雑談は人間関係の潤滑油であり、みなさんその恩恵に預かっています。 しかし、口下手さんにとっては少々苦手な分野かと思います。 最近の学校では、その訓練になるような授業や取り組みも、少しは増えているんだと思いますけどね。私の頃なんかはありませんでしたよ。ただ黒板を見て、ノートに書いて、話を聞くだけ。 まあ、それでも30歳になるころにはなんとかね。あまり話さずに相手の話を引き出す方法、楽しげなリアクションの仕方、そして雑談を楽しむ姿勢など、それなりにできるようにはなっていました。 聞き上手になること 聞き飽きたこのフレーズ。でもやはりこれ、床屋さんで(たぶん美容院さんも)これを実
外向型偏重の価値観から抜け出すだけでなく、変えていきましょう
明るく社交的な性格が「良い」とされ、たくさんの友達と楽しく過ごすことが「幸せ」の象徴のようにキラキラして見えた時代から、少しずつ緩んできて、そうでもなくなってきていますね。「お1人様」とかって言葉もよく耳にします。 江戸時代の日本では、この辺が今とはだいぶ違ったようです。当時は儒教の影響を強く受けており、慎み深さや静かに過ごすことが美徳とされていました。騒がしく自己主張の強い人は、むしろ好ましくないとされていたのです。お祭りとかは良いガス抜きだったのかもしれませんね。 また現代でも、北欧の国々には内向的な文化が根付いている国があるそうです。特にフィンランドでは、静かさや個人の空
皆さん、こんにちは。今日は少し控えめに、でも温かい気持ちを込めて、車の運転中によく遭遇する「あおり運転」について考えてみたいと思います。 あおり運転、なぜ嫌な気分になるの? 運転中、後ろの車にあおられると、多くの方が嫌な気分になるのではないでしょうか。その理由はいくつか考えられます。 まず、安全への不安が挙げられます。あおられることで、事故の危険性が高まると感じるのは当然のことです。また、急かされているような感覚も不快感を生みます。 しかし、最も心に響くのは、「批判されている」という感覚かもしれません。「もっと速く走れ」「邪魔だ」といった無言のメッセージを受け取っているよう
私たちは日々、様々な人々と関わりながら生きています。時に喜びを分かち合い、時に悲しみに寄り添い、そして時に意見の相違に直面することもあります。そんな中で、人と人とがうまくいくためにはやはり「共感する力」が必要なんだろうと思ったりしてます。 Webであるコメントを目にする機会がありました。「ペットは殺処分しても構わないと思う」と。あけすけにひどいことを書いているので、これは一石を投じるというような意図があっての投稿かと感じました。悪意あってのものではないようにも思ったのですが、さて、殺処分してはいけない理由ってなんなのでしょうか。 私はにゃんと暮らしていて、チューチューちゅぱちゅ
こんにちは。内向人間の増穂です。人混みを見ると逃げ出したくなる、そんな僕が、なぜか人とのつながりに幸せを感じるという、ちょっとした人生の謎解きに挑戦中です。さて、この矛盾した感覚はなんなのでしょうか? 同じ悩みを抱える内向的仲間たちも同じような不思議な感覚があるものなんでしょうか? 内向的な私と社会的つながり:満足感と憂鬱の複雑な関係 サラリーマンの頃、人間関係は実に煩わしく鬱陶しいものでした。しかし、今はというと「心地よさ」を感じている自分がいます。退職後、混乱している元職場をサポートする意味でバイトで入っていますが、その軽い責任と浅いつながり方だと、あら不思議、人とつながるこ
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