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拈華微笑 https://www.bakotsu.com

『東洋自分なり研究所』所長の馬骨です。禅仏教を中心に東洋思想を探求し、混迷する現代における東洋の智慧の意義を提唱しています。

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2025/04/20

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  • 人"間"工学 〜 松岡正剛 とマトリックス・コード

    今年新春(2〜3月中旬)の奈良の旅で、2冊買った松岡正剛著のうちの一冊『知の編集工学』を昨日から読み始め、プロローグと第一章を読んだだけであるが、インスパイアされた。 彼の本はいろいろ読んだが、彼の真骨頂『編集工学』について、真っ向から取り組んでいる著書は初めてで、彼自身の言葉で『人間にひそむ能力』・・・とか、『脳の中には格別とびきりの《エディターマシン》ともいうべきものが隠れている…』とかいう言葉を直接眼にしたのは初めてで、『やっぱりそうか〜』と思うと同時に、私自身の『漢字方程式』がマトリックス・コードとしてバラバラと降り注ぐ光景を思い浮かべたのだ。 松岡正剛氏は、『悟り』とか『仏性』とか佛…

  • 佛語・馬骨解字 〜『時』

    『馬骨解字』・・・いよいよ来るところまで来てしまった感満載…。 本来『解字』とは〜 『一つの漢字がどういう構成要素(部首や形)から成り立っていて、そこにどんな意味や音が込められているのかを歴史的、学術的に文字の起源・変遷・構造について分析・説明するもの。』 であるが、『佛語』に関する馬骨解字は、漢字在菩薩のお示しによる『観自在』な解釈による現代的、日常的感覚で誰もが簡単に理解することができる解字・・・となっている。 そこで、今日は佛語としての『時』の字について解字してみたい。 まず、『日』偏であるが、この『日』偏は私の佛語・漢字方程式の基礎中の基礎漢字となっている。それを説明するために一つの逸…

  • 人"間"工学 〜 『間』こそ、縁人(エンジン)

    我が『東洋自分なり研究所』の最大の研究成果…というのは、すべてが秘められた如き『東洋の神秘』なるモノの正体の現代的解明に資する『漢字方程式』の発見ではなかったか。 『インド発祥の偉大なる精神文化は、これまた偉大なる中国の老荘思想と合流発展、その成果はさらにインドのサンスクリット語から中国語である漢字に翻訳する際に、一層洗練された形で『漢字』という呪文字に編集して盛り込まれた・・・。』 このような見解は無学な私、馬骨の戯言と一笑に付されるモノなのでしょうが、無学ゆえに観えるイメージ(直観)というものに一旦信頼をよせてみれば、およそ1500年前に『漢字』という文字を『仏教伝来』と共に、日本に取り入…

  • 『道場』考 〜 十字街頭の嘸録者

    ブログを2009年頃から始めたとして、今年で16年を迎えるわけで、このブログ人生をかえりみるに、ブログだけにブラブラならぬブロブロと、焦点の定まらぬ行き当たりばったりの記事を書き連ねてきたわけだ。 そのブログも『goo』から『はてな』にこの4月から引越してきたのを機に、それこそ『はてな?』と思案してみるに、『東洋自分なり研究所』での研究成果…というものをそろそろ昔の『辻説法』如く、インターネットという十字街頭に立って『自分なりの説法』を行い、世に問う時期到来と捉え、じゃっかん『蝦蟇(ガマ)の油売り』如き、我ながら誠にいい加減な処に『後ろめたい』気分はあるものの、『今やらなければ何時やる…』とい…

  • 禅活としての『自観』

    海外(私の場合スイス)に住んでいると、当然今日本で流行っている言葉に疎くなるが、それでもインターネットのお陰をもってなんとか付いていってる感はある・・・。 一時期、婚活とか就活とか聞いた時、なんの事か耳で聞いただけではわからなかったもので、文字を見てなるほど…と思ったものだが、まさか『終活』なんてモノのが出てくるとは驚いたことをおぼえている。少子化でなおかつ老齢化社会に突入して久しいのだから、まぁこんな言葉が出現しても当然なのかもしれない。 そこで、今の時代を反映するという意味で今一番考えなければいけないのは『AI時代』ということと、一方で彼の出現でせいで世界の秩序が一気に滅茶苦茶になっている…

