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2024/05/30

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  • 意識の隙間、想念の隙間はニルヴァーナで、それに気づくことは悟り

    ◎隙間理論について簡単なまとめ隙間理論により、人類は科学的に悟りを理解する。1.前提(1)人間の七つの身体のうち、時間のあるボディは、第一身体肉体から第五身体コーザル体まで。一方時間のない身体は、第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナである。(2)時間には3種あって、「時間的」時間、「心理的」時間、「現実的」時間。「現実的」時間が大悟覚醒者の時間だが、過去も未来もなく現在だけある。理由は、過去と現在、未来と現在をつなぐ時間がないから。これは、理屈でなく、体験とはいえない体験を経ないと納得できないのだろう。2.基本(1)人間の意識の連続の間には隙間がある。(2)隙間はニルヴァーナである。(3)隙間理論では、現象の一刹那は、人間は、『隙間』『現象』『隙間』『現象』『隙間』『現象』と流れている。『隙間』がニ...意識の隙間、想念の隙間はニルヴァーナで、それに気づくことは悟り

  • ネガティブ予言と霊がかり

    ◎霊に襲われるなど出口王仁三郎の随筆から、『山上の家山の上に掘っ立て小屋などを建てた時には、その周囲に三尺の間隔をもって、縄をぐるりと一廻ししておかねばならない。そうしておかないと、霊に襲われる。また普通の人家でも、縁側などに寝てはならない、必ず家の礎から三尺内側に寝るべきものであって、そうしないとこれまた霊に襲われる。石は悪魔を防ぐものであるから、礎から三尺以内に寝れば大丈夫である。』(出口王仁三郎の随筆集水鏡から引用)これは、結界ですね。さらに『面会のこと私はどういうものか昨年来から(昭和元年、すなわち大正十五年)人に面会することが嫌になってきた。近頃はそれが一層ひどくなって、未信者はもちろんのこと、役員信者といえども面会することが極端に嫌になったのだ、近侍といえどもあまり大勢が長く傍にいられることは...ネガティブ予言と霊がかり

  • 出口王仁三郎の一口の水

    ◎一滴の水のとうとさを思う出口王仁三郎の高熊山の洞窟修行は、一週間断食で、たまさかの水が甘露だった。その際の歌。『二十八歳の頃四十八宝座の右手に一筋の滝ちよろちよろと落つるを認めしむらむらと木漏れ陽ゆらぐ谷川の清水掬(むす)びて咽喉をうるほす旱天に雨を得たるのここちして谷底ふかき溜り水飲む一口の水に甘露のあぢはひを覚えたりけり初夏の真昼を珍宝(うずたから)黄金(こがね)白銀(しろがね)何かあらんと一滴の水のたふとさを思ふ渇きたるときに一口飲む水の味は甘露にまさるおもひすちよろちよろと落つる滝水の溜りたるを掬ひて飲めば殊更(ことさら)味よし夏草のしげる山腹わけのぼり宝座のまへに復(かえ)りて端坐す谷水に咽喉うるほして更生の気分ただよふ高熊のほら』(歌集霧の海生命の水/出口王仁三郎から引用)海外では、日本のよ...出口王仁三郎の一口の水

  • 霊を込める、心を込める

    ◎何の仕事にも霊をこめる出口王仁三郎は、心を込めると霊を込めるとを区別している。霊を込めるの方がより深い。『霊と記念物霊というものは、込めれば込めるほど深くなるものである。私は茶碗を一つひねるにもいちいち性念を込めてやるのであるから、深く霊が入っている。それ故、この器で毎日湯でも茶でも飲んでいると、相応の理によって、おかげを頂けるのである。私がやろうとも思わないのに、くれくれと言って貰っても、おかげは少ない。またやろうと思うものを辞退するのもおかげがなくなる。めったに人から記念物を貰うのも良くない事である。霊が反対していると、品物を貰ったが為めに、とんだ災難を受ける事がある。生前お互いが好意を持ち合っていたものの記念物でなくては貰うものではない。また自分が一番愛していたものに一番霊がこもるものであるから、...霊を込める、心を込める

