この氏のスピーチは、仏教が「葬儀」という人の生死(いきしに)の現場に携わる、いわゆる「葬式仏教」の意義をモノの見事に道得している。氏が仏教徒、しかも曹洞禅(ZEN)の信奉者であったことを誇りに思いたい。改めて、スティーブ・ジョブス氏に衷心より哀悼の意を表したい。合掌一押し頂けたら幸いです※「叢林@Net」各寮ブログ更新状況はこちらをクリック♪スティーブ・ジョブズ氏、逝く
「あの世」が有るのか無いのか、「霊魂」は有るのか無いのか――。畢竟、「あの世」や「霊魂」の問題は、その当事者本人(遺族)が決定する問題であり、第三者がそれに容易く入れる問題ではない。大切な故人を思い出すに当たって、我々は「あの世」という独自の世界観をこれまで設けてきた。それは最初から無条件に「ある」と規定される「異次元の第三世界」を指すのではなく、亡き人に対して想いを馳せる行為を通じて作り出す「滅後の世界観」を指して言う。そこでは「亡き人に対して想いを馳せる」という行為が重要なのであり、それ抜きで「あの世」を語ろうとするから有無の議論に陥るのである。「あの世」とは有無が議論の核心なのではなく、「想いを寄せる行為」自体が尊重されるべき世界観なのだ。もしかしたら釈尊の「無記」の態度というのは、他者の信仰(プライバシ...いわゆる「あの世」観メモ
最近、生活環境の変化から、ブログよりもフェイスブックに情報伝達ツールを切り替えております。こちらでは久々の投稿となりますることをお許し願います<福島第1原発>地元住民沈痛首相「帰郷困難」発言で(毎日新聞)福島第一原発周辺の立入禁止区域の方々の気持ちを推し量るに、正直言葉が出ない思いがいたします。これは人として当然の感情なのではないでしょうか。「帰郷困難」という現実は、放射線量の数値だけ見れば疑いようのない事実なのかもしれません。そのぐらいのことは、みな少なくとも心のどこかで覚悟していると思います。しかし、人の苦悩の受け容れ方は人それぞれであっていいのではないでしょうか。その受け容れ方は第三者が決めるものでなく、当事者本人が決めるものだと思います。結果的に当事者の多くに「怒り」の感情しかこみ上げてこないのは、単純...悲しみの緩和から現実受容のプロセスへ
「風評被害」と「御用学者」--。今ほど、この「二つの言葉」の意味が混迷を極める時代はないのではないでしょうか。まず「風評被害」に関しては、以前當寮でも何度か記事にした経緯があります。「Stopthe風評被害による風評被害」「風評の迷走」「風評の混乱」これらの記事でも述べていますが、「風評被害」という言葉で特に気になることは、「実害」と「風評」との境界線が曖昧になってきている点です。例えば、子どもの将来を案じて買い控えに走る親たちを指して、「風評被害」に拍車を掛ける行為と諫める「空気」が蔓延していますが、それらは本当に批判に値する行為なのでしょうか?予め予想される危険を回避する行為と一体どこが違うのでしょうか?今、政府から出される原発関連の情報には、その「問い」に答え得るだけの確たる根拠に欠けているように思えます...「風評被害」と「御用学者」
上の一文に触れただけで、ふくしまの人たちはこころ動かされるような気がします。誰しも望んで今の生活を送っている訳ではありません。起こってしまった不条理な現実を前に、誰しもこころ折れそうになる日々だと思います。そんな時、ふくしまを埋め尽くす黄色いヒマワリの花が、私たちの元気の源になることを願ってやみません平成23年3月12日15時36分福島第一原子力発電所1号機建屋水素爆発――。まさにそれは上の文の如く、春の到来を待たずして大地に降り注ぎました。幾日もしんしんと降り積もり、ふくしまの大地を汚していったのです。私たちはその降雪の真の怖さを知らずに、毎日テレビや新聞の情報に振り回されてばかりでした。そのこころの動揺を抑え切れず、結果的に約1万人の子供たちの笑顔がふくしまから消えました。非常につらく、寂しく、そして悲しい...「願い」いっぱいのヒマワリの和!