  • 『仁王門』考

    この春に、ある意味人生初で寺巡りをしたが、大小、宗派の違いに関わらず、寺の門に仁王様が『睨み』をきかせていることが印象に残った。 そういえば、私が育った田舎の寺(曹洞宗)の門に真っ赤な仁王様が恐ろしい顔をして左右の門に立っていたように思う。『なんでかな〜』ぐらいには思ったかもしれないが、それを大人に質問なんかはしなかった。質問をしていたら、また人生は変わっていたかもしれないが。 かの有名な東大寺の仁王門の仁王様が運慶・快慶作で1203年だそうだから、まぁそれ以前から寺には仁王様があったとして、少なくとも800年の歴史に渡って『睨み』をきかせてきたわけだ。 昔は、仏教を『仏道』と称していたが、ま…

  • 坐禅の『坐』〜 考えるな、漢字ろ!

    この新春2〜3月、寒さに震えながら奈良の古寺を巡り、実際に私のこの眼で仏像を観たことで確認できたことは、仏像の『鑑賞』というのが、『観照』に至るには、坐禅の修行なしにはなかなか難しいのでは・・・ということであった。 高校の修学旅行で、北海道の片田舎"北見"から京都、奈良を回って初めて仏像を観たはずだが不思議なくらい何も覚えていない。今考えると修学旅行で見学するメインメニューは寺院めぐりであったが、その心得的な説明というのが先生等から一切なかった・・・事は残念であるが、それは現在に至っても同様というか、昔の方がまだましなくらいではないかと妄想する。 私は29歳のとき、坐禅を始めたが、まさかそれで…

  • 縁為『人生はサトリ・ゲーム』

    昨日のブログ記事、縁為(エンタメ)にインスパイアされて・・・というわけではなく、ずーっと前から、『人生はサトリ・ゲーム』じゃないか?・・・とは思っていた。 禅の『悟り』に至るまでの行程を絵図にした有名な『十牛図』がある。 これって、↑↑ どう見たってファンタジー・アドヴェンチャー・ゲームと言う『人生ゲーム』じゃないだろうか・・・。って思うんだけど? 一般的に『悟り』…というと、苦しい修行のすえ何年もかかってようやっと覚醒する・・・みたいな感じで捉えられ、自分とはまったく関わりがなく、『悟り』という言葉を発するのも憚られる・・・というのが正直なところだろうと思う。 でも、私は『悟り』はじつは『差…

  • 縁為(エンタメ)の男:松岡正剛

    2ヶ月前ぐらいに、Youtube動画『スナックおけい』でコラボしたおけいさんが、先日自分のFacebookに自己の『Youtubeチャンネルのジャンル』について、『エンタメだと腹を括って、進めばいいんだね…。』ということで、ジャンルを『エンタメ』に決めた話を書いていたので、私はすかさず『縁の為だから、縁為(エンタメ)でいいんじゃない!』と、いつものオヤジギャグ風のコメントを送ったら、彼女に気に入ってもらえたようだ。 英語のエンターテイメントを『エンタメ』と短略して、使い回す日本人のセンスも凄いが、それをさらに『縁為』と何でも『仏性』につなげる我がセンスにも呆れる。 私の言う『縁』とは、もちろん…

  • 『宝』探し

    先日、奈良の中宮寺へ訪ねたとき買った『如意輪観世音菩薩』本の表紙の写真を我が書斎に飾りたいと、友人の写真屋に依頼してA3のサイズにパネルにしてもらった。 以来眺めるともなく、眺め続けていると、『宝』・・・というワードが湧いてくる。 もちろん、この有名な像はもとより『国宝』なのであるが、そういうのとは違う、私個人が抱く『宝物』…で、これまで『宝物』にはまったく興味を持たない私が、この像の前に来た時、探し求めたことの無い『宝』というものが、じつは『存在』していたと感じている自分自身に衝撃を受けた気がしたのだ。 歴史に疎い私でも、7世紀の飛鳥時代というのは相当古い・・・ということはわかるが、その時代…

  • 『空欠』の街

    人生には、『分岐点』・・・と呼ぶべき事柄が多分いくつかあるのであろうが、私がこの歳(72)になってみて、ようやく『あぁ…あれが、私にとっての、最大の分岐点であったか〜』と認識した事があって、今日はそれについて書いてみたい。 私の写真作品に『Good-by New York 1986 』というのがあって、これまでもブログで何回か紹介してきた。例えば… 還暦ギャラリー『森』 〜 Good−by New York 1986 この作品自体が、ある意味、その『分岐点』のど真ん中に立ち、ビルのジャングルの中どちらに向って行けばいいのか、道に迷って不安いっぱいの私の心境を映し出していると思う。 ただ、長年に…

