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2024/05/30

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  • 董奉の物語

    ◎屍解もするし、白日昇天もする『董奉、字は君異といい、侯官県の人である。その時、同県に長余姓という者がいて、年なお幼い時に或る機会から董奉に面会したことがあった。その時、董奉は既に三十余であった。その後五十年経て、長余姓がある他の栄職に就いて再び侯官県を通った時、その地の役人共皆彼の許に往いて拝謁したことがある。その時、董奉もその中に居ったが、長余姓は彼を見て驚き、「足下は恐らく仙道を得られたのではあるまいか、という訳は、自分が年なお幼くて郷里に居た時に足下に面会したことがある。それは足下もまた記憶して居られることであろう。その時足下は最早可なりの年頃であったが、今日お目にかかって見ると、足下は炯々として昔のままで少しも年老った容子がない。如何にも不思議なことである」と話した。その時、董奉はわざととぼけた...董奉の物語

  • 麻姑の物語

    ◎玉冠を戴いた仙女『麻姑は晋の石勒の頃の人で、麻秋の娘である。この麻秋という人は気性が猛々しく、城を築くことがあった時、人夫を使うのに極めて苛酷で、一晩中少しもその手を休ませない、ただ鶏が鳴く頃少し休息させるのみであった。しかし麻姑は生まれつき慈悲心の深い女で、父のために使われている工夫たちを見て不憫に思い、適当な時期をみて、鶏の声色を使うと、そばにいる数多の鶏はこれを真似て、皆一斉に鳴き出し、そのため工夫たちはいつもよりも早く仕事を止めることができた。しかしその後父の麻秋はこれを知って大いに怒り、麻姑をむち打とうとしたので彼女は遂に家を逃げ出して仙姑洞に入り、そこで長年仙道を修行した後、城北の石橋の上で遂に昇天した。そこで後世その石橋を望仙橋と名付けていた。ここに元の時に劉氏鯉という者がいたが、その家の...麻姑の物語

  • 孫思邈の物語

    ◎水底の城郭での歓待『孫思邈(そんしばく)は華原(陝西省)の人である。幼い時から才知人に優れ、七歳の時能く千言の文章を暗記してあった。そして成長するに及んで深く老荘の学を好み、周の宣帝の時、周の天下が薄く隠れんとするのを見て、にわかに世を厭い、終に太白山に入って道を学び、気を煉り神を養う事に努めていた。彼は天文の学に精しく、医薬の事にも通じていたので、人民の難病を済う事極めて多かった。ある日のこと道に一人の童子が一匹の小蛇を苦しめているのを見て、不憫に思い件の蛇を貰い受け、之を衣に包み、薬を其傷処に塗って、其蛇を傍の草藪の中へ放して遣った。するとそれから十日ばかり経て、彼再び郊外へ散歩に出掛けると途中に一人の白衣を着た少年に遇った。その時、件の少年は急いで馬から下りて彼の前に躍り、自分は彼が為めに生命を救...孫思邈の物語

  • 淮南王劉安の物語

    ◎八仙人の神通力にもこだわらない淮南王劉安は、淮南子の著者。『淮南子』は、前漢の武帝の時代(紀元前2世紀頃)に、劉安が多くの賓客(学者や方術の士)を招いて編纂させた思想書だが、オカルト的に見るべきものがある。『生を出て死に入るとは無より有にゆき、有より無にゆき、そして衰賤す。この故に清静は徳の至りにして、柔弱は道の要なり』淮南子の原道訓など。。『淮南王劉安は漢の高帝の孫で、平生仙術を好み、内書二十一篇を著し、次に鴻宝万年二巻を著して錬化の道を説いた。ある日、八人の老人が劉安の門前で面会を求めた時、門番の男が彼らに向かって言った。「我が主人が第一に求めているものは、病の根を断ちて不老不死の長生を得る道である。」「第二は学広く識高き賢者である。」「第三に力は鼎を挙げるに足り、勇は暴虎を制するに足るほどの豪傑で...淮南王劉安の物語

  • 茅盈の物語

    ◎白日昇天と二兄弟茅盈(ぼうえい)、字(あざな)は叔申といい、茅漆の玄孫である。弟は固(こ)といい、字を季偉という。その次の弟は衷(ちゅう)といい、字を思和という。盈は景帝中元五年に生まれたが、小さい時から尋常の小児と異なっていて、浮世の事を厭うて清虚神仙の道を喜び、年十八の時、家を飛び出して恒山に入り、禾(か)を食して専心に修業を積んでいたが、後、王君に従って更に道を学び、西の方、亀山(きざん)に至って西王母に謁見し、太極玄真経を授けられ、年四十九歳の時恒山に帰って北の谷に隠れていた。この時彼の両親はなお達者で生存していたが、父は彼が久しく家を出て帰らないのを憤り、杖を携えて彼を撃たんとした時、彼は厚く己が罪を謝し、かつ自分は今や仙人の仲間に入っているので、自分の身体は天帝の兵士が常に護衛しているので、...茅盈の物語

