適応障害で12月末まで休職予定 今後について、いま考えていることを 箇条書きで書いていきたい 現職を12月末に退職する まだ職場には伝えてないけど、辞めようと思ってる 現職は、行政機関の心理士 退職後の1月~3月は無職になる 休職中の転職活動は、体調が回復していないのでやめた 就活は、心理士の求人の多い2月~3月にする 友人からの助言 先日、大学院時代からの友人(Mちゃん)に会った 私がMちゃんに 「心理士で精神疾患になる、ってかなり痛いことやと思うねん」と悲壮感たっぷりで言ったら Mちゃんは余裕しゃくしゃくで 「
母を亡くして16年―― いまだに、ベランダで空を見上げては 天国に向けたスマホで 母に話しかけている自分がいる 私、もう41才なんだけどー 「なに子どもじみたことしてるん?」と思わなくもないが 母とのつながりは やはり心の中で生きている ということで、今日はこちらのシリーズ 「母がどんな覚悟で私をこの世に迎え、 どれほどの愛を注いでくれたか」について 書いていきたい。 母の人生 ざぁっと概観 ・19歳:父と結婚 ・23歳:私を出産 ・33歳:父の不倫が原因で離婚 ・36歳:統合失調症を発症 ・47歳:逝去 短命ですな…
ねむい。 頭いたい。 今日、子どもの学校行事があるのだけど 母は絶賛ダラダラモードなので 子どもたちに 「ごめんね、おかあさん、体調わるくて」 と謝り 夫に行事への参加をすべて丸投げした。 私は当然のごとく、自己嫌悪モードになり そんな自分の状態にも嫌気がさしたので 「これを機会に、過去の栄光(休職2ヶ月でだいたい体調が回復した過程)を振り返るか」 と思いたった。 それで過去のnoteを読み返したところ まービックリ! 眩しくて眩しくて 笑 この人、スゲーとなった。 とゆうことで、今日は もはや別人となってる私の過去のnot
休職ライフ、卒業にむけてーー振りまわされない働きかたへシフト|前編
絶賛、休職延長てつづきに奔走中。 本日、職場からの要請で 3ヶ月以上の休職の場合、国立病院の心療内科を受診して診断書をもらってくる必要があるということで 今、でっかい病院にきておりまする。 そういう状況に、ふぅーとなったので 病院の待合室からnoteの更新 笑 ***** 今日は、自分に合う働きかたについて 確信をもつ出来事があったので それをシェアしたい 休職1ヶ月目の気づき この頃の記事で↓ 私の対人関係の特徴として 上司から奴隷扱いされやすい そのうえ自分からも振りまわされに行っちゃう という気づきを書いた。
はじめに 母が統合失調症であること。 それは、私の人生にとって 苦しみと同時に 深い愛を教えてくれるものでした。 この愛は、私が母になっても 我が子に継承され、 生きつづけているものです。 愛なんて抽象的で目に見えない。 そう思ってましたが、ほんとにあるんです。 この連載では、病とともに生きる母との暮らしを描きながら 彼女の人となりに焦点をあてることで、 「病気であろうが、親の中には自分を愛してくれる人格がある」ということを分かち合えたらと思います。 このような方に向けて 精神疾患をかかえる親をもつ10代の子どもさん、そして、私と
適応障害で休職中 今日は、就労意欲とはちょっと違う 「根っから、心理士というはたらきが好きなんだなぁ」と思った出来事があったので、それをシェアしたい きっかけ : 娘のともだちが家に来る 日曜の正午。 娘(小2)が「ただいまー」と 外から帰ってきた 「急いでごはんを食べたい」というので 私が「なんで慌ててるん?」とたずねると、 玄関の前で「友達が待っているのだ」と どうやら友達(Rちゃん)は 朝も昼も、ご飯を食べておらず 娘が昼食を食べ終わるのを 我が家の玄関前で待っているという なんだそれ?と思い 私はソッコーで玄関の外へ行き Rちゃんに「どう
書きたいのに書けない――noteで表現する勇気を取り戻すまで
noteをはじめて4か月 「書きたいのに書けない」 いやぁー、こんなことってあるんですね たぶん、一般的に書けなくなる要因としては ・モチベーションの低下 ・時間がとれない ・読み手を意識しすぎて書けなくなる とかがあるのかなー? 上記でいうと、私の場合 3つめのチョボに当てはまるのかもしれない ということで、今日は 「note、書きたいのに書けなくなった」 「そこからどうやってもう一度表現しようと思えたのか」 そのプロセスを書いていきたいと思う 書けなくなった理由 その1 きっかけはこちらの記事 ここで、初めて私は ふだん書いている適応障害とは別
休職生活リスタートのために…。傷ついたことを伝えた日の記録。
適応障害で休職中 職場への電話って、 ほんとエネルギーをつかう 先日「復職NG」となったことを 職場(相手は統括)に伝えたのだが この時の電話のやりとりが すごく印象にのこっている 今日は備忘録として そのやりとりを書き留めておきたい 休職直前に、統括から言われた言葉 私が適応障害を発症したきっかけは 自分が担当していたクライアントとの関係だった 相談関係が破綻していたので 私はなんども統括に 「担当を替えてほしい」とお願いしたのだが 統括よりもさらに上の人たちの判断は 「担当続投」だった 統括としては、その方針を死守しなければならなかったの
自己紹介文で母のことを書いてから 亡くなった母のことを考えて止まない これが休職中でなければ 目の前の仕事に没頭して 紛らわせられるのに… 一方で思ったのは、 あえて このタイミングで私が休職になり 母のことを思い出す時間が あたえられたのも 何か意味があるのかもしれないということ。 であるなら、 統合失調症をかかえた母との死別体験 この機会に、シリーズで書くことで 何か生まれるものも あるのでは?と思った ということで、今日は シリーズをはじめるにあたり その全体像や今の心情をつづっていきたい シリーズの全体像 ざっくりだけ
【適応障害のカラクリ】復職に向けて動いたら、休職延長になった
今日は、復職にむけて職場と具体的にうごきはじめたら「体調が悪化したよー、それで休職延長になったよー」というお話です 「適応障害ってこういうことか!」と痛感した出来事であり、復職?or転職?と悩んできた問題にようやく終止符が打てそうと思った体験でもありました 今日は、そんな私のすったもんだの流れをシェアします きっかけ 10/15に、職場へ復職意向の連絡をしました 伝えた相手は統括だったのですが、復職診断書に書いてあったドクターの指示である「問題となった上司との1対1の話し合いの場は避けるように」という文言を伝えたところ、あからさまに不機嫌になりまして…
適応障害で休職中な私、自己紹介します noteをはじめて4か月 「あれ?そーいえば自己紹介してないぞ」と気づいた次第です 一方で 「いやぁ、誰も私のこと興味ないのでは」とも思ったり… さんざん悩んだあげく 「ちょっと待て。 休職日記を書くようになってから 同じようにしんどい思いをされてる方が 読みにきてくださってるぞ」と思い もっとパーソナルな部分、 生い立ちなどをオープンにした方が 適応障害になった背景や生きづらさを 理解しやすくなるかもなぁ、と思い 書いてみることにしました いつも読んでくださっている方も はじめましての方も よかったら 読んでくださ
先日、心ずたぼろな状態で記事を書いた 読んでくださった方、ほんとにありがとうございます 泣 あれから無事、診察を受けることができ ドクターから 「復職NG」「休職延長12月末まで」の宣告を受けた その瞬間、「ガ―――ン」となり 落ち込んだものの 一日たち、諦めがついたのか 付き物が取れたかのように 静かにものを考えられるようになった ということで、次回以降の記事では ・復職NGとなった際のDr.との会話 ・その結果を受けての職場とのやりとり ・今後について など、備忘録がてらすこしずつ書いていこうと思う ***** 今日は、上記の出来事をうけて
もう、ただただ…悲しい。 吐き出しの日記になります。 復職が決まったのが10/11で そのことを職場の統括に連絡したのが10/15 それから体調があやしくなっていました 食欲低下、吐き気と でも、私のやばいバロメーターである睡眠には支障が出てなかったので 大丈夫だろうと思っていました ですが、ついさきほど。 夫とカフェにいってたのですが 例の統括からメールがあり 文面がきつく 私はその場でへなへな、となりました 夫にメール文を見せると 「まぁちょっときついよね」と その後だったかな、ひさびさの感覚 頭がサァーっとなり、汗がいっぱいでてきて、周りの声が
