(ゴミ分別)焼却炉はいつごろまで使っていたのだろうか。街中ではタブーなごみ焼も田舎では今でもたき火をしているのを見かける。今頃は、稲も大きく育っているだろう。島バナナも今年はたくさん生りそうだ。うち捨てられた草ぼうきこれで遊んだでしょ。生垣からにゅ~「ひんじゃ~を見に行け」って?3連ひんじゃ~ひんじゃ~ってこれのことだよね。片づけなのかしら?ひんじゃ~ってやぎ食べるのかなあ?うち捨てられた家職員のための家なのかしら?廃校も第二段階に入ると興味深い。様々な利用法があるものだ。悲観的なことばかりではない。そう思うよ。山道を抜けて(節子)その2
(エコマーク)新しいトンネルが出来たので出かけた。その前に旧道を通って、奥深い集落を訪ねた。何年ぶりだろうか、見たい廃校がある。前回土砂崩れで通行止めだった嘉徳から節子へ抜ける山道を通った。なかなか面白い道のりだった。随分錆びてきたなぁ。「平成18年現在2名の全学年併せて学校全体(中学校内で)の学級数が、1学級の小規模校であった」この道は変わっていないようだ。前回と同じアングルで撮ってみる。この前で休んでいた地元の方と歓談する。体育館ガラス窓が・・・奥へと続く道を歩く田植えの準備とある団体が主催しているらしい。もしかしたら以前から、休校になっていたのだろうか。休校から段階を経て廃校になるのかな。人の気配はないようだが正式には今年2015年4月1日廃校となっているようだ。学校の焼却炉は、なんともなつかしい。大昔、...山道を抜けて(節子)その1
(砂漠化)毎年の恒例である。開花の時期は、間に合ったり間に合わなかったり途中の川で遊んでといっても釣りをする訳でもなく水の流れを見たり廻りの音を聞いたり木々を眺めたりである。ふう~ん、なのである。何がふう~んかって、特にどうという事もない、私には満足だ。ああ、咲いてたかオオシマウツギだって負けてないよ4月2日のことだから咲き始めなのかしら、蕾もまだまだ河原に降りてひとしきり見渡してから安心して帰る。今年はとうとう、ギーマには会えなかった。また来年アマミセイシカを見に行く
(砂漠化)メモを見ると初めて島を訪れたのが2007年3月とある。悠々8年を過ぎているではないか。一年間違えていた。3年さんざん捜し歩いて、見つけた家に5年通っているのだ。ふとするとこの情熱が薄れそうになる。こうやって、明確な時の流れを数字にして自覚すると蘇るものがある。ここもその年数分眺めてきたことになる。森の様子も変化してきた。特に今マスコミで取り上げられているところは急速に変容しつつある。最後の砦だと思っている。いい意味でここで間違いなかったと思っている。河内川
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