  • 徐福の物語

    ◎不死の草と小さな飯椀『徐福、字は君房といい、秦の道士である。ある時、なぜとも知らず、道行く人ごとに瘴気(熱病を起こさせる山川の毒気)にあたってにわかに卒倒し、死骸が黒々として道の上に積み、親に別れ、子に別れた者たちの嘆き悲しむ声が四方に聞こえて、この先どのような事が起こるかと人々は安心できる心もなかった。その時、どこからか鳥のような鳥数十羽が飛来し、口々に一茎の草をくわえて、それを死人の顔の上に覆い被せると、不思議なことに、死人は皆息を吹き返して蘇生した。始皇帝はこの由を聞き、急ぎその草を持って、人を鬼谷先生のもとへ遣わしてその名を問わせたところ、「これから東に当たって海中に十の島がある、その中の祖洲というところに不死の草があって、瓊田の中に生える。それは養神芝といって、簇々(※群がり生えるさま)と叢生...徐福の物語

  • 許栖岩の物語

    ◎石の髄を飲む『許栖岩は岐山の麓に住んでいましたが、唐の貞元年間進士の試験に落第してから長安に住居を移しました。その時一匹の蕃馬(異民族の馬)が市へ売りに出たので、彼はこれを見るとすぐに欲しくなり、まずある道士に会って件の馬を占ってもらうと、この馬は龍の血を引いた物で、もしこの馬を手に入れることが出来たならばたちまち昇天することが出来るであろうとの事であったので、許栖岩は大いに喜び、早速千金の値を出して件の馬を購いました。その時魏の令公が蜀の国の王となっていましたが、許栖岩はある日右の令公に謁見しようと思い、件の馬に乗って剣閣山を通ると、馬は足を滑らせて百丈もあろうと思われる深い谷底に墜落しました。然るに幸にも谷の底には枯葉が高く積んでいましたので、自分も馬も別に負傷も何もしませんでした。そこで彼は馬の足...許栖岩の物語

  • 魏伯陽の物語

    ◎弟子の覚悟を試す魏伯陽は、内丹(クンダリーニ・ヨーガ系)の中国最初の専門書である周易参同契を著した人物。周易参同契の特徴は五行(木火土金水)、八卦の易の体系でもって内丹の手法を説明したところ。クンダリーニ・ヨーガといえば、この世の次元を超えて何かぶっ飛んだ素晴らしい体験が待っているかのようなイメージが先行するかもしれないが、その修行に入るためには、この世に対するあらゆる未練とか、世俗の欲望をすべて捨ててかからなければまず成功することはないだろうということが、以下の逸話の中に見て取れる。魏伯陽は呉の国の人である。生まれつき道術を好み、山に入って一心不乱に神丹(しんたん)を練っていた。その時、三人の弟子が常に彼の側に仕えていたが、そのうち二人の弟子は本当に道を求める心がないのを、彼は早くも見抜いていた。ある...魏伯陽の物語

  • 費長房の物語

    ◎ひょうたんからタオを求める費長房は汝南(じょなん)の人で、市長の役を務めていた。ある時、市中に一人の老翁がいて薬を売っていたが、夜は店に吊してある一つのひょうたんの中に入って寝るのであった。しかし、市中の人は誰一人としてこれを知っている者はいなかったが、ただ長房一人だけはある日、楼上からこれを見て、早くもその老翁が普通の人でないことを悟り、ある日老翁の許へ赴いて酒肴を振る舞った。そして、その翌日もまた酒肴を携えてその老翁の許を訪れると、老翁は彼を連れて一緒にそのひょうたんの中へ入ったが、中には美麗な殿堂がいつもあって、美酒佳肴(びしゅかこう)がうず高く並べられていた。そこで二人は飽きるまで飲み、飽きるまで食い、やがてその中から這い出たが、その時老翁は長房に向かってこの事を決して他人に告げてはならぬと呉々...費長房の物語