  • 暗黒の三日間あるいは72時間について

    ◎暗黒の三日間は、聖書には三か所ある暗黒の三日間に相当するものは、古事記では、天照大御神の岩戸隠れや、出口王仁三郎のいう大峠だが、三日間とはされていない。西洋では、暗黒の三日間は、ヨハネの黙示録には記載されていないが、聖書には3か所ある。また19世紀の聖アンナ・マリア・タイギによって語られたとされる予言もある。1.「出エジプト記」のモーセによる濃い暗闇の三日三晩。奴隷状態にあったイスラエル人を救出する際、神はエジプトに対し十の災をもたらしたが、その9番目が「暗黒の三日間」。「出エジプト記」(10章21:23節)三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。2.旧約聖書「ヨナ書」ヨナが、神の命令に背いてニネベから逃れよ...暗黒の三日間あるいは72時間について

  • 九月九日に高いところに登る

    ◎災難を避ける(2007-04-06)『後漢の費長房は、あるとき弟子の桓景にむかって、「九月九日にはお前の家に大きな災難がふりかかる。だから急いで家族に赤い袋を作らせ、そのなかに、茱萸(はじかみ)をいっぱい入れておき、当日それをもって山にのぼって菊酒を飲め。そうすれば、災難を避けることができるだろう。」といった。そこで桓景は、いわれたとおりにして、九月九日に一家こぞって山にのぼった。日が暮れてから家に帰ると、飼っていた鶏、犬、牛、羊などがみな死んでいた。今のならわしは、この故事に基づいている。(『歴世真仙体道通鑑』巻二十、壺公)』(道教百話/窪徳忠/講談社から引用)この故事に基づいて、平安時代の人も9月9日には高いところに登って菊酒を飲む習慣があった。この話のモチーフは、ノアの方舟や、過越の祭と共通したと...九月九日に高いところに登る

  • 陶弘景の物語

    ◎白日昇天のタイミングが遅れた理由『陶弘景陶弘景、字を道明といい、秣陵の人である。彼が母の胎内にいたとき、一頭の青龍が懐の中から躍り出て、二人の天人が香を持って、自分の傍に立っているのを夢見たそうである。彼は幼い時から才智が人に優れ、十歳の時、葛洪の『神仙伝』を読んで、日夜これを研究したが、これより彼は養生の術を究めようという志を起こし、ある日人に向かって、人間が心を一つにして励めば、道を得るのは左程困難なことでもあるまいと言ったことがある。彼は身長七尺七寸、色白く眉秀で、顔は細長く額広く、耳は聳えていた。そして耳の穴に七十本の毛が生えていて、外部に二寸ばかり出ていた。右の膝には数十の黒いイボがあって、その形が七星の形に似ていた。彼の父は妾のために殺害されていたので、彼はひどく女色の害に懲りたものと見え、...陶弘景の物語

  • 出口王仁三郎の輪廻転生論

    ◎そういうものに決着はつくものではない出口王仁三郎の随筆月鏡から『輪廻転生およそ天地間の生物は、輪廻転生の法則をたどらないものはありません。蚕が蛹となり孵化して蝶となり産卵するのも、ガット虫が蛹となり、糞虫が孵化してハエとなり、瀬虫が孵化してトンボとなり、エンドウが蛹となり羽を生やして空中を駆け、麦が蝶と変じ、米はコクゾウムシと変化し、栗の木からクリムシが湧き、クヌギのアマハダから甲虫が発生するなどは、いずれも輪廻転生の道をたどっているのです。ある老人の話に、田舎の寺の高い梁の上にスズメが巣を組んでヒナをかえしていたところ、ヘビがそのヒナを飲み込もうとして、寺の柱を這い上がり、巣に近づこうとして、地上に転落し、庭石に頭をぶつけてもろくも死んでしまいました。それを寺男が、竹の先に挟んで裏の竹藪へ捨てておきま...出口王仁三郎の輪廻転生論