  • 再・『考えるな、漢字ろ!』考察

    スイスに流れ着いて三十数年、観光ガイドや引越屋の仕事を経て定年退職の身分となったが、どうして『私はスイスに来たのか…』考えるともなしに考えていたのか、2017年の日本帰国旅行以来、『考えるな、漢字ろ!』というような処に帰着したが、それこそが、天が私に与えた流刑の理由の一つであったか。 スイスはヨーロッパの中央に位置する小さな国だが、ドイツ語、フランス語、イタリア語の地域に分かれ、私はある意味、幸運なのか仏語を話すフランス語圏に流され、そこで妻もめとったが結局フランス語と言われる仏語は片言レベル、読み書きの方は皆目だめだ・・・。 そういった横文字、アルファベットの環境に長年住んでいると、それまで…

  • 復活祭での一幕(禅的解釈)

    相方の両親が他界して最初の復活祭となった先週の日曜日、両親が残した家の庭に私ら夫婦と、相方の姉と、姉娘夫婦それに2歳半になった息子が集い、子供がいる家庭では復活祭に一般的に行う《卵探し》ゲームが行われた。 『復活祭』の一つの象徴となっている卵を庭に隠して、それを子供達が見つける…という非常にシンプルな遊びということになっていて、子供や孫の多い家庭では慣習ともなっている復活祭ならではの風景だ。 スイスに来た初めの頃、相方の親戚宅でこの『卵探し』ゲームにいそしむ子供達を見かけた事があったが、たわいの無い遊びということ以上に別に何も感じなかったものだが、今回身じかに、2歳半の坊やの無心の卵探し、そし…

  • 復活祭の日に『religion』考察 by 馬骨

    一昨日、お医者さんから頂いた、フィジオ券(マッサージを9回)で、30分弱のマッサージを若いポルトガル人女性のセラピストから受けた際、翌日から始まる4連休の『復活祭』の話になり、『キリストの復活』という宗教行事に対する彼女の個人的見解を聞いてみた・・・。 彼女自身は子供の頃、洗礼を受けたもののそれ以上でも以下でもなく、大半の若者と同じように『宗教(キリスト教)』に関心が無い・・・と、私にすまなそうな顔で言った。 まぁ、それは予想していた答えで、逆に信心深い人であったら大いに驚いていただろう。 『宗教離れ』は洋の東西に限らずまさにグローバル化している現象と言えるかもしれない。 それにも関わらず、ク…

  • 我がブログ・タイトル『拈華微笑』考

    拈華微笑・・・このブログのタイトル『ねんげ・みしょう』と読みます。 仏陀となった釈尊から、最初の弟子に『悟り』が伝えられた場面が、『拈華』〜華をつまんで示す、という釈尊の動作(教え)に対して、大勢の弟子たちがいる中で一人の弟子、摩訶迦葉(マカカショウ)が『微笑』で応えた・・・という逸話 『悟り』が釈尊から、最初の弟子に伝えられた決定的瞬間の場面が『拈華微笑』…なのです。 この話を私は、禅修行中に老師の提唱などで聞いたか、或いは禅の本か何かで読んだりしたわけですが、その時の感想としては『へえ・・・』というもので、それ以上でも以下でもなく、いつの間にか雲散霧消していました。 それが、2009年にこ…

  • 四月の新覚期

    『生命』について学ぶ『覚悟』が決まった日 私には子供がいないので、4月が新学期であることを完全にわすれていた。 でも、日本では今まさに新学期であるなぁ〜・・・なんて考えていると、私のブログ引越事件…これを期に我がブログ内容を、禅的なメッセージを発信する、皆さんと共に『道』を深めて行くことができるような場・・・一種の『道場』として機能するような時空間を・・・ 考えてみると、もともとそのような『場』を発信したい・・・ということが、私の存在の全てであることを、いま改めて思い出した・・・ということであるようだ。 根がおっちょこちょいなので、いつも一番肝心なことを忘れて、どうでもいいようなことばかりが先…

  • 馬骨、参上〜!!