  • 劉越の扉の奥

    ◎二度と開かぬ石の扉周の世に匡先生、名を績と呼ぶものがいて、南樟山の虎渓のほとりに修道をしていると、一人の少年がいつ頃からかしばしばやってくるようになったが、その言うことを聞くと、なかなか奇警で普通のものとは格段違っているので、匡先生は心中に深くこれを怪しみ、ある日彼の少年に向かって、貴殿がここへ遊びに来るようになったのももう久しいことだ。しかし今なお君がどこのだれであるかを明かしてくれないのは何よりも残念だ。今日はぜひこれを伺いたいと言うと、件の少年は、自分は劉越といって、この山の陰に住んでいるものだと答えた。この山の麓に高さ二丈ばかりの一つの大きな石がある、この石を手で叩くと、内に応ずるものがあって戸が忽ち開かれることを告げた。そこで匡先生はある日、彼の少年に言われた通り、山の麓に行ってみると、果たし...劉越の扉の奥

  • 戦後の日本の巨額経済事件

    ◎おもしろうてやがて悲しき○○○○以下の話は、根拠のない妄想である。金融庁は2025年5月8日、インターネット証券口座の乗っ取りによる不正取引金額が1月から4月末時点の合計で約3049億円となったと発表した。得た資金を中国株に購入に充てていることから犯人は○○系という記事も出始めた。経済戦争は、開戦されたと見るのだろう。過去の日本の巨額経済事件を見ると毎度外国がからむ。イトマン事件は損失2800億円ともいわれ、半島に資金が流れたとも言われる。商工ローン事件も損失2000億円ともいわれる。新銀行東京は、総損失額は不明だが、総資産は4千億で、都の出資金の棄損だけで、800億円以上。経済事件とは考えられていないが、最近話題の韓国系教団への資金の流れも累積数千億円規模と想像される。さらに国民が再エネ賦課金で苦しむ...戦後の日本の巨額経済事件

  • 時所位、TPO

    ◎霊的共同体としての家庭、社会、世界、宇宙の中の本来的位置禅語録の無門関第十一則州勘庵主から。『趙州和尚がある庵主の処を訪問してたずねた、「居るかい。」。するとその庵主がグッと拳を立てた。そこで趙州は「ここは水が浅くて船を泊めることができない」といってすぐに出て行った。また他の庵主の所に行って「居るかい」とたずねた。するとその庵主もまたグッと拳を立てた。そこで趙州は、「おまえさんこそは自由に物を与え、自由に奪い去ることができて、活殺まことに自在である」といって、ただちに礼拝した。』二人どちらも拳を立てたが、一人は正解で一人は不正解に見えるが、そうではなくて、正解の人が時所位(「time」、「place」、「occasion」)を得ていたということ。つまり合気道の植芝盛平言うところの天之浮橋に立っているとい...時所位、TPO

  • 自分が損すれば他人が儲かるからよい

    ◎我が失えば、他が得るではないか雲居希膺は、江戸時代初期の禅僧。51歳で大悟、松島瑞巌寺や妙心寺の住職をやった。見かけは地味なエピソードがいくつかあるが、盗賊など半グレ、反社、敵方の戦国武将さえ感服させる威徳があった人物。メリデメばかり念頭にあって、1円でも1ポイントでも得をしようと考えている人には、自分が損すれば他人が儲かるという考え方は奇妙かもしれないが、悟り・究極の幸福の方向性は、その方面であって、自分を小さくするという方向。それが無用の用である。『我が失えば他が得る雲居は街道を歩く時は、いつも手を背に回して腰のあたりに杖を横たえ、てくてくと歩き、侍者ははるかに後からついて来させるのがつねであった。ある夏の日、やはりそのようにして街道を歩いていた。この日はあまりにも暑い日だったためか、雲居は歩きなが...自分が損すれば他人が儲かるからよい

  • 龍樹の末路

    ◎乱行三昧の末路(2021-07-14)龍樹(ナーガールジュナ)は、バラモン出身で、家は裕福で秀才の誉れ高く、若くして各地を遊学し、天文、地理、星宿などを学びほとんどの道術を体得していた。彼には道友が三人いて、皆優秀で眉目秀麗だったが、揃って好色を追求するために隠身の術を、さる術者について学んだ。この術はさる薬物を瞼に塗ることで身を隠すことができるものだった。四人は、この薬でもって自由に遊び回り、終には王の後宮に入り、宮中の美女を手当たり次第犯して回った。強姦から百日経つと宮中では懐妊する婦人が多く、王に告白して処罰を求める者が多かった。王は、これは方術によるものと見て、細かな砂を宮廷内にまき、足跡を追えるようにした。果たして、龍樹以外の三名は、足跡によって待ちかまえていた勇者たちに首を切り落とされた。龍...龍樹の末路