  • 愛国心と外国人と仲良くすること

    ◎悟りを開いて初めてわかることLGBTの影響か、日本人と仲良くするよりも外国人と仲良くすべきだと思っている人が少なくない。ところが、自分には本当に好きな異性がいて、それが魂の伴侶だとわかるには、どうも大悟覚醒せねばならないようだということがわかって来た。悟りを開いて初めて、自分の本当に好きな異性が誰かわかり、自分の本当に好きな国がどれであって、自分に本当にふさわしい宗教がわかるようになる。そうなって初めて愛国心である。その辺は、自分本人の抵抗感も強いだろうから、ダンテス・ダイジも性愛冥想の中でちらっとしか触れていない(男女の霊的因縁をふまえた相手)。国家意識のある宗教のことも出口王仁三郎は、あまり強弁していない。どちらも自分でわかってもらう類のことなのだから。※誰もが悟れるチャンスだが最悪のピンチでもある...愛国心と外国人と仲良くすること

  • 人工的に作られた心はエゴイズムだけから生まれる

    ◎人間は、すでに手に入れたものを、わざわざ求めているためにほとんど狂っているOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第10巻第1章”人工的な心を落とす”から。冒頭1~5がヨーガスートラの本文です。『(仮訳)第10章人工的な心を捨てる1976年5月1日午前、仏殿にてパタンジャリの経典「カイヴァリヤパダ」の最後のセクションが始まります。力は生まれつき現れるか、薬物、聖なる言葉の繰り返し、苦行、あるいはサマディ(三昧)を通して獲得される。ある階級、種、あるいは種類から別のものへの変容は、潜在的なるものの自然な傾向の溢れ出しによるものである。偶発的な原因が、自然な傾向を活動に駆り立てるものではない。それは単に障害物を取り除くだけである。まるで畑を灌漑する農夫のように。彼は障害物を取り除き、すると水は自ら自由に...人工的に作られた心はエゴイズムだけから生まれる

  • 解放・カイヴァリヤは同一化から起こる

    ◎だが、特定されてはならない。決して何にも同一化されてはならないOSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”から。※存在の4つの層は(1)ヴァイハーリ(果実)、物事。(2)マディヤマ(木、「中間」)感情、経験。(3)パシャンティ(何かを経験する前に内部では種子の形で動きます。)(4)パラ(すべてが生まれる根本的な存在)『(仮訳)1.経文「プルシャとサットヴァの純粋さが等しいときに解放が得られます。」しかし、どうやって解放を達成するのでしょうか?まずあなたはサットヴァの純粋さ、知性を達成しなければなりません。それでさらに奥へ進みます。ヴァイハリは知性の現れです。マディヤマは、世界に対してではなく、あなただけに現れる知性です。パシャンティは種子の形をした知性です。そしてパラは...解放・カイヴァリヤは同一化から起こる

  • 安期生の物語

    ◎千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるように『安期生は瑯琊阜郷の人である。平生あるいは海辺に出て薬を売っていたが、時の人々は皆彼を呼んで千歳公と言っていた。秦の始皇帝は彼の賢明であることを聞いて宮中に呼び寄せ、共に語ること三昼夜。安期生が帰る時に金帛数万贈られたが、いよいよ阜郷亭を出る時彼はその贈られた品々を皆そこに置き捨て、更に赤玉の沓一足と書一巻とを残し、これから千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるように皇帝へ伝言して、そのままそこを立ち去った。ここにおいて始皇帝は使者数人を遣わして、海上遥かに彼の跡を尋ねさせたが、舟まだ蓬莱山に至らないうちに、大風波に遭って空しく帰ってきた。そこで新たに阜郷亭の側と他の海辺十箇所とに祠を立て、永く彼を祀ってあった。』この『千年経ったら己を再び蓬莱山の麓に尋ねるよ...安期生の物語

  • 本当のものは道ではなく、探求者の真正性のほう

    ◎誠実であれば、必ず目標に到達する久々に、OSHOバグワンの“ヨガ:アルファとオメガ、第9巻第9章”絶対的な孤独:解放”から。『(仮訳)人々は立ち往生しています。自分の体や習慣に執着している人もいます。自分の心、イデオロギー、思考、夢のパターンに囚われている人もいます。カタ・ウパニシャッドはこう言います、「物を超えたところに感覚がある。感覚を超えたところに精神がある。精神を超えたところに知性がある。知性を超えたところに魂がある。魂を超えたところに非顕現。非顕現の向こうにブラフマン。そしてブラフマン自身の向こうには何もない。」これが終わりです、純粋な意識です。そして、この純粋な意識は、さまざまな道を通じて達成できます。本当のものは道ではありません。本物とは、探求者の真正性です。これを強調しておきます。どのよ...本当のものは道ではなく、探求者の真正性のほう