先日、たまたま 適応障害がよくなられた方の記事を拝読し 不意打ちだったためか いろんな感情がぶわぁーっと あふれてきました 今日は、その方の記事を紹介しながら 感じたことをつづります 拝読した記事はこちら やずたか様 やずたか様は 適応障害やうつ病を 抱えておられたようですが 転職されたことをきっかけに それらの病気が 「マジでどっかいってしまった」と 書いておられます まず、この部分だけでも 今の私に希望をみせてくれます “そうか、職場が変わったら 適応障害はどっかにいってくれるのかもしれないのか”と… 寛解後、味わえる
病気になってから 体重が4キロ減 こんな風に痩せたくなかったなぁー というのが本音 今日は、復職決定後 せっかく回復していた食欲が ふたたび低下しはじめたので その症状を描写しながら 改善させるために どう工夫してるのか、について 書いていきたい 私の食にかんする症状の経過 適応障害発症時 ・食欲ゼロ ・無理やり口に入れても、砂を食べてるよう ・体重3キロ減 回復期 ・食欲は回復 ・食べる量は、発症前の半分以下 ・米は一切食べられない 復職決定後 ・米だけなく麺などもNGになる ・パンはOK ・食べる量は、3分の1 ・体重1キロ減
今日の記事は まったく適応障害に関係ない 笑 たぶん、復職前だからか 頭のなかだけでも、現実逃避したいのだろう ***** ということで、今日は ささいなきっかけから 夫と結婚した経緯を思い出し そこから 「私にとって、夫との結婚はどういうものなんだろう?」ということを思い巡らしたので それを残しておきたい ※2000字と長文になっております ご興味のある方だけ、よかったらどうぞ ^^ 夫について これまでいくつかの記事で書いたが 夫はクローン病という難病をかかえており 8時間働ける身体ではなく 高齢者のような身体の持ち主 今朝も、自
適応障害になり、初めて一人でプラプラしてきた。京都散策✨ 京都市内に、坂本龍馬の通りがあって。 心の中でりょーまさんと対話しながら歩いた。「りょーまさん、私、適応障害なんだよー」って。りょーまさんは「幕末にそんな病はない」と一蹴だった😱ひょぇっ あや
適応障害で休職して2か月半 来月から復職予定 しかし、昨日 職場に復職意向の連絡をした後 1時間まったく動けなくなってしまった 今日は、そんな自分の身体の反応を見て 思ったことをつづりたい 辛かった出来事をおもいだす 復職意向を伝えた相手は、統括。 私は、復職診断書に記載された文面をそのまま読み上げた あくまでDr.がこう言ってたんですよ という体で。 特に、文面のなかにある 「問題となった人物(パワハラ上司)との 一対一の場は避けることが望ましい」については 私も「そうしてくれるように配慮していただけるとありがたいです」みたいな感じで伝えた
“ なんで生きてるんだろう なんで生きてしまってるんだろう 食べて、動いて、寝て 生きてることが作業のようだ こんな無目的に 運動のような日々をかさねて なんと人間はむなしいんだろう ” これは、 私が抑うつ状態がいちばん酷い時 ノートに書きなぐった文章だ 感情ノートたち。2週間に1冊のペースで消費している。 ***** 今日は、 当時のノートを読み返しながら どうやって、今の状態まできたんかなぁというのを振り返ってみたい 1 感情に浸る 自分がこういう状態になった時 同じような感情体験をしてる方の本を読むようにしている 私は決まって、聖書と三浦綾子さん
以前、このような日記を書いた 夫が難病患者であり 無理をさせてはいけない身体であること そんな中、夫が職場で多くの業務を求められるようになり 病気が悪化しはじめ、退職したことなど… あれから夫は療養し 無事回復 そのあと就活して 内定をいただいた そして 明日から出勤となる ***** 夫が退職してからの日々 適応障害で休職中の私は 平日ずっと夫と過ごしていた ちょっと早めの老後生活、みたいな。 結婚して13年 こんなに一緒に時間を過ごしたのは 何年ぶりだろう ****** 子どもたちには 「お父さん、お
先日の記事で、私の主治医の復職見極めポイントを書いた 今日は、ドクターに復職診断書を作成してもらうにあたって 「職場に対する自分の要望を 診断書にどう反映してもらうか」 そのノウハウみたいなものを 書いていきたい ※今回の記事は2000字と長文になっているため、お時間のある時にどうぞ ^^ 私がした事前準備(思考編) ① 診断書に配慮事項を書いてもらう、もっともな理由を考える 私は当初 「診断書に配慮事項を書いてもらうのは 図々しいかも…」 と思っていた が、 よくよく考えると 私は適応障害を発症した身だ ドクターは、 「適応障害は心のトラック事故
【適応障害】復職決定。ドクターは復職の見極めをどうしているのか?
先日の記事で 「本日診察にいってきます」と書いたが 無事、復職決定しましたー(^^) これまで私の記事を読んでくださった方、 すごく支えられてました。 ほんとにありがとうございます。 …… 今の心境は、もうたっっくさんあるんだけど それは今後書くとして 今日は、「ドクターは復職の見極めを どのようにしているのか?」について 先日の診察の様子を描きながら ドクターから教えてもらった 判断ポイント5つをシェアしたい 診察前日 病院の公式LINEに、私の体調記録をメッセージで送った。詳細はこちら ドクターは、診察する前から 私の状態について ある
今日は心療内科の診察日 復職可否の判断がなされる 私が通院している病院は、事前に 病院の公式LINEアカウントへ 体調記録のメッセージを送信してもOKとなっており 私は毎回送信している 今日は 病院に送ったメッセージをそのまま転記し 今の心境を綴っていきたい 病院に送ったメッセージ 体調 <日常生活> ・家事はだいたいOK ・交友関係:友人と会う頻度は減ったができてる ・娯楽:6割程度回復 <身体症状> ・中途覚醒:2~3回残っているが、20分以内には再入眠できてるので、日中の生活に支障はほぼない <精神症状> ・焦り・イライラ・抑うつ気分:なし ・思考力・集中力
【適応障害】「逃げ道がある」と思えることの安心~復職を迎えるにあたって~
復職初日 大学受験当日より緊張するのではないかと… そんなことを思い巡らす今日このごろ そんな中、私のnoteでよく登場する大学院の先生からLINEが届いた その内容に思わずホッ。 今日は、先生のメッセージを紹介しながら 「これだけホッとしたのは何故だろう?」 その問いから得られた気づきをシェアしたい 先生からのメッセージ もともと私は、10代の頃からパニック発作を起こすほど不安傾向が強い そのため、復職という経験したことのないイベント(?)には 予測がつかないゆえ 今から緊張感を持ったりしている そんな中、先生から届いたLINEがこちら↓ 「突然行
昨日、ふと 8月半ばにあった「朝の抑うつ気分」が 最近和らいでることに気づいた いったい何故? ということで、今日は 現在の私の起床時の様子をあげながら 「朝の抑うつ気分がなくなった要因」を 探ってみたい 8月半ば 当時の記事で 私は朝の抑うつ気分のひどさを訴えている この頃の起床時の過ごし方は、 目覚める 「職場に戻るのが嫌ー」と考える 「上司、死んでほしい。でも死んでくれない」となり ⇒抑うつ気分の生成、というかんじだった 10月現在 最近の起床時の過ごし方は 目覚める
適応障害で負った心のダメージ それがどれくらいなのか 数値で分かればいいのにーと 思っていた そんな中、先日 9月の家計簿の記入が終わり 自分の心のケア費用に どれくらいお金がかかっていたのか その額が出たのだ まぁーびっくりの額 笑 今日は、家計簿記入から 心のダメージ量が数値化された そんな話をしたい 9月にかかった私のケア費用 適応障害になってから 家計簿に新しい項目が追加された その名も、「あやケア費」 そのまんまー あやケア費の内訳は 医療費 カフェ代 書籍費 と、私の心の回復に 寄与したものが入っている さて、9月にかかった