  • 天地一杯の水が 手桶に汲みとられた

    ◎内山興正氏の詩内山興正氏は、日本の曹洞宗の僧侶、詩人。澤木興道に長年師事し、その死後に安泰寺の住職となる。兄弟子に横山祖道、弟弟子に弟子丸泰仙がいる。『生死手桶に水を汲むことによって水が生じたのではない天地一杯の水が手桶に汲みとられたのだ手桶の水を大地に撒いてしまったからといって水が無くなったのではない天地一杯の水が天地一杯のなかにばら撒かれたのだ人は生まれることによって生命を生じたのではない天地一杯の生命が私という思い固めのなかに汲みとられたのである人は死ぬことによって生命が無くなるのではない天地一杯の生命が私という思い固めから天地一杯のなかにばら撒かれたのだ』(求道自己を生きる/内山興正/柏樹社P52-53から引用)詩人は、歌人と同じで、心の中に淡い恋心のようなものがないと、詩は作れないと思う。自我...天地一杯の水が手桶に汲みとられた

  • 生成AIの威力と時代の急激な変貌ぶり

    ◎人間の進化に役立てる道もある私にとっても最近の生成AIの威力は、驚愕畏怖すべきものがあったので、次のように挙げて見ます。わたしは、GEMINIを主力として使っていますが、OpenAIは、日本語の調べものをしている時に、候補として半数以上中国語の文章が上がって来たので、怪しいと思いほとんど使っていません。1.英文和訳PCのゴミと化してしたOSHOバグワンの英文講話録300本弱を粗いが和訳をGEMINIでできた。これによって講話の4割弱が禅にかかわるもので、また質疑集の大半は同じような内容の繰り返しが多く、OSHOバグワンも辟易したであろうことがわかった。ただ、中にはレベルの高い講話があって、そうしたものは、わりに和訳、刊行されているものが多い。GEMINIなかりせば、「本当はもっとすごいことをしゃべってい...生成AIの威力と時代の急激な変貌ぶり

  • 神霊界とは、神界のこと

    ◎真心一つで天と地の大きな計画をしっかり果たし遂げることができる神霊界とは、神界のことだが、霊界とは、顕界、幽界、神界の総称。ダンテス・ダイジも『行為は霊界から来るのだ。』(冥想非体験(性愛冥想))で言っている。『霊界と神霊界ええとですね、「霊界」っていうのは、言葉の通り、何かこう「霊妙な世界」という意味なんですけれども、実はこれ、「顕(けん)の世界」「幽(ゆう)の世界」「神(しん)の世界」という三つの世界を全部ひっくるめて、そう呼んでいるんですよ。時々、ある方が『霊界物語』という本について、こんなふうに言われることがあるんです。「本のタイトルは『霊界物語』となっているのに、書かれている内容は、私たちの目に見える現実世界、つまり『顕現界(けんげんかい)』の出来事がすごく多いじゃないか。どうしてこんなに内容...神霊界とは、神界のこと

  • 出口王仁三郎が死から再生する

    ◎隻履(せきり)の達磨出口王仁三郎は、六度死んだと語る。古神道の極みは、死からの再生だが、それがどのようなものであったかを、明らかに語っているものはない。ここでは、自分が死から復活したことだけを述べているが、鎮魂法の窮極はそこなのだろう。出口王仁三郎の復活と言えば、二度の牢獄入りと釈放をイメージする人が多いのだろうが、古神道家は、黄泉からの帰還をイメージする。生還後の予後は、煙でいぶされたり大変だったことも書かれているものがある(一週間の床縛りの修業など)。出口王仁三郎の随筆集水鏡から『隻履の達磨』。GEMINIで現代仮名遣いに直してもらいました。『達磨没後、ある二人の若人が寄って其(その)死について話し合っていた。甲曰く「お前は達磨さんが死んだというけれど、それは嘘だ。現に私は昨日会ったのだもの」という...出口王仁三郎が死から再生する

  • 恋愛と、恋と、愛

    ◎恋愛は神聖である国立社会保障・人口問題研究所の調査では、未婚・晩婚どころか、交際したことがない、セックスしたことがない人が多い。出生動向基本調査では、30~34歳の未婚者で異性との交際経験なしが、女性約3割、男性約4割。30~34歳の性交経験のない未婚女性が、約4割、30~34歳の性交経験のない未婚男性が、約3割強。50代以上の独身世帯は、約4割だそうだから、50代以上では、既婚未婚合わせ全体の2割程度の人が性交経験がないのだろう。こうした環境下で、「冥想非体験(性愛冥想)」を語るのも意外に大変である。出口王仁三郎の随筆集水鏡から『恋愛と、恋と、愛』。GEMINIで現代仮名遣いに直してもらいました。『恋というのは、子が親を慕う如き、又は夫婦が互に慕い合う如き情動をいうのであって、愛とは親が子を愛するが如...恋愛と、恋と、愛

