり<成都、交通飯店、ドミ、人民南路、橋渡って左>とだけ書いてあった。駅にいたときは、これで行けそうな気がしていた。しかし今は、こんな不安定な情報しか書かなかった出発前の自分を恨んだ。渡って左
もうすぐあの橋だ、と思ったところで、バスが停留所に着いた。いや、でももう少し近くに行くだろうと思い、ここでは降りなかった。極力歩きたくなかったのだ。しかし、次にバスが停車したのは、橋を越えてからかなり先だった。間違った、やっぱりさっきのと
再び、地図を開けた。今いる場所から、目的地への道を目で追ってみた。歩く?でもやっぱ遠いなあ・・・。などと思っていると、地図上の道に、たくさんの小さな数字が振ってあるのをみつけた。その時、僕は頭の中で豆電球が灯るのを感じた。 そうか、この地
バスは探すまでもなく、今立っているところからも数台見えた。でも、それらに乗っても、どこに連れて行かれるかはわからない。交通飯店行きのバスなんて便利なものがあるはずもない。どうしようかと、もう一度地図に目を戻した。 地図上には、列車駅の前、
この宿探し連想ゲームが成立するためには、いくらなんでもこの町の地図がないと始まらない。駅前を見たところ、なかなかの都会のようだ。僕が持っている少ない知識でも、ここは四川省の省都であり、三国志の時代にはすでに大きな町だったということは知って
外国人窓口だからといって、すんなり英語が通じるかと言えば、そうではない。そんなに中国は甘くないのだ。それ以前に、言葉を聞く気が、おおよそなさそうな切符売りに話しかけること自体、無意味だった。 上海の時と同じように、僕はまたメモ帳に希望の列
2006年4月
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