今月の11日、心療内科の診察があり そこで、復職が可能かどうかの判断がなされる そんな中、昨日家事をしながら 精神科医の樺沢先生(通称:かばちゃん)の YouTubeチャンネルをきく機会があり 「復職のタイミング、分からなくていい」という話をされていた その内容がとても参考になったので 今日は、その内容を整理しながら 現在の自分の体調を振り返っていきたい 復職の判断基準 かばちゃんは、うつ病で休職中の方から復職のタイミングについて尋ねられ 「復職のタイミングは分からなくていい、主治医と相談して決めること」 と話していた そして 復職の判断基準をいくつか挙げていた
今日は10月6日 来月の今頃は、復職してるのかなぁ… と思いめぐらす今日この頃 そんな中 今、私の心にあるメイン感情は2つ 一つは不安 もう一つは、 上記タイトルによる小さなワクワクだ 今日は、私の妄想を描きながら 「復職前、こんな妄想をして心救われてるよ」という話をしたい 妄想の発生経緯 1)誰かに伝えたいという思い 先日、「母と精神疾患」というテーマで記事を書いた この記事を執筆した時の自分の状態が すさまじく集中していて 自分でもびっくりした スーパーサイヤ人みたいに燃えまくり 書き終わった1時間後は 没頭感で脳がスカッとしていた どうして
以前、こちらの日記を書かせてもらった 記事の内容を要約すると 「夫はクローン病という難病をもっていて 2か月前から、仕事の業務内容が増えたことが起因し症状が再燃してきた… そんな中、私は退職を提案したよ」 というもの 今日は、夫が実際に退職して かなり落胆したんだんだけど 結局夫に惚れ直してしまった、 そんな話をしたい 夫が退職の旨を職場へ伝えてから 日々が過ぎ去り…… ついに夫が退職してしまった 実際に退職日をむかえると だいぶ凹む… これが自分の元気な時だったら 今ほどダメージは来なかったかもしれない けど、今の私は適応障害 公的に認められた
今日は休職中にnoteを書くことについて 思うことをつらつら書いていきたい 先日、noteさんがこんな案内をしてくれた 50日連続投稿 マジか?と思った 毎日続けよう、という意識はそれほどなく 休職になってから 思考がめまぐるしく動くので 最初はそれをただ吐き出したくて 書き始めた ****** 思い返すと noteをはじめたのは3ヶ月前 休職になる前だ クリスチャンの私は 神さまとの日々の語らいを綴っていこう みたいな そんなノリで始めたnote それが今では 休職日記と化している ****** 休職当初 今から2カ月前かな? その頃の記事は痛
先日こんな記事を書いてから↓ 複業という働き方について 具体的に考え始めた 心理士の働く領域は 医療・教育・福祉・司法・産業 とあるんだけど 複数の職場で働くなら 医療と福祉がいいなぁーと ぼんやり考え始めた そんなことを思い巡らしてたら 突如ポッと 今まで考えもしなかった 願いが浮上してきて そこから、復職に対する感じ方が 変わってきた そんな話を今日はしたい どんな願いが浮上したのか? 週1でもいいから やってみたいなぁと思う仕事があって それは 今通院している心療内科とおなじような クリニック えっ? 自分、適応障害の患者なのに そこで勤務したいの
一番どん底の時 「あー生きるのしんどー」って思ったのを よく覚えている 子どもがいるくせに、そう思ったのだ。 あれから時間がたち 「生きるのがしんどい」という感じ方が 変わった瞬間があったよなーと 思いだした。 今日はそのプロセスを書きたい きっかけは一冊の本 休職前から愛用しているAudible 耳で聞いて小説がたのしめるので 私にとってはなくてはならない心の友 そして 適応障害でどん底の時にきいた本がこちら 死にたいって誰かに話したかった (双葉文庫) www.amazon.co.jp 731円 (2024年10月02日 06:45時点 詳し
【適応障害】なぜ眠れるようになってきたのか?~睡眠日誌の記録を分析~
先日の記事で、休職中の平日ルーティンを書かせてもらった その中で、さらっと ・起床時刻が5時 ・就寝時刻が21時 と書いたんだけど 落ち着いて考えてみると 適応障害になった当初は 3~5時間ほどしか 眠れてなかったよなぁ…と それが1か月半たち 睡眠時間が7~8時間となっている 「え、すごい変化じゃん」とはたと気づいた ということで、今日は 手元の睡眠日誌を振り返りながら なぜ眠れるようになってきたのかを 分析していきたい 私のお薬事情 私の診断名は、 適応障害と月経前不快気分障害。 お薬は ・加味帰脾湯 ・パロキセチン5mg どちらも不安を落ち着ける作用が
生まれてこのかた 私は音楽とともに生きてきた 特に洋楽は 私の気持ちの調整を 一番に助けてくれてるものだったので 生きてく上で なくてはならないものだと信じていた が…… 適応障害になってパッタリと 洋楽が聴けなくなったのだ 哀しい。 今日は、そんな 好きだったことが、好きじゃなくなった そういう病気でもたらされた変化に対して 自分がどう向き合ってるかについて 書いていきたい 洋楽が聴けなくなった自分 正確にいうと 聴きたいと思わなくなった、というかんじ 「うるさそう」 というイメージに変わってしまったのだ あんだけ好きだったのになぁー ちょっとさびしい気持
母さんが適応障害になってしまった、母として気をつけた唯一のこと。
我が家には 息子(小5)と娘(小2)がいる 今日は、私みたいなお母さんの立場で 「適応障害になってしまった。 でも、母親業を休めなくてしんどい」 という方に向けて 私の場合こうしてたよーの話をしたい ※このテーマはだいぶ思入れがあるため 2000字と長文になっています。 私の育ち事情 母子家庭育ち 母は、私が小学生の頃うつ病になり 中学生の頃には、統合失調症になった 小さい頃から、病んでいる母を見てきて 「今日のお母さんはどうかな?」 「泣いたり死にたいって言ったりしないかな?」 と不安がっていた そういう育ちの背景があった私は 自分が適応障害になった時、すぐ 「子
昨日2か月ぶりに美容院へ行ったら 美容師さんから 「あれー、いつもと服の雰囲気が違うー」 と言われた はりきって私は 「これ、休職ユニフォームなんです」と どや顔 美容師さんは 「はっ?笑」という感じだった (休職ユニフォームの詳細はこちら) さて、今日は 美容師さんとの会話をとおして 「自分に合った働き方」を認められたので そのことについて書きたい 美容師さんとは10年来のお付き合い 私がだいぶオープンに話せてる方の一人だ なので、今回休職になった経緯も 事細かに説明した 以下、美容師さんとのやりとり ****** 美容師さん 「辞めた方がいいと思
復職=いったん職場へ戻る日 その日はまだ1か月先 にもかかわらず、もう4つも準備している さぁ、その準備たちをあげてくよーん 1)辞めるマインドをもつ 「えっ、職場へ戻るのに、さっそく辞める話!?」という感じだが はい、これちょー大事 不安になってきたら 「どうせ、辞めるし」みたいな 笑 この自己暗示が、不安に呑まれそうになるのを助けてくれる 2)復職初日に書くnoteの見出し画像を作成 すっごく情けない話だが… 私は当日の朝をまともにいられる自信がない… なので、当日リアルタイムでnoteに心情を垂れ流そうと思ってる その準備として、作成したのがこちら↓
上記タイトル 「いやぁーこんなこともあるのねー」 というかんじ では、参ります 夫について 体調 noteであまり書いてこなかったが 夫はクローン病という難病を患っている いわゆる身体障害者 症状は、発熱・血便・下痢・倦怠感など 身体能力としては、高齢者のようにあらゆる点で弱い 働き方 夫は8時間勤務はできない せいぜい6時間かな 身体に無理をさせると、クローン病の症状が悪化するからだ 夫の心境 大の男が8時間働けない 情けなさもあるだろう 悔しさもあるだろう 妻がどれだけ話をきいても 彼のこの感情は分からない、分かってあげられない部分だなと思う 夫
【適応障害】休職中に私を救ってくれた、感情が運ぶメッセージ一覧