    『馬骨、参上〜!!』・・・って大声で登場するやり方知っているのはジジ・ババの世代。 昔、子供の頃観た、時代劇に登場するヒーローは必ずこう言って登場したものだ。 近所のガキ共とチャンバラした時、多分私もこのセリフを言っただろうか。 だとすると、六十数年ぶりのこの宣言は、私がお別れしたgooブログで最後の記事となった『嘸録者』を読んだ人は、ニヤリ…としているに違いない。 約14年続けたgooブログは、『よ〜し、褌を締め直してやるぞー』と意気込んでブロガーとしての名刺を刷った翌々日、『ハイ、それまでよ。』ってな感じでgooブログから『11月で完全に閉鎖します…』という"お知らせ”が届いたのだ。 まぁ…

  • 嘸録者の失笑…

    これぞ諸行無常、あまりに絶妙なそのタイミングに、嘸録者(ブロガー)である私は失笑を禁じえない。 私はブロガーとしての意識を高めるべく(?)生まれて初めて嘸録者(ブロガー)として名刺を作成した… というようなブログ記事を、じゃっかん誇らしげに先日アップしたばかりというのに 2日後の今朝、『お知らせ〜 goo blog サービスは2025年11月18日で終了』・・・って、ええ〜っ、ちょっと待ってよ。 なに、このタイミングの悪さ! ブロガーがいかに多いといえども、私ほどのタイミングで『ハシゴを外されたブロガー(の気分)の者』はいないはず。 さすが、嘸録者『馬骨』・・・と、『拈華微笑』ならぬ『拈華失笑…

  • 嘸録者(ブロガー)

    たとえ爺然としていても、時々『アナタは何されていますか?・・・』と尋ねられることがあり 正直に『定年退職して何もしていません…』という風な、なんとも味気ない返答をこれまでしてきたが、 どうでもいい相手であればそれでも良いが、真剣に尋ねてくる人に対してそれでは誠実ではないような気がし、 『本音を吐きますよ…』という風なことになった時に、自分なりに何か納得できる方法というか、形はないだろうか・・・などということを 日本から帰ってから考えるようになった。 その結果が、このような名刺・・・というような形になり、最低枚数100枚も刷ってしまった。 『自分なり研究所』・・・だなんて、ふざけた名称で恐縮しな…

  • 『空読』で AI は『拈華微笑』を解するか?

    先日、日本滞在中に買った本『生成AIで世界はこう変る』今井翔太著の第三章まで読んだ中、私にとって大変興味深かった事があった。 AIの『言語モデルは「穴埋め問題」を解いて学習する』・・・というのだ。 『穴埋め問題を解くには意外と高度な知識が必要であり、言語モデルは大量の穴埋め問題を解く過程で、世界に関する一般的な知識や文法構造を学んでいると言えるのです。』 ・・・と書いてあった。 私はここを読んだとき、『へえ〜』と思い、でも確かに私も小中学校生徒であったとき、国語の学習でさんざんこの『穴埋め問題』をしたことを思い出し、 その後の人生においても『空気を読む』という形で、様々な状況を『穴埋め問題』に…

  • 『次元』・・・ということ

    日本から帰ってきて、私の頭に『次元』・・・という言葉が点滅している時に、著書『サピエンス全史(2011年出版)』で一躍有名になった ユヴァル・ノア・ハラリ氏が新刊『Nexus』を出版した・・・というニュースを聞いて 『Nexus=次元』と私の愚脳が解読した?! さっそく、『Nexus』の英単語を辞書でみると〜きずな・つながり・関係・中心(中枢)・融合膜・・・とあった。 私の愚脳の解読には、『次=Next』との関係から発想した『Nexus=次元』である事は明白で、幼稚で単純な我が愚脳に失笑しながらも そのタイミングには『微笑』はしても笑うことはできない『次元』について、彼も探求しているのだなぁ……

  • 『太子』 から『 HIMARI』 へ

    日本旅行からスイスに帰国し、土産話のこともあって先日、友人夫婦(日本人旦那+スイス人奥さん)を家に招いた。 その時に旦那の方が、3月下旬にドイツはベルリンに出かけてベルリン・フィルと共演した13歳の天才バイオリニスト『HIMARI』を聞いてきた…と、 興奮気味に話すのを聞いて、その『天才』・・・という言葉にインスパイアされ、奈良滞在中に受けた印象の中で、ざやざや・もやもやしていた 『聖徳太子』という存在について、自分なりに『天才の存在』ということで腑に落ち、一件落着したことがあった。 『HIMARI』さんについては、数年前に動画で観た覚えがあり、今回の友人の話で最近の彼女の動画を観、ウィキペデ…