前回の記事でも、「子を持つ親の身」ならではの心情を吐露しましたが、相変わらず原発問題を抱える被災地では「風評」の迷走に拍車がかかり混乱をきたしています。今の社会は総じて「風評被害」という言葉を乱発しますが、前回の記事でも述べた通り、ここで言う「風評」の信憑性が問われることはあまりありません。それより深刻なことは、今の社会に「政府が出す情報」より世間から漏れ伝わる「風評」の方が信頼に値するといった空気が蔓延していることです。その理由はどこにあるのでしょうか--?福島第一原発の深刻な状況(メルトダウンのみならずメルトスルーの現況など)や、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムSPEEDIの試算結果を公開してこなかった事実など、巷間(被災地)では「官房長官の記者会見」より「チェーンメールの情報」の方が信頼に値す...「風評」の混乱
いま、「風評被害」という場合の「風評」の定義について社会が揺れています。「風評」とは、辞書を紐解けば世間の評判。うわさ。とりざた。風説。「とかくの-がある」(『広辞苑』第五版)うわさ。ひょうばん。風評・風聞(『漢字源』)とあり、それに「被害」という文言が付されれば、読んで字の如く「世間の噂や評判により被る被害」と解されましょう。つまり、ここで言う「世間の噂」や「評判」とは、その正当性を支えるだけの確たる根拠が見当たらない場合、それらがもたらす被害は全て「風評被害」と規定されるのだと思います。なぜなら、その「風評」自体が真実の情報であるならば、それらは「風評被害」ではなく「実害」そのものとなるからです。この問題を、昨今の福島原発事故による放射性物質漏れの問題と絡めて考えた場合、その文脈の中で語られる「風評被害」と...「風評」の迷走
「校庭の放射線基準甘い」福島の保護者ら文科省で訴え(朝日新聞)-gooニュース自分が当事者だから大きく出る訳ではないが、これはどう考えても福島の保護者らの主張に義があるだろう。その根拠は以前當寮記事でも述べたが、国家の決断がこれだけ杜撰で曖昧だとは正直思わなかった。全く以て失望した。もちろん我々は原子力工学のずぶの素人である。もし国が国家の威信にかけてこの年間20ミリシーベルトという数値(校庭の放射線基準)に自信と責任を持つのなら、我々素人の主張を完膚なきまでに打ちのめすだけの気概を見せてもらいたい。論破に値するだけの反論を示してもらいたい。それができないのなら、この数値を無責任に子どもたちに押し付けるな!学校教育の現場に押し付けるな!と私は言いたい。この数値は当面据え置きにして、賛否を交えた議論を今から子ども...国家の尊厳と威信
福島県内の学校の線量、基準以下と試算文科省(朝日新聞)-gooニュースいま福島県では、国が県内の校庭利用の暫定基準を毎時3.8マイクロシーベルト(以下、μSv/h)に設定したことに議論が紛糾しています。この決定に対しては、放射線安全学の権威でもある小佐古敏荘氏(東京大学教授)が、抗議の意味を込めて内閣参与を辞任したことからも世に知られることとなりました。国は数値設定の根拠として、国際放射線防護委員会(ICRP)の指標を参考に、年間被ばく量20ミリシーベルト(以下、mSv/y)を超えないように逆算したと説明していますが、そもそもその数字(年間被ばく量)自体が子どもを対象にできるものではなく、小佐古氏をはじめとした多くの専門家からも国に対して批判の声が上がっています。もちろん、文科省からの通達による「校舎・園舎内で...年間20ミリシーベルトの迷走
大型連休、「差別」を懸念=車に傷、給油拒否も-「安全、地道に訴える」福島県(時事通信)以前も當寮でこの種の問題を取り上げた経緯がありますが、これほど尾が引くとは少し尋常ではありませんね。また、これらの事例は大手報道機関でも記事として取り上げた経緯があります。しかしながら、一被災者側の理性として、私はここで風評被害による「風評二次被害」(逆差別)に対して警鐘を鳴らしておきたいと思います。いわゆるデマや伝聞のレベルの風評が独り歩きをし、事実確認がされないままに差別事象が仕立て上げられしまう世の風潮に対する警鐘です。実は私、以前同様の新聞報道を目にして、その記事に登場するガソリンスタンドがある某県知事宛に、事実確認の要請のための陳情書を送付したことがあります。しばらくしたら、その県の担当部署から連絡を頂き、「調査の結...Stopthe風評被害による「風評被害」
「ブログリーダー」を活用して、布教師寮@Netさんをフォローしませんか?