適応障害で一番しんどかったとき すごく救われた概念がある その名も「感情が運ぶメッセージ」 当時は「どーゆーこと?」と思って 頭ぼーっとしながらも、小さく興奮したのを憶えている その概念は いまもなお私を助けてくれてるので 今日はそれをシェアしたい 感情が運ぶメッセージ一覧 適応障害発症時、布団の上でゴロゴロ読んでいた心理学マンガ マンガでやさしくわかる認知行動療法 www.amazon.co.jp 1,650円 (2024年09月25日 06:41時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する
こんな私の平日ルーティンなんて、需要あんの?…と 心の声が聞こえてくるが 汗 休職という、もはや特別な体験をさせてもらってる心地も一部にあるので 大事な1か月半が経過した一日の流れを 備忘録がてら記録しておきたい 同じ休職中の方の、少しでも参考になってもらえたらうれしい (^^) 私の現在の体調 適応障害の回復過程として、大きく分けて以下3つの時期があると言われている ・休養期 ・リハビリ期(回復期) ・調整期 あらたまこころのクリニック 私は現在、調整期の段階にいると思っている。 調整期は、日常生活ができるようになってきて、自分自身の課題に取り組んだり、仕事に復帰
適応障害で休職して1か月半 今後の進退を考えるうえで、自分が思いもしなかった発想が降臨してきた 今日は、その発想が降臨した出来事を振り返りながら 「今考えている、職場へのかかわり方」について書いていきたい きっかけは先生の絵葉書 先生のことは、noteでよく書いている 大学院の先生で、私が修了した今も頻繁に会っている方 先生は、私が休職した直後にも絵葉書を送ってくださったのだが 今回もまたポーンと絵葉書をくださった そこに書かれたメッセージに 「職場は辞めてもいいけど 心理職は辞めないでね」 と書いてあり、思わずじ~ん 感動すると同時に 「そうか、私は心理職が嫌なん
今日の記事は、前回の記事の続編になる 前回の記事を要約すると、 「くろひよ様というnoterさんが、メンタル休職をしたあと復職。 復職初日を「わりと、どうでもいい」という心境で職場へ行けたらしい。 すごいよね!」というもの あの記事を書いてから、私は勝手に くろひよ様から勇気をもらい 笑 ”もし私が復職初日に 「わりと、どうでもいい」という心境を 身にまとったら… 復職初日の流れはどうなるだろう?” をシュミレーションすることができたのだ そこで今日は そのシュミレーションを描写しながら 私が気づいたことを書いていきたい (復職への不安感が強い方は、 お読みいただくの
復職初日があまりにも不安すぎて 体験談をネット検索 どれも不安・緊張ばかりの記事の中 「え、こんな平静な境地の人がいるの?」と びっくりする体験談と出会った 今日は、その方の記事を引用しながら 私が感じたことを綴っていきたいと思う ただ、途中で復職初日の情景がリアルに描写されている箇所があるので 復職への不安が強い方は もしかしたら読むのを控えた方がいいかもしれない では参ります 見つけた記事はこちら くろひよ様 以下、特に印象に残った部分を引用する 復職前の心境 (あなたが休職したことについて) 実際のところ、職場の皆さんは怒っていませんし、まぁ、仕方
「心理士が心を病む」 パーセンテージは、どれぐらいだろう 苦笑 1%くらいかな? 私は約一ヶ月前、精神科医から突然 「あなたは適応障害です」「休職2か月」と宣告された あの宣告から1か月経過し 少し気持ちにゆとりが出てきたので 今日はこのテーマで書いてみたいと思う 思い返すと、休職する3週間前から ・不眠 ・食欲不振 ・頭が回らない ・涙が勝手に流れてくる 等の症状があった その時点でもう 「今、心療内科を受診すると適応障害と診断されるな」と思っていた この、専門知識があるゆえに 自分の異常事態が分かってしまうという その状態がきつかった たぶん、「心理
適応障害などの病気療養中は 大きな決断は控えるように、と本などに書いてある 私も病気になった直後は 「今後仕事どうしよー」とかなり悩み 情報収集しまくったが 当時の結論としては 「今は決めない、ということを決める」 で落ち着いた あれから1か月すこしたち 今後の進退について 漠然とだが、いくつかパターンを考えている 今日はそれを言語化していきたい 今後の進退 パターン3つ 1 来年の3月、上司が異動になった場合 私を叱責した上司は 今の部署に7年いるので 次年度は異動になるのでは?と 言われている もしそうなったら大万歳 私は残留する ただ、しばらく残留するものの い
【適応障害】職場へ連絡後、激疲れ。私は生きてるだけで、ほんとえらい
昨日の記事で 休職延長の旨、職場へ電話することを書いた あの時 「たんたんと電話してきます」 と書いたんだけど 結果、たんたんモードは50%で 残りの50%は 「なんやこのやろー!」だった 笑 ということで、今日は 電話後の怒り感情を描写しながら 「休職中の私たちって 生きてるだけでほんとえらいよね」 ということを語りたい 統括との電話 電話した相手は統括 この人は、私を叱責した上司のさらに上のポジションの人 統括に一番ききたかったのは、 私を叱責した上司が 少しは反省してる様子があるのか ということ すると 「いやぁ、彼の認識は ・僕は〇〇(私の苗字)さんの相
休職中の職場への電話 これ嫌よねー もう、ほんと嫌 笑 とはいえ、嫌×2いってても メールじゃなく電話でする、と決めたのは自分なので 記事を書き終わったら、電話しようと思ってる 今日は、電話前までの憂うつに対して どう行動してきたかについて書きたい グーグル検索 Googleで 「休職中 職場に連絡 不安」と検索 文章を読んでたら、 まともなアドバイスばかり 「それ、分かってるんだよー でも出来ないんだよー」と さらに気分降下 これはいけない よりそいAIアプリを試す そんな中、先日友人が愛用してると教えてくれた「よいそいAIアプリ」を思い出した その時は「え
適応障害になり1か月ちょっと ようやくこの1か月の回復過程を眺められるようになった その中で気づいたことは 適応障害になっても変わらない、 その人の道徳性ってあるんだな ということ それは、過去の自分の記事を読み返してもそう思うし noteで他の適応障害やうつ病を抱えてる方の記事を読んでも思う 今日はそんな話をしたい 病気発症時、私の記事にあった不思議なもの 先日ひょんなきっかけから 適応障害になった頃の記事を 読むことがあった 当時の私は、病気ゆえに ・物事を悲観的にとらえる ・自罰的傾向が強くなる そういう部分が派手に見うけられ 「あーあん時、しんどかったよなぁ」とつく
【復職への不安】職場の奴隷に自分からなりにいっていたんだな。
昨日、心療内科Dr.とのやりとりで 気づいた衝撃事実 上記タイトルのとおり もはや、ショックを受けると同時に これが私の生きづらさの正体だったんだ、と どこか安堵する思いもあった 今日はそんな私の気づきを Dr.とのやりとりを取り上げながら書いていきたい きっかけ 復職への不安を吐露したことから 一応11月に復職予定 が、職場の上層部の人たち(行政職員、人事部)は私を追いやった張本人なので 彼らに対する不安があった 不安の内容は 「私のこと、どう思うのかな」というもの 書いてげんなりするが、私の場合 「復職後ちゃんと業務できるのか?」という不安より 「行政職員ら、私を
今日は心療内科の通院3回目 Dr.に伝える内容を整理するなかで 最近意識していたことは 「いかに気分を観察するか」 だったなぁと思った 今日は そんな気分を観察するうえで役立った 「こころの仕組み図」についてシェアしたい こころの仕組み図とは? 認知行動療法の考え方 人間のこころは ストレスとなる出来事があったら、 それをどう捉えたのか(認知) その認知をベースに どういう気分が生じたのか どんな行動をとり/どう身体が反応したのか という構造でみることができる 私の例 上司からの叱責 休職する1週間前 上司からひどく叱責された。 あの時のこ
こんなことを思う日が来ようとは…… こんな記事を書く日が来ようとは…… 不謹慎にもほどがある! 笑 いや、でもね 休職したからこそ出会えた思いや感情があるわけで 休職したからこそ、今出来てることがある そういうのがすごいな、尊いな、と思ったら あー休職してよかったと思ってしまった、 そんなかんじ では、参ります 「書く部」との出会い 数日前にこの記事を書いてから 「書く」ってことを持ち物のように大事にし始めた自分がいて noteでいろいろ散策してたら こういうのを見つけたんです 書く部|writing club|ことばと広告 書くを一生の趣味に、仕事に