  • 林霊素の物語

    ◎人間以上の最も高いところ『林霊素は字を通叟といい、宋の永嘉の人である。初め彼の母が彼を孕んだ時、或る夜、外から帰って室へ入ると、紅雲が自分の身の周囲を取り巻いているような心持ちがしたそうである。そして懐妊してから二十四ヶ月目の或る夜、夢に緑の袍衣を着て、玉を帯びた、一人の神人が現われ、手に筆を執って、明日ここを暫時借用するぞと認めたものを自分に差し示すと、翌日になって林霊素がにわかに生まれた。その時室一杯に金色の光が満ちていたとのことである。林霊素は年五歳になるまで少しも言語を発しなかったが、或る日一人の道人がいてしばらく林霊素を見るや、その後おひさしぶりであると言って、互いに手を取り合い、さも嬉しそうに手を叩いて笑い興じていたが、それから林霊素はにわかに言語を話すようになったのである。彼は幼少の時から...林霊素の物語

  • 聖胎長養とは

    ◎人牛倶忘(ニルヴァーナ)に到った後のこと1.禅仏教(1)一般に「聖胎長養」とは、仏教、特に禅宗において用いられる重要な概念です。これは、仏となる可能性を秘めた「聖胎」(仏の種子、悟りの境地)を、まるで母が胎児を大切に育てるように、大切に養い育てる修行を意味します。聖胎長養は、「悟後の修行」を指すことが多いです。これは、一度「見性」(悟りを開くこと)を体験したとしても、そこで修行が終わるのではなく、その悟りをさらに深め、揺るぎないものにするために、心を鍛え続ける必要があるという考え方です。(2)唐代の有名禅マスターの馬祖は、聖胎長養について、『景徳伝灯録』の中で、「諸君よ、めいめい自己の心が仏であると知れ。もしこのことが分かれば、もうその場その場で、身に服をつけ飯を食い、聖胎を長養して、ありのままに時を過...聖胎長養とは

  • 聖遺物と善霊悪霊、縁起がよい悪い

    聖者への本当のリスペクトがあるか人は、縁起がよいものや善霊のものは手に入れ、集めたがるものだ。紀元約1000年頃、隠者の誉れ高い聖ロムアルドゥスが、たまたまフランスから故郷イタリアに帰郷の途中に、イタリア中部のウンブリア山村に立ち寄り、村人はこのような高徳の人物がこの地を去ってはどんな災難がふりかかるかもしれないと恐惶を来たし、強引に引き止めにかかった。ところが、ロムアルドゥスは、翻意しなかったので、村人たちはロムアルドゥスを撲殺して、聖遺物として村に永久に留まってもらおうと考えた。この計画を察知したロムアルドゥスは、剃髪した上に、にわかに暴飲暴食して、気ちがいになった振りをして難を逃れた。1274年にトマス・アクィナスがフォッサ・ヌォヴァの僧院で没すると、そこの修道士たちは貴重な遺物が彼らの手から失われ...聖遺物と善霊悪霊、縁起がよい悪い

  • 張果の物語

    ◎一匹の白い蝙蝠『張果張果はどこの者であるか、その伝記は詳しくない。彼は平素恒州の中条山に隠れていて、仙術を修行していたが、当時すでに余程の年になっていた老人がまだ見てあった時分に彼はもう数百年歳の若者であったといえば、彼の年はすでに幾百年歳になるか、ほとんど推測することができないくらいである。平生一匹の白い驢馬に乗って、毎日数万里の道を歩いていたが、休息する時分は件の驢馬を折りたたんでそれを箱の中に入れるに、その厚さわずかに紙くらいしかなかった。そしてまた乗るときには水を口に含んでそれに吹きかけると、またもとのように白い驢馬となるのであった。唐の太宗・高宗の二帝は使いを遣わして彼を召し寄せたけれど、彼はその命を奉じなかった。そのご則天武后が彼を召した時に、彼は妬女廟の前でばったり死んだ真似をすると、時は...張果の物語

