2020年7月
ずいぶん書き込みをお休みして・・・というか、自分のところすら見ていませんでした。 今開いて読んでみたら、誤字があって(まだあるかもしれませんが)直しましたが、最近目も悪くなってきて、来てくださってい
昨年は怒涛の一年でした。 東日本大震災。まだ私はとてもコメントできる心境ではありません。 ただ、被災した同級生や知人が考えていたより明るかったのが救いです。まだ若いから・・・なのかもしれません。未来
実は、4番目が大学進学で家を出てから、いわゆる「子育てロス?」になってしまい、何もやる気が起きない日々が続いていました。 そんな時ふと目にしたのが「ECCジュニアの先生になりませんか?」というチラシです。
念願かなって仙台に研修先が決まりました。 本人曰く「仙台に帰る・・・」自然に出でてきた言葉でしょうが、ああそうなのかと思いました。 東北大学にいたころは大学病院の見えるところに住んでいましたが、大学は
「やめたい」とつい口にしてしまった2週間後。 研究会がありましたが、師匠は体調が思わしくないということで自習。 それぞれが自分のやりたいお稽古をしました。みんな、最高のお許しをいただいているので自由に
私がお茶から離れたいと思ったのは、この社中から離れたいのかもしれません。でも、社中を替えるなど、この世界ではご法度。初心者ならできるかもしれませんが、ある程度歴史を背負ってきていますと、どうしても軋轢
当日は、上がるということは全く頭にあがりませんでした。やるべきことをやるのみ。という感じでしょうか。不思議とドキドキもしませんでした。 気をつけたことは、身だしなみ。直前お手洗いで全てチェックしまし
まずはじめに次女は国立理系でした。数3Cまでとったということです。 しかし、最終的にセンター試験は横国大文型(学部名詳細忘れました、調べればわかるんですが。5科目9教科?)第1志望。 受かるわけない
「卒業を認める」・・・という許可証が届いて、ああこれでやっと開放される。と感慨深いものがあります。 国試は合格しているみたいで(発表はまだ先ですが)研修先も仙台と決まっています。 その国試の1ヶ月
上智の大学院にそのまま(といっても試験を受け合格し)上がることになりました。 助教の先生が、東大受けてみなさいと、せっかくおっしゃってくださったのに、願書取り寄せようと思ったら期限過ぎていた、というこ
最後にこのブログを更新してからずいぶん年数がたちました。 まずは、何から書いていいのやら・・・浦島太郎の気分です。 とりあえず、子どもたちはみな社会人になり、やっとこの3月に子育てから解放されました。
2020年7月
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