ひょんなきっかけで 1ヶ月前の自分の記事を読み返した 当時は適応障害になったばかりで ・食べれない ・眠れない ・頭回らない ・涙が勝手に流れる と、まさに一番しんどい状態 記事の内容は痛々しく 思わず「あたし、つらかったね」と 涙ぐんでしまった 今日は、当時の文章をよむ中で 明らかに今の自分と違う部分を見つけたので そこに思いを馳せながら 当時の自分に手紙を書いてみたい あやさんへ どうも、こんにちは。 私は1か月後のあなたで 今のあなたと連続したあなたです 突然のお手紙でごめんなさいね びっくりさせちゃったでしょう でも、 どうしてもあなたが書いた文章をよんで
最近、私が毎日持ち歩いているもの それは、心の安定剤ポシェット ポシェットのなかには い~ろいろ入ってるんだけれど そのポシェットの中に入ってるものの中で 怒り感情に効果絶大な安定剤を 今日はシェアしたい 安定剤を使用する前の私 以前、こんな記事を書かせてもらった その中で私は 上司に対する怒りが出てきた時は、 上司が孤独死してるイメージをしてると書いたが 最近は、孤独死して上司が体液となってるのを想像して 気もちを落ち着かせていた だいぶ極悪な方法だが、 いかんせん適応障害中の私 この方法を使わないと、簡単に怒り感情に呑まれてしんどくなってしまう なので、この
休職して今日でようやく1か月 長かったー 今日は節目なので 体調の振り返りをしていきたい できるようになったこと ・家事全般(ゆっくり) ・子どもに勉強を教えること ・友人と会うこと(1回だけ) ・買い物にいって欲しいものを選べるようになった 残存してる症状 下記の症状は、残存してるけど良くはなってる ① 中途覚醒 当初は、夜中5回ほど起きて眠れなくなっていた 今は2~3回に減少 ② 朝の抑うつ感 1か月前は、食べれない・眠れないが酷く 気分は最悪 正直あまり記憶にない 数値でいうと、抑うつレベル100 でも最近は20くらい だいぶへった 回復に寄与してくれたも
トップ画像がワケワカメ 笑 いや、でも最後までよんでくださったらきっと分かるはず◎ ***** 今日は休職して30日目 きのう、休職してから1か月ぶりに 人との交流の場に行った 具体的には、恩師の還暦祝いで これは適応障害になる前から、決まっていた予定 体調のこともあり、直前まで行くかどうしようか迷ったけど 体調への不安より、 「どうしても行きたい!」と気持ちがうわまったので 行くことにした お祝いの会は 恩師+友人4人という、気心知れた人の集まり 行く前、不安があったにもかかわらず 想像以上にのびのび過ごせて 「あぁ、私人と話すのが好きだったんだなぁ」と気づいた 感謝
昨日の記事を書いてから 職場にたいする意識が すこし変わったきがする これまでは 職場への復職がゴールのようなイメージで 職場に従属されているような感覚だった けど今は 「書いていくことをしたい」という夢が 私のなかで明確になったので そのために職場をどう用いていくかという 職場への復職が一つの手段として 位置づけされていったような感覚 この感覚が今後どう変わっていくのか たのしみに観察していきたい^^ さて、今日は 私が休職となってからの家族の様子や 家族との時間に 心病んだ私がどう支えられてるかについて書きたい 休職中の母 子どもらにどう映っているかの件 いや、これ
今朝は寝不足 だけど、脳は静かに興奮している 昨日、ある方のnoteの記事をよんで 「あぁ、自分はほんとうはこれをやりたかったんだ」という思いに気づいた 今思い返すと その気づきに至るための伏線が この半年間、あちこちに散らばってたように思う なので今日は 時系列を示しながら 今回の気づきのプロセスを記していきたい 【2024.2】 職業適性検査の結果 私は仕事で、クライアントに職業適性検査を実施することがある この検査は厚生省が推奨しているのもので、種類はいくつもあるのだが そのうちの一つ「興味・自信をみる検査」を、自分でも試しに受けてみたことがあった その結果 私が興
【休職日記】睡眠日誌をはじめて2週間のレビュー~不眠が改善しつつある~
適応障害になってそろそろ1か月 私の場合、特に不眠に悩まされている そんな中、精神科で勤務している心理士が紹介していた「睡眠日誌」というワークブック 自分でできる「不眠」克服ワークブック:短期睡眠行動療法自習帳 www.amazon.co.jp 1,320円 (2024年09月06日 09:06時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する これをはじめて2週間 最近目覚めがよく「ひょっとしてあのワークブックのおかげでは?」と思ったので、今日はそのことについて書きたい 睡眠日誌ワークブックとは
休職26日目 そろそろ一か月が経つんだなぁ 昨日、あるワークブックを通して 「コーピングレパートリー」を作った コーピングレパートリーってなんやねん、という感じだけど その説明は後述するとして 笑 今日は 「適応障害になって久々に創作活動したよ、達成感半端ない」 という話をしたい コーピングレパートリーとは? 「コーピング」とは ざっくり言うと、ストレスがかかった時に自分でやる対処のこと 「コーピングレパートリー」とは その人の手持ちのコーピングすべてという意味 コーピングの種類 コーピングには2種類あって 頭の中で自分助けを行う「認知的コーピング」と 実際の行動を通
すごい酷いタイトル 笑 対策内容かき始めたら、もっと酷い内容になることこの上なし 休職中も、上司のことを思い出してはイライラ… そんな中、現段階での上司対策 「私は今、こうやって腹立ち感情を処理してるよ」という話をしたい 参考にしたサイトはこちら↓ 上司死ね・殺す!殺したいという究極のストレス状態に陥った時の対処法 職場での人間関係、特に上司との関係は大きなストレスになります。単にムカつくというだけではなく、下手をするとうつ病などの原因 kctp.co.jp サイトに書いてあった最高な文章 「怒りの感情の処理」をどうすればいいのか? このためには
毎朝起きたら FEBCというクリスチャンラジオ聴くようにしている これは、適応障害になったあとも 続いてる習慣 病気の症状が重いときは 正直聖書のことばが心に入ってこなかった 「ちぇっ、きれい事だぜ」みたいな 笑 でも今朝は ふっと心に入ってきた 今日はそのことを書きたい 聖書のことば あなたは善なる方 すべてを善とする方 ー詩編119:68 聴いて思ったこと 適応障害になって休職 正直、こんなこと起きて欲しくなかった でも、今朝このみことばが心に入ってきたということは こういう状態にありながらも 自分は 善なる神さまの存在を信じてるということなのか、と思った
前回の記事は 気分が上がるのを待つより仕組み化の理論編を書いた 今回は、画像のオンパレードで 私の実践編をシェアしていきたい 行動を変えることのハードルの高さ 行動を変えるといっても、ハードルが高い 適応障害中ならなおさらだ ハードルの高さを低くする工夫 仕組み化 そこで、行動を起こす仕組みを考えれば ハードルは下がるだろうと考えた 人によって、行動が起きやすい仕組みはちがうだろう 過去の人生をふりかえって 自分はどういう状況だったら、行動が起こせたか 行動が持続できたかを振り返ると ヒントが散らばってるような気がする 私の場合 行動が起きやすい状況 ・新しい文房具
先日、以下の日記を書いた あの記事を書いた時は 「LINE片付け、やるぞー」と意気込んでいたものの その後は見事やる気が鎮静 このやる気の出なさは、適応障害の症状からか? それとも 適応障害になる前だったしても、片付けにやる気がなかったのか? もはや影響要因が分からない ということで、今日は 「片付けをやりたい気持ちはあるのに、前に進まない」という状態にたいして 私はどう自分の気分をあげていったか、について書きたい 前提 無理をさせてはいけない身体である 基本、適応障害で休職中なので、無理をさせてはいけない身体である ただ、今の私の状態は 食事できない・眠れないという