  • 呂巖(呂洞賓)の物語

    ◎天皇(天帝、宇宙の最高神)に仕え、玉清(道教における最高の仙境)に上る呂巖は、唐代に大周天で究極に達した呂洞賓のこと。以下の文は、一生の通観だが、成道前と以後では見方を変えねばならないが、参考となるのは成道前のことだろう。『呂巖(りょがん)呂巖、字(あざな)は洞賓(どうひん)、唐の蒲州(ほしゅう)永楽県(えいらくけん)の人である。その祖先は渭(い)の礼部侍郎(れいぶじろう)で、父の呂は海州(かいしゅう)の刺史(しし)であった。彼は貞元十四年(798年)四月十四日、巳の刻(午前9時から11時頃)に生まれたので、「純陽子(じゅんようし)」とも呼ばれていた。彼が生まれた時、珍しい香りが四方に立ち込め、どこからともなく天楽の響きが聞こえ、ちょうどその時一羽の白鶴が部屋の中に入ってきて、窓に掛けてあった帳(とばり...呂巖(呂洞賓)の物語

  • どんどん貧しくなる日本

    ◎チベット女戦士アデ(2020-10-01)『チベット女戦士アデ/アデ・タポンツァン/総合法令』を読んだ。これは1959年に強制収容所という名の餓死をさせるための監獄ゴタンギャルゴに入れられていたチベット女性の話。当初一万2千人くらいだった収容者は1963年には数十人に減っていた。ほとんどが餓死やその過程での病死と見られる。収容者の大半が体力が弱り過ぎて、歩くことはおろか立っていさえもできなかったという。人権もないし、人としての尊厳もない。今話題のウイグルや内蒙古も最後はそうなっていくのだろう。チベットのこうした弾圧を中国では成功例と考えていなければ、そういう風には進むまい。日本は小泉政権下で竹中平蔵らをブレーンに非正規労働者を大幅に増加させ、「正社員はなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」という...どんどん貧しくなる日本

  • 中国ガラガラ

    ◎暗い秘密があるかもね以下は、個人の根拠のない妄想です。中国旅行の日本人youtuberの旅行記では、最近の中国の高速鉄道、自動車道、ショッピングモール、空港は、どこもガラガラで、施設内の食堂は混んでいる食堂でも3割くらいがせいぜい。春節も同様のガラガラぶりであったらしい。実際SUchannelは、わりに旅行先中国が多いのだが、実際にどこへ行ってもすいている。春節は、日本で言えば、お盆と年末年始であって、この時期に帰省しないというのも異常事態だし、平時に北京、上海、広州などの大都市のショッピングモールも閉店テナントが多いし、市内の商業市街がシャッター商店街に変貌しているのも異様である。当局が、どこへ行ってもガラガラの原因を説明しないので、その原因を想像してみた。想像される原因の一つは、疫病である。つまり新...中国ガラガラ

  • カルロス・カスタネダの最終跳躍

    ◎下降か上昇かカルロス・カスタネダは、最後は崖から飛び込むのだが、無限やイーグルと呼ばれる窮極は、中心太陽への上昇であって下降ではないと思っていた。よってカルロス・カスタネダの最終跳躍が、意外にも崖からの下降であったのには驚いた。そこでカルロス・カスタネダのことはちゃんと読んでいるっぽいGEMINIに分析してもらった。『質問:カルロス・カスタネダで、無限とは中心太陽のこと。飛び込もうとチャレンジした者の多くは宇宙の藻屑として消えてしまう。最後にカスタネダはこれに飛び込むが、なぜか断崖に向かって勢いよく走っていて深淵に飛び込むと書いてある。飛び込んだ先のことは下降でしょうか?GEMINIの回答:』カルロス・カスタネダの著作における「無限(インフィニティ)と中心太陽」の概念、そして彼自身の最後の行為に関するご...カルロス・カスタネダの最終跳躍