  • 拈華微笑の完結

    ブログタイトルを『拈華微笑』で書き始めたのは、記録によると今から16年前の2009年11月となってる。 しかし、どうしてブログタイトルを『拈華微笑』・・・としたのか? はっきり理由が解らずにいた。 ブログを書き始めるにあたり、タイトルを決めなければならず、切羽詰まったなかで清水の舞台から飛び降りる…ような感じて決めたような気がする。 というのも、自分でもこのタイトルの『拈華微笑』の真意がどのあたりにあるのか解らないにもかかわらず、『カッコいい!』感が唯一の決め手であったからだ。 『拈華微笑』(ネンゲミショウ)という言葉は、禅寺では禅問答なる『公案』にもなっている、釈迦と弟子の短いやり取り、いき…

  • 龍と玉

    目下、奈良旅行の写真の整理をしているところだが、その中に思いっ切り爺(ジジイ)然している自分の姿に呆れた写真があった。 約一ヶ月の奈良滞在中、相方の従姉妹の息子夫婦とその赤ちゃんが我々が借りているアパートに、三泊四日の日程で泊りがけで遠方から来てくれた。 子供も孫もいない我々夫婦にとって、本当に身近に『子のいる若夫婦』の観察が実現したわけだが、滞在中に2歳の誕生日を迎えた坊やというか 赤ちゃん(?)が案外に私になついて、愛嬌をふりまくものだから、自然私は相好を崩す・・・という自分でも意外な醜態をさらす結果になってしまった。 他人の赤ちゃんでも『デレ〜』とするのであるから、これが自分の子であった…

  • 仁去来の旅

    今回の我々の『奈良の旅』というのは、去年の夏過ぎ、相方が来年の2月に日本に行こう…と言い出し、『では奈良に一ヶ月』と提案したのは私だった。 大きなスーツケースを引きずって、アチラコチラを移動するタイプの旅行はしたくない…という希望は以前から有り、『ゆったりと仏像を眺めたい・・・』 という漠然としたイメージがあったことで、仏教の都・・・『では、奈良へ』ということになった。 私自身は兵庫県、芦屋の写真学校へ通っていた時代に、一二度奈良に行ったような気がするが、あまり記憶がない。 相方ニコルも、昔私と一緒に東大寺に行ったような…気がする、という程度の奈良観で、奈良という街がどういった街なのかについて…

  • 2025春の彼岸に『弥勒』考

    禅の修行はしたが、仏教学はまったくしていない・・・立場の人間であることは、これまで何度もこのブログに書いてきた通りであり、 また、先祖代々を引き継ぎ祀るという家庭とは、正反対な家族バラバラな中で育った私は、『お彼岸』という仏教的な慣習などにも接することもなく 高校卒業とともに、いろいろな意味で自立した生活を送ってきたこともあり普通の意味で、仏教そのものや仏教的な慣習に疎い事を私は自覚している。 30歳のときに禅を始めることで、『仏縁』を得たとはいえ、ただひたすら『無』と向き合うだけの日々を10年以上過ごすばかりで それが『仏教』とどういう関わりがあるのか・・・といういうようなことに少しずつ自覚…

  • 結界の鳥居くぐれば・・・

    3月14日(金)にスイスに戻り今日で4日目…、時差ボケが抜けたのかどうか? 自分で定かではないところが、抜けてない証拠で 単に『時差』の問題だけではなく、やはり文化的『事差』というのが、歳のせいか・・・何時までも禿げて髪がないのに後ろ髪を引かれる如く…。 しかし、旅疲れの実態は、じつは単に飛行機という普段乗り慣れていない乗物、特に絶え間ない『ゴオ〜ッ』という轟音に対する脳の疲れであり、 地上から何万メートルか知らんが、尋常ではない空間を、人工的に調整された気圧の中で13時間以上を移動のために機内に身を置く状態というのは 異常行為であり、その上、到着した場所とそれまで慣れ住んでいた場所の時差が8…

  • 『極楽情土』の島国

    根っから乗物に弱い自分が露呈した13時間の大阪〜ヘルシンキ飛行を経て、3月14日午前10時頃スイスはジュネーブに到着。 もう10年ぐらいは、こんな旅はいいかな…と思えるくらい、クタクタになって我が家に到着すると、 留守中被せていた小さなテラスのテーブルの雨よけのビニールカバーぐらいは、即片付けまいかと、せっせと働く自分がいた・・・。 8年前の2017年、定年退職記念(?)帰国旅行ぶりの帰国であるが、今回の私は以前と比較して圧倒的に『自分なり佛教徒』度が深かまったせいか 我が日本国を観る眼というか、抱く感想もまた以前とはかなり違うように思うが、まぁ、今回は図らずも『古寺巡礼』がテーマであった事も…