休職して以降、もっぱら休職日記を書いていた 昨日、ひさしぶりに礼拝メッセージをきいたので 今日はそのことを書きたい ~クリスチャンでない方は、思考の流れが独特で負担になるかもしれないので、スルーしていただいて結構です(^^;)~ 聖書のみことば 患難さえも喜んでいます それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し 練られた品性が希望を生み出すと知っているからです この希望は失望に終わることがありません みことばを読んでーこの時点での所感ー 適応障害の最中にいるせいか、気持ちがついていかない 牧師さんの解釈 苦しみは何をするか? 以下、牧師さんの言葉とと
【休職日記】精神科医の助言~「ひやかし気分」で行ったらどうですか?~
2024.8.24 心療内科2回目の受診だった 初診時と同様、Dr.の助言は私の心にひびいた 今日は、Dr.の助言を 備忘録として残したい ~記事が長いので よければお時間のあるときにどうぞ(^^)~ 「2週間ではすぐに回復しない、傷ついてるから」 初診から2週間後の受診 以下、Dr.とのやりとり 私 「食事はできるようになったけど、頭のまわりにくさと集中力 まだ回復していない」 Dr. 「瞬間では治らないですよ。傷ついてるから もしayaさんのクライアントさんが、2週間後に「すごい回復しましたー」と行ってきたらどうですか?」 私 「いや、それは怖い
休職3週間目 家族以外の人と話す機会がへったなぁーと実感 今日は、最近とりくんでいる「自分でできるスキーマ療法ワークブック」 これを通して 「自分は意外にいろんな人・ものに支えられてるんだなぁ」と気づいたので そのことを書きたい きっかけはカウンセリング断念 心療内科通院2回目 私は生き方を見直すためにDr.に「カウンセリングを受けたい」と伝えた そして、Dr.が提携しているカウンセリング機関を紹介されたのだが なんと、そのカウンセリング機関には友人2人が勤めているところで 苦笑 絶対嫌だと思った 一冊のワークブックとの出会い そんな中、あきらめきれない私は 「生き方
昨日の朝の抑うつ気分は8 今朝の抑うつ気分は2 たった一日で こうも気分が変動するものかと 願わくば 気分の変動に一喜一憂するというより 「あーそうなんか」でいたいと思う ****** 今日は 「ずっとやってみたかったことを やってみようと思った」 ことについて書きたい きっかけ 適応障害の診断をされた日 Dr.の助言が今も響いている 「自分本位に生きること」 2週間ずっとあった思い 抑うつ気分がありながらも ずっと 「やりたい、やってみたい」 と思っていたことがある それは、LINE片づけというサービス 2カ月間、LINEでプロにアドバイスもらいながら家を
朝の抑うつ気分が酷い 寝起きの状態で、即思った思考は 「こんな状態じゃ自分ダメだなぁ」 だった そう思った瞬間、さらに浮かんだ考えは 「こんなんだったら仕事ずっとできない」 だった なんだこの悪循環! ****** ということで今日は 上記の悪循環から どう抜け出したかについて書きたい ①カフェにいく 私にとって、確実に気分を下げない場所 コメダ珈琲 イヤホンで落ち着くBGMをききながら 珈琲をのむ 普通にうまい ②ノートに書き出す 字の乱れは、心の乱れ 私の字、最強に汚い 笑 頭のなかのごちゃごちゃを とりあえずノートに書き出す ノートに書き出す最大の良さ
休職18日目 もともと小説が好きで Audibleで耳読する習慣があった その習慣は、休職後も続いており 私がグルグル思考をストップするのを助けてくれてる 今日は最近読んだ本の中にあった、ある言葉が忘れられず その言葉を引用しながら 今思い巡らしていることを残したい きっかけ 心療内科で 「適応障害です」「休職2か月」と言われたとき 「あー自分、組織に属すの向いてない」 「仕事辞めたい」 と思った そんな中手に取った本 こちら↓ あすは起業日! www.amazon.co.jp 1,683円 (2024年08月28日 10:36時点 詳しくはこ
なんとも不謹慎なタイトル 笑 いや、でも私にとっては、これくらい過激な表現のほうが 自分をゆるしやすくなっていいかも 今日はひょんなきっかけから、休職にたいする捉え方が変わってきたので、そのことを記したい きっかけ 休職になってから、私の手持ちの服の9割が仕事着であることに気づいた 綺麗めなブラウス+スカート的な? 笑 休職中に、仕事を想起させる服なんて着たくない ということで、私の身長(170cm)と同じくらいの夫の服をきまくっていたら、夫から 「僕が着たいと思った時に、僕の服がない」といわれ(そりゃそうだ) 「休職中にきる服をいっしょに買いにいこう」と言われた
休職16日目 休職宣告をいわれた当初は、しんどかったのもあり 布団でゴロゴロ・動画ざんまいの日々だった しかし3週目の今は、日中起きて過ごせるようになり 近場の外出ならできるようになってきた 感謝 今日はそんな中、恩師から絵葉書がとどき すごく慰められたし、励まされたので そのことを書きたい 恩師について 恩師とは、大学院の時の先生 学校卒業後も、月1頻度で私に心理臨床をおしえてくれている 以前の日記にも書かせてもらったが 私はプライベートのことも、だいぶ恩師に救われている 以前の記事はこちら↓ 恩師からの絵葉書 休職後、先生にLINEで適応障害になったことを報告した
【精神科医の助言】「どうしたら今より少しでも楽になるのか」で判断できた日
適応障害で心療内科へ通院中 昨日は2回目の診察だった Dr.との会話をとおして、 「自分のこだわり」より、「どうしたら今より少しでも楽になるのか」という視点で、物事を判断できた日であった 今日はそのことについて、書きたい before 長年苦しんでいた生理前の不眠症状にたいして、自力で解決をめざしていた かれこれ10年近く 私は生理10日前から不眠症状がではじめ、ひどい時は夜間4回ほど起きていた これまでの私は、かかりつけの内科医に 「生理前の不眠、ネットで調べたらこの漢方が良さそうだったので、これを処方してほしい」と 笑 まぁー自分で考え、解決をめざしていた 背景にあ
【適応障害】休職して2週間目。よくなってきたことと、残存している症状。
心療内科で休職宣告をうけて2週間 今日は2回目の診察日 今朝は、Dr.に伝えたい内容を事前にメモでまとめ それを病院の公式LINEアカウントにメッセージで送った 便利な時代になったもんだ 今日はそのメモをもとに 休職して2週間のふりかえりをしていきたい よくなってきたこと・できるようになってきたこと ・食事 ・家事(5割) ・最低限の外出 残っている症状・まだできないこと ・抑うつ感(特に寝起きがひどい) ・頭のまわりにくさ(以前に比べて4割は回復している) ・記憶力が弱い ・子どもと遊ぶこと ・中途覚醒(直近2日間。夜間3~4回目が覚める。それからしばらく眠れない)
心療内科初診、精神科医からの助言シリーズ第3弾 最後は「医師・心理士編」で書いてみたい 今回の記事は、特殊な観点から書かれているので、興味のない方は遠慮なくスルーしていただければと思う ちなみに私の主治医(以下Dr.)は女医で 20代後半~30代前半くらいの方 これまでの助言シリーズ、1~2こちら↓ 前提:Dr.が、患者ではなく心理士としての私に言ってくれた言葉 初診の時間は本来30分間だったが 予定よりオーバーして50分間Dr.と話をしていた 50分間のなかでDr.は、 私を患者として話す時間もあれば、 心理士の私として見て、話す時間もあった その際、Dr.はちゃ
心療内科の初診で言われたDr.からの助言 これがすごくよかった 昨日は、Dr.からの助言~「適応障害編」~を書いたが 今日は「生き方編」を書きたい 「適応障害編」はこちら↓ 「復職しないと、と考えてる。人のことを考えてる」 心療内科初診、まさかDr.から「休職宣告」をうけるとは思わなかったので 私は「せめて2週間で復帰はダメですか?」「職場に迷惑かけるんで…」といった するとDr. 「もしayaさんのクライアントさんが、今のayaさんと同じ状態だったら、なんて声かけますか?」といい 私は即答で 「ゆっくり休んで。仕事できる身体じゃないから、と言います」といった Dr.
