今週のお題「10年前の自分」 小さい女の子が好むものといえば、ぬいぐるみやお人形さんである。わたしは幼少の頃リカちゃん人形でもなくポポちゃん人形でもなくて、よくお気に入りの聖観音立像(しょうかんのんりゅうぞう)を抱いて眠った。一応言っておくが、ひと言に聖観音立像と言っても、いわゆる後光の射しているやつとか、持物(じぶつ、蓮華や杖などの仏像が持っている、その仏像とも縁の深い重要な意味のある物のこと)をたくさん持っているような、" 大人向け " の聖観音立像ではない。きちんと子ども向けの聖観音立像(そんなのあるのだろうか)を相棒にしていた。 子ども向けの聖観音立像とはつまり、色は仏像らしい金色だが…
あれはわたしが17歳の頃。高校へ進学したのにも関わらず不登校となり、毎日部屋でオンラインゲームに明け暮れていた、とある日の昼下がり。わたしは昼寝からふっと目を覚まし、ぼうっと白い天井を見上げていた。無機質で簡素で、どこか寂しげな一面だった。 (知らない天井だ)それもそのはずだ。わたしはその日、アメリカはロサンゼルス『 帰国子女の友人曰く、ロスァハァンジェラスと発音するらしい 』の何番目かに大きな病院のオペ室にある、クーラーでうんと冷えた鉄の手術台の上で、仰向けに寝転がされていたからである。 だがわたしがその事実を思い出すのには、もうしばらく時間がかかる。 わたしに与えられた服はグリーンのペラペ…
わたしの祖母レイコは今も存命だが、家族の中でレイコを語るとき、皆、レイコがなにかの功績を遺した偉人であるかのように賞賛する。だがしかし、皆そうやってレイコを語るとき、賞賛しながらも、まるで苦虫を噛んだような表情をしている。なぜだろう。苦虫を噛んだような表情では語る言葉にそぐわないし、つまり褒めながら怒っているようなもので、はたからみれば不自然極まりない。 つまりレイコを語るとき、その者の心の中では相反する水流が湧きおこって渦を巻くのであり、その渦に身を任せていれば、海中深くにまで引きずり込まれるかのような恐怖に支配されるのだ。う、うわァァ。わたしは頭を抱えた。レイコの魔力は凄まじい。こうして文…
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