  • 冥想非体験(性愛冥想)読了

    ◎定力強化、光輝く生命の海、窮極の悟りダンテス・ダイジの冥想非体験(性愛冥想)を読了し、やはり40年前読んでも何を書いているのかわからなかったであろうことを再確認した。最終節に、接して漏らさずの話が出てきたことで、間違いなく40年前、自分は通読していたことがわかった。今回ネットにアップできたのは、GEMINIの手書き原稿の文字起こし機能のお蔭です。そうでなければ、これだけの分量をyoutube編集をやりながら1か月で完遂することはできませんでした。GEMINIに感謝です。ダンテス・ダイジの著作は、短い文章を寄せ集めて一冊にまとめたようなのが多いが、本書は、書下ろしスタイルで、一気に集中的に書き上げた様子が、うかかがえる。本書は、終始一貫して窮極の悟りが中心であり、窮極の悟りの前段に、光輝く生命の海があるが...冥想非体験(性愛冥想)読了

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-25(最終回)

    ◎あなたの愛人と現われた自分自身と、性愛生活を表現する冥想非体験(性愛冥想)の続き『楽とは、性的快楽のことであり、空とは宇宙意識、ニルヴァーナのことであるが、立川教はついに宇宙意識の戯れとしての性感覚を、しかつめらしい『空』の観念によって自己弁護したように受け取れる。理趣経の十七清浄句を素直に読みとれば、そこに純粋神秘主義としての「楽空一如」がある。この世が仮象であることを見抜いた者からすれば、性愛が清らかな悟りの境地であるのは、あたりまえのことである。性愛を神聖なものとして弁護するために性愛神秘主義があるのではない。私達は何よりもこの世とかの世を超越した無限生命としてあり、この至福を自覚し、そしてこの世の性愛を戯れるために、楽しみ充実した生命を生きるために性愛神秘主義をあえて提起するにすぎない。ここまで...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-25(最終回)

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-24

    ◎神秘主義は、人間を完全な歓びに導くためにあるのであって、はかない人間的幸福を相手にはしない。冥想非体験(性愛冥想)の続き『中国房中術にしても、インドのシャクティズムにしても、アラビアの性典『匂える園』においても、とにかく性愛を冥想にまで高めようとする過程にある性愛術は、射精がなされてはならないか、長時間持続するようにコントロールされねばならないと主張されている。『ガマの聖談』の南喜一氏も、その女房七人説は、彼の保留性交の技術によって、初めて主張されるものといえる。性愛における男性原理は、接して漏らさずというところに行き着く。それは、悦楽にのたうちまわる女体を見て、楽しむという通俗的な立場のみを意味するのではない。女性のあられもない姿を見て、楽しむということは、はかない権力欲の一つにすぎない。それは愛着に...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-24

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-23

    ◎女性に性的満足を与え、男性が同時に生命力を養う秘訣はあるが、要大悟覚醒冥想非体験(性愛冥想)の続き『新しいこの神の国では、神秘という言葉を使うことすら愚かしい。色欲に迷う時が、越えるべき時である色欲を制御し、さらにそれを越えて道を生きる欲がなくなるのではなく煩わされないのである伊福部隆彦『禅の教えるもの』ところで欲情離脱のために、あえて欲情世界の中へ入って行くことが、常になれ合いや単なる神秘的装飾の中でのセックスになりやすい危険を持っていることには、すでにふれたとうりである。純粋冥想行為は、もっとも純化された神秘体験への入口であり、それは人間存在の虚無的危険を超克する危険少なき安楽の法門である。例えば、神智学や、心霊主義や超能力を重要なものとする宗教が、その修行者が、神秘の名を借りた奇異な現象への好奇心...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-23

  • YouTube開始から1か月半

    ◎わからない部分をここがわからないと説くYouTubeのコンテンツ数も1か月半で72個になり、過去1カ月の累計アクセス数も1000を超えた。チャンネル登録数は29件だが、インプレッションは、4万件超で、YouTube側で検索に上げてくれ始めたのだろうと思う。このインプレッション数は、ブログとは二けた違う数字で、まさに新天地である。それと今週ポッドキャストも始めた。意外に視聴者数がある。ポッドキャストを始めた理由は、ブログの『冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる』の記事が長いので、なんとかならないかという動機だった。これをGoogleのNotebookLMが男女二人のDJ形式で6、7分でブリーフィングしてくれるもの。Googleは、一般社会人の常識的視点から語ってくれているのが新鮮。ここが、内容的に受け入れが...YouTube開始から1か月半