  • 司馬承禎の物語

    ◎夜寝ていて自然に言語を発する『司馬承禎、字は子微、温州の人である。潘師正に従って仙道を学び、その秘訣を授けられ、その後しばしば諸国の名山を遊歴していた。唐の武后に召されて朝廷へ行ったが、まもなくその地を立ち去った。そして陳子昂、王維、李白、孟浩然、賀知章、盧蔵用、宋之問、王道、畢構らと往来して、悠々自適に過ごしていた。世人は以上の十人を指して「仙宗十友」と言っている。睿宗の時代、京師に召されて身を修める道を尋ねられた時、彼は「道は日に減損していき、無為という静寂の境地に達するのが極致であり、これがすなわち身を修める法である」と答えた。また重ねて国を治める道を尋ねられたことに対しては、「国は身体と同じ理屈であり、心を静め、気を養い、物と共に消長して相容れないところがなく、また何事についても私心を持つことさ...司馬承禎の物語

  • YouTube開始2カ月半

    ◎地味ですが、着実に登録者、視聴数増加中2025年3月23日にスタートしたYouTubeもおかげさまで、コンテンツ数も170を越え、日に視聴回数も200を越えるようになってきました。登録者は69人。過去28日間では視聴回数3千越え、総再生時間は90時間と地味ですが、着実です。シリーズは、・冥想の手ほどきウェブ・冥想の手ほどきチャット(音声概要、アップ完了)・ジェイド・タブレット・ジェイド・タブレット・トーク(音声概要)・老子狂言ジャム(音声概要)・冥想非体験(性愛冥想)を語ってみる(アップ完了)(音声概要)と沢山あるが、ほとんどの方はシリーズを気にせずサムネイルで見るかどうか決めているっぽいです。なお過去最高視聴数のコンテンツは、「肉体が死んでもほとんどの人は悟らない冥想の手ほどきチャット02062025...YouTube開始2カ月半

  • 酆去奢の物語

    ◎卯山の大石で、世俗の欲望のテストを受ける『酆(ほう)去奢は衢州龍丘(浙江省)の人で、崇仙宮の道士となって九峯山の麓に住んでいた。幼い時から仙道を学び、苦学精励して、年三十余歳の時、すなわち劉宋の初年、処州嵩陽県の安和観に退隠した。この安和親というのは葉静が道を学んだ所である。観の北五里に卯山という山があって、高さ五十余丈、仰げば白雲が常にその頂を覆っていた。世に伝わる所によれば、この山は張天師と葉静の二人が道を修行された所であるという。これを聞いて酆去奢はひそかに昔の仙聖の跡が慕わしくなり、この山に一つの庵を作ってそこに暫時住んでいた。この山の東南にあたって一つの四角な大石がある。面の広さは二丈余りもあって、青嵐が朝夕その四辺を包んで俗気が届かず、松風が常にその上に響き、丹を練るにはこの上もない佳境であ...酆去奢の物語

  • 老子と下降

    ◎谷神不死、是れを玄牝と謂う垂直の道であるクンダリーニ・ヨーガの極みは上昇であって、無上の垂直道を経て中心太陽に突入。一方水平の道の極みは、下降であることがほのめかされている。水平の道の代表格である老子の道徳経に具体的な下降シーンがあるわけではないが、以下のような記述、特にタオの極みを「谷神不死、是れを玄牝と謂う」(第六章)と称していることで、プロセスが下降であることは想像される。下降した底なしの底(無底の底)で玄牝に出会うのだ参考までにGeminiの意見を挙げる。『老子道徳経の窮極は、下降によって起こると思われるが、分析お願い致します。ご指摘の通り、「老子道徳経」の思想における究極の境地は、一般的な上昇志向や積極的な行動とは逆の、下降、あるいは「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」、そして「無為自然(むいし...老子と下降

  • ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か

    ◎水平の道の窮極は、無底の底への下降か?垂直の道、すなわちクンダリーニ・ヨーガ系の窮極は、中心太陽への上昇である。それでは、水平の道の窮極は、ダンテス・ダイジの言うように無底の底への下降なのだろうか。そこで17世紀靴職人ヤコブ・ベーメの大悟を例に、GEMINIで、「ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か」について分析してもらった。結論は、下降で間違いないのだろうと思う。大きな論拠の一つは、1600年の彼の重要な神秘体験では、日光がピューターの皿に反射するのを見た際に、「存在の存在、深淵と奈落、三位一体の永遠の生成、この世界の起源と下降」を見たのだが、この「この世界の起源と下降」。世界全体と私は諸共に下降していっている。大きな論拠の今一つは、彼はまた、「神性が私の中に登ってきた」とも述べていること。さらに、「自己...ヤコブ・ベーメの無底の底は下降か