休職12日目 昨日、休職してはじめてカフェにいった 病気になる前は週1~2でいってたので、 少しずつ、以前好きだったことが回復してきてるなぁと実感 感謝 今日は、病気になる前の自分とは、違う考えをするようになった場面があったので、それを書きたい 「新しい思考をなじませていきたい」と考えるようになった Dr.からの助言 適応障害になったとき、心の底から思ったことは「今までの生き方を変えたい」だった きっかけは、Dr.からの助言で 「他者本意で生きるのではなく、自分本位で生きるようになること」だった 同僚からの助言 そんな中、ひょんなきっかけで、昨日同僚の心理士と電話する機会
今朝、同僚の心理士と電話する機会があり 彼女から「今はゆっくりして。あれだったら創作活動とかしてみれば?お菓子づくりとか」と提案された お菓子づくりなんて病気になる前もしなかったので、即却下だったが 「創作活動してみれば?」というのは心にのこった ということで 今日は8/10に心療内科に初診で行ってDr.に言われてよかった言葉たちを 創作活動という名のもとに、outoputしていきたい 「ayaさんがではなく、人はだれでも適応障害になる可能性がある」 当時の症状として、 不眠・食欲低下・流涙・頭がまわらない・抑うつ があった こういう状態になった要因として、自分では 1、ク
まさか上司の言動について シリーズ化して記事を書くとは 笑 これも回復してきた証拠なのか? そう願いたい 前回は、適応障害となった上司の言動について「恩師の見解」という点から書いた 今回は「夫の見解」という観点から記録する 前回の記事はこちら↓ 上司にかんする基本情報については、前回書いたので割愛する 夫の見解 上司の言動=【確固たる信念がある】×【感情の振れ幅は日々でアップダウン】、それに合わせようとするのはストレス 夫の語り 「その上司には【支援者とはこうあるべき像】があるよね それに外れた対応をする部下や他の支援者(aya含め)にたいして 注意、指摘、叱責する か
復職するか分からないが 復職するとしたら、上司への対処が課題となる ここ数日のあいだ、夫と恩師に相談したのだが 二人の「上司の人物理解」がすごく勉強になった 今回は恩師の見解を記録する 上司にかんする基本情報 行政職員、福祉系大学卒、50代男性、私含め数名の心理士をとりまとめている 上司にたいする他の職員さんの見解 事務職員の見解 ・自分の発言が相手にどう影響するかをあまり気にしない人 ・自分より立場が上の人には、自分の感情をコントロールして対応するけど、部下には感情のコントロールをすることはしない(する必要はないと思っている?) 統括の見解 ・自分の中に【支援者とはこ
休職11日目 今日も、できるようになったこと・まだできないことを記録していきたい できるようになったこと 子どもに勉強を教える これが一番むずかしい山場じゃないかなぁーとずっと思っていた ●病気になる前 夕方いつも娘(小2)に勉強を教えていたのだが、 1人ですらすらやってしまう長男とちがい 娘は、 ・ゆったりペース ・抽象的な概念の理解に時間がかかる などの理由から、せっかちな私にとっては、ひじょーに忍耐心が求められていた 教えている最中「なんで分からないんだろう」とイライラしてしまい、なんどもその場から立ち去り、感情を落ち着けさせていたものだ ●病気後 そんな状態だったの
適応障害となった経緯を振り返る①~まずは状況整理、次に観察~
休職10日目 いちばん辛い時にくらべて、すこし頭が回るようになってきた 復職のことをまだ考えなくてもいいのに、考えてしまう 復職のことを考えた時、どうしても私を叱責した上司のことを思い出す 「あの上司がいる職場は嫌」「上司、死んでほしい」 そこまで思ったりする そういう思考をグルグルしていると、どうしても抑うつ気分へ 自分が持っていかれる 正直、この悪循環に私自身がつかれてきた *** そこで今日は、ある本をつかって 適応障害となった一番の要因である、上司の叱責の出来事を 時間をかけて振り返っていきたいと思う 過去を振り返る作業は、痛みを伴うが 私の場合、そうした痛みよりも、今
休職9日目 毎日いろんな気づきがある 感謝 できるようになったこと 本屋 昨日、無性に本屋に行きたいと思い 市内で一番豊富に本が置いてある本屋さんへ行った 地下鉄で30分+徒歩10分 休職になって初めての主体的な外出だった 行ってみてどうだったか? 結論、ほんとにたのしく時間を過ごせて 「あぁー私にとって本屋へいくことは もはや趣味レベルではなく、自分を救ってくれる場所だな」と思った シチューづくり これは思いのほか疲れる作業だった 包丁を触ったのは1か月ぶり? 元々料理は夫に任せてるんだけど 「シチューぐらい、具材を切って炒めてルーを入れるだけだからできるっしょ」と思っ
休職日記#8 「計画する」という頭をつかえるようになってきた
休職2週目に入った 休職日記を書くのがもはや日課になっている 手ごわくあるしんどさ 朝の抑うつ 起床時の鬱々にやられる 仕事のことをどうしても考えるのだ 今朝の思考はこんな感じ↓ 「あの上司のもとに戻るのは嫌だな」 「上司が次年度異動にならなかったら、また一緒に働くのか、まじで嫌」 この鬱々感にたいして、どうしていくのか もう少し体調が回復したら、本腰で考えていきたい できるようになっていること レシートを家計簿に記入 これは毎週土曜日している家事だった いつも1週間分をまとめて処理していたのだが、 なんと1か月分も溜まっていた 今思うと、適応障害になるサインは、家事
Drからカウンセリングを提案された 今の生き方に疲れている私に対して Drは、生き方を変えるためにはカウンセリングが有益だと判断したのだろう そのカウンセリングが始まる前に ある程度、自分でもセルフで取り組んでみようかなと思っている ***** 「生き方」が変わるプロセス 今、私の頭のなかにあるイメージマップを言語化していきたい (※参考:認知行動療法・家族療法の考え方) ***** 「生き方」が変わるとは、 こびりついた「中核となっている信念」が変わること 中核となっている信念=中核信念、とする 中核信念は、思考・感情・気分・身体・行動に影響を与えるものなので 中核信
心療内科初診の日 「休職です」「10月末まで」と言われた 悪あがきを何度かして 休職期間を9月末にしてもらったが あの時はそれでいいと思っていた が、今休職して1週間 考えが変わってきている Drが最初提案してくれたように 10月末に延長してもらおうかと考えているのだ その理由について徒然に書いていきたい ****** ●休職期間延長のメリット Drの判断が一番という前提で話をすすめる 体調面・復職の準備・生活リズムの調整という点から考えると 休職期間が長いに越したことはない ただ、メリットは体調面だけでなく 私の根本的な課題「自分本位に生きること」 その課題に取り
休職7日目。 徒然なるままに、今思うことを書いていく ****** 昨晩の不眠 昨晩は、服薬し始めてから初めて 薬飲んだにもかかわらず3時間入眠できなかった 起床時 「薬のんだのに何で眠れない?」と考え 少し凹んだ が、そういえば、昨晩はいつもと違い 大興奮するドラマを布団の中で見続けていたことを思い出し 「そりゃー、適応障害関係なく、そんなことしてたら興奮して眠りづらいよね」と 問題を 私の病状ではなく 状況に置くことをした そうしたら、なんかストンと 心を守れたように思う ****** 昨日と比べてできるようになったこと ・ドラマを見て、くすっと笑え
Noteで言語化していく作業をしているおかげか ゆっくりであれば頭を動かせるようになれてきている感覚がある 感謝 ***** 休職6日目。 振り返るには早いかもしれないが、書いてみたい気もするので 適応障害になった背景をふりかえってみたい ***** 私の職業は臨床心理士というもので 主にクライアントさんが相談にこられ、 心理面接等をおこない クライアントさんの心身の悩みの解消・解決・改善をさせていただく、というもの 私は30代になって臨床心理士養成の大学院に入学したため 心理士としての勤務歴はまだ4年 また、結婚して2人の子どもがいるので 仕事に猪突猛進はできない なの