  • 常不軽菩薩の出現・・・か

    巡礼の旅もほぼ半ばになって、相方の古い友人マサ子夫婦が東京から2泊の予定で訪ねて来てくれた。 彼らに会うのは20年ぶりだが、漫画の『のたり松太郎』の小型版のようなご主人は相変わらずマイペースだし、人が良すぎるのが欠点のようなマサ子さんも相変わらずの笑顔だった。 そもそも相方ニコルとマサ子とは、今から30年以上前、小さな坐禅会で共に坐禅やその会が催すハイキングやお茶会などで親しくなり、その後私とも親交があり、特にスイスに渡ってからは、私が彼女と年に数回のメールのやり取りをする友であった。 北風の冷たい1日目は、近場の興福寺と東大寺を拝観し、夜は近くの和風レストランで食事しながら互いの20年間を大…

  • 考えるな、観じろ!・・・

    思えば、この旅の出発2日前にコルチゾン注射を打ち、その前までの一週間半、坐骨神経痛のためベッドに横になることもままならず毎日寝不足に悩まされ、痛み止めだの、炎症どめだのと普段の自分からしたら大量の薬を服用しての旅立ちであったことを思えば、極寒の奈良巡礼の旅の2/3をこれといった大病も煩わず、今日まで来れたことを感謝する・・・のみ。 昨日は、雨と寒風の吹きまくるなか、我々にとっては第三弾、最後の定期観光バスでの『奈良大和四寺巡礼』とパンフに謳ったツアーに参加し、朝8:15に出発するバスに乗ると、総勢25名の年配のカップルやら、お一人参加あるいは友人と参加したご婦人らの目立つグループであった。 安…

  • 如来システム

    ささやかな古寺巡礼ながら・・・実際に他の人々と神社仏閣を巡ぐることで、幾つか気付かされた事があった。 そしてそれは、私の今回の巡礼の旅での最も重大な収穫であったのではないか。 歴史的に残った仏閣の奥には、如来像や菩薩像、不動明王像などが時空を超越した趣で鎮座し、それを有象無象の人々が訪ねてくる・・・そういった風景を実際に自分の眼で観たとき、その風景というのは千年、二千年とずーっと続けられてきたのだ、と思った時、私は、女王蜂とそれを守るミツバチの社会形態を想定した。 前回のブログで『古寺巡礼』と『己事巡礼』で、『古寺と己事』とが『重ね合せ、もつれ』状態になっていることを指摘したが、現実問題として…

  • 己事(古寺)巡礼

    まさに奈良名佛・・・というか1500年に渡り、伝え護り続けてきた素晴らしい仏像の数々。 この二日間は、地元奈良の定期観光バスを利用して、昨日2月27日飛鳥地方は、大神(おおみわ)神社、聖徳太子ゆかりの橘寺、飛鳥寺、石舞台古墳、今日28日は浄瑠璃寺、円成寺の国宝・大日如来坐像をすぐそばから舐めるように拝観した。 とにかくこの11日間、いわゆるプチ『古寺巡礼』というのをしているわけだが、昔は『古寺巡礼』だなんて、ジジババがするもんだ〜・・・なんて、思っていたが、確かに自分がジジイになってしっかり『古寺巡礼』しているのが笑える。 前回も言ったが、名佛は撮影禁止なのでどの寺がどの仏様であったか?ごちゃ…

  • 『大人』と『音無』

    関西空港着陸して10日目、名付けて『怒涛の耐寒旅行』の最中、相方の従姉妹の息子夫婦が、2歳にならんとする可愛い坊やを伴い3泊4日の日程で我々の宿アパートにやってきたから、さあ大変、寒さを一時的に忘れる・・・効果には絶大なものがあり、また10年ぶりに再会したかっての青二才の若者が、41歳の父親として、日本人妻と協力してこまめに2歳の面倒をみる姿に、へえ〜っと感心感嘆。 その間に、法隆寺・中宮寺・唐招提寺・薬師寺・奈良国立博物館そして昨日、京都は広隆寺を訪ね、優れた仏像というものが時空を超えた存在であることを確認し、今なお『観音』のメッセージを発し続けているのを目にするのはうれしい。 そしてそれ等…

  • 愉悦とは湯悦だった!