  • 生成AIとバベルの塔の崩壊

    ◎神は塔の天辺にいる?生成AIの発展は限りなく、その先にはとても素晴らしい未来が広がっているなどという言説が幅を利かす昨今。生成AIには、ジャンプはなく、一歩一歩の積み重ねであって、何かすばらしいものが塔の天辺にあるだろうという期待はバベルの塔に似ている。神仏、タオ、究極は、一歩一歩の積み重ねの上にはなく、ジャンプの先にあるからだ。シュメール人のジグラートの昔からバベルの塔(旧約聖書創世記一一章)は、(1)天を仰ぎみる目(つまり絶対者は天にいる)と、(2)ブロックをひとつひとつ積み重ねていくうちにいつかは天に達するという観念の二つの上に立っている。ブロックを積む技術を知っているのは、学者や僧侶、その指示にしたがって働くのは奴隷の群れ、そして塔の階段を登っていくのは、両者というパターンがみられる。地を離れれ...生成AIとバベルの塔の崩壊

  • 裴航の物語

    ◎断食、五穀断ちの効果と弊害『裴航は唐の長慶頃の人で、進士の試験を受けたが不幸にして落第したので、鄂渚の附近に遊んで胸の鬱屈を癒していた。然るにここに彼の旧友に崔相国という者がいて、彼にひどく同情を寄せて銀子二十万ばかりを彼に贈った。そこで彼はこれを持って落第の恥辱を雪ぐために再び京都へ引き返し、道中船に乗って二三日を波の上に暮らし、急がぬ旅で悠々と諸方を見物していたが、同じ船に樊夫人という一人の美人が乗っていることを聞き、一度その姿を見ようと思い、種々工夫して機会を伺っていたけれど、夫人は常に室の中に閉じ籠っていてめったに外へ出なかったので、彼はついに夫人を見ることができなかった。そこで或る日彼は心に一策を案じ、夫人の侍婢の雲英という者に頼んで一篇の詩を夫人の許へ送って遣った。その詩に曰く、「向為相越猶...裴航の物語

  • 張伯端の物語

    ◎陰神と陽神『張伯端は天盛の人である。晩年に混元の道を学び諸国を遊歴して名山大川を訪ねていたが、宋の神宗皇帝の熙寧二年(1069年)に蜀の地を遊んだ時、劉海蟾(りゅうかいせん)に逢って金液還丹火候の秘訣を授けられ、それから名を成と改め、字を平叔と称し、紫陽と号していた。彼と極く懇意にしていた一人の僧侶がいて、平生、戒・定・慧(かい・じょう・え)の行を修し、自分では既に禅の奥妙に達した一名僧になったつもりで、密かに自負していたが、この者が座して入定(にゅうじょう)する時、常に神を数百里の間に飛ばして、自分が思う所は何処へでも歴巡っていた。ある日、伯端が彼と面会した時、当時揚州の一名物である瓊花(けいか)を観ることを約束し、そこで二人は一室の中に退いて対座し、各々その神を飛ばして遠く揚州へ赴いた。そして伯端の...張伯端の物語

  • 盧山人の物語

    ◎食事をとらず民衆を救い続ける『盧山人はどこの人であるか詳らかでない。唐の貞元年間、荊中という所に住んでいて、木材や石灰などを売って生活していたが、時々不思議な奇術を行っては人々を驚かしていた。ここに商人に趙元卿という好事家がいて、盧山人の仙術に達していることを知り、すなわち彼に従ってその術を習い覚えようと思い、木材等の買物に事寄せて足繁く彼の許に出入りし、その都度いつも多少の茶菓などを買っては盧山人の機嫌を取っていたが、盧山人は早くも彼の心中を見抜き、ある日彼に向かって言うように、「君は木材などを買うために自分の許へ来るのではあるまい、実は自分が仙術を知っていることを見て、それを知りたいためにこうして時々自分の許へ来るのであろう」と図星を指されて、趙元卿も今更その明晰なのに敬服し、審らかに自分の意中を明...盧山人の物語

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