診断書の休職期間は9月末まで。 状態によって、期間は前後するとDrは言ってた。 そんな中、休職当日と比べて出来るようになってきたことがちょこちょこある それを体調記録のような感じで記録しておきたい ●できるようになってきたこと ・睡眠 ・食事 ・食器洗い、床クイックルワイパー、ルンバで掃除 ここまで回復させてもらって感謝だな。 ***** ●まだできないこと ・他の家事(洗濯とか料理とか) ・計画立てて何か行動すること ・子どもに勉強を教えること ・いつもきいてた音楽をきくこと ・行きたいと思った場所に外出すること なんか、書いてるとへこんでくるわ。 ****** そう
心療内科に受診したのが8/10 初対面のドクターの助言がすごく良かったので、noteに少しずつ書き留めていきたい ****** ドクターから、 ・適応障害の診断 ・休職宣告2カ月間 をうけたが、私は往生際が悪かった ドクターに対して 「休職を2週間じゃダメですか」 「職場に迷惑がかかる」と言ったのだ。 ドクターはすぐさま 「人のことを考えてる」と指摘し 論理的に理性的に わたしを諭してくれた。 つづけて、 自分本位に生きることをこれを機会に取り組んでみたらどうか とカウンセリングを提案してくれた。 ****** 帰宅後、ドクターとの会話を回想するなかで、ドクターが私にし
もはやnoteが休職日記になっている… 今日で休職五日目。 ・業務の連絡事項をワードでまとめそれを職場にメール ・診断書を郵送 たかだかこれだけの作業で、すごく疲れた。 適応障害の症状だろう ・何かを思い出そうとするとき ・考えようとするとき 頭の中がぎゅーっとする感覚に見舞われる。 はぁー…自分は病気なんだと痛感する。 ****** 正午、職場の統括からメールの返信がきた。 私の業務について、他のスタッフがさっそく対応をしてくれてるので安心してください、ゆっくり休んでください、と。 統括の対応は、人間の不完全さはあるものの統括なりに対応してくれてるんだな、と思った。
クリスチャンの信仰が与えられて13年。 生きる意味や目的は明確になった。 けど、そのプロセス、 生き方において 変わってない部分があったんだろうと思う。 その変わってない生き方というのは、 自分本位ではなく他者本意でいきる生き方。 私は今の生き方に疲れたんだな。 だから、こうやって休職状態になったんだ。 今の私のしんどい状態をとおして神さまは、 「生き方を変えなさい」 と仰ってるのだと思う。 ****** 適応障害の診断をうけて今日で四日目。 体調が回復してきたら 生き方を検討することに取り組んでいきたい。 そういえば、ドクターが、 心理士の私にカウンセリングを勧めてく
本来お盆中で私は休暇中だったけど 心療内科を受診した結果、適応障害・休職の診断書が出たので そのことは早めに報告したほうがいいと思い連絡した。 電話するだけで気が重かった。 ****** 電話後。 色々話したけど、 あんまり覚えてない。 とりあえず、 統括の人が、組織を改善してくれようとしてくれている その記憶だけは強く残った。 ****** 夫が、「電話して、しばらくは電話でやりとりしなくてよくなったから線引きできて良かったやん」と言った。 たしかにそうだなと思った。 お盆中で、主人が休みで話をきいてくれるから助かる。 ****** とりあえず、今日私は職場に連
休職宣告をうけて三日目。 受診してほんとに良かった。 だいぶ眠れるようになったし食べれるようになった。 ****** ドクターから休職宣告をうけた時 瞬間的に思ったことは 「みんなに迷惑をかけるー‼️」だった この場に及んで他者視点の思考… 自分本位の思考ではない ****** 改めて、人生を考えてみた。 私はリラックスしてたいなぁ たのしくいてたいなぁ そして 与えられた夫 与えられた子どもたち 彼らを大事にしてたいなぁ。 ふとそう思った ****** この休職期間を 恵みの機会にしていきたい。 まだまだ、頭をつかう作業は難しいけど これからやってみた
私の今の状態= 不眠、食欲不振、流涙、家事が出来ない、頭が回らない こういう状態でもまだ頑張れると思ってた。 頑張ろうと思った。 ****** しかし、上記タイトルのとおり。 昨日心療内科を受診したらドクターから「休職です」「2カ月間」と言われた。 そこまで重症だと思わなかったので、 「2週間じゃ駄目ですか?」と尋ねたら、 「もし、あなたが心理士で クライアントが今のあなたの状態だったら 何て言いますか?」 と言われた。 私の答えは即答で 「まずはゆっくり休んで。体を回復させることをしよう、と言います」と答えた。 ドクターは、 「何故それを自分に言ってあげられないので
****** 昨日、どうしても避けたかった業務をこなしてきた。 その後、もう体が無理、となってるなと実感。 ****** いつか、牧師さんが教えてくれた。 弱さを体を通して示されたとき、 その時の応答が大事だと。 ****** 気持ちはこうしたいと思っても 体のあらゆる面が、無理と言ってる。 自分がバラバラになっている感じだ。 よくない。 ****** これから心療内科へいってくる。 もう、がんばるのは疲れた。 ****** 神さまは、 今私にはたらいてくださってると思う。 最中にあるので、私自身の頭はまだ分からないが、 きっと、何かなさろうとされてる
ADHD脳は不安障害を併発しやすい。 ****** 今の自分の状態は、それに類似した状態かもと思い 頭の中の整理のために紙に書き出してみた。 ****** 考え始めるととまらない、その理由: 環境からの心理的影響を強くうけ、 あれこれ想像して不安がかき立てられるから 処方箋、方向性: 過剰な想像+際限なく続く思考を留めること 処方箋、具体策: 何がどう不安か書き出す ****** 何がどう不安か、 対処法とともに書き出してみた。 ****** 書いてみてみて、ちょっと落ち着いた。 本日2記事目。 不安で 不安定だから 書きたくてしょうがないんだろうな。 **
****** 神さまの声 「いいよ、もういいよ。 よくやってるよ、よくやったよ。」 ****** 今日夕方4時。 業務で、二度と会いたくない人に謝罪しにいく。 私は朝から嘔吐。 ほんまに嫌なんだな、と思う。 ****** 統括の人と二人でいくので、 その人に「嘔吐してます。謝罪したらすぐ帰ってもいいですか」と言おうと思ってる。 弱いよね、不適応起こしてるよね。 あーもう、それでいいか、と思いはじめてきた。 情けないし、認めたくないけど。 不適応をおこしてるよ、私。 文字で書いてみると、あーもう…ほんまに、と思う。 ****** 夕方4時までが長い。 こ
弱さをみとめる。 自分には欠けがある。 ********** 今日、ついに心療内科に電話した。 仕事柄、多くの病院は新規予約ができないことや、何か月待ちという状況であることは知っていたが… 私が電話した病院もそうだった。 はぁー… クライアントさんの受診したいのに病院が見つからないというしんどさ、 よくわかったよ。 ********** そんな中、一つの小さなクリニックが 「月・火なら、再診の患者さんが少なかったら、新規で受け付けできる場合があります。当日電話してもらわないといけないですが」 と言ってくれた。 当日に連絡… もうそれでいいので、8月の月曜火曜に電話して、空いて
今日、とりあえず午前中仕事をした。 私が所属している部署を統括している人(統括)に、私のしんどさと要望をがんばって伝えた。 伝えた内容は社会人らしくない内容で、 ・休みたい ・キツイ上司と接触したくない とかだった。 泣きながら、頭回らない状態で伝えた。 統括はよく話を聞いてくれたと思う。 ただ、組織として出来ない部分はしっかり「難しい」と伝えられた。 ここで、 仕事を辞める、という選択肢もあるなと思った。 ****** とりあえず午前中の仕事を終えた。 終えられた。 今、昼休憩中で、目をつむって「神さま」と呟いた。 そうしたら、神さまは 「よく
月曜日、内科を受診。 不眠の薬をもらい、少し眠れるようになった。 今日は、とりあえず仕事にいく。 目的はもっと上の上司に今後のことを相談するため。 今の自分の体調のこと、 上司の言動でしんどくなってること 有給つかって休みたいこと等 これらを相談するために、とりあえず職場にいく。 本音は行きたくない。 ****** 今日仕事へいくとき、 玄関でいつもどおり主人が見送ってくれた。 私がドアを閉めようとしたとき、 主人が 「無理せんと、帰ってきいや」と言ってくれた。 思わずうるっときた。 付け加えて「僕の要望だけどね」と。 なんと優しい…(T-T) ****** 私
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