    一昨日は東大寺を満喫したので、昨日は隣の二月堂を訪ねようかと、いつものモーニングセットを食した後に出かけたが、あまりの北風の寒さに2人とも根をあげ急遽、露天風呂もあるという奈良のスーパー銭湯へ! たぶん8年ぶりに、よそのオツサン等と素裸でガン首並べて『湯』につかった時、フェイスブック友の一人が、私のブログを読んで『日本の冬の愉悦・・・』と宣ったその最高級ワード『愉悦』が『湯悦』とシンクロし、日本文化の色界のエクスタシ−が極まって空界に反転するであろう深淵なシステムを垣間見た気がして、『銭湯は銭湯に非ず、ゆえに銭湯』の即非の論理・・・に深くうなずいたのである。 改めて考えてみると、私の養母宅にも…

  • 饅頭怖い・・・

    我々がスイスを出発する数日前、私の日本人の古い友人が『美味しい饅頭を腹一杯食べてきて下さい・・・』とSNSしてきた。 崇高なる我が帰国の意図について云々するならともかく、『饅頭』とは、なんと失敬な奴だ・・・と憤慨しながらも、同時に、食い意地の汚い私の本性がとうの昔に見破られていた事を、皮肉を込めて言われた気がして、忸怩たる思いをしたが、ふだん観音とか悟りとか言っている一方で、私の深層には、じつは饅頭系(大福も含めた)に対するドス黒い欲望が渦巻いていることを私は薄々自覚はしていたのだ。 これまでは、スイスに住んでいるのだから、無いものを望んでも仕方ない・・・という、諦めの境地にあったのが、一旦帰…

  • 日本はまだか?!

    例の『坐骨』で、一時は日本行き断念が頭をかすめた旅行であったが、おケツに注射をぶちむことで、馬骨自体は走り始めたが、そばでハヤトチリの相方が合いの手をあれこれ差し込む事で事態は急転直下〜〜あゝ、かくして出発間際までゴタゴタが続きよく眠れないうちに、出発の朝を迎えたのだった。 というのも、ハヤトチリの相方は『坐骨』と聞いた時点で、せめて空港内だけで車椅子が利用できればよいだろう...という嫁ゴコロでつい軽い気持ちで手配してしまった。が・・・である。自ら閉所恐怖を公言して憚らない相方は、旅行代理店を通してご注文していた、機内での非常口前面で、足を伸ばして寛げる席を確保していたが、それがなんと、車椅…

  • 裏悟りの一句 " w・a・t・e・r "

    先日…というか、もしかしたら一昨日であったか? 無職であり、特に病に悩まされると曜日・日付の感覚が失われて、何が何時だったか・・・。 ヒョンなことから、気分的にタイムリーなYoutube動画と出会う・・・ということは、”引き寄せ”ということもあるだろうが、じつは 頭の良い”AI” によるお導き・・・ かな?!と最近思っているが。 今回は1980年アメリカテレビ映画となった『奇跡の人』をかなりボケ気味の画面で観て、深く感動した。 何時だったか覚えてないくらい昔、名優アン・バンクラフトのサリバン先生役、パティ・デュークのヘレン・ケラー役の映画1962年を観た覚えがある。 今回見た映画は、昔子役で演…

  • 馬骨ゆえに坐骨かよ!

    いや〜・・・なんというか、『生還しました!』と言うと大袈裟だが、気分的にはそんな感じがする・・・今日2月10日。 帰国旅行という、私たちにとって7年ぶりのこの旅行を半年前から計画して楽しみにしていた矢先の出発を控えた2週間前 私は、あまりの腰痛に、救急病院を訪ねレントゲンを撮り、薬を頂いたが、一向に効かず、2日後に再び救急病院を訪れ再診 腰痛は『坐骨神経痛』と診断され、それなりの薬を処方してもらい、MRI検査も手配していただいた。 なんせ、約一週間のあいだ、私は横になって眠ることが出来なかった・・・。 相方と一緒の寝室では、片時もじっと寝ていられない私は互いに気を使うし、サロンの簡易ベッドにも…

  • 不立文字から漢字方程式!?