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-22

    ◎「色情修行」の結論は、人間の自我妄想を死ぬこと冥想非体験(性愛冥想)の続き『完全に現象存在の無を自覚した絶対自由なる霊的主体は、神が天地創造をしているのと同様に、その人自身の「霊的現象生命」を創造する。この世の喜怒哀楽はそれが一度消滅すると、まったく新しい鮮明さを帯びて霊的人間生活の多様な風光を顕わしはじめる。近世インド最大の聖者の一人、ラーマクリシュナは、「金と女とへの執着がある限り、人は、決して神と合一することはできない。しかし、一度神を本当に知ってしまえば、金銭も女も、その人の障害にはならない。」と述べている。しかしラーマクリシュナは、神との合一を成就した後も、生涯、金銭と女性とに手をふれなかった。彼にとっては、霊的法悦感と弟子達―――とりわけヴィヴェーカーナンダとの交流だけで、完全に満ち足りた人...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-22

  • 典型的な素人(しろうと)考え

    ◎自分がどうか(2007-11-08)ニューエイジ的な精神の成熟についての典型的な考え方はこんなものだ。まず悟りを開いてはいないが、求道に邁進するあなたがいる。あなたは何度も転生を繰り返して生まれ変わり、その都度宗教修行をして精神的成熟を深めていく。悟りを開かない限り、あなたの積んだ悪業(カルマ)の影響は逃れること(解脱)ができない。こうした成熟のことを進化とも呼び、進化のある段階に到ると、あなたは超人や聖者のいる教団のメンバー(弟子)になることができる。その教団は世界を管理、支配している。つまりエリートのみが集まる選ばれた一人になるのだ。そして更に修行が深まると自分自身もいつかは超人や聖者になれるというもの。出世魚物語や相撲の番付や双六ではないが、この話はその類であって、わかり易すぎるところが違うのでは...典型的な素人(しろうと)考え

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-21

    ◎神秘体験は人間体験ではない。冥想非体験(性愛冥想)の続き『~神秘性愛の実践〜欲情離脱修行山岡鉄舟がその悟道上の工夫ゆえに剣術修行と平行して「色情修行」なるものを実践したことは、前述したとうりである。彼は、結局、四十幾歳の時に庭前の花を見て、忽然として男女・色情の差別観を忘越する。ここに色情という恐らく人間にとって、死の問題の次に根深い問題の解決と有様が、鉄舟という希世の卒直果敢な一禅者によって、その行き先を提示されている。鉄舟が男女の差別観や情欲の束縛から一つの悟りによって、超越したからといって、その妻や家族達と離別することはなかった。心底、色情から自由になった人は、色情という、クサいものにフタをして抑圧する必要など、どこにもない。彼は、空を飛ぶ鳥や花々を賞でるようにその妻に対するであろう。そこには解放...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-21

  • 十字架 全体性としての四位一体

    ◎死の世界は水(2011-01-03)三位一体こそが、キリスト教のシンボルみたいに思われているが、キリスト教も含めて宗派の枠を超えて四位一体は、全体性のシンボルであり、十字架としても現れ、大本教の十曜の神紋とも、卍マークとしても現れる。まず古代エジプトでは、死者の書において、四つの顔を持つメンデスの牡羊として登場し、冥界の神オシリスの霊魂、太陽の神ラーの生命、大気の神シューの生命、大地の神ゲブの生命と、四位一体を表現する。これは、やがてホルスの四人の息子達へと変化し、ハピは北、トゥアムテフは東、イムセティは南、ケベフセヌエは西、となる。旧約聖書エゼキエルのビジョンでは、人の姿をとった四つの生き物ケルビムが出てきて、各人が四つの顔を持っていた(ダブルの四重性)。その顔は、それぞれ人、ライオン、牛、鷲。彼らは...十字架全体性としての四位一体

