さて、次を見ていこう。くどいくらい繰り返し「言葉や単語を使ってものを見るから実体と思えるのだが、よく見るとそうではない」ということが語られている。須菩提、譬へば我の名を説くが如き、和合の故に有り、是の我の名不生不滅なり、但だ世間の名字を以ての故に説くのみ。個別的存在としての「私」という単語がある。「私」という単語があると、その単語で私を実体視するようになる。この私の心身は現象としてはある。しかし、赤ん坊は、そういう心身の現象を「私」とは思っていないように見える。そういう赤ん坊に対して、母親が繰り返し「~ちゃん、~ちゃん」と固有名詞で呼びかける。呼びかけ・声かけを続けていると、やがて赤ん坊は「~ちゃん」と言われたら反応し始める。つまり「~ちゃんがいる」と思い始めるのである。そして次は、代名詞である「私」とか...般若経典のエッセンスを語る55――すべてはつながり・合わさってできている