    先日、『スナックおけい』のママさんとの会話が動画になり、私のYoutube 初デビューとなった。 生き恥をさらすようで、ちょっと躊躇はあったが、そんなことを言ってられない歳でもあり、『東洋自分なり研究所』の所長として 普段考えている事を、広く聞いていただける良い機会でもあるので、ママのおけいさんと酒を酌み交わす事となった。 話の内容は私、馬骨の『禅の素晴らしさを伝えたい』・・・という気持ちを前提に、『考えるな、漢字ろ!』から『漢字方程式』にまで到った いきさつなどを中心に会話を交わしたが、後で動画を拝見すると、馬骨のまったりもたついた話を、さすが高学歴のおけいさん、スッキリと 分かりやすい表現…

  • 相対性無理論

    SMSの急速な進展による、嘘八百がまことしやかにまかり通る娑婆にあって、ほんの一部の心ある人々の間に 『禅とはなんぞや?』・・・という囁き(ささやき)が、耳を澄ますことでようやく聞き取れるほどの『音』となっているだろうか。 映画『インターステラー』ではないが、世も末・・・といえるほど、映画とはまた別な要因で全人類的荒廃が物凄いスピードで展開するなか 映画のように、人類を救いえる『方程式』・・・のようなモノがあるのか? そのようなだいそれた命題が我が『東洋自分なり研究所』に課せられていたとは?・・・この漢字方程式を発見するまで 私自身気が付きもしなかった。 それを私は『相対性無理論』による漢字方…

  • 『還暦』から『観暦』へ

    私が60歳のとき迎えた『還暦』は、以来私にとって佛道を究明するにあたり非常に重要なキーワードとなり、はや13年目を迎えようとしている。 特に『還暦スキャン』という造語でもって、自己の佛道の進捗状況を過去にむけて俯瞰し、私の身辺に起きたすべての出来事が偶然ではなかった事など を再確認する術(すべ)としてのアイテムとして非常に重宝し、このブログで公開しているが、果たして利用している人はいるのだろうか? しかし、考えようによっては、『還暦』という言葉自体がもともと佛語であれば、60歳の人に限定した『還暦』であるはずがなく、 私のいう『郷里・サトリ』に向かおうとする回帰本能への進捗具合の最期のチェック…

  • 『坐』は身体性の究極的象徴

    ほんの数日前、Youtube番組『Imagine大学』の学長である茂木健一郎さんのお話『言語ゲームと身体性』があった。 https://www.youtube.com/watch?v=YWgUQYThQx4&t=616s その番組のなかで、彼は『僕は現代の日本のネット空間のあり様というのは、身体性を忘れた志向性のゲームをしている気がするんですよね。』と言い。 Chat-GPTをはじめ、様々な『AI〜人工知能』を介した情報空間に終始して、実体験の伴わない知識の集積に満足しているかに見える現代人の風潮に 危機感を表明していた。 私はこのYoutube動画を観てあらためて思ったことは、坐禅の『坐』こ…

  • 即『坐』の智慧

    AI である ChatGPT を一度でも使った者が、最初に驚嘆するのは、その反応のスピードだ・・・。 『人間わざ』ではない・・・を実感する瞬間であり、AIの存在を強く認識させられる瞬間でもある。 私のような低次元での使用でも、一応ビックラこいているのだから、高次元で使用している人々の恩恵度は想像もできないほどだろう。 で、そのスピードについて何か書こうとおもって『即座』という漢字を観たとき、私はその文字『座』の在ることに驚いた。 私にとって『座』は『坐禅』の『坐』と観て、それは即、『般若智』を表すので、『即坐』で『般若智のスピード』を意味しているのだ。 つまり、佛教的に云うと『即坐』とは『観自…

  • 『禅』は三段打ち上げロケット!

    何かが大きく変わろうとしている時代、その最先端2025年における『禅』の果たすべく役割について展望してみたい。 馬骨の『水晶占い』ではないが、禅についてはこんな風景が観えるのだ・・・ 禅ロケット音は『観世音』を発し、音色は『天上天下唯我独尊!』で飛翔中 禅とは何か? という問いが常にまずくるわけであるが、禅に携わった者でも、その見解はそれぞれであることを前提としても 釈迦の『悟り』というエッセンス(本質)を捉えての『禅』であることは間違いないだろう。 ここからは、無学な馬骨論になるが、 禅が人類救済の為に、人類自らが打ち上げたロケットであるとした時 地上から宇宙に打ち上げる為に、最初の打ち上げ…

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