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-20

    ◎身体レヴェル・心理レヴェル・潜在意識レヴェルには、あなたを不幸にする嘘が含まれている冥想非体験(性愛冥想)の続き『例えば、以上の事実からして、男性型の性愛が権力欲、支配欲的な方向をもちやすく、女性型の性愛が感性的,脱我的方向を持ちやすいという特徴も説明しうる。だからこそ、宇宙意識の広大な脱我法悦の神秘修行者は、男性の方が圧倒的多数を占め得るのであり、女性は、ある意味で局部的とも言える性愛的脱我の中に満足しきることができる。純粋な宗教神秘主義的な志向性は、男性の非陶酔的性格とそれから、必然的に派生する強烈なロマンチシズムを、原動力としている。女性の正統宗教修行者は、どうしても「神がかり」やシャーマニズム的な形式をとりやすく、それには秘められたセクシャルな匂いを感じることができる。私は性的オルガズムのトラン...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-20

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-19

    ◎男性原理と女性原理冥想非体験(性愛冥想)の続き『男性原理と女性原理虚無とは、この現象世界の人間の維持しているあらゆる偏見、世界認識、価値観が崩壊したところに現れる。虚無は恐怖と戦う人間の最大の脅威であるとともに、人間にとってもっとも自由な宇宙を開く糸口でもある。私達は、虚無のこの逆説的構造を心ゆくまで、賛美することもできる。現実を唯一として受容する者にとって、虚無は、得体の知れぬ恐怖だが、現実を嫌悪する者にとっては、あらゆる世界観の崩壊したよるべのないこの人間実存の広がりは、時には一つの自由への突破口ともなり、時にはこの神秘的宇宙へ合一するための入口ともなる。結局、人間の魂の到着点は、自然主義的自然法則によって束縛され、ただ自我と肉体とを維持防衛するための、無意味な人生をいかにして超越するかということに...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-19

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-18

    ◎神の中で、神と神とがセックスし、家庭生活も神行する冥想非体験(性愛冥想)の続き『しかし、このエマーソンの普遍的エロスへの上昇としての恋愛、結婚観には、人間の霊的本質における恋愛対象の原型的イメージ、さらには神の創りしままの男女一体の霊的原型に就いての記述が抜けている。確かに絶対美への求道的方向からの、エロスの解明には、霊的原型としての夫婦像を考慮する必要はなく、とにもかくにも、人間努力のすべては、普遍的エロスへの到達というゴールから考察すれば足りるとも言える。だが現実には、それが求道上にある魂の場合であろうと、神の絶対愛の戯れの人間生活の現象化としての立場に立っていようと、男女の出会い結合には、霊的因縁相性というものがある。ニルヴァーナ、絶対愛の神秘体験に人が到り得たとしても、その人間の個別的生存がある...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-18

  • 過去は記憶にすぎず、未来は空想でしかない

    ◎覚者の現実感覚(2018-07-11)釈迦は、三世(前世・現世・来世)の輪廻転生を語り、ダンテス・ダイジはその座談の中で、『今ここ』だけに生きる現実感覚がどういうものかを断片的に語る。OSHOバグワンにも『今ここ』という現実感覚がどのようなものかを述べている部分がある。『実際、すべてのものごとはつねに今起こる。種子は今死に、つぼみは今花になり、鳥は今鳴きはじめる。すべてのものごとは今この瞬間がもたらす空間でのみ起こる。過去では何も起こらず、未来では何も起こらない。すべてのものごとはつねに現在において起こる―――――ものごとはそのようにしか起こらない。現在が存在する唯一の時間だからだ。過去とはあなたの記憶にすぎない。そして未来とはあなたの空想にすぎない。ところがあなたは過去に生きるよう催眠術をかけられてい...過去は記憶にすぎず、未来は空想でしかない

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-17

    ◎人間が出会う一つ一つの美質の輝きは、神への部分的認識経験なのだ冥想非体験(性愛冥想)の続き『少なくとも、霊的人間の完全性に向かっている価値ある内面体験、内的覚知を含まぬシンボルなど、現実に存在しもしない地形や地名を書きつけた地図と同じようなものである。そしてこの現実性ではなく、自我妄想の御都合からでっち上げられた地図は、単に無害無意味であるにとどまらず、旅する人を誤った場所や、危険な目的地に導く結果になる。日本の立川邪教や左道タントリズム中の非純粋神秘主義の一派には、シンボリズムの現実的適応を誤った危険が示されている。立川教の性愛神秘主義には、純粋神秘体験、冥想における絶対無即自己解放という人間の根源的救済が見られない。月経の血や精液を骸骨に塗りたくって、それを本尊としたり、相手の誰かれを問わず性交する...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-17

  • ボディ間移動の所要時間

    ◎刹那(2019-01-27)人間の意識の連続の間には隙間があるという。七つの身体のうち、時間のあるボディは、第一身体肉体から第五身体コーザル体まで。一方時間のない身体は、第六身体アートマンから第七身体ニルヴァーナである。この最初の五身体が同時並行に存在するものと仮定して、クンダリーニ上昇にみるように次々にボディ間を移転する場合、例えば、肉体からアストラル体に行く所要時間は何秒なのだろうか。仏教には刹那という概念がある。指を弾く時間の1/65を刹那とする説や1/75を刹那とする説がある。この刹那の間に発生と消滅があるという考え方もあり、なんとなれば消滅とは(時)が過ぎ去っていくことだとする。各ボディ間の移動に時間がかかるとすれば、意識が入っていない場合のボディとは何か?本当に並行して存在しているのか?など...ボディ間移動の所要時間

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-16

    ◎人間の性衝動は、自我忘却の欲求の最も根深いものの一つ冥想非体験(性愛冥想)の続き『人間はあたりまえの自己自身を自覚せねばならない。それが、個別的生命達の、必然的な流れであり、生長であるからだ。神秘主義とか宗教とかいう用語で、何かを語らねばならないのは、現代文明人類が、この生長の過渡期にいるからにすぎない。神秘主義・神秘体験・宗教・悟り、これらは、何と余計な概念であろうか。まして私がこの文章で語ろうとする「性愛神秘主義」という概念なぞ、まったく屋根の上に屋根を作ろうとする愚かな葛藤事にすぎない。私たちは自然のままに働き、愛し、冥想遊行世界を賛美すればよいのだ。大自然・大宇宙のままの人間には、生老病死の苦悩も、もはやありはしない。しかしこのあたりまえな「自然」という言葉一つを私が言う時、この現代に生きている...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-16

  • トリックスターがやってきた

    ◎半ば面白半分、半ば悪意で大事件を起こす(2017-01-08)今をときめくトリックスターがやってきた。その名はトランプである。娘も娘婿もユダヤ教なのでユダヤ色が強いと言われるが、それだけではない。トリック・スターとは、その時代の社会通念に照らして絶対にやってはいけないことをやってしまうのがトリックスターでもある。スサノオノミコトは高天原秩序を乱しに乱し地上を真っ暗闇にし、北欧神話のロキは、殺してはいけない美しき神バルドルを殺す引き金を引いた。その他にディオニュソス、サテュルヌス、ヘルメス、東方朔などがある。C.G.ユングの元型論に出てくるトリックスターの説明では、その性質として、半ば面白半分、半ば悪意がある狡猾ないたずらをする癖があり、変身の能力を持ち(他人や他の動物になりすます)、獣神的な二面性をも持...トリックスターがやってきた

  • アメリカのゴールド・ラッシュの頃

    ◎人は金のためなら何でもした(2017-02-08)アメリカンフットボールのスーパーボールは、2月5日、AFC王者ペイトリオッツが史上初の延長戦でNFC王者ファルコンズに34-28で大逆転勝ちを収めた。アメリカンフットボールには、別にSanFrancisco49ersという名門もあるが、この名前はゴールド・ラッシュにちなんだもの。1849年にカリフォルニアの金鉱発見によるゴールド・ラッシュのにわか景気が起こり、金を目指して西へ西へと一攫千金を夢見る人々が大量に移動した。こうした人々をフォーティ・ナイナーズと呼ぶ。法治の及ばない当時のカリフォルニアはでは、人々にもっと残酷な運命が待ち構えていた。フォーティ・ナイナーズでは、12人に一人が金鉱に向かう途中で死亡し、それ以外に現地や帰途で、亡くなる人もいた。死因...アメリカのゴールド・ラッシュの頃

  • 冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-15

    ◎神秘主義とは、人間性最後にして、最高のリアリズムなのだ冥想非体験(性愛冥想)の続き『ある人が、ある事業を起こして、経済的繁栄や名声を獲得するのに成功するとしても、その人に本当に価値あるものと感じさせているものは、経済的繁栄という内面的安心感であったり、名声という内面的充実感であったりするにすぎない。人間はすべてその本性において内面的なのだ。幸福感、安心感、充実感といったものは、あくまでも個人的、実存的なものだからである。そして人間の充実感は、それがより内面的に深くあればあるほど、外的条件の束縛に規定されることが少なくなる。神秘体験とは、あらゆる外的条件に左右されることのない絶対的な内的充実にほかならない。あらゆる個別的生命達は、絶対不動の充実を求めてやまない。コリン・ウィルソンはその、『アウトサイダー』...冥想非体験(性愛冥想)を